義弟は思い返し、
『…できるわ、貴方ならきっと。だって私の自慢の弟だもの』
…大丈夫。大丈夫だ。
自分にひたすら言い聞かせ、込み上げる感情に蓋をする。迫り来る絶望を薙ぎ払い、虚脱に足元を掴まれないように踏み締める。
アレは、もう…俺の知るプライドではない。
アダムと交わし合い、言葉を紡ぎ、愛のような言葉を囁かれ、恍惚とした表情を浮かべたあの女性は、もう俺の知るプライドではないのだから。
その上、プライドは自身を襲った可能性のある犯人すら知り得ていない。ならば好意的に見てしまっても仕方ない。相手はラジヤ帝国の皇太子……、…………あの、ラジヤの。
「っ…。」
急激に殺意が全身に纏わりつく。駄目だ、いま感情的になってはジルベールに気付かれる。
だが、ラジヤ帝国だ。ハナズオ連合王国を侵略しよう企て、それ以外にも世界で奴隷の手を広げ、支配を広げ、我がフリージア王国の民すら狙い、今も売買を行っているラジヤ帝国の‼︎その、皇太子が‼︎‼︎
耐えられない。
プライドが、あんな男と交わし合う姿に今までになく胃が焼け爛れた。
手紙も、……覚えがある。俺自身、ジルベールと共に手紙の処理を手伝った時に何度かプライドからその差出人の手紙も見せてもらった。表面上の歯の浮くようなベタついた甘い囁きと色香を漂わせた文ばかりを送り付ける〝ネペンテス〟という男。
プライド宛にそういう手紙は珍しくもなく、俺自身油断していた。てっきり公爵家の何者かの手紙だと思い込んでいた。まさか、あんな以前からプライドを狙っていたなど‼︎
奴は虎視眈々と狙っていた、プライドと関わる機会を。一度でも機会があれば、手紙を、同盟を、和平を、様々な要因を携えてプライドに関わるつもりだった。そして、選りに選って今!あのプライドと知り合ってしまった……‼︎どうすれば良い⁈いっそ以前のプライドならばあのような流れにまでは絶対にならなかったというのに。
…いっそ、プライドが目を覚ますのがあと三日遅ければ。
そうすれば、あのアダムを尋問することだってできた。それさえできれば、もしかしたら事態も変わったかもしれない。彼があの場に居なかったことは確かなのだから‼︎!
あの時は一分一秒でも早く目覚めてくれと願った筈なのに、今は全く逆のことを考えてしまう自分が酷く情けなくて醜悪で愚かに思える。
プライドが死の淵から免れたことは確かだというのに。
プライドが、食事も水も喉を通らず苦しみ続けるよりはずっと良い筈なのに。
今は食事も摂り、睡眠も摂り、彼女なりに笑ってもくれている。今日はまだ怪我人だって出していない。このまま少しずつ、少しずつ再び女王に相応しい器になればそれでー……、……。
ッいや、〝なれば〟じゃない。そう〝する〟んだ。
拳を新たに握り直し、今度こそ前を向く。
そのままヴェスト叔父様にも父上にも母上にも恥じない姿勢で馬車へと乗り込んだ。ジルベールがすぐに続き、心配そうに俺へと眼差しを向けた。……コイツが俺を心配する必要などないというのに。
ジルベールの眼差しから逃げるように目を瞑り、腕を組む。プライドとアダムとの関係と、そして再び我が国へ訪れようとしていることも……あの口付けの件もちゃんと伝えなければ。残すは一時停止させた制度の再開の見通しと代行案、あとはハナズオ連合王国を明後日には見送り、そして何よりこれからのプライドの…
『ステイル、たくさん話を聞いてくれてありがとう。…すごく嬉しかったわ』
『ステイルみたいな素敵な男の人に育って欲しいって。…そう思うから』
『ありがとう、ステイル。私の知らないところできっとずっと守ってくれたのね』
……大丈夫だ、俺のすべきことは変わらない。いや、変えさせない。
プライドが再び女王への道を歩み、俺がその補佐をする。今のプライドが女王として足りないならばその分俺が補えば良い。
奥の記憶に固く蓋をし、そして別の蓋を何度も開けては覗き見る。
アレはもうプライドではない。だが、…間違いなくプライドだ。
たとえどう変わろうとも、俺はただプライドの補佐として、次期摂政として彼女の為、民の為に在り続ける。……そう、ずっと昔に決めたのだから。
プライドを、守る。
あの日の彼女が望んでくれた未来を共に築く。
それ〝だけ〟が、俺の真実だ。
遠退き始める意識と共に、俺は自身へ言い聞かせるように歩むへ力を込めた。
……
…
「…やっと帰ったか。」
遠退く馬車を眺めながら俺は聞こえるように呟く。
そのまま俺の方へ振り返る彼女の傍に立ち、そっと肩を抱く。…忌々しいあの男が去ったのだと思えば、これで少しは城の風通しも良くなる。
俺の言葉に彼女は目を丸くし、その愛しい唇を動かした。
「兄様。…兄様もセドリック様のお見送りに来てくれたの?」
ティアラ。俺にとって愛しい愛しい妹。
彼女の婚約者として現れたのは、一年ほど前に女王により陥れられた小国の王子だった。
何故、女王はあの男を。…その真意は、わからない。
「まぁな。それに、お前のことも心配だった。あの王子は二日前にもすぐ手を出してきたからな。」
眼鏡の縁を押さえ、怒りを隠さず口にする。
俺の言葉にティアラは困ったように笑いながら「確かにすごく情熱的過ぎて、びっくりもしたけれど、……でも婚約者だもの」と言った。……その言葉に再び苛立ちが募る。
この三日間、婚約者としてティアラと過ごしたあの男は俺が見ただけでも二度、ティアラの穢れなき髪に口付けを落としていた。この俺が十年間守り続けてきたティアラの、その一部に。
俺が見ていないところでも何かあったのではないかと思えばそれだけで殺意が湧く。来月戻ってきた後も、なるべく目を光らせておかなければ。その内。婚前前にも関わらずその唇をも奪おうとしかねない。
本来ならば、今まで葬ってきた連中の一人に奴の名も加えてやりたかったが、……ティアラを我が国から逃す為の唯一の救いなのも確かだった。何より、ティアラが嫌がらないならば婚約を、止める理由はない。
「それに、とても優しい方だったわ。悪い人ではないと思うの。…兄様以外にあんなに優しくして貰えたのも初めて。」
そう言って思い出したように頬を染めるティアラを見て、やはり次会った時は殺してやるべきかと考える。
離れの塔にずっと閉じ込められていたティアラは、俺以外の男に免疫がない。……そこを付け込まれていなければ良いが。
「セドリック王子は十日後には本国に着き、一週間の準備期間後に……お前を、迎えに来る。」
ええ、わかってるわ。と事実を告げる俺にティアラは優しく笑んだ。
あと一ヶ月ほどしか俺とティアラがこうして共に居られる日は残されていない。いっそのこと、その間に想いを遂げてしまおうかと何度思っただろう。…だが、できない。それでは一方的にティアラを俺が傷つけるだけだ。キズモノになった王女だと知られれば、それこそティアラの生涯を台無しにしてしまう。
「嫁ぐまでの間は、陛下も城で自由に過ごして良いって言ってくださったわ。兄様や城の人達とたくさん思い出を作らなくちゃ。」
わざと明るい口調で語るティアラは「勿論、兄様はお仕事も頑張ってね」と笑った。
愛しい彼女がこの三日間あの男とどのような日々を過ごしたのか、考えるだけで息が詰まる。俺が始終見張っていられれば良かったが、女王の命令とその尻拭い、摂政業務、更には宰相業務と王配業務も手伝わねばならない。……こうして一時しか女王の許可無しに会うことも叶わない。
「また、誕生祭でお会いした騎士団もちゃんとこの目で見に行ってみたいし、あと────様の婚約者で在らせられるレオン王子にもお会いしたいわ。私にとってもう一人のお義兄様だもの。」
「!残念だが、ティアラ。レオン王子に会うのは難しいだろう。あの御方は二年間ずっと部屋に籠られたままだ。」
嬉しそうに語る彼女の言葉を止める。
騎士団はどうでも良いが、レオン王子に会うのは避けさせなければ。
あの男は女王への生贄だ。もし心清らかなティアラがそれを知れば心を痛め、力になりたいと思うだろう。それに何より、あんな女誑しの男には指一本ティアラを触れさせることも、同じ空気を吸わせることもしたくない。
「今もレオン王子の部屋に入れるのは、身の回りを世話する侍女と婚約者である女王だけだ。…きっとお前が行っても追い返される。」
「……何故、レオン王子はずっとお部屋に篭っておられるのかしら?」
さぁなお前の知らなくて良いことだ、と話を終わらせ、そろそろ中に入るようにとティアラを促す。彼女が知る必要はない。何も知らず、綺麗な心のままこの国から離れるのが一番良いに決まっている。
「そろそろ俺も戻らなければ。騎士団を見に行きたいのならば、騎士団長に手配しておこう。お前の好きな時に見に行けば良い。」
「本当っ⁈ありがとう兄様!」
流石は摂政ねっ!と悪戯っぽく笑う彼女が眩い光を放つ。ああぁ…なんて愛おしいのだろう。
今すぐ抱き締めたいが、ここでは人目がある。今までの塔の中とは違う。ここでは彼女と必要以上に親しくする訳にはいかない。もし、俺のこの想いが少しでも女王に気取られれば
『このナイフで誰にも気付かれずに母親を殺してきなさい。』
ぞっっ、と。
あの時の事を思い出し、一気に身体が震え上がった。
自身の肩を抱き締めたい衝動に必死に耐える。ティアラに気づかれなかったことを確認し、表情に出にくい顔で良かったと心から思う。
じゃあな、と一言伝えてその場から瞬間移動で執務室へと戻る。視界が切り替わった途端、足から崩れて膝をつき、今度こそ耐えた分の震えを押さえる為に自身の肩を抱き締める。
「っっ……母、さ……、……っ。」
俺が殺した、家族。
この十年、何人もの人間を女王の命で殺めてきた。数も顔も忘れるほどに、多くの血で手を身体を染めてきた。だが、……一番最初に殺めた母さんのことだけは、忘れようにも忘れられない。
歯を食い縛り息を止めて堪えるが、思い出せば一気に雪崩れ込むように過去の記憶に飲まれ出す。
「母さっ……すまな、ごめんっ……俺はっ、僕はっっ……‼︎‼︎」
両膝をついたまま、身体を保てなくなり倒れるように額を床に打ち付ける。カシャン、と掛けていた眼鏡が揺れ、ずり落ちた。
十年経った今でも、あの時のことは生々しいほどに覚えている。息絶える瞬間の母さんの顔も、そして柔らかな身体をナイフで貫いた感触も、全て。
「今度はっ……今度こそ、……守る、守る、守って……ッみせる、から……‼︎」
今度こそ、死なせない。
罪を告白することも、自らの命で償うことも、女王の命令に逆らうことも、隷属の身である俺にできはしない。女王の奴隷である俺には、何も。……だが、それでも。
俺の、たった一人の家族。唯一無二の最愛の人。たとえ世界がどうなろうとも、たとえ俺自身がどうなろうとも構わない。
ティアラだけは、必ず守りきってみせる。
それ以外の全てを犠牲にしようとも、必ず。




