410.義弟は手を取る。
…嗚呼、…心臓が破けそうだ。
美しい音の調べが鳴り響く。
照明を浴びて、多くの来賓が中央に注目する。大理石の床に足を鳴らし、ティアラがセドリック王子を選べば歓声が上がった。新たな招待客の名が呼ばれれば時折波打ち立った来賓達が、今は総じて温かく色めき立った。
こうしてわかってみれば、わかりやすいほどに顔を真っ赤に紅潮させたセドリック王子がティアラと共に中央へと上がる。妹であるティアラとセドリック王子のその姿に複雑な気持ちもしたが、今はそれ以上に俺の隣に並ぶ存在が心臓に酷く身体を叩かせた。
「宜しくね、ステイル。」
喜んで。…その言葉でさえ、上擦りかけたのを必死で踏み止まった。
プライドと共に、一番煌びやかな照明の下へと向かう。この世で最も素晴らしい女性と最初に踊ることのできる権利、それを来賓の前で掲げながら俺は共に歩んだ。コン、コン、と女性の靴が小さく床を鳴らす、
プライドと共に礼をすれば、数えきれない程の視線が注がれた。
音楽が奏でられれば、そっと俺はプライドと向き合った。照明の光を浴び、俺と目が合った途端に笑んでくれたプライドは彼女自身が輝いているかのようだった。
手を腰に回し、もう片手を重ね合わせる。
今まで、プライドとは義弟として何度もダンスを重ねてきた。だが、こうしてたった二組だけの空間で、多くの注目を浴びながらも彼女の手を取ることを許された今だけは。
この上なく、自身が特別な存在になれたような気すらした。
プライドと共に、揺れる。
ステップを踏み、来賓の目に近付く度に多くの溜息が耳に届いた。触れ合う皮膚が、まるで雷に打たれたかのようにピリつく。少し力を込めれば、プライドの柔らかな肌の感触に肩が震えた。
「ステイル。…緊張してる?」
小声で、プライドに尋ねられる。
上目遣いで俺を覗き、密着したすぐそこに彼女の顔があった。彼女の吐息すら届きそうな距離に、思わず俺は目を逸らす。
「いえ、……すみません。…少し。」
初めての試みですから。と誤魔化すように言葉を続ければ、途端に彼女から「フフッ」と笑い声が漏れた。
驚いて再び彼女に目を向ければ、柔らかなその笑みが「私も」と返された。悪戯っぽく笑うその笑みだけで、心臓が内側から一際酷く俺を叩いた。
「だから、最初がステイルで良かったわ。他の相手だったら、もっと緊張してしまったかも。」
他の相手。…その言葉に酷く胸が痛んだ。
これから彼女が踊る相手には、婚約者候補が含まれているかもしれない。プライドの隣に居る相手。セドリック王子でないことはわかったが、存在しているのは確かだ。一人はカラム隊長、そして残るは二人。順当に行けば公爵家か、親密な同盟国の王子か。
そんなことを考えて、途中で振り払う。折角プライドとダンスをしているというのに他のことなど考えるだけ無駄だ。今はこの瞬間を目に焼き付けておかなければ。
光栄です、と言葉を返しながら笑んでみせる。それにプライドが嬉しそうに笑ってくれて、それだけで全てがまた満たされた。だからこそ俺も、この喜びを言葉にする。
「…貴方の義弟で良かったです。こうして、必ず貴方に手を取って頂けるという特権を得られたのですから。」
元庶民の俺では、到底叶わなかった場所だ。
母さんも、亡くなった父さんも変わらず愛してる。母さんに手紙を贈れる誕生日は、今も変わらず俺の最も特別な日だ。ただそれでも今は、…義弟になって、プライドに逢えて良かったと心からそう思う。
彼女の傍に居られるこの立場が、今は何にも勝り誇らしい。
喜びと共に口にした俺の言葉に、プライドは何故か少し目を丸くした。腕を引き、俺の身体を軸に細やかな彼女と弧を描く。
歓声が上がると同時にプライドは口端を僅かに上げて可笑しそうに笑いながら言葉を紡ぐ。
「私は、ステイルだったらたとえ義弟でなくてもダンスを受けるわよ?」
息を、飲む。
彼女の言葉に、思わず。
一体どういう意図か、考えるだけで顔が熱くなった。来賓の前だというのにと思うと余計に熱が増し、必死に心を落ち着ける。
プライドが「ステイル?」と小声で心配そうに俺へ言葉を掛けた。大丈夫です、と伝えながら俺は紛らわすように彼女に問う。
「…俺であれば、踊ってくれるのですか。」
たとえ、貴方の義弟でなくても。
その意味を込めて問えば、彼女はまた可笑しそうに笑い、俺の手をそっと指だけで握り直した。
「当然じゃないっ。だってステイルも大事な人だもの。」
当然のようにして笑う彼女の笑顔に、…泣きたくなる。
喉の奥まで込み上げたものを、口の中を飲み込んで押し返す。
たとえ、義弟という名札が無くなり、彼女がわざわざ踊る必要のない相手に俺がなったとしても。…きっと彼女は、当然のように望む俺の手を取ってくれるのだろう。
たとえ、あの来賓の数多の軍勢に俺が紛れ、彼らと同条件になったとしても。…きっと彼女は見つけてくれる。
〝義弟〟ではなく〝ステイル〟として彼女に認められた今が、……形容しがたいほどに幸福だ。
ステップを踏む、彼女の軽い身体が俺に傾き、それを流すように手を添える。
ありがとうございます、とその言葉を返せば、彼女の紫色の瞳が俺を映した。プライドの瞳の奥で、顔を綻ばせてしまっている俺が映り、思わず唇を引き絞ってしまう。
プライドから目を逸らすように来賓へ目を移すと、多くの男性がプライドに注目していた。次こそプライドの手をと、狙っている連中に一気に頭が冷める。
「プライド、もし何かあったら必ず俺かアーサーを呼んでくださいね。」
え?と驚いたようにプライドが声を漏らす。落ち着いた目で再び彼女を見つめれば、この上なく美しい女性がそこにいた。
燃えるように真っ赤なドレスに身を包み、光り輝く装飾を身に纏った人だ。情熱的なその色彩と、流れる真紅の髪が白い肌を際立たせるようにして彼女を飾った。更には至近距離に行くとどうしても視界に入ってしまう胸元が、どうしても彼女が〝女性〟であることを強調してしまう。たとえ第一王女でなくても、その姿で立っているだけで男性はプライドに目を奪われるだろう。
だが、それをはっきり彼女に言うにも言葉を選び…、暫くダンスに集中する振りをして黙った。そして最後、ダンスが終盤になってやっと、適した言葉が一つだけ見つかった。
「今夜は、……魅力的過ぎるので。」
最後の振り付けを終わらせながら、曲終了の間際にそう唱えればプライドは来賓と、そして自身の格好を見比べ、……そっと胸元に目をやり、恥じらうように唇を僅かに結んだ。どうやら一割程度は伝わったらしい。
曲が止まり、そっとプライドから手を離す。一歩引き、互いに礼をすれば割れるほどの拍手が響き渡った。
次はティアラとのダンスだと。一度目を閉じ、気を取り直そうと深呼吸をすれば、不意に頬へ何かが触れた。
柔らかなその感触に反射的に目を見開けば、離れた筈のプライドがそこにいた。俺の頬に指先を添わせる彼女に言葉も出ず見返せば、拍手に紛れるようにプライドが俺の耳元へ囁いた。心配してくれてありがとう、と聞こえ、先程の指摘の礼かと、肩に力が入りながらも頷けばさらに彼女は言葉を続けた。
「たとえ王子じゃなくても、ステイルみたいな素敵な男性にダンスを断る人なんてきっといないわ。」
いってらっしゃい、と。彼女の言葉に息を呑む俺の背を最後に優しく叩いた。
言葉を何とか返した後、両手が自由になったことで眼鏡の縁を押さえ、ティアラの元へと歩きながら息を整える。視界が湯気で曇って白い。ティアラが俺の手を取りながら、悪戯っぽく笑った。
〝素敵な男性〟…。
プライドと離れた後も、その言葉が何度も何度も鮮明に俺の耳に残り、繰り返し記憶が俺に囁き続けた。
もう心臓が疲弊し過ぎて身体を叩く余力も残っていないというのに。それでも再び心臓は有り余る力を放ち、俺を叩く。身体を破るほどの勢いに、喉まで振動で脈打った。
「…兄様。顔、まだ赤いわよ?」
ふふっ、とティアラが笑う。
俺の火照りに気付きながら、慣れたように踊った。未だ反射だけでステップを踏む俺を、ティアラがその手でリードした。些か不甲斐なく感じながら、曇った視界でプライドの方に目を向ける。そしてプライドが手を取り踊り始めた相手に、ほっと息を吐く。
プライド、ティアラ。
愛しい姉妹とそして友に囲まれたこの俺が、…誰よりも幸福者なのではないかと思った。




