412.宰相はリードする。
「いやはや…光栄です、プライド様。」
その白く細い手を取りながら、共に音楽に流れる。
昔は小さかったあの御方が、もう今では立派な淑女だ。そう思うと、共に足を運びながら感慨に耽ってしまう。私の言葉に照れたように笑んだプライド様は「こちらこそ」と返しながら、軽々とステップを踏まれた。
「ジルベール宰相とダンスなんて、初めてだから嬉しいわ。」
ええ、そうですね。と返しながら笑んで見せればプライド様が「驚かせてしまったかしら…」とステイル様の方へと視線を向けた。プライド様が心配してくれた意味を理解し、含み笑いを堪えながら私は言葉を返す。
「ええ、御安心下さい。妻もそれなりに嗜みはありますから。」
いえ!そういうことではっ…と声を潜めながら弁明されるプライド様に再び笑いが込み上げた。
いま、光栄なことに私はプライド様と踊っている。更には妻のマリアはステイル様、そしてティアラ様はヴェスト摂政と。
プライド様が私の手を取って下さった時には些か驚いたが、同時にステイル様が競うようにマリアをダンスに誘った時はその場で声に出して笑いそうになった。
それならば次にステイル様が踊られるのはヴェスト摂政の奥様か。あれほどに多くの女性達に熱の帯びた視線を受けながら、焦らし続けるなど罪な御方だ。…いや、それはプライド様とティアラ様にも言えることだろう。
「本当に、このダンスパーティーもティアラに協力してくれてありがとうございます。…お陰でティアラ、凄く嬉しそうだわ。」
そう言って今度はティアラ様の方へと視線を向ける。にこにこと顔を綻ばせながら踊るティアラ様に、規則正しく踊られるヴェスト摂政もいつもより顔が緩んでいるようにも見受けられる。それ程までにティアラ様の笑顔は眩い。
…以前はあれほどに気落ちされていたというのに。
ふと初めて誕生祭での催しの相談を受けた時を思い出す。……あの時のティアラ様の御言葉と表情には、思い出すだけで胸が締め付けられる。
そこまで考え、首を振る代わりに一度目を強く瞑る。どちらにせよ、今はティアラ様も理由はわからないが、とても幸せそうにしておられる。今は目の前のプライド様に集中しなければ。
私の様子にプライド様が「ジルベール宰相…?」と小さく呼ばれた。いえ、失礼致しました。と言葉を返しながら顔を上げれば、今度はダンスフロアの奥で私を睨む王配のアルバートと目が合う。女王のローザ様の隣に掛ける彼に、プライド様と踊る栄誉を手に、敢えて笑みを向けてみせれば軽く睨み返された。……流石は我が友。
「プライド様の為であれば、身を粉にすることも躊躇いませんとも。」
彼には声は届かないだろうが、敢えて言葉にしてみせる。
プライド様が私の言葉に少し困ったように笑い、曲に乗って手で示せば弧を描いて回られた。回る度に美しい深紅の髪が舞い、来賓からいくつもの溜息が漏れた。
私の手元に再び戻り、その手と腰に添える。共に足取りを揃えれば、プライド様から「流石お上手ですね」とお褒めの言葉を頂けた。無邪気に感心するように笑うプライド様が微笑ましく、私からも同じ笑みを返す。
「これくらいは宰相としての嗜みですから。」
宰相として…いや、もともとは上層部となる為に必要だと思える流儀も教養も全て独学で身に付けてきた。
マリアを迎えてからはまだ未熟な間もダンスに付き合って貰ったものだ。良い家に産まれた彼女は、私よりも遥かにダンスも上手かった。病に伏し、そして救われ、療養した後もまた身体を動かす練習にと共に踊った。私よりも少し覚束ない足取りで、それでも幸せそうに笑う彼女が堪らなく愛おしかった。
目線を上げればステイル様にリードされ舞うマリアが映った。柔らかな表情のマリアに、ステイル様も気遣うように足取りを合わせて下さる。…お優しい方だ。
「……このような幸福。私には不相応過ぎますね。」
思わず感傷に浸ってしまうと、プライド様が少し惑うように瞳を揺らされた。
気負わせてしまったかと反省し、すぐに笑みを作れば今度はプライド様がそっと重ね合わせた私の手を引いた。
「私は、…いえ母上も父上もステイルもティアラも。皆、ジルベール宰相のお陰で幸せです。」
突然の御言葉に、目を見開けばそこには惑い一つない真っ直ぐな紫色の眼差しが私に向けられていた。
私が常に幸せを与えられた方々の名に、口を噤めばプライド様はマリアのような柔らかな笑みを私に向けられた。
「私が居なくなった後も、…ずっとジルベール宰相が国や民を守ってくれるから。そう思えるだけで、私達が知れ得ない未来もすごく明るいものだと思えるから。」
…嗚呼、この御方は。
五年前と、変わらない。変わらずその輝きを褪せさせることもなく保っておられる。むしろ、更に増したようにも思える。
フフッ…と、気づけば笑いが漏れた。ダンス中で口元を隠せず、俯いて逃れるがプライド様にはしっかりと見られてしまったことだろう。
プライド様。と言葉を掛けながら、この御方を緩やかにリードする。波のように揺れ、常にこの御方が美しく、そして人目を惹くようにと導き続けながら来賓へと近づいていく。
「未来の女王たる貴方様と共に在れたこと。私は生涯の誉れとし続けます。…たとえ、何百年先であろうとも。」
いつか、貴方もまた私より先に朽ちてゆくのだろう。
愛する妻も、友も、娘も誰もが私より先に老い果てていく。…それでも決して忘れはしない。
貴方が下さった許しも、罰もその全てを愛し、千年先であろうと貴方との誓いの通り、生きて行こう。
…貴方が居なければ、どれ程の空虚に居たか。
たとえマリアを救えても、…私自身が首を括っていたかもしれない。
狂い、己を忘れ、ただ暴れ踠くことしかできなかった私を救って下さった。
たとえ千年先に、どれほど酷たらしい惨めな死を迎えるとしても私は笑って死ねるだろう。
失う筈の全てをとどめて下さった、貴方様の御望みの為ならば。
「お任せ下さい。私の身は既に貴方が望み愛した民に捧げております。」
そう告げ、共に弧を描いて見せればプライド様は再び柔らかな笑みを浮かべられた。「無理だけはしないで下さいね」と優しい言葉を添えられ、私も言葉で返した。
曲が終わりに近付き、ゆっくりと足取りを緩めながら共に舞う。
「…プライド様も。どうか御無理だけはなさらないで下さい。何かある時は必ず宰相である私にご相談を。……わかって、頂けますね…?」
敢えて、潜めた声を低めて最後に囁けばプライド様の肩が激しく上下された。ヒッ!という短い悲鳴に思わずまた笑いがこみ上げる。そのまま顔を覗けば焦ったように私を見上げたプライド様が何度も頷いてみて下さった。
以前、防衛戦の時にはプライド様は私の知らないところでチャイネンシス王国の儀式である血の誓いを行われたことがあった。…もし、守り抜けねば国王と共に火炙りを受けると。
知ったのが終戦後で良かったと思う反面、何故そのようなことをなさったのかと怒りも抱いた。もし万が一チャイネンシス王国を守れずとも、第一王女が責をそのような形で担うなど。まだ私の命を天秤に掛けられた方が頷ける。この御方の自らを捨石にする性分だけはどうか早々に改めて頂きたい。
だが、そんな御方でなければ到底私の大罪は許されなかった…とも思う。
「…何度でも言いましょう、プライド様。」
私に若干怯えるプライド様へ、そっと声を掛ける。声色が戻ったことでプライド様の肩から再び力が抜けた。私の表情を窺うような視線に笑みで返しながら、曲の終わりを彩る最後のステップを共に踏む。
「プライド様が、私共は大切です。」
この言葉だけはきっと、何度言っても足りはしない。不思議とその確信だけが胸にある。
曲に合わせ、四方の足取りからとうとう互いに足を止めた。
「プライド様が想って下さるように、我々もプライド様を想っております。」
貴方には、それだけの価値がある。単に第一王女という身分だけではない。それ以上の大きな価値が、…人として想われる価値があるのだと。それを理解して頂く為に。
互いに距離を取り、礼をする。顔を上げたプライド様は私へ向けてその唇を小さく絞られた。
「……それに、気付いて下さることを心よりお待ちしております。」
最後にもう一度だけその手を取り、笑みと共に手の甲へと口付ける。
その途端、一見は表情こそ平静は保ったものの指先がピンと跳ねられ、全身を緊張で硬ばらせられた。俄かに火照った頬に、本当にあの時と変わらないと微笑ましく思ってしまう。
「…ありがとうございます、ジルベール宰相。」
「こちらこそ。」
少しの緊張の色と共に笑みを向けて下さったプライド様へ、私からも穏やかに笑んでみせる。
国と民、そして王族の為に生き永らえ続け、尽くし続ける。
決して忘れない、あの日の誓いを胸に。
永遠に。
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活動報告にて、書籍化についてのお知らせと特典について御報告がございます。
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