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439.傲慢王女は釣る。


「ですから。…私はプライド第一王女へ最後にお会いすべくこうしてお願いに上がっているのです。」


にこやかに薄い笑みを向けながら、アダムは笑う。

滞在を延期して三日目。彼らは予定通り今日、ラジヤ帝国に帰らなければならなかった。

アダムとしては、正直今はプライドに会う為ならば滞在期間を更に伸ばしても構わなかった。そして今も実際、延期を打診しているがフリージア王国からの答えは変わらない。


「申し訳ありません、アダム皇太子殿下。姉君はご存知の通り回復しましたが、今は何方にもお会いできる状態ではありません。」

笑顔で申し訳なさそうに語るステイルに、アダムは狐のような目を少し開いた。そうですか…と返しながらその瞳は鈍く光る。

朝食後、帰国の前にとアダムは自らプライドの住む宮殿まで足を運んでいた。そして、プライド王女に御目通りをと玄関前で望めば対応に出たのはステイルだった。プライドは誰にも会わせられない、更にはラジヤ帝国のアダムを引き止められる理由もなくなった今、これ以上アダムを城に置く意味はなかった。ステイルとしては、一縷の望みを賭けて尋問の一つや二つはしたかったが、…大国の皇族に安易にそれができないことも事実だった。


「姉君が目を覚ましました今、当初の御約束通り皇太子殿下をお引止めする訳にはいきません。僕から姉君にはしっかりアダム皇太子殿下のことはお伝えしておきますので。」

本当にありがとうございました、道中お気を付け下さいと言い切るステイルは頭を下げて見せた。先程から同じような言葉で攻めてみても全く動じる様子のないステイルに、アダムは笑みのまま再び食い下がる。


「困りましたねぇ、…どうしてもでしょうか。私もフリージア王国からそれなりの誠意を期待していたのですが。誕生祭でも運悪く我々は一度も王女殿下に御挨拶すら叶っておりません。」

「申し訳ありません。姉君は多忙な身でして。今は身体を休めていますが、また公式の場に出られるようになりましたらその時は一番に挨拶をさせて頂きます。」

何と言っても手ごたえを感じない。

まるであの宰相と話していた時のようだと、アダムはジルベールと初めて会った時の会話を脳裏に過ぎらせた。

それでもアダムは「一目でも良いのですが」と歪みきった笑みで頭をゆらゆらと揺らした。会わせるまではここから動く気もないと言わんばかりとアダムに、ステイルは笑みを崩さないまま切り替えす。さっさと彼を追い出し、摂政であるヴェストの元で自分のすべき仕事に取り掛かりたいと思いながら。そして、どうせプライドに会う為に女王であるローザに許可すら取っていないのだろうとあたりをつける。

「どうしてもと仰られるならば、僕からもこれから母上に伺ってみましょう。恐らくアダム皇太子がこちらにいらっしゃられていることは〝当然、承知の上だと〟存じますが、僕からもお願いを」



「私は良くてよぉ⁈折角の来客だもの。」



突然、ステイルの聞き慣れた声が降ってきた。

まさかと思い、顔を上げれば自室の窓からプライドが顔を出してこちらに顔を向けていた。ひらひらと手を振りながら、ニンマリと好意的に感じられない笑みをステイルとアダムに向けていた。

姉君っ…‼︎と思わず声を漏らすステイルに、プライドは再び窓から声を張る。


「私の部屋まで御通ししてちょうだい、ステイル。…それとも、私が自らお伺いした方が良いかしら?」

フフッ…と怪しい含み笑いを上げながら、プライドはステイルに見てわかるように窓枠に足を掛けてみせた。

彼女の言わんとしていることを理解したステイルは「お待ち下さい‼︎」と声を上げ、少しだけ眉間の皺を寄せて俯いた。今のプライドを止められる人間は誰もいない。彼女が無理やり部屋を出ようとすればそれも可能だろう。だが、部屋で軟禁中のプライドがそんなことをすれば必ず誰かしらに被害を及ぼす。そうすれば間違いなく、プライドは離れの塔だ。


「…まずは客間まで御案内します。そちらで暫くお待ち下さい。」

暗い声のまま、ステイルは仕方なく衛兵に合図し、宮殿の玄関を開けさせた。アダムが去ってから開く筈だった扉を見つめながら、ステイルはやはり三日もアダムを引き止めるべきではなかったと心の底から後悔する。今すぐ客間まで案内した後は急いで女王であるローザの許可を取らなければと胃の中が重量を増す。

手で扉の先を示し、どうぞとアダムへ目を向ければ


「……………………………………。」


アダムは、口をぽっかり開けたまま固まっていた。

アダム皇太子殿下?と声を掛けてみても変わらない。アダムは目を丸くし、仰ぐようにプライドの方を見上げた体勢のまま動かなかった。先ほどのような愛嬌の欠片もない笑みすら浮かべず、まるで魂が抜かれた後かのようだった。

茫然としているようにも見えるそれに、ステイルは訝しむ。プライドに会いたいと言っておきながら、本人が姿を現した途端に何故こうも驚くのか。

どうかなさいましたか、ともう一度声を掛ければ今度こそ肩を揺らしたアダムは「いえ、なんでも」と短く返し、玄関中へと足を進めていった。護衛の兵士とラジヤの将軍と参謀長のみを連れ、残りの者は馬車へと待たせた。アダムが指示した時も一言も発さない従者達がステイルにはまるで人形のように映った。

アダムを客間へ通し、ステイルは衛兵に決してアダム達を何者も客間から出す事も入れることもしないようにと伝えてからローザの元へと急いだ。

プライドの姿を見られたからには、フリージア王国としても一度は会わせない訳にはいかない。

相手は和平国、そして以前からプライドと会うことを望んでいた皇族だ。ここで一目も会わせずに追い返せば、今度こそ遺恨やフリージア王国の礼儀すら疑われかねない。何より、アダムにはプライドの回復についても秘匿を願った後だった。ここで礼を尽くさずに返せば、最悪の場合プライドの回復が世界中に広められてしまう。


…次からはプライドの部屋の窓を施錠させておかなければ。


むやみに声を掛けられないように。

女王であるローザに事前の許可なく、プライド達と親しくもない相手が直接宮殿前まで詰め寄ること事態、稀有なことだが、もっと他人の目に入らないように手を打つべきだったと反省する。そこまで考えて、本当に今のプライドは〝隠すべき〟存在なのだと自分自身が認めてしまったことが小さく胸に刺さった。


その後ステイルから説明を聞いたローザとアルバートは、多くの条件のもと急遽短時間のみのプライドとアダムとの会合を許可することとなった。



……



『…プライド。アダム皇太子との会談の際、条件はいくつかあります。まず、時間は三十分のみ。秘匿の理由を聞かれたらあくまで体調不良での面会謝絶と言って下さい。当然、無礼な振る舞いは控えて下さい。』


窓から声を掛けて暫く経った後。

ステイルが最初に私の部屋へ訪れた。今の私に会うことが不快なのか、始終暗い表情で私に告げる彼を私は口元が緩みながら眺めた。


『あと、プライドを部屋からお出しすることはできないので会合はこの部屋で。衛兵複数と俺、そしてジルベールも同席します。』


ふわぁ、と欠伸をして見せたけれど、ステイルは構わず話し続けた。

衛兵とステイル、ジルベール宰相も一緒というのなら下手な話はできないわね、と考える。まぁ、良い。まずは彼らと接点を持つことが大事なのだから。


『もし、プライドが再び問題行動を取った場合は即刻中断し、午後の父上達との指導も待たずに離れの塔へ移動となります。…どうか、第一王女として礼を尽くすようにお願いします。』

淡々と語られた口調からは何の感情も感じられなかった。話し終えたステイルに今度は目だけ向ければ、暗く塞ぎ切ったその表情は…すっごくゲームの義兄ステイルに似ていた。

嗚呼、ゲームが動いているんだわと思うとそれだけで凄く心が浮き立った。ニタァ、と口端を上げて笑って見せればまたステイルの顔色が変わった。隠すように黒縁眼鏡の縁を指先で押さえて俯く姿はゲームの映像そのままだった。


『…では、アダム皇太子をお連れします。プライドはそのままソファーに座って待っていて下さい。』


そう言って、部屋を去ったステイルを待って十五分くらいしてからだろうか。

トントン、と扉が叩かれ返事をすれば、護衛を含めた大勢が私の部屋にずらずらと並んで入ってきた。ステイルに招かれ、最初に入ってきたのは当然来客であるアダム皇太子だ。

そういえばティアラの誕生祭で見かけたことあるなと思いながら私は笑顔で彼を迎える。続いてジルベール宰相がステイルの隣に並ぶようにして部屋に入ってきた。失礼致します、と深々頭を下げて入ってきたジルベール宰相を無視して私はアダム皇太子へ視線を注ぐ。

声がしたから気になって覗いただけの窓下だったけれど、予想外の人物に正直驚いた。だってラジヤ帝国の皇太子だなんて







これ以上ない手駒が来てくれるんだもの。






「お待ちしておりましたわ、アダム皇太子殿下。第一王女、プライド・ロイヤル・アイビーと申します。お会いできて光栄ですわ。」

ラジヤ帝国。第一作目では物語の主軸後半から女王プライドの協力者。ポジションは小ボスかモブ程度だけれど、今の私にとってはこの上なく都合の良い手駒で、……エンディングに必要不可欠な要素だ。

ゲームでは「ラジヤ帝国」ってそのままの国名で呼ばれることの方が多かったキャラ。まぁモブ程度に細かい設定も必要なかったのだろう。

ティアラの誕生祭では、母上にラジヤ帝国にだけは注意するようにと言われていたけれど実際は全く彼と会話する機会すらなかった。だからこそ、この機会は逃せない。彼こそ私に利用される為だけに存在するキャラクターなのだから。

前世で言うならば、こういうのを鴨がネギ背負ってくるとでも言うのだろうか。

にこやかに笑みを作って彼に手を差し出せば、そんなり握り返してくれた。信じられないものをみるような間抜け面が笑えてきて、思わず口端が更に引き上がってしまう。アダム皇太子は手を握ったまま自己紹介を返すと、私から一度も目を離すことなく向かいのソファーに腰掛けた。


「誕生祭ではお騒がせしてごめんなさいね、今も体調が優れず少ししかお話もできませんけれど。」

「…とんでもありません。こうして御時間を作って頂けて光栄です。…プライド王女、殿下。」

私からの言葉に瞬き一つせずに返してくるアダム皇太子は、口端だけが私と連動するように引き上がった。

ニタァァァ…と口が笑みのままに開かれる。涎の出そうな口から蒸気のような息が吐き出された。まるで獲物を見つけた肉食獣のような口がそのまま言葉を紡ぐ。




「…お美しい……‼︎」




…あまりにも月並みな賞賛だった。

悪い気だけはしないので、笑みで返してあげれば先ほどまでは丸くなっただけの目が爛々と今度は光り出した。ハァ、ハァとさっきまで走ってきたかのような息遣いがここまで届く。急に体調でも崩したのかと思えば、本当に胸を両手で鷲掴むように押さえて顔を紅潮させた。若干鼻息まで荒いのが気持ち悪く、思わず目を逸らしてステイルとジルベールの方に投げかければ私以上に顔を二人とも険しくさせていた。二人もアダム皇太子の体調を疑問視しているらしい。

でも私達の不安をよそにアダム皇太子は前のめりに上半身を傾けると、玄関先の落ち着きが嘘のように私へ捲し立てた。


「プライド第一王女殿下、貴方のような美しく魅力的な女性を私は〝初めて〟お目にかかりました。貴方の噂は我が国にも届いており、その時からずっと貴方とはお近付きになりたいと願っておりました。」

ふぅん…、と右に流した紫色の髪を乱しかねない勢いの彼に私は適当に返す。

その言葉も今まで何度も社交界でも言われたお世辞だ。やはり所詮はモブキャラ、語彙力も大したことないんだなと思ってしまう。熱を込めて話そうとも言葉がありふれていれば大して響かない。大体、初めても何も誕生祭で私の姿は見ただろうに。皮肉も混じえて「お上手ですこと」と返せば膨らむような大声で「とんでもない!」と返された。


「貴方を‼︎…ずっと、ずっとお慕いし続けておりました。互いに第一王位継承者であることが口惜しいほどです。いっそ貴方の為ならば私は側室も王位継承権をも捨てましょう…‼︎」

見た目のわりに随分と大袈裟な人だなと呆れてしまう。

私を慕ってくれる分は都合が良いけれど、御世辞にしか聞こえない。だんだん相手をすることが面倒になり、また欠伸が出そうになる。

するとアダム皇太子は私に再び握手を求めるように手を伸ばしてきた。そんなに握手が好きなのかと手を差し出せば、私の手の甲へ流れるように口付けをしてくる。ちゅっ、とリップ音まで立てて離すから余計に口付けされた感が強い。今なら足を舐めろと言っても躊躇わずにやりそうだ。

唇を離した後のアダム皇太子は、恍惚としたような眼差しで私を上目に覗いた。妖しく光った目の色が、真っ直ぐに私の目を刺し貫いた。


「〝ネペンテス〟…という名の差出人に覚えはありませんか?」


ネペンテス。…この大陸では珍しくもない名だ。我が国の公爵を始め、聞き慣れた響きだった。

差出人…ということは手紙のことだろうか。そこまで考えを巡らせた時、そういえば私宛の手紙に国名が書かれず〝ネペンテス〟のみの名のものが今までも何度もに届いていたことを思い出す。

私が思わず「…あぁ」と声を漏らせば「読んで頂けましたか⁈」と食い気味に声を跳ねさせてきた。


「我がラジヤ帝国からの書状では警戒されると思いまして。他国の商いに回る折に送らせて頂きました。〝ネペンテス〟ならば珍しくもありませんから。」

アダム・ボルネオ・ネペンテス。ラジア王国第一皇子である彼の名前だ。確かにそれなら特定も難しいけれど、そこまで回りくどいことまでやって何のつも…、…。


あー。


そこまで考えて、理解する。

成る程、彼はそうまでしてフリージア王国とのパイプを繋げたかったということだ。確かに、この後の展開を考えても納得できる。だから今も私に好意的な振りをして、手紙を出していた本人だと名乗り出た訳だ。ああ…なんて単純で浅ましい。ロマンティックな演出のつもりなのか、一年前のセドリックよりは計画的ではあるけれど。


「長年、お慕いしておりました。そして今‼︎…今度こそ本当に私は貴方の虜になりました。麗しきプライド第一王女殿下、もし疑うと言うのならばあの手紙の内容を今ここで暗唱致しましょうか?」

私が考えている間にもアダム皇太子は語り続ける。

まるで酔っているのではないかと思えるほどのべったりとした話し方で、紅潮した顔で私を覗くと広がった笑みのまま口遊み始めた。


「〝顔も知らぬ貴方に想いを馳せ、今日も眠れぬ夜を過ごしております〟」

いつかで確かに読んだ覚えのある言葉だ。

確かステイルやジルベール宰相に即刻不採用処理されていた。

そう思った途端、今度はアダム皇太子が私の反対の左手の甲へ口付けをしてきた。ちゅっ、と音が鳴り、私の反応を望むかのように艶っぽい笑みを向けてきた。「覚えはあるわね」と返せば、更に彼の笑みは引き上がる。


「〝貴方のことを思えば息もできません〟」

ちゅっ、と今度は口付けの位置が少し上がって手首にされた。

手の甲と対して変わらないし別になんとも思わないけれど、確かそこは〝欲望〟の証だっただろうか。第一王女である私にするなんて、セドリック以上の馬鹿なのか度胸があるのか。

ステイルの座っている方から椅子がガタンッと揺れる音がした。うたた寝でもしたのかしらと思いながら、私はアダム皇太子をひたすら眺める。


「〝私の心臓は貴方の事を考えるだけで激しく乱れ、愛が雫となって溢れます〟」

ちゅっ、ともう一度手首に口付けされたと思えば、手首を掴まれアダム皇太子の胸へと押し当てられた。ドグン、ドグンッと彼の心臓が激しく脈打っているのを手のひらで感じた。恍惚とした笑みのまま、私を見つめるアダム皇太子の顔が至近距離に来る。もう私しか視界に入っていないように見開かれたその瞳が更に近付い


「アダム皇太子殿下。…それ以上はいくら皇太子殿下と言えども、目に余るかと。」


低い、はっきりとしたステイルの声放たれた。

同時にジルベール宰相がパンッ‼︎と発砲音と勘違いするかのような強い音を両手を叩くだけで響かせた。ステイルの声と、その発砲音に私だけでなくアダム皇太子も身を反らして離れた。「おや、失礼致しました」となんてことの無いような不快な笑みで返すアダム皇太子はステイルとジルベール宰相に顔を向ける。


「あと、先ほど僕の目が確かであれば手の甲以外までにも口付けされていたように見えましたが。」

「いえとんでもない。第一王女殿下にそのようなことは。」

ステイルが静かな怒りを感じるような声で黒く焦げた瞳を向けたけど、アダム皇太子は大袈裟な身振りで否定した。

どう考えても手首に二度口付けされた気がしたのだけれど、…単に的を外しただけだったらしい。口付けされた手を見ると、強く吸われたせいか手首にはまだうっすらと痕が残っていた。まぁ、もう少し待てば消えるだろう。


「アダム皇太子殿下、どうやら我が国の滞在で少々お疲れのようですね。名残惜しくはあると思いますが、今日はこれで…」

「いえ、お気遣いなく。まだ時間はありますから。最後までゆっくりプライド第一王女と戯れさせて頂きます。」

「僕もジルベール宰相の仰る通りだと思います。姉君もやはりまだ本調子でありませんので、また是非続きは手紙で頂ければと思います。」

部屋から追い出そうとするジルベール宰相を、アダム皇太子が愛嬌のない笑顔ですり抜けようとする。

すると今度はステイルがジルベール宰相に応戦するように衛兵に目で指示を出した。まぁ、うっかりとはいえ手首に口付けなんて狼藉者として捕らえられても良いくらいだ。多分ステイルの言葉から判断すると、単にさっさと城から追い出したいのだろうけれど。ハナズオ連合王国とも因縁があるラジヤ帝国をステイルがよく思わないのも当然だろう。だからこそアダム皇太子が私に会いに来た時もさっさと追い払おうとしたのだろう。


……でも、それじゃあ困るのよね。


アダム皇太子には、これから私の手駒になって貰わないと。

ここで引き込まないと次に会えるのはいつになるかわからない。なるべく早く、私の元に戻って来て貰わないと。彼が私に好意的な振りをして近付こうとするならば、私もそれを利用しない手はない。

いえ、私はまだお話することがと狐のような目を垂らして笑うアダム皇太子の左手を今度は私から掴み取る。突然私に掴まれたことに驚いたアダム皇太子がステイル達へ向けていた顔を私に向けた。俄かに狐のような目が開かれて鋭い眼差しが私に注がれる。そして同じように驚いて言葉を詰まらせたジルベール宰相とステイルへ見せつけるように私は




アダム皇太子の手首に、口付けを。




「アッハ。…あら?私も間違えてしまったわ。」

きゅっ、と大口で吸い付いた後、離してからニマリと口端を吊り上げて笑ってみせる。

強く吸い上げた所為でアダム皇太子の手首は私の口の形に赤くなっていた。

茫然と口を馬鹿みたいに開けたまま固まるアダム皇太子は、更に赤みを帯びた顔で目をギラギラと光らせた。その輪郭を私の人差し指で頬からなぞり、顎へ、そして反対頬までそのままなぞったところで彼の頬をするりと手のひらで撫でた。さっきまで自分が上手(うわて)のように笑っていた皇太子の無様な放心がおかしくて、私から今度は優位に立ったと言わんばかりに笑んで見せる。


「素敵な方ね?私も貴方のことで心臓が高鳴っちゃったわ。……いっそもっと乱してくれるのかしら?」

ねぇ?と言葉を掛ければ、アダム皇太子の顔がみるみるうちに歓喜に溢れた。

私を上手く利用できそうで喜んでいるのだろう。「勿論です」と目を輝かせ、頬に伝う私の手を取り、握った。


「もっと、…もぉっとたくさん会いたいわ?またすぐに逢いに来て下さるわよね、アダム皇太子殿下。………私を満たしてくれるまで何度でも。」


第一王女である私が強く望めば、きっとアダム皇太子もこの機会を逃さない。

いっそ、アダム皇太子が居る間は良い子の振りをするのも良いかもしれない。そうすれば母上達も私への抑止力となるアダム皇太子を簡単には拒まなくなるかもしれない。

私に言葉を返すアダム皇太子の目が怪しく光る。欲望の色が狐のような目の奥から輝いて見えた。私に再び覚えのあるような詩的な恋文を囁くアダム皇太子に顔を向けながら、そっと目だけをジルベール宰相とステイルに向ける。私に彼を追い出すのを邪魔された所為で、二人ともとっても素敵な顔が出来上がっていた。

顔面蒼白で、頭を僅かに後ろに反らしながら珍しく弱々しい表情で眉を顰めるジルベール宰相も

無表情に近い顔を青ざめさせて、見開いた目を私達から逸らさないまま力なく両手を垂らしたステイルも







まるで、この世の終わりのようなその顔が身体が火照るほどに愛おしくて。







気づけば心からの笑みを彼らに向ける私が、そこに居た。


172.174

203.374ネペンテス

408.

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― 新着の感想 ―
[良い点] すごい隙間を縫ったバグ……!
[良い点] 172.174 203.374ネペンテス 408. とはなんでしょうね…気になります!楽しいです!!
[気になる点] プライドに救いはないんですか!?.°(ಗдಗ。)°.
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