440.宰相は見つめ、
「では、また。…必ずふた月後、お伺いに上がりますので。」
にっこり、と全く快く思えない笑みを私達に向けて笑うアダム皇太子を、ステイル様と共に城の門前までお見送りする。
念の為、来城した時と同じ人数か確認させ、特殊能力者による確認もつけてから、馬車に乗らせ見送った。
「次にお会いできるのが楽しみです。……プライド第一王女殿下と。」
そう言って、まだうっすらと赤く色を残した左腕の手首を誇らしげにかざして見せた。そのままアダム皇太子は上機嫌のままニタリと引き上げた笑みの後、馬車の扉を閉めさせた。プライド様を奇襲した容疑が完全に晴れないまま彼を手放すことが、手が震えるほどに口惜しい。
馬車が小さくなっていくのを眺めてから、再び衛兵に城門を閉じさせる。
結局、プライド様との会合は三十分も待たずに終了した。アダム皇太子による過剰な〝手の甲〟による口付け。そしてプライド様からの決定的な手首への口付けにより強制的に中断させた。
ステイル様が今にも怒り狂うかと思ったが、もはやそれすらも通り過ぎ、衝撃に耐えられなかったように動けておられなかった。…無理もない。私の目から見ても悪夢としか言いようのなかった異常な光景だったのだから。
「…ステイル様、御気分は大丈夫でしょうか。」
アダム皇太子の前でこそ、笑みを作られていたステイル様だが顔色は蒼白に等しく、…何より部屋を出るまで一度もプライド様へ顔すら合わせられないようだった。
私の言葉でおもむろに俯いてしまわれたステイル様は、眼鏡の縁を抑え、肩を酷く震わされた。
まるで凍えているのではないかと思うほどに次第に全身を震わせ出すステイル様に手を添えようとすれば一瞬で手を弾かれ拒まれた。パシンッという軽い音の後、震えた声が私へと向けられる。
「平気な訳がないだろうっ……‼︎」
まるで今にも泣きそうなその声は、酷く悲痛だった。
ステイル様、と言葉を掛ければステイル様は首を酷く横に振り、俯いたままその場にとどまった。
「何故っ…‼︎俺は!…っ、…あの男を逃してしまった…⁈」
本当なら、本当なら今頃はと。
一人、地面に向かって声を荒げるステイル様は全身から痛みを放っていた。
大国の皇太子。
いくら怪しくても絶対的確証が無ければ、何より女王の許しが無ければ尋問することも捕えることも叶わない。
更に先ほどのプライド様との交わしも、あくまで自ら不敬に近いことを犯したのはプライド様の方になる。アダム皇太子はあくまで口付けしたのは「手の甲」と言い張っておられるのだから。
ヴェスト摂政がプライド様の過去について話された後もずっと、……この方は一人で何かと戦っているように見える。
「何故‼︎…姉君は、…あの男とっ…⁈あれも、あの男が何かをやったからなのか…⁈それとも、プライドはっ…‼︎」
激しく己へ問うような叫びは決して私に向けてのものではなかった。
己が自身を問い詰め、耐え、頭を整理しようと己の力のみで膨大過ぎる衝撃を飲み込もうとしておられた。酷く混乱しているようにも見えるステイル様が、……プライド様の変わり果てた姿にどれほど心を乱されたのかは一目瞭然だった。
今のプライド様は、十年前より遥かに過激さを増していた。…常軌を逸していると、言っても良いほどの。
女性としての醜さか、それとも愛情表現か、それすらも判断がつかない程にアダム皇太子への動作と言葉の一つひとつがとても王女のものとは思えなかった。色気、とも呼べるべき艶美が、いっそ〝毒〟とも呼ぶべき重黒さを伴っていた。
単なるアダム皇太子への手首の口付けだけの話ではない。その言葉一挙一束がまるで香水を全身に浴びせたかのような、一度香れば噎せ返るどころか吐き気すら呼ぶほどの気を纏っていた。
私がまだマリアと出会わず下級層で落魄れていた頃に、何度か同じような気配の女性と関わったことはある。だが、その彼女達とすら比べ物にならないような毒々しさだ。女性というよりも毒、蜘蛛、大蛇……そのような表現の方が遥かに相応しいものだった。
そして、その不気味さはどこかアダム皇太子とも類似した濃淡を感じられた。プライド様のあの御姿こそがアダム皇太子の理想に叶い、今のプライド様にとってもそうだったとすれば、身の毛もよだつ邂逅だったとしか思えない。
「私は先程のことを陛下……いえ、最上層部へ報告して参ります。ステイル様は、アーサー殿かティアラ様の様子を伺って来られてみては如何でしょうか。」
私からヴェスト摂政にはお伝えして置きますので、と伝えればステイル様は「駄目だ」と即刻で言葉を切られた。
「伏せているティアラにこれ以上心配は掛けられない。アーサーには、………っ会わす顔がない……!」
苦々しげに呟かれた言葉が、最後は懺悔のようだった。
近衛騎士の一時停止。今朝一番に騎士団長にも通達が行き、近衛騎士達にも伝えられた。昨日、近衛騎士であるアラン隊長に怪我を負わせたというプライド様には必要な処置だった。そうでなくとも、今のプライド様に近衛騎士を置けばその意味合いは〝護衛〟ではなく〝監視〟と大きく変わってしまう。
ステイル様は何度も反対されたが、最終的には決定に頷かずを得なかった。
プライド様の暴走を止められず、近衛騎士を含む多くの制度の一時停止、更にはせっかく手に届いた容疑者を取り逃がし、剰えプライド様との邂逅を許し、……あのようなことがあったのだ。私にも責任があるが、ステイル様は恐らく自分一人がその責を負っておられる。
「ステイル様、今回のことは私に責が」
「違う!……俺が、まだ足りなかったんだ。」
……やはり、拒まれる。
彼の自責の念を晴らせる人間など、きっとこの世に三人程度しか居られないだろう。
慄すほど拳を強く握ったステイル様は「行くぞ」と言われると、私に背を向け王宮へと向かわれた。
その背に続きながら、未だに肩が丸く首を垂らしたステイル様を私は沈黙のまま眺める。
プライド様がもう以前のような御方には戻らぬと勧告され、更には王女としての人格を疑う数々を目の当たりにし、頼りにされていたアーサー殿の不在、そして遠い国へと逃亡したアダム皇太子、そしてプライド様との密接な邂逅。……そんな中で
今、ステイル様は一体何を原動力にこの場に立てているというのだろうか。




