428.騎士は眺める。
「アーサー。…お前の番だ。ちゃんと休め。」
既に窓の外が暗くなり始めていた。
休息を終えたエリック副隊長が、戻ってきてすぐ俺へと声を掛けた。ありがとうございます、と言葉を返しながら、……どうしてもこの場から離れたくない。
……プライド様。まだ、目を覚まさねぇ…。
ティアラと一緒に重ねたプライド様の手を見つめ、ぴくりとも動かないその顔を見つめる。一人だけ時間が止まったみてぇなその姿に、何度見ても息が詰まる。
多分、俺自身が酷い顔をしていたんだろう。歩み寄って俺の肩に手を置くエリック副隊長に続いてティアラも「兄様には私から伝えておきますから」ともう片方の手を上からも俺の手に重ねた。ティアラの手に挟まれ、本当にこんな心配かけてどうしようもねぇなと思う。
「…はい。」
ゆっくりと立ち上がり、プライド様の手から離れる。
本当にただそれだけのことで、心臓が潰されそうなくらいに痛んで歯を食い縛る。この人の体温を感じられないだけで、本当にこのまま息を引き取っちまうんじゃねぇかと全身が寒くなる。指先が冷え過ぎて感覚まで死んだ。拳をゆっくり握り、まだあの人の体温が手のひらに残っていることを確認する。
立ち上がっても、暫くその場から動く気になれなくて、ずっと見つめていたらまたエリック副隊長に肩を掴まれた。わかってる、ちゃんと身体を休めなきゃ必要な時に動けなくなることくらい。でも、どうしても今はこの人の
コンコンコンッ!
突然、扉にノックの音が飛び込んだ。
しかも少し急いだ様子で、近衛兵のジャックさんが確認の為に扉を開けるとステイルの声が聞こえてきた。
良かった、戻ってきたと安堵すると同時にプライド様がまだ目を覚ましていないことに顔を合わす前から口の周りが強張った。ジャックさんに扉を開けられ、早足で中に入ってきたステイルは一目もくれずにプライド様のベッドに直進してきた。何も進捗がなかったのか、俺以上に強張った表情でプライド様の顔を覗き込む。部屋を出た時と全く変わらないプライド様の顔をじっと見つめながら、医者の話を聞く。ティアラが心配そうな眼差しでステイルを見上げれば、一度だけティアラの方に目を向けてその頭を撫でた。
「……ずっと姉君の傍に居てくれてありがとう。」
だが、もう休むんだ。と優しくティアラに話すステイルにティアラがじんわりと丸い目を潤ませた。
目を指先で擦りながら、少ししゃくりあげたティアラはステイルの指示でティアラの専属侍女に連れられていった。「大丈夫だ」って最後に強くティアラを抱き締めたステイルは本当に兄の顔だった。
ティアラが自室へ休みに行ったのを確認してほっとする。俺の隣にいた時も時々うとうとしてたけど、やっぱりちゃんと休んだ方が良い。俺と違ってアイツは身体に無理させるのに慣れてねぇんだ。
すると、今度はセドリック王子が何度かプライド様と扉を見比べた後に、苦そうに顔を歪めた。
セドリック王子がプライド様の見舞いに来てくれたのは数時間前だった。
入ってきてすぐ、プライド様の姿にすげぇ狼狽えてた。扉から数歩進んだところで身を反らして、喉を上下させていた。プライド様の姿を一度見たらそれ以上直視できねぇみたいに顔を横に逸らして、ヨアン国王みたいに胸元を片手で鷲掴んでた。重い足取りで一度プライド様の傍に座り込む俺達の方に来ようとした時も、……すぐ躊躇うみてぇにランス国王の隣に下がった。
並んだ後にランス国王達から何をしていたのか尋ねられても「覚えていることを話しただけだ」としか話さなかった。やけに時間が掛かったんだなと思いながら…それ以上は、その時も俺も考えられなかった。
「……必ず、戻ります。」
そう言い残して、セドリック王子が部屋を出て行く。
ランス国王やヨアン国王、レオン王子や俺達一人ひとりに挨拶をして最後にプライド様を扉が閉まりきるまで見つめていた。
「アーサー隊長。…貴方も、傍に居てくださりありがとうございました。」
遅くなってすみません。と俺に詫びたステイルはそのままエリック副隊長達にも挨拶をした。
レオン王子に馬車を通したことの礼を言われた後に、ランス国王、ヨアン国王にセドリック王子の協力を今度はステイルから感謝した。セドリック王子本人に伝えそびれたらしく、それも含めて。
侍女や医者にも挨拶を終えた後、再びステイルが俺へと向き直る。何か言いたげな目に思わず息を飲めば、近衛騎士に視線を投げた後、控えめにその口を開いた。
「…アーサー隊長を、お借りしても?」
カラム隊長達が「ちょうど交代です」と頷くと、良かったと一言呟いて俺を目だけで促した。俺も気持ちに引き摺られるままステイルの後についていく。……プライド様を部屋に、残して。
廊下を歩き、階を降りてステイルの部屋に招かれる。
なんだかんだでまだ、俺が入ったことのない場所だ。いつもは護衛してたプライド様の部屋だったし、ステイルもティアラもプライド様のところに会いに来るから。…そう思うと、本当にあの人はステイルとティアラの中心だったんだなと改めてわかる。
ステイルに付いていた護衛の衛兵も騎士も部屋の前で待たされて、俺とステイルだけが部屋に入った。騎士の人達に俺だけステイルと一緒で悪い気がしたけど、挨拶をする前に「早く行け」と身振りで逆に気遣われるように諭された。
扉を閉めれば、部屋を見渡す前に本と紙の匂いがした。図書館みてぇな匂いだと思えば、本当に部屋中に山のように本が並んで、机の横にも高々と積まれてた。全体的に均一した色どりで、立派な本棚がプライド様の部屋の何倍も多く並べられていた。
衣装以外の棚や机の引き出しは全部鍵付きで、コイツらしいなと少し思った。机の上や高めの棚の上に並べられている物とかは見覚えのある物もいくつかあって、ああプライド様やティアラに貰ったやつなんだなとすぐにわかった。
「掛けてくれ。…大事な話がある。」
言ってすぐに向かいのソファーに腰掛けたステイルに、少しだけ違和感を感じる。
怒りを抑えてんのか、それとも別の感情か。必死に自分や俺を落ち付けようとしているみたいだった。
上等過ぎる光沢までした生地に囲われたソファーに俺も腰を降ろせば、一気に身体が沈んだ。体勢が落ち着かなくて、両足で床を踏み締めて前のめりに背中を丸くする。ステイルも同じように前のめりな姿勢になると、手のひらを合わせた両手を口元に真っ直ぐ添えて俯いた。
どこから話すか考えあぐねてる姿に、暫く眺めながら待つと「単刀直入に言う」とおもむろに言葉を飛び出した。少し覚悟をして喉を鳴らせば、俯いたステイルの目が上目で俺を覗き込む。
「姉君の原因はやはり人為的なものだと判断された。そして犯行に及んだ男も、見当がついた。」
っ⁈
思わず最初は声が出なかった。
口が開いて、見開いた目がじわじわ広がって、ステイルに聞きたい言葉が次から次へと頭に浮かぶ。それからやっと何とか「どいつだ…⁈」と言葉に出た。ステイルは口元に人差し指を一度立てると「内密だ、声は抑えろ」と言って目で扉を指した。俺が口に力を込めて無理矢理塞ぐと、ステイルが再び改めるみてぇに口元へ両手を添えた。
「…ラジヤ帝国。皇太子、アダム第一皇子。」
ラジヤ。
俺でも知ってる、その名は。
ハナズオ連合王国を元々侵略にしようとした国だ。コペランディ王国の暴走とか言って無関係を主張して、ハナズオの安全保障を条件にフリージアとも和平を結んだ。あの…
『ラジヤ帝国を敵に回した愚かな君主を恨み続けながら死ぬことになるだろう‼︎』
ふいに、一年前の防衛戦を思い出す。敵軍の大将が言ってた言葉だ。
……ラジヤが、敵に。そこまで考えたら、身体が段々熱くなってるのに気付く。息が荒くなって苦しくて勝手に口が歪んでいく。血の流れがさっきまで止まってたみてぇに速くなって心臓がバクバクと音を立てた。指先が震えてこの場で怒鳴り散らしてぇ気持ちを必死に堪える。視界まで赤くなってきて、自分でもヤバいと思った。
「既に三日滞在するように手は打った。奴はまだ疑われているとは気付いていないだろう。……俺達も、手段まではわかっていないが。」
ゆっくり、ゆっくり俺が飲み込めるように、そしてステイル自身が感情を抑えるみてぇに続けて話が続く。説明が流し込まれて、黙って拳を握ったまま聞いていれば、……今度は身体中の血が沸騰した。
プライド様が、…ひと月は目を覚まさねぇ?
プライド様を、あの人を交渉の道具にしようとしてるかもしれねぇ⁇奴隷制、奴隷産出、奴隷容認…ンな、ンなくだらねぇ最低なことの為にあの人は今も目を覚ましてねぇのかと。まだ顔もしらねぇ筈の男が、歪むみてぇに嗤うのを想像して頭の中まで真っ赤になった。
ふざけンな。
「当然、そのようなこと俺達も許しはしない。ヴェスト叔父様が母上に話を通して下さった。もし、この三日以内に姉君が目を覚まさなかった場合……。」
一度言葉を切ったステイルは、俺が落ち着くまで待つ。
俺からも続きの言葉を待って、黒色のステイルの目を覗けばここに来て初めてステイルが、……笑った。
「母上は奴に我が国の〝契約〟による訊問を行うと約束して下さった。」
契約。
その言葉に自分の目がとうとう限界まで見開かれたのがわかった。
フリージア王国の訊問、それに伴う〝契約〟…俺も、一応中身だけは知ってる。従属の契約や隷属の契約と同じ、サインを書いたら絶対に破れない契約書を使用した尋問だ。
例えばプライド様が倒れた原因を嘘偽り無く話せ、治し方を話せと書いてあったら、サインを書いた奴はそれを必ず守る。そういう契約書だ。
罪人相手にだって滅多に使わない、本当に最後の最後の特別な手段だ。ステイルが「今から発注しても一週間、……急がせても五日は確実にかかるだろうが、三日後に決定して正式に奴を拘束すれば何も問題ない」と言うのを聞いて本気で王族が動いてるとわかった。
それを仮にもラジヤ帝国の皇族相手にやるってことは、それだけ女王も本気だってことだ。本当にラジヤが主犯で、三日後にその判断が降りるなら
プライド様は、目を覚ます。
そのアダムって奴がプライド様の治し方や原因を知ってるとすれば、確実に。
その事実に安堵した途端、身体中の緊張が一気に緩んで膝に顔を突っ伏して沈んじまう。良かった、三日も一週間も辛ぇけどプライド様は助かるんだと、そう思っただけで少し込み上げた。
堪える為に両手で頬を叩いて気合をいれる。バチィッ!と結構良い音が響いて一気に目も覚めた。
「まだ漏洩を防ぐ為にも極僅かな者しか知らない。他の病や毒物、来賓の可能性の調査と並行しながら母上の許可の下、父上とジルベールが急ぎ発注から準備も進めている。」
俺も休息時間を終えたら一度ジルベールの手伝いに行く予定だと続けたステイルはそこまで言った後、ここに来て始めて肩から力を抜いた。
「…勿論、まだ油断はできない。だが、少しは希望も持てた。」
「そォだな…。」
思わず気の抜けた言葉を返してから、ステイルを見る。
本当にこの数時間の間にすげぇ頑張ってくれたんだろうなと思う。……プライド様を、助ける為に。
ステイルは少しだけソファーの背もたれに身を預けると、一気に息を吐き出した。身体の中の空気全部吐き切ったンじゃねぇかと思うほど珍しく長い溜息の後にステイルが零した言葉は「時間が掛かってすまない」だった。
なんでよりによってその言葉なんだって思うと変に笑えてきて、思わず俯いたまま肩を震えた。それにすぐ気づいたステイルが「なんだ」と俺に不機嫌そうに尋ねてきた。だから俺は
「…すげぇな、お前は。」
笑い過ぎて声が震えながら言っちまえば、ステイルからは何も返ってこなかった。
顔を上げてちゃんとステイルの顔を見れば、目が皿にみてぇに丸くなって俺を見てた。
「たった一日で、ここまでできちまうなんて。……本当にかっけぇよ。」
俺なんかプライド様の姿にただ項垂れることしかできなかったのに。
その間にコイツは本当に自分にできることやって多分使える手段全部使って、あの人を助ける方法まで見つけた。正直、俺自身が情けねぇと思っちまうくらいに。
俺の言葉に、暫く経ってからステイルは瞬きをすると、一度むくれるように顔を逸らした。
「俺一人じゃない。ヴェスト叔父様やセドリック王子、あと……悔しいがジルベールのお陰だ。」
「お前が居なかったら進展もしなかったろ。」
セドリック王子を呼んだのも元はと言えばステイルだと言ってた。詳しい流れはしらねぇけど、コイツが見てるだけだったとは思えない。
「……お前が姉君とティアラに付いていてくれたから、俺も安心して離れられた。」
「いンや、俺が居なくてもお前はやれた。……それぐらいはわかる。」
正直、未だにコイツには敵わないと思うことが多い。俺よりずっと頭も良いし、助けられてばっかだ。本当プライド様にコイツが居てくれて良かった。
俺の言葉に、ステイルは手の甲で唇を力任せに擦った。そのままわざと顔に力を入れるみてぇに眉間に皺を寄せるとやっと逸らしてた顔を俺に向けた。
「…あともう姉君を暫く頼む。必ず起こす方法も見つけてみせる。」
「ああ、任せろ。」
ティアラにもまだ秘密だ、と最後に言われて本当に俺にだけ話してくれたんだなと思う。
話も終わったし立ち上がろうとしたら「まだ時間はあるだろう、時間までゆっくりしていけ」と俺を留めた。確かに時計を見ればまだ時間はある。でも、ステイルも休息時間だってのに良いのかと思ったら
「俺は今から三十分だけ仮眠する。時間になったら起こしてくれ。」
……すげぇ一方的に命令された。
俺が返事に詰まってる間に、ステイルはベッドにも向かわずそのままソファーに頬杖をついて寝始めた。
冗談かとも思ってソファーの前に突っ立ったまま眺めてたら、本当に数秒で寝息を立て始めた。そうやぁ、コイツが寝るのを見るのも初めてだ。
仕方なくソファーに座り直して、正面からステイルを眺める。コイツも俺と同じで昨日から一睡もできてなかったんだろう。気の抜けた顔からは少し疲労の色も見えた。
「……どうせならプライド様の傍で寝りゃァ良いのに。」
無意識に気が付いたら俺も同じようにソファーに頬杖をついてた。
ステイルだって、一秒でも長くあの人の傍に居たかったに決まってる。さっきの話だと、プライド様の症状が悪化する心配がなくなったから俺やティアラが離れても良いと思えたんだろうけど…………あ。
そこまで悶々と考えてやっと、気がつく。
プライド様の傍だからって、コイツは人前で隙を見せるような奴じゃなかった。多分いまも、手掛かりも糸口も掴んでやっと張り詰めてたもんが緩んだんだろう。
「すげぇなぁ……。」
また、独り言みてぇな呟きが零れて部屋の空気に薄く小さく広がった。
ステイルを見れば、頬杖を突いたまま掛けてた眼鏡がずれて傾いてた。せめて外して寝ろよと思いながら、仕方なく一度腰を上げて起こさねぇようにしながら勝手に眼鏡を外す。傍の棚に置いて、それからもう一度元のソファーに腰を降ろし直す。眼鏡を外したステイルを正面から見れば、さっきよりも力の抜けた顔に見えた。もう一度時計の秒針を眺めながら、そういやぁコイツを起こすなら俺は寝れねぇなと今更気付く。
まぁ、良い。俺は寝ないのとかもある程度は慣れてるし、……何より今はさっきよりずっと調子が良い。
ソファーで腕ごと使って伸びをした後、一気に背凭れに沈み込む。座り心地の良過ぎる椅子に、本気で寝ちまうんじゃねぇかと思う。それでも何とか睡魔と戦って、身体だけ休めながらステイルの部屋を何となく見回して時間を過ごす。
もう少し、もう少しであの人も目を覚ます。……絶対に。
そう思いながら、妙に居心地の良いこの部屋で深く息を整える。入るのも始めてだし、しかも王族の部屋なのに何故だかすげぇ落ち着いた。
部屋の中や見たこともない本の背表紙を眺めながら時間が経つのを待って、それから二十分くらい経った時。
……………………………………プライド、様が。




