449.真白の王は祈り、金色の王は断言する。
「…じゃあ僕も一度チャイネンシスに帰るよ。」
ランスと共にサーシス王国の城内に帰してもらった僕は、サーシス王国の彼らと挨拶を交わした後にランスへと振り返った。
チャイネンシス王国へ戻る為の馬車をダリオ宰相が手配してくれた。ランスとも色々セドリックやラジヤ帝国について話したいこともあるけれど、今はまず国の方を確かめる方が先決だった。
「ああ、道中気をつけろ。区切りがついたらお前も休め。」
君もね、と言葉を返しながら我が国の護衛達と共に馬車へと向かう。
建物を出たところで、……気が抜けてうっかり少しフラついてしまった。この五日間、プライド王女のことが気掛かりでどうしてもよく眠れなかった。確かにランスの言う通り、少し休んだ方が良いかもしれない。
ランスも寝不足の筈なのに、全く疲労した様子も見せず到着してすぐダリオ宰相から留守の間の報告を受けていた。彼は昔から体力も気力も底知れない。
馬車の中に乗り込み、大きく息を吐いてから窓の外を眺めれば見慣れた景色が広がっていた。さっきまでフリージア王国に居たのに、なんだか唐突に「帰ってきたんだなぁ」と思ったら少し口元が緩んでしまった。まだここはサーシス王国内なのに。……やっぱり僕にとって〝ここも〟自国だ。
護衛や摂政が共に乗り込み、ゆるやかに馬車が動き出す。流れる景色を眺めながら、……セドリックのことが頭に過ぎる。
……彼は、大丈夫だろうか。
軟禁も言っても表向きは長期滞在。
それに、あの尋問で無実も女王の前で証明されたし、悪い扱いは受けないだろう。フリージア王国も僕らを信用して誠意ある対応をしてくれていた。ただ、……。
急に不安が胸を潰し、膝の上で拳を握った。自国に戻ってきた以上、何もできないことはわかっている。それでも……やはりあの国の名は僕らにとって忌まわしいものでしかなかった。
ラジヤ帝国。
我がハナズオ連合王国を標的にした大国。
因縁あるコペランディ王国を使い、僕らチャイネンシスだけでなく、サーシスまでも支配しようとしていた国。
もし、ラジヤ帝国が今度はその矛先をフリージア王国……プライド王女に向けているというのなら僕らにも責任はある。更には今、あの国がフリージア王国を狙っているとすれば滞在しているセドリックまでも危険にー……!。
「…………だめだなぁ、……僕も。」
そこまで考えて僕は一人首を振る。何だかんだで僕もセドリックに対して過保護かもしれない。
彼はもう、フリージア王国に身を置く覚悟も骨を埋める覚悟もできている。今回はプライド王女からの告訴と無実の証明までの滞在だけど、……そうでなくても彼は残ることを望んだだろう。彼にとってはフリージアも、もう一つの自国なのだから。
彼がラジヤ帝国の脅威に晒されるかもしれないフリージアと、そしてティアラ王女を置いていける訳がない。それに、豹変してしまったプライド王女のこともある。……正直、僕も国のことがなければ滞在を伸ばしたかったくらいだ。
馬車のソファーに寄りかかり、少しだけ目を瞑る。胸元のクロスを握りながら、静かに彼女のことに想いを馳せる。
プライド王女の豹変。十年間だけの変化。
こうして思い起こしてみても、プライド王女の本当の姿があちらだなんてとても信じられない。我儘な振る舞いの王女に神が十年だけ降りたとでもいうのか。神が降りた彼女が我がチャイネンシス王国を救ってくれたのだと思えば、それはそれで因果を感じてしまうけれど。もし仮に本当に彼女に神が降り、十年だけ別人になっていたのだとすれば。
「……………何故、……去ってしまわれたのだろう。」
フリージア王国の素晴らしき次期女王。神が彼女の身から離れたのは何故?
譫言を漏らしながらプライド王女のことを考えれば頭に過ぎるのは先程の酷い振る舞いではなく、……気高く美しいその背中だった。
『チャイネンシス王国は陛下を一人で戦わせるおつもりですか⁈』
神が宿っていた。……そう言われてしまえば納得をしてしまいそうにもなる。
多くの援軍を連れ、突然現れた彼女はまだ会って間もない僕の前に凛とした佇まいでそこに立った。
殆ど縁も所縁もない僕らと共に戦うと、……僕と運命を共にすると宣言してくれた。民を奮い立たせ、我が国にもう一度希望を与えてくれた。
彼女がもしこの十年間も、その〝本来の姿〟のままだったとしたら。……間違いなく僕はここに居ない。
チャイネンシスの民を奮い立たせることもできず、フリージア王国の援軍があったところで、民の支持なんて得られなかった。……いや、セドリックの話を鑑みれば、フリージア王国から援軍すら叶わなかった。普通の王女であれば決して許さないことをセドリックは彼女に犯したのだから。少なくとも今のプライド王女ならば、間違いなく一度目でセドリックを厳罰に処しただろう。そしたら僕は……
「…………地獄だな。」
セドリックが帰ってくることもなく
そうなればランスも目覚めず
援軍もなく
サーシス王国までもが最初から標的であれば、突然の奇襲とランスの不在に為すすべもなく
僕らチャイネンシスは国の名も文化も神も失い、今頃は奴隷産出に精を出していただろう。
もう既に断頭台を汚し、この世に僕は居なかったかもしれない。……健在なランスとセドリックに、再び会う事もできず。
考えればそれだけで、全身が凍えるように冷たく冷えていった。本当に、本当に一年前まではそれが現実になる筈だったのだと思うと怖くて仕方ない。
ランスが元気でいてくれ、セドリックが僕らの手元を自ら離れるほどに成長して、……ハナズオ連合王国が世界へと開かれた。
プライド王女の十年間が一時の奇跡だったというのならば、僕のこの幸福も本当に星の数の内のたった一つだけの幸福だったのかもしれない。そしてそれを引き寄せてくれたのは他ならない彼女だ。
今までも何度も、何度も思ったことだった。目が覚めて窓の外の平和な景色を見る度に、ランスと会い、セドリックと語り、サーシスの民と笑い合う度に
この全てが神に与えられた奇跡そのものなのだと。
「奇跡…。」
……何度も、何度もあれから毎日神に祈った。
ハナズオ連合王国の幸福と、…プライド王女への幸福を。
僕らにここまでの幸福を引き寄せてくれた彼女が、どうか遠く離れた国で僕らを幸せにしてくれた分、幸福でいてくれますように。神の祝福がありますようにと。
……今の彼女は、幸せなのだろうか。
アハハハハッと高笑いを上げる彼女の姿を思い出せば嫌でも肩が震え上がる。楽しそうに、心の底から笑うようにも見える彼女は仄暗く黒ずんで見えた。
〝幸福〟の定義は人によって違う。だけど、今までの彼女に神が降りていたというのなら今の彼女には悪魔が取り憑いているとしか思えない。
もし、本当にこのまま僕らの愛したプライド王女が帰ってこなかったとしたら。
本当にあの時の彼女は、神が使わせた奇跡そのものだったとでもいうのだろうか。
「……っ。………神よ。」
気が付けば、馬車の中で僕はまた手を組み祈りを捧げた。
プライド王女の本質がどちらなのか。……たった一年しか知らない僕にはわからない。
ただ、今の彼女の姿が……僕らを救ってくれたプライド王女が望んだものだとはとても思えない。きっとそれを知っていればプライド王女は悲しみ、苦しみ、……いっそ死すら願うだろう。
彼女が人を傷付け、今まで築き上げてきたものを壊す度、何処かで僕らの知るプライド王女が嘆き叫んでいるようにしか思えてならないから。
どうか、プライド王女を御救い下さい。
どうか、フリージア王国に救いを。
どうか、プライド王女が愛した彼らに……祝福を。
僕らを救ってくれた彼女が、…今度は救われる日を。
全てを失い、皆が絶望に苛まれるその前に。
……
「ああ、国際郵便機関の公表が延期になってな。それに伴いセドリックも立て直しの為フリージア王国に暫く滞在することになった。……恐らく長くなるだろう。」
ヨアンが馬車でチャイネンシス王国に帰った後。公表する筈だった国際郵便機関の進捗と、セドリックの不在を尋ねられた。セドリックが真実を語り続けている間に、城の者への建前も考えておけたから良かったがやはり聞いた者は誰もが残念そうに肩を落としていた。彼らの気持ちもわかる、正直に言えば私も一時停止が残念ではある。だが今は、落ち込むよりもやるべきことの方が遥かに多い。
既にいくつもの国と貿易が進んでいる。我が国でも金と宝石を輸出できるように採掘から加工までの工程が毎日進められていた。交易すれば更に多くの物資を得ることも可能だ。
今のプライド王女が変わってしまおうとも、……当時の彼女ならば間違いなく私達が歩みを止めることを望みはしないだろう。セドリックも今は自分の意思で国を離れ、我が国とフリージア王国の為に自分のできる選択を選んだ。ならば国王である私達が迷っている暇などありはしない。
「……畏まりました、国王陛下。では、こちらはそのまま進ませて頂きます。」
私の帰国を聞き、早速確認や許可をと並ぶ上層部達の話を順に聞く。
宰相であるダリオがある程度進めてはくれていたらしいが、やはり私の許可無しに決められないことも多い。セドリックのように一度で十や二十聞ければ良いが、そういうわけにもいかなかった。
「失礼を致します。……?ところで、セドリック王子殿下は……?」
また新しく部屋に入ってきた者が私に尋ねる。
最近のセドリックは忙しい時は私の手伝いをすることが多かったから余計に不在が目につくのだろう。他の者と同じ説明を返しながら、再び話を聞く。
……本当に、たった一年で立派になったものだ。
セドリックは、いずれ我が国を離れる。
ハナズオ連合王国の王弟という立場のまま、フリージア王国で郵便統括役として働く為に。寂しくないといえば嘘になる、だがそれよりも……やはり喜びの方が遥かに大きい。外の世界に怯えて我が国どころか私の隣から離れようとしなかったアイツが、ハナズオ連合王国を自らの意思で離れ、国同士を繋ぐ役割を果たそうとしている。その成長は火を見るより明らかだった。
神子としての学習能力もそうだが、それより遥かに精神的な成長が大きい。
記憶力が良すぎる所為で過去の酷い扱いを拭えず勉学を避け、己が外見のみに執着をしていたセドリックは……たった一人の存在によって変えられた。
プライド第一王女。
私やヨアンが何を言っても、何年掛けても変えられなかったセドリックをたった一ヶ月で変えてしまった。
初めてお会いした夜、プライド王女から勉強するように窘められたセドリックが素直に頷いた時の衝撃は今でも忘れられない。
昔は我儘な娘だった、突然の変化でこの十年があり、そしてまた突然の変化で戻った、……そう諭されようとも彼女が我が国に、セドリックにしてくれたことは変わらない。
セドリックに罪を着せられた時は流石に戸惑ったが、やはり我々に彼女を責め怒る権利は無い。あの方が一年前にして下さったことはそれほどまでに大きく慈悲深い。普通の王女にあそこまでのことができるとは思えない。少なくとも今のプライド王女であれば、セドリックも一年前に我が国へ援軍など出されはしなかっただろう。その上、正体はわからないフリージア王国の女王すら知らない特殊能力者を秘密裏に派遣。それまで同盟打診を無碍にしていた私に、無礼ばかりを働いたセドリックの兄である私に、……何故そこまでして下さったのか。今でも疑問しかない。
もし、今後いまのプライド王女から妨害が再び入り、たとえ本当にセドリックが罪に問われ、我が国の貿易が再び全て停止に追い込まれ、国際郵便機関が永久停止され、同盟破棄をされ、再びラジヤの脅威に晒されようとも。……恐らく私は、フリージア王国を責められはしないだろう。元はと言えば、その全てがプライド王女による恩恵で成り立ったものなのだから。
今は表向きはどうであれ軟禁状態とされたセドリックだが、我が国やフリージア王国の為、そしてプライド王女の為に自ら決断したと思えば、これもアイツの一つの試練と言える。無実の証明もされた今、残すセドリックへの心配はまた国やプライド王女、ティアラ王女の為に無理はしないかといったところか。
……ラジヤ帝国。
我が国を手中に収めようとした侵略国。
まだ防衛戦から一年しか経っていない今、セドリックが敵意を持つのも仕方ないこととは思う。私自身、やはり今は快く思えない。
セドリックの記憶力は確かだ。…消えていたその時、本当にプライド王女に何か危害を加えていたのだとすれば到底許せるものではない。
プライド王女の変化が何なのか、私には見当もつかない。だが、セドリックの知識やフリージア王国の総出でも解明されないということはやはり尋常なものではない。十年だけの奇跡かのように語られたが、プライド王女の変化がどうにも私には単なる性格の歪みとは思えない。むしろあれはー……
『ハハッ』
「ッ⁈……。……………?」
ランス様?と、摂政のファーガスに声を掛けられる。
少し呆けてしまったらしい。すまんと言葉を返し私は首を振る。やはり些か寝不足か。……今の怖気と不快感は、一体。
急激に胸のむかつきが炙るように畝り、思わず胸を片手で押さえる。
一体何を考えていたのか。やはり私も一区切りついたら休むべきか。ファーガスにもひと息入れてはと促され、押されるようにそれに頷く。胸から今度は軽く頭を抱え、押さえた。
……とにかく、今はプライド王女が正気に戻られるのを願うばかりだ。国王にも関わらず、兵力も弱く、ヨアンやセドリックと違い凡人の私にそれくらいしかできそうにないことは歯痒いが
『凡人など…御自身を卑下されないで下さい。貴方はこんなにも特別で、素晴らしい国王なのですから』
「………。」
一年前のプライド王女の言葉が、急激に頭を満たす。
ダンスをしながら語られたあの言葉が、……どれほど私には特別だったか。
『ランス国王陛下がこのまま素晴らしき人格者として王であって下さることが、私個人が陛下に最も望ませて頂きたいことです。……それだけで、充分過ぎます』
「……。…やはり、休んでいる暇はなさそうだな。」
一人ぼやき、顳顬を指で掻く。
目を強く瞑り、それから開く。私の為に空き時間を割こうとしてくれたファーガスに詫び、再び次の者を呼ぶようにと伝える。「休まずに良いのですか」と心配されたが、実際身体自体はまだそこまで疲れてもいない。一年前の防衛戦と比べれば遥かに軽い。
…今の私に出来ることなど、たかが知れている。
だが、もしあるとするならばハナズオ連合王国を一刻も早く自らの足で立たせ、歩ませることのみ。
たとえフリージア王国の協力を絶たれようとも、国を回し、世界に通用する国にすること。
たとえ何が待ち構えていようとも、自らの力で今度こそ立ち向かい、乗り越える力をつけること。いずれはフリージア王国を助力できるほどの国力をだ。
今すぐに叶うことではない。だが、今からその為に動かねば叶うのも更に後だ。
たとえプライド王女の心が今は戻って来なくとも、何十年後にもし彼女が私達の知るプライド王女として気が付かれた時。己の所為で我が国が崩れたと思われてはそれこそ目も当てられない。その時にも立派に国として成り立ち「あの時の貴方がいたからこそここまで来られた」と胸を張れる程にならなければ意味がない。
彼女が一年前に我が国に与えた機会と救いを無駄にせず、前に進み続けることこそ我が国があの時のプライド王女に報いれることに他ならない。
目先ばかりに足踏みしては何も開けん。プライド王女やフリージア王国の窮地が今回だけとも限らない。いつフリージア王国からの恩恵が途絶えるかもわからない。だからこそ今は一分一秒でも早くハナズオ連合王国を良き国として発展させるために尽力する。
「それが、この私の在り方だ。」
はっきりとそう言い切れば、頭を下げたファーガスが次の者を呼びに行かせた。王座に座り直し、鼻から深く息を吸い上げ、一度で口から吐き出した。
国王として胸を張る。そして我がハナズオ連合王国の為に尽力する。
我らが信じる、プライド王女の心に答えるその為に。