458.宰相は向かい、
「君が……ッ貴方が噂のっ……‼︎お願いします、どうかっ……どうかお助け下さい……‼︎」
……彼は。……ああ……そうか。
宰相業務を終え、夜遅くに帰ってみれば。……こんな時間に。
「お願いしますっ……!娘を、私の娘を匿って下さい……!」
私はどうなっても良い、どうかどうかと初対面の私へ額を地面に擦り付ける男性の隣には見知らぬ少女がいた。齢は十二、三……といったところだろうか。どうされたのですか、と検討をつけながら問いてみれば男性は涙と泥で滲んだ顔で語り始めた。
「娘は、特殊能力をっ……‼︎このままではっ……!」
父親に背を押されるように触れられ、促されるままに少女が特殊能力を使う。……確かになかなか珍しい特殊能力だ。時代が時代であったならば、周囲にも持て囃されたであろう特殊能力だが……今は単なる呪いと不幸でしかない。
「なるほど……。……事情はわかりました。……決して不自由のない生活とはいえませんが、それでも宜しければ。」
ありがとうございますっ……‼︎と私の言葉に父親が身体を震わせて再び額を擦り付けた。私は、そのようなことをされるべき人間ではないというのに。
少女が自身の裾を握り、父親と私を見比べる。泣くのを堪えながら下唇を噛み締める少女は、父親との断絶を拒むように「お父さん!」と始めて声を上げた。
「こんな人がっ……本当に私を守ってくれるの⁈だってこの人っ……」
顔を上げる父親を睨み、彼女は私を指差した。
私の機嫌を損ねまいと、父親が娘の手を下ろさせるべく慌てて手を伸ばす。だが、それよりも先に少女ははっきりと私に向かって言い放った。
「私と年も変わらない子どもじゃないっ‼︎」
こら、失礼なことを言うな!と父親が娘の手を掴む。
娘が不満そうに「だって……‼︎」と叫べば父親は「良いからお前はちゃんとこの方の言うことを聞くんだ!」と言い聞かせるが、娘の言葉は止まらない。
「こんなっ……ブカブカの服着てっ……こんな古屋に住んで!私達より絶対貧乏じゃない‼︎ねぇ、帰ろう⁈お母さんの田舎に帰った方が安全よ!」
「やめなさい!城下からは逃げられない……‼︎出ることが叶うのは特別な特殊能力者ではないものだけだ‼︎お前はまだ力を制御できないだろう⁈その間にもし見つかればっ……!」
父と娘の口論が始まる。どうやらこの格好でまた不信感を募らせてしまったらしい。もう言われ慣れたその言葉を聞き流しながら、私は親子を一度置いて家の扉を開く。立て付けの悪い古びた扉を開けば、必要最低限の生活感のみを残した一室のみが私を迎えた。娘が「ほら!誰も住んでいないじゃない‼︎」と叫ぶ。
「ここは、私の住処ですよお嬢さん。……貴方は住むのは。ここではなく、この〝地帯〟です。」
荷だけ置き、扉を閉める。
隣のボロ屋の薄い壁を一定のリズムで叩けば、それとは反対の建物からドタドタバタバタと足音が鳴り出し、先程までひと気の感じられなかった周囲の建物から彼らが姿を現した。
「帰ってきたぞ!」「今日は遅かったですね」「お帰りなさいませ」「また新入りか」と様々な老若男女が私の元へ集い出す。
突然の人影に驚いたのか親子が目を丸くする。彼らを置いたまま、私は合図に集った彼らへ小袋の金を少しずつ手渡した。これでまた数日は凌いでくれるだろう。
「彼女も今日からこちらに住む者です。その分の補助はしますから、どなたかの家に。」
突然の人影に惑い出す少女を皆が囲み、同じ年代の子どもを世話している女性が引き取ることに決まった。孤児を預かる彼女の元にならば紛れることも容易いだろう。
父親が私に頭を下げ、娘をどうか宜しくと何度も私に望む。
「……特殊能力は、その多くが年齢を重ねるごとに成長、安定します。一年後、またいらっしゃって下さい。いずれ制御できるようになれば、元の暮らしに戻れるでしょう。」
それまでは私がお預かりします。と言葉を告げれば、父親は必ず迎えに来ますと涙ながらに語り、娘と言葉を交わして去っていった。
父親との別れに泣きながらも女性に連れていかれる少女が、一度だけ私の方を振り返った。何か言いたげに口を開き、だがまだ気持ちの整理がつかないように俯いた。……その時。
「ジル!おかえりなさいっ!」
娘を連れていった女性の住処から、慌てるようにもう一人の少女が私の元へ駆けてくる。
嬉しそうに眩しい笑みを向けてくれる彼女に、……私も少し笑みを返す。
「遅くなって申し訳ありません、……ティアラ様。」
十三歳の姿の彼女に言葉を返せば、そのまま私の胸に飛び込んでこようとされ、それを止める。手で制し、私に触れる前に「いけません」と言葉で制す。私の行動に気がついたように素直に彼女は動きを止め、一歩離れたところで少し恥じらうように頭を下げた。
「……ごめんなさい。」
いえ、こちらこそ。と言葉を返し、彼女と共に私の住処へ戻る。
ティアラ様は「パンナさんと一緒に料理を作ったの!是非食べてっ!」と先程の女性の住処へ一度戻ると私の住処まで皿いっぱいのスープとパンを持ってきてくださった。
共に食事をしながら、彼女の一日を聞かせて頂く。ここに彼女を匿ってもう一ヶ月になるが、だいぶこの生活にも馴染んでこられている。料理の味を賞賛しながら味わう。……王女とは思えぬほど、相変わらず見事な腕前だ。
「……あの、ところでさっきの女の子は……また……?」
「ええ。…希少な特殊能力者です。まだ能力を制御できないようなので、それまではこちらで預かることに。」
義務を怠れば家族もろとも厳しい罰を受ける。だが、希少な特殊能力と知られれば更に酷い目に合う。
私が言葉にすればティアラ様の表情が悲しげに揺れた。家族と離れるなんて、と言葉を漏らし……自身も義兄の存在を思い出すように胸を押さえた。会いたいですか、と尋ねれば静かに首を振られた。……悲しげにその瞳を揺らされながら。
「……兄様なら、本気を出せば私のことをいつでも連れ戻せるわ。そうしないということは、……きっと戻ってくるなという意味なのだと思うから。」
ステイル様の瞬間移動。女王の元へ何度も現れるのは目にしたが、……まさかティアラ様の元へも可能ということなのか。
誕生祭の直前、彼女は突然離れの塔から逃げ出した。偶然それを目撃してしまった私は、気が付けば彼女に手を貸していた。
城下の下級層へ王女を連れることに気は咎めたが、塔の窓からシーツを垂らして逃げ出そうと降りてくるその姿を、……亡き最愛の人との出会いと重ねてしまった。
「ティアラ様。もうここに来てひと月は経ちますが、……何故あの塔から逃げられたのですか。そんなにも婚約者から逃げたかったのでしょうか……?」
そろそろ話して頂けませんか。と尋ねれば、彼女は一度口を噤んだ。そして、次第に言いにくそうにしながらその小さな唇を動かした。
「……婚約して遠い国へ嫁げば、もう二度とこの国には帰ってこれない。────様が許してくれるわけないわ。でも私、この国の第二王女なのに民の暮らしを全然知らなくて。そう思ったら、居ても立っても居られなかったの。」
こんなに民が辛い生活をしているのもここに来て初めて知ったわ、と。そう語る彼女は辛そうな表情で眉を落とし、私の住処を見回した。
私の住処は極端な例の一つではあるが、……私が匿っている彼らの生活も、彼女にとっては衝撃的なものだったのだろう。
集落、という程に密接したものではない。
ただ、この地帯全体のところどころに私が匿う特殊能力者や、野垂れ死にかけていた貧民が住み、私の提供する資金で細々と暮らしている。人を隠すにはやはり人の中が最も安全で合理的だ。
口止め料と生活費をある程度上乗せして提供すれば、周囲の下級層に住む彼らも快く協力をしてくれた。
そして今、私が城から連れ出した彼女もまた、彼らが協力して匿ってくれている。王女と知る者は一部に限り、他の者には隠しているが、誰も詮索する者はいなかった。
「婚約者の方には悪いことをしたと思ってる、でもっ……、婚約者が発表された後じゃ警備が強化されて私は逃げられないからっ……!」
離れの塔から宮殿への移動と護衛。
誕生祭後もティアラ様の住まいこそ離れの塔のままの予定だったが、同時に城内や宮殿で過ごすことも許される筈だった。婚前前の王女に、城の端にある離れの塔にも警備が多く割かれる。更には過ごすことを許された宮殿では衛兵も多く、また女王の目もある。……その前に、行動に移されたということか。
「私の兄様も、嫁ぐ前に城下に降りたいと話しても許してくれなかったわ。嫁ぐお前には必要ない、知らなくて良いことだって。でもっ……こんなに民が苦しんでいたのにっ……!」
今にも泣き出しそうなティアラ様の手は、強く握られ震えていた。
ステイル様は、恐らくこの光景をティアラ様から隠したかったのだろう。心優しいこの御方が苦しまれるのをわかっていたからこそ、知られぬまま婚姻まで通そうと努力されたと考えれば納得もいく。
「っ……、……ジル……私からも……聞いても良い……?」
口の中を飲み込まれたティアラ様が顔を上げる。
涙をなんとか堪え切った彼女は、少し遠慮するように語られた。どうぞ、と私が問いを促せば、彼女は周りを見回し、だれも聞いていないことを確認してから口を開かれた。
「ジルは、……貴方は一体何者なの……?何故、お城の中にいたの?いつも一体、何処へ行ってるの……?」
彼女の問いに、私は力なく笑みだけを返した。
本来の姿では数度、幼い頃に彼女に会ったことがある。だがどちらにせよ、遠い記憶だ。覚えてはいないだろう。……それに、今はもうあの姿にも戻れはしない。老人か、この十三の歳で私の時間は止まってしまったのだから。
「……そろそろ休みましょうか。スープ、ご馳走さまでした。」
「ジル!…………お願い。私は、貴方のことをもっと知りたいのっ……。」
ティアラ様が、声を上げる。
……私の正体を知るものなど城下にも殆どいない。いや、知られるわけにはいかない。何故なら私はー……
ティアラ様に背中を向け、眠るための支度をしながら私は言葉だけを彼女に返す。
「私は、………大罪人です。」
この御方には、どうしても取り繕えない。
マリアに面影を持つからか、……突き放しきれない。
罪人……?と、暫くしてからティアラ様は信じられないように小さく呟かれた。じゃあお城に捕まっていたの?と遠慮しがちに問う彼女に、答えは言わず、表情だけを向ける。私がどのような表情をしていたかは、……ティアラ様の悲しげな瞳を見ればすぐにわかった。
「多くの罪なき者を苦しめ、その命を奪いました。……たった一人の命を、救いたいが為に。」
十三歳の姿とはいえ、ティアラ様に肌を見せることはできず、寝る支度を終えた後はブカついた服のままティアラ様に早くパンナの住まいに戻りなさいと促す。背を押そうにも、……清い彼女に血で汚れた手で触れることはできず、言葉だけで彼女を扉へと歩かせた。そこまで歩かないが、一人で道を歩かせるわけにもいかずに家を出た後もゆっくり彼女と共に歩む。
「……そのたった一人は、……救えた……?」
パンナの住まいの扉を開け、孤児達と女性がティアラ様を迎える。
食器を返し、食事の礼を伝えた私はティアラ様の方を向いたまま二歩下がった。泣きそうな顔の彼女は、私に尋ねたことを後悔するように美しい瞳を潤ませた。
「いいえ。……最期まで、幸せにすることはできませんでした。」
パタン、と扉が閉ざされ、私は再び己の住まいへ向かった。
……私は、救えなかった。
彼女を失ってからもうすぐ五年。
たった一人。愛した人すら救えず、幸せにすることもできず、彼女は何年も苦しみ続けてから息を引き取った。あの日の絶望は今でも忘れられない。
残ったのはこの身ひとつだけ。
私の所為で苦しみ続ける民に、私は贖罪をすることしかできない。……その為だけに生きるしかないのだから。
先ほどの父娘も、元はと言えば私が存在さえしなければ今も平和に家族で過ごし続けていたことだろう。
素性を隠す為、特殊能力でティアラ様の身体を十三歳の姿に変えた。その時に触れた時以外、私の身にはどうか触れないようにとお願いをした。
このような血に汚れた手であのような清き御方に触れられることなど許されないのだから。
……罪の、償いを。
少しでも彼らに償わなければ。単に金や安全を守るだけでは意味がない。
もっと、もっと私の所為で苦しみ続ける彼らに償いを。
その為にも早く、早く私はー……
……
…
「……。……では、そろそろ私は行ってまいります。ステイル様はどうぞヴェスト摂政の元に。」
…ぼやけた頭で、ふと気がつく。
顔を上げれば既に次の予定の時刻になっていた。王配業務の手解き……もとい、宰相業務が一区切り付き、私はステイル様へ言葉を掛ける。
私と同じように資料を没頭していたステイル様の表情は……今も優れない。いつかの時のように、最近は特に無表情でおられる事が多くなった。恐らく、意識的に感情を抑えておられるのだろう。「ああ」と一言返して下さったステイル様は、資料を閉じて本棚に戻された。
「……もう、そんな時間か。今のところは落ち着いて来たが、……もし何かあったら」
「ええ、勿論。遠慮なくお呼び致します。」
ステイル様の心配げな表情をして下さり、少し安堵する。
ありがとうございます、と返しながら私は先に王配であるアルバートに資料を渡すべく二冊の本と別にそれを片手に携え、部屋を出た。彼に資料を渡した後、私はまたいつものように
……離れの、塔へ。




