456.義弟は諭す。
「兄様っ‼︎」
タンタンタンッ、と早足で駆けてくるティアラの声にステイルは静かに振り向いた。
「ティアラ。……久しぶりだな。」
まだ会わなくなって数日しか経っていないというのに、久しく思えて仕方がない。ステイルは落ち着いた声で返すと、その場を衛兵や従者達に任せ、ティアラへと身体を向けた。
「兄様っ!お姉様は⁈なんでっ……何故っ……‼︎」
ステイルの服を小さな手で掴み、必死な表情で見上げる。既にその瞳は泣いた後かのように涙で潤んでいた。動揺の色も激しく、顔色も言葉を重ねるごとに青くなっていく。
ステイルの背後にはプライドの部屋の扉があった。だが、今は開けっ放しだ。プライドの部屋には何人もの城の人間が入っては荷物を纏め、運び出している。そしてプライド本人は、……居ない。
「どうしてお姉様が居ないの⁈何故お部屋の荷物をっ……一体どこに……⁈お姉様に何が……!」
ずっと殆ど部屋に篭っていたティアラが、プライドの部屋の異変に気がついたのは朝だった。
多くの衛兵の行き交う声がし、部屋を出ようとすれば危険だと言われて出しても貰えなかった。騒ぎが落ち着いた後もそれは続き、やっと出ることが許された時にはプライドの部屋から荷物が運び出されている最中だ。更にはその指示を飛ばしているのは兄のステイル。驚かない訳がなかった。
当然のティアラの反応に、辛そうに顔を顰めるステイルはそっと彼女の肩に両手を置いた。「落ち着け」と言葉をかけ、ティアラが泣きそうな顔をぐっと自分の胸元の服を掴んで耐えたのを確認してから、ステイルは口を開いた。
「姉君は、……離れの塔に移すことになった。今は母上達と話をしている。………大丈夫、無事だ。」
プライドが無事、と言う言葉に少し安心するティアラだったが、プライドが離れの塔にという事実に戸惑いを隠せない。
ついこの前に部屋に軟禁が決まった筈だというのにもう離れの塔に移送になるなど。「一体……何が……?」と言葉を詰まらせるティアラに、ステイルは周囲を見回した。ここではあまりに言いにくい内容に思考を巡らし、荷運びが滞りなく進んでいることを確認した後、一言伝えてからティアラと共に場所を移した。
ティアラの部屋に行き、侍女達を一度外に出してからやっとステイルはティアラにヴァル達の一件を説明した。
「……ケメト、セフェク……ッヴァルは、いまっ……何処に⁈」
二人がヴァルに殺されかけたという話にティアラの顔色からさらに血色が消えた。
青い顔のまま再びステイルの服を掴み、訴える。今ではティアラにとってもケメトとセフェクは弟妹のような存在な上、ヴァルも秘密の習い事を通してティアラにとってはそれなりに親しい存在だった。「無事なの⁈何処にいるの⁈」と涙声を交えて詰め寄るティアラに、ステイルが大きめな声で「大丈夫だ」と伝えた。
「無事だ、三人とも怪我も大したことはなかった。今は、……レオン王子が城で秘密裏に匿って下さっている。」
絶対誰にも言うな、と口止めをしながら言うステイルに、ティアラが腰が抜けたように床へ座り込んだ。「よかった……」と心から安心したのも束の間に、今度はじわじわと灰色の絶望が彼女を襲う。
「お姉様は……どうなってしまうの……?」
言葉にした途端、今度こそ彼女の金色の瞳が潤み、止まることなく雫を睫毛の先に溜めさせた。
安堵した筈の身体が再び小刻みに震え出す。
崩れてしまったティアラに片膝をついて肩を支えるステイルは、彼女の問いに「はっきりとは言えない」と短く答えた。
「姉君は。……たった一晩で酷く歪んでしまわれた。だが、間違いなくあの人は俺たちの姉君だ。今、上層部でも調査は進んでいる。母上達も必死に姉君へ指導を」
「もし。……お姉様がずっとずっとこのままだったら?」
ステイルの言葉を遮るように放ったティアラの言葉は、茫然井戸の底に沈むような絶望感だけを残した。
あまりにも現実的で、なによりも絶望的な言葉にステイルが言葉を失った。手足が不自然に震え、違和感に飲まれそうなところを頭を強く振ってごまかした。ティアラが水晶のような丸い瞳をまっすぐにステイルに向けている。そんなことない、と言って欲しそうな眼差しに思わずステイルは目を伏せた。
「……お姉様。いつも言ってたもの、国の為に民の為にって。………兄様は、お姉様を見捨てたりなんてしないわよね?」
その言葉に目を向ければ、ティアラの金色の瞳に酷く狼狽を露わにした自分の顔が映し出された。ステイルは喉を逸らすと、詰まらせるようにしてやっと「当然だろう⁈」と荒げて返した。そうすればティアラから「ならっ!早くお姉様を元に戻るよう」と声を上げた瞬間
「ッッ戻らないかもしれないんだ…‼︎‼︎」
……耐え切れず叫ぶように張り上げた。
ぱちり、とあまりの言葉にティアラが大きく瞬きしたまま放心した。潤んだ涙が一度止まり、溢れた分だけが頬を伝った。
「うそ」と小さく呟いた言葉が泡のようにぷつりと弾ける。まるで目の前で凄惨な現場を目にしたかのようにティアラは固まったまま動かない。初めて見せる放心したティアラの姿に、ステイルは耐え切れなかったことを後悔しながらティアラの肩を両手で掴み抱き寄せた。今までプライドに関係した者達に何度も説明をした言葉を、……妹であるティアラに告げることが一番胸が痛んだ。
ステイルに抱き寄せられた身体がそのまま傾き、それでもティアラは茫然としたまま上手く言葉を話せなかった。「うそ、なんで、だって、せっかく、そんな筈」と否定できる言葉を紡ぎながらそれ以上が出てこない。
「原因もわからない……‼︎病ですらないんだっ!母上達も必死で今のあの人と向き合おうとしている……‼︎だがっ……どうしても俺達の言葉は姉君に届かない……‼︎」
裂けるような声が部屋に響く。
ティアラを抱き締める両手が酷く震え、込み上げるものを押さえるように目を強く瞑った。ティアラを慰めるつもりが、気が付けばステイルは自分に言い聞かせていたことを自覚し、余計に腕の力が強まった。
数分間、放心するティアラを抱き締め続けていると突然彼女から「だめ」とまた小さな言葉がステイルの耳に囁かれた。やっと手足の力が入ったようにステイルの肩に手を掛けたティアラは、自分から引き剥がすように力を込め、兄の顔を覗き込む為に身体を起こした。
「だめっ……きっとまだ、何か方法が……。………っ。………お姉様の居場所がなくなっちゃうの、だけはっ…。」
その言葉を言い切った途端、ティアラの目から今度こそ涙が大粒になって溢れ出した。
ステイルが言葉を返すより先に、堰を切ったように泣き出したティアラからは、一音だけが高く響いて震わされた。ああぁぁぁっ…と喉からつっかえた音しか出ず、目の前にいるステイルの胸に顔を押し付けた。ステイルは自分の服が熱く湿らされるのを感じながら、ティアラを強く抱き締める。まるで自分の代わりに泣いてくれているように涙を溢れさせ続けるティアラに、それ以上の言葉を放てなかった。
〝方法は無いんだ〟
〝もう既に、あの人の居場所は殆どが削られてしまった〟と。
国から城内、城内から自室。自室から離れの塔。
じわじわとプライドは自分の居場所を無くしていた。離れの塔は、今までのように窓からすら人の姿を見れる事は滅多にない。見張りの衛兵以外立ち寄らない城内の端だ。今は民や他国には病だと言い張ってはいるが、それもいつまで通用するかわからない。
倒れたのが公衆の面前でなければ隠しようもあったが、それもできない。
今のプライドに会えば百人中百人が嫌悪を抱き、その大半が心か身体に傷を負う。
せめて今のプライドを指導しようと女王であるローザ自らも手を尽くしているが、全くプライドの心に届いていないのも明らかだった。いくら怒ろうと諭そうとプライドは平然として、改めようとする気すらなかった。
もはや、第一王位継承者としてのプライドに希望は全く感じられない。その姿を目にした城の人間は一週間前迄が嘘のように絶望的な未来を予感した。
第二王位継承者、ティアラを残して。




