418.王弟は行き詰まる。
「おはよう、…今日も良い朝だな。愛しきティアラ。」
フリージア王国。
朝食を終え、早速俺は彼女を訪ねた。
俺が迎えに来た事に、少し驚いた様子の彼女は美しい金色の瞳を丸くして返事をした。
「よく眠れたか?」
俺の問いに、彼女ははにかみながら「お陰様で」と返してくれた。…確かに顔色も悪くない。言葉も嘘ではないだろうと思えば、俺の方はどうかと聞かれた。社交辞令としては当然の切り返しだろう。
実際は、……殆ど眠れていない。当然だ、まだ昨日の今日なのだから。ベッドで今も眠り続けるあの姿を思い出せば、……俺自身が呑気に眠ることなどできるわけがない。
だが、敢えて俺は笑みで彼女に返す。
「残念ながら、俺様は全く眠れなかった。…愛しいお前の事を考えて一人で眠れるわけがないだろう?」
甘く囁き、指輪で傷付けないようにそっと彼女の小さなその顎に指を添え、俺の方へ上げさせる。
顔を覗き込むように近付け「早くお前に会いたかった」と告げれば、簡単にその顔が赤くなった。…やはり容易い。
暫く俺から顔を背けられないように火照った顔のまま俺を見つめる彼女を眺め、ふと甘い香りに気がつく。そっと添えた彼女の顎から耳へ手を動かせば、緊張するようにピクリとその身体が震えた。その小動物のような反応に笑みを浮かべてみせながら、彼女の柔らかな金髪を指で梳く。俺と同じ金色の髪が窓から漏れた陽光を浴びてキラキラと瞬いた。俺の髪とは違う細く柔らかい髪質がまるでシルク糸のように指を撫でた。
「それとも次は…俺の隣で眠ってくれるか?」
甘い香りに誘われるように、手に取った美しい金髪に口付けを落とす。
その途端、彼女の顔がさらにみるみる内に真っ赤に染まり、あわあわと唇を震わせた。反応をのんびりとそのまま待てば、彼女が次第に慌てるように言葉を発し出した。
「せっ…セドリック様…⁈」
…昨日、この俺が婚約者として女王に発表された彼女は上擦った声を上げた。
やはり塔の中で閉じこもっていたという話通り、男にも慣れていないらしい。昨日も俺を見た途端に顔を赤らめていたから容易そうだとは思ったが、…これならば容易に彼女を恋に落とせそうだと安堵する。
「失礼。あまりに美しい髪だったから、ついな。」
女性の好む笑みで返して見せ、一度髪から手を離す。
手を動かす度にジャラリと手首の装飾が音を立てた。そのまま未だに動きの取れない様子の彼女の手をそっと取り、今度はその甲に口付けをする。
「こっちの方が良かったか?」
上目で覗き、そう問いてみればビクッと彼女の身体が、背筋が伸びた。「あっ…あのっ!」とすでに心臓がもたないかのように全身を真っ赤にして何か言いたげな彼女から手を離す。そのまま更に歩み寄れば簡単に壁まで後退った。
「どうした、婚約者だろう?これぐらいの挨拶は当然だ。」
「でっ…でも!まだ昨夜会ったばかりですしっ…!」
ここまで初心な反応も珍しい。
兄貴や兄さんがいた頃は、城下に降りて女性達が何人もこういう反応をしたものだと思い出す。…この王女には、もっとそういう顔をさせてやる必要がある。
壁際に追い詰められた彼女に、逃げられぬようにと顔の隣に手をつく。ドン、とくぐもった音と共に装飾がジャランッと響き奏でた。壁と俺に挟まれた彼女が俺の腕を驚いたように見つめる。
「よそ見をするとは…余裕だな?」
フッ、と笑えば彼女がすぐに俺へと目を向けた。ゆっくりと顔を近付ける俺に真っ赤な顔のまま強く目を瞑る。……婚約者として、その程度の覚悟はあるらしい。だが、心臓の音を抑えるように彼女は自身の胸を両手で強く押さえ、身を固くしていた。強く閉じ過ぎた目からはうっすらと涙が溜まっている。
………まぁ良い。
近付けた顔のまま、唇を避けてその頬に口付ける。その途端に彼女の顔がピクピクと震えたが、そこから俺が腕と共に顔を離せば少し拍子抜けしたように何度も瞬きを繰り返し、俺を見つめた。
「どうした、頬では不満か?…欲しければ素直に言うんだな。」
自身の髪を搔きあげ、そう言って見せればわかりやすく彼女が狼狽えた。「い、いえ!わ、わ、私はそのてっきり…‼︎」とそれ以上を言いにくそうにする彼女の目元を軽く指でなぞる。
「泣いてる女から奪う趣味はない。…泣かせるのは、嫌いではないがな。」
さぁ、外に出よう。と狼狽えたままの彼女の手を取り、離れの塔から出るべく共に螺旋階段を下りる。
俺に取られた手を見つめながら顔を真っ赤にする彼女に笑いかければ照れるように目を伏せた。…愛らしい反応ではある。だが
どうせ彼女も、いずれは俺を憎悪するだろう。
当然だ。
俺は彼女を恋に落とし、殺す為にこの国に来たのだから。
いくら今、こうして俺の見目に惑わされようとも…どうせ真実を知ればその瞬間には俺を憎む。
どんなに俺に好意を持とうと一瞬で。そう思えば、今こうして彼女を騙していることにも対して罪悪感はなくなる。彼女もまた、愛や恋だのというものに夢を見て都合良くそれを俺に照らし合わせているだけなのだから。
愛や恋など、…この世には存在しない。
醜い情欲か、他者に縋り、縛りたいという欲求だけだろう。所詮彼女も、…俺の中身ではなく外見に囚われ騙されているだけだ。俺の手が血塗れであることを知れば、きっと彼女は簡単にこの手を離す。
『この三日間で、貴方は私の虜となるだろう』
昨日彼女と初対面で挨拶を交わした時、俺は彼女にそう告げた。わかりやすく頬を染め、唇を引きしぼる彼女に俺は女王との条件を達成できると確信した。
俺が最初にこの国に居られる期間は経ったの三日。その間に少しでも彼女の心を奪わなければならない。そこから空白の一ヶ月を物足りぬと、俺なしでは居られぬと思わせられる程に深く濃い痕を残さねばならない。
全ては、兄貴と…兄さんの国を取り戻す為に。
他人など信用できるわけがない。
兄さんだって、今は俺を憎んでいる。俺の言葉も信じず、女王の言葉を信じた。…だが、叶うならば兄さんの国も取り戻したい。俺の愚かさ故で失わせてしまったのも事実だ。たとえ憎まれたままでも、俺があの人にしてやれる贖罪はそれだけなのだから。
女王の妹を恋に落とせば、そして再びこの手を血に染めれば全てが助かる。……勿論、女王の言葉を信じたわけではない。それでも、いま俺にできるのはそれだけだ。
この王女の心を少しでも俺の色へと汚すこと。それが俺のいまの最善だ。
………ならば、何故いま俺は彼女の唇を奪うことを躊躇ったのか。
昨晩も、別れ際に奪う機会はあった。初めに唇さえ奪ってしまえば、嫌でも彼女は俺のことを忘れられなくなる。そうすればこの三日もやりやすくなるというのに。
…躊躇いなど、ありはしない。最終的にはそれも当然奪う予定だ。彼女がその口から俺の口付けを望むくらいには惚れさせなければ、あの女王も満足はしないだろう。
だが、…女性にとって大事なものでもある。
一年前の愚かな俺であれば、間違いなく初日でそれを奪っただろう。だが、全ての知識を詰め込んだ後の今の俺には、それが女性にとって神聖なものであることも知っている。……簡単には奪えない。見つめ合い、思考も追いつかぬまま唇を重ねてしまうなど所詮は書物の戯言。だが、それに夢見る女性は多いだろう。
せめて、それは最後の手段。そうでなければこのまま彼女が俺に恋をし、本気でそれを求めた時にまでは待つべきだ。
最後には俺の手で殺される運命の彼女だが、せめて純粋な乙女のまま殺してやりたい。
それしか彼女に俺がしてやれることなどないのだから。
「ッきゃっ…⁈」
突然、短く悲鳴を上げたと思えば、惚けていた所為かティアラが突然躓いた。すぐに取っていた手を掴み引き寄せ、抱き寄せるようにして彼女を受け止める。
ごめんなさい、と真っ赤な顔のまま謝る彼女をそっと引き離す。
「怪我がなくて良かった。足を痛めてはいないか?」
はい、大丈夫です。と転んだことが恥ずかしいように目を伏せる彼女は、…本当に無垢な少女だ。「セドリック様こそ、お怪我はありませんか?」と問う彼女に無論だと言葉を返し、再びその小さな手を取る。……本当に馬鹿げている。怪我どころか、俺は彼女を殺すつもりだというのに。
自分のことどころか、俺に怪我がないかまで心配してくれるこの、女性を。……いや、関係ない。今のもどうせ彼女の建前だ。彼女も俺にいつかは軽蔑する目を向ける。最期の時は俺を殺したいほど憎むのだから。……俺自身が彼女にそこまで本当に心を傾けてやる必要はない。所詮は見せかけだけの婚約だ。
兄貴以外は誰も信じない、誰にも心を許しはしない。
愛した全てをこの手から滑り落としたあの時。
俺はそう学び、決めたのだから。
……
「…セドリック。どうせ起きているのだろう。」
……ノックの音と共に、兄貴の声がした。
鳴らされるまで扉の前に来たことも気付けなかった。寝てはいないとはいえ、まだ大分呆けていたらしい。
扉を開けさせてみれば、兄貴だけでなく兄さんもその背後に居た。二人とも顔色が悪い。…いや、それは俺もだろう。昨晩から一睡もできていないのだから。
眠れるわけがない。プライドが突然意識を失ったのだから。……俺にとってかけがえのない存在の一人である、彼女が。
「城の衛兵や騎士にも尋ねたけれど、まだ何もわからないみたいだ。」
…ならば、まだ目を覚ましていないのか。
兄さんの言葉に胸が締め付けられた。目を閉じればあの瞬間が鮮明に回り出す。もう何度も、何度も思い出しては頭が痛み、息が苦しくなる。夜中に耐え切れず掻き毟った喉がまだヒリついている。
「私達に出来ることがあれば良いのだが…。……こうして回復を祈ることしかできん。」
兄貴にしては珍しい暗い声色に、兄さんも更に表情を陰らせた。
そう、俺達にできることなどない。せめて俺もプライドに付き添いたかったが、婚前前の王女…更には危害を加えた容疑者ともなり得る俺達がそんなことを願える訳もなかった。遠方からを理由に、こうして城内に宿泊することは叶ったが…未だ、プライドが目を覚ましたという知らせは入らない。我が国だけではない、遠方から招かれた王族の殆どが帰国しようとしない。
…誰もが、プライドの目覚めを待っている。
そう、彼女はそういう存在だ。
多くに愛され、求められ、…支えとされ、導となる。
なのに誰も、彼女に何もできない。俺も、兄貴も、兄さんも…‼︎ステイル王子に尋ねてみれば、…兄貴を救ってくれたあの救世主すら望みは薄いようだった。
俺を、兄貴を、兄さんを、我が国を救ってくれたプライドに‼︎‼︎…っ、……俺は、何もできない。
兄貴と兄さんの顔を見れば、やはり二人も眠れた様子ではない。特に兄さんは固く胸元のクロスを掴んだまま、…俄かに指も震えていた。
「…っ、…あと暫くもすれば、プライドとの面会を願いに行ける筈だ。俺は行く。…兄貴と兄さんは。」
無論だ、行くよと二人から言葉が返ってきた。
強い意思と沈んだ声に二人も俺と同じ気持ちなのだと改めて思う。
叫声を上げ、踠き苦しんだ後プライドは、…息をしているのかも怪しいほどに力尽きていた。血色の悪さと、その姿にまさかと駆け寄った時は一瞬心臓が止まった。今でも思い出せば背筋に何度も冷たいものが走り抜ける。
ティアラは何度もプライドの名を叫んでは、泣き噦り、目を拭うことなくプライドに呼び掛け続けていた。……俺は彼女に寄り添うことすらも叶わなかった。手すら届かず、近くでプライドへ呼びかけることしかできなかった。
更には群衆を力任せに掻き分けてきたレオン王子は、いつものあの優雅な姿からは想像もつかないほどに狼狽えていた。元の白い肌が更に青く染まり、俄かに歯を鳴らし、見開いた瞳は瞳孔が開きかけていた。
壇上から来賓を見渡せば、どの来賓もプライドの様子を見ようとこちらに目を向けていた。
プライドは、……もう目を覚ましたのか?プライドを慕うティアラはどのような気持ちでいる?どれほどに胸を痛めている⁈ステイル王子は、アーサー隊長は、カラム隊長は、アラン隊長は、エリック副隊長は、ジルベール宰相はっ…⁈
彼女を想い、胸を痛めている人間が多くいるという事実だけで息が詰まる。兄貴の不幸に嘆くしかできなかった俺に、共に夜を過ごしてくれた彼女に、その愛する者に何故俺は何も‼︎‼︎
「ッッ…‼︎」
気がつけば、テーブルに力の限り拳を叩き落としていた。兄貴から言葉を掛けられるが、それでも拳を解けない。
プライドの無事を確認したい、ティアラに会いたい。
俺も彼女がそうしてくれたように彼女の、彼女を想う者の力になりたいというのに!俺は、何をっ…‼︎
コンコン。
……兄さんが閉じさせた扉が、再び音を立てた。
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