そして皇太子は去る。
「……最っっ…高過ぎるだろ。」
手首の痕を眺めながら、アダムは一人嗤った。
馬車に揺られ、自国の将軍を始めとする護衛や参謀長、部下に囲まれながら誰宛てでもなく一人呟いた。
ハハッ…ハハハハハハッと不気味な一人笑いが馬車に響いた。耳を塞ぎたくなるほどの大声だった時もあるが、誰一人耳を塞ぐことも耐え、黙したまま反応を示さなかった。
見開いた細目が怪しく光り、軽薄だった筈の笑みが今は心の底からの歓喜に溢れ続けていた。
「……イイ女。」
べろ……ん、と赤くつけられた痕をしゃぶるように舐めた。恍惚と光った瞳が残酷に光り続けている。
あまりにも目に余る獣のような姿に何人かは目を逸らした。その間にも今度はグシャグシャと右手で自分の髪を掻き乱し、流された髪が乱れきってやっといつもの彼の髪型に戻った。解放されたように息を吐き、胸元を緩めたアダムは前の席に足を伸ばして寛いだ。
「最高、最高、最高最高最高最高最高っ‼︎やばくね?アレさぁ‼︎まさかあの馬鹿王女に素質があるなんて思うか⁈なぁ⁈お前ら塵とは全然違うだろ⁈なんで一日〝も〟ぶっ倒れてたのか知んねぇけどマジで最高傑作過ぎだろぉ‼︎」
ハハハハハハハッ!と笑いながらドンドンと今度は狙って部下を蹴る。更には隣に座る同行者を肘で力任せに突き、痛みで丸めた背中を見てそれを指差しまた笑った。
余韻に浸るように引き上げた笑みをそのまま固めると、やっと思い出したように部下達へ口を開き、両手を広げる。隣に座る同行者に思い切りぶつかったが気にも留めない。
「はーい注目〜!これから〝近くの〟我が国に撤収〜‼︎到着次第、侵略準備を始めま〜す‼︎」
アダムの言葉に将軍を始めに、誰もが躊躇いなく返事を返した。
アダムの思いつくような侵略は今に始まったことではない。機嫌が最高に良い時、もしくは逆の時か暇な時。思いついたように彼は侵略を決め、そしてラジヤ帝国の領土を広げていったのだから。〝近くの〟と言われた彼らは本国ではなくラジヤ帝国の植民地と属州の中で最も近い国を地図で確認した。「大丈夫大丈夫ー、絶対プライドはラジヤに協力するようになってるし第一王女抱き込めばバケモン王国も余裕だろ」と言い切るアダムに将軍は深々と頭を下げた。
「あああぁぁあああぁあぁあぁぁぁ……最高にイイ女。まさかこんなとこで見つかるなんて思わねぇだろ、やっべぇ絶対欲しくなった。」
ぞくぞくぞくっと興奮で背中から全身が身悶えるように震え出す。
どうすれば彼女が手に入るのか、近づけるのか、方法はわかってる。今の状況は彼にとって最高だった。自分の予想より遥かに良い流れに進んできている。既にもう第二王女のティアラなど、どうでも良くなるほどに。
「俺様達が本国に帰ったと思われるように工作しろ。絶対フリージアに気づかれるなよ?国に帰って翌日フリージア向かったぐらいの期間でフリージアにも帰るから。ちゃあんと軍も準備させとけ。」
抜かりあったら殺すからな、と軽い口調で将軍の足を蹴る。ラジヤ帝国の本国まで片道一ヶ月と比べればマシだが、たった二ヶ月程度でまだ戦を始めることも知らない自国の支配下国に戦準備を整えさせろなど。猶予も時間もなさすぎる。だが、将軍はやはり躊躇うことなく承知した。肯定以外の言葉を告げれば殺されるのが自分だとわかっている。
一番近い支配下国はここから馬車で二日程度の小国だ。だが、フリージアや近隣国の使者に気付かれないようにその国ではなくラジヤの支配下国に囲まれた国の中から選ぶ。そうすれば戦準備をしても、出撃するまでは他国の使者の目に触れることもなく極秘で進められる。
将軍にとって、労働量と扱い…そして恐怖の対象であること以外で言えばアダムは理想的な主でもあった。
彼の楽しみでもある侵略が定期的以上の回数で行われ、権力の限り下の者への傍若無人も許され、更にはアダムの思想のもと幾らでも武力を振るい、残虐の限りを尽くして楽しむことも許されるのだから。忠義も恩義も何も無いが、ただただ都合の良い理想的な上司だ。更には機嫌さえ損なわなければ見返りもまた大きい。
興奮が冷めないままのアダムの笑い声を聞きながら、同時に心の中だけで彼は思う。
アダムがプライドに何をしたのか、それは彼も参謀長も当然知っている。だが、ここまでアダムが執着を示すのは初めてのことだった。
自分も含め、アダムは周りの人間を奴隷と同じくらいにしか見ていない。作戦の真意すら教えて貰えないことも珍しくは無い。
そんな彼が突然執着を示したプライドという人物が一体どれほどのものを携えていたのかと考えれば、僅かに彼の中で恐怖が湧いた。
二ヶ月後に待つであろう、プライドとアダムとの邂逅に。




