目の当たりにし、
「お待たせしました、プライド。」
ノックの音の後、少しだけ息を切らせたステイルがプライドの部屋に訪れた。
扉が開かれた途端、ステイルはちょうどソファーが目に入る。見ればプライドに寄りかかった状態でティアラは寝息を立てていた。
プライドが口元に人差し指を立てるのと同時に、ステイルも声を抑えようと自分の口を片手で覆った。その様子にプライドは小さく笑みながら、声を抑えてステイルに「お疲れ様、ステイル」と返した。
ありがとうございます、と返しながらステイルは足音を消してそっとプライドとティアラに歩み寄る。プライドに凭れ掛かり、カクンと首を倒したティアラは、口も開けずに人形のように眠っていた。
「すみません、待たせ過ぎたでしょうか。このまま部屋のベッドに運ばせますか?」
「大丈夫、うたた寝しているだけだから。この後、ランス国王方にも御挨拶したいと言っていたわ。」
優しくティアラの金色の髪を撫でながら笑うプライドに「そうですか」とステイルも笑みを返した。
眠っているティアラの前髪を指先で撫でながら覗き込めば、ステイルもプライドも見慣れた寝顔がそこにあった。
「先ほど、母上とハナズオ連合王国との会合が終わったそうです。もし御約束でしたらそろそろいらっしゃる頃合いかと。」
なので、起こすならそろそろ。とステイルが笑いながら一歩下がった。
プライドはそれに応えると、そっとティアラの肩を揺すって声を掛ける。ティアラ、ステイルが来たわよ、と何度か優しく言葉を繰り返す内にティアラの目がゆっくりと開かれた。
「…ん、……?…お姉様…兄様…!」
段々と覚醒し、瞼をぱちり…ぱちりと開けるティアラは最後にゆっくりと周りを見回した。
軽く身体を起こし、プライドに寄りかかったまま眠っていたことに気が付く。ごめんなさい、と謝りながら今度はステイルへと視線を投げた。
「…兄様、いつの間に来ていたの?」
「ついさっきだ、母上の会合も終わった。そろそろハナズオ連合王国の方々もいらっしゃる筈だ。」
ハナズオ、という単語にティアラがぴくっと跳ね上がる。
自分がこれから謝らないといけないと思い出したのだろう、とプライドは理解する。まだ来ていないから大丈夫よ、と声を掛けながらティアラが落ち着くようにと背を撫でた。
「そういえば、例の案件。無事可決されたらしいですよ。」
「!そうなの。良かったわ!」
ステイルの言葉にプライドの表情が明るくなる。プライドも恐らくは可決するとは思っていたが、それでもステイルの言葉には安堵した。可決したことで、自分が知っても良いと判断したティアラが気になったように目を丸くして二人を見つめた。ステイルとプライドも話して良いだろうと頷き、そして
コンコンッ。
…ノックの音に、阻まれた。
突然のノック音に、過敏になっていたティアラが小さく「きゃあっ!」と悲鳴をあげる。だが、すぐに衛兵だとわかり、ごめんなさいと口を両手で押さえながら顔を真っ赤にした。これには背後に控えていたアーサーとエリックも小さく苦笑してしまう。
そして衛兵からの託けを預かった近衛兵のジャックが開けた扉を一度閉め、そしてプライド達に向き直った。
「プライド様、セドリック王弟殿下がお会いしたいと客間で待たれているそうです。」
何故かハナズオではなく、セドリックのみの訪問にプライドだけでなくその場にいる全員が疑問を抱く。先程の様子では三人で訪れるとの様子だったのに何故、と。プライドはジャックに返事をしながらゆっくりと立ち上がった。
少し立ち竦み気味のティアラの手を優しく握りながら。
……
「お待たせしてごめんなさい、セドリック。」
客間に入ると同時に、最初にプライドが声を掛けた。
その隣にはステイル、そして背後にはティアラが続く。近衛騎士の二人が最後に部屋の中に入ってから、ジャックにより外から扉が閉じられた。
パタン、と丁寧に閉じられた扉の音の後、身体ごと正面へと向き直ったセドリックが口を開く。
「いや、俺こそ少し急ぎ過ぎた。すまない、兄貴達はローザ女王ともう暫し話をしてから来ると言っていた。」
落ち着いた声色のわりに、額に汗をうっすらと湿らせたセドリックは椅子に一度も腰を下ろした様子もなくプライド達を待っていた。
プライドが改めてソファーを勧めたが、それでも丁重に断って座ろうとしない。挨拶を終えた後、最後にプライドとステイルの背後に隠れるティアラを気にするようにセドリックは顔を傾けた。プライドが苦笑いしながら背後にいるのがティアラだと頷くと、今度はステイルが退くように一歩外側に避けた。
俯いて言いにくそうにするティアラに、プライドがそっとその丸くなった背中の背後に回って肩に手を添える。
「ティアラがさっきのことでお詫びしたいんですって。」
優しく仲介するように語るプライドに、ティアラも俯きながらも頷いた。
ステイルが「お詫び⁇」とプライドへ聞き返したが、プライドが笑みだけで大丈夫、と返すと了承するように黙す。ティアラがプライドの助けを借りて一歩一歩セドリックへ歩み寄り、ドレスの袖を小さく掴んだ。緊張で僅かに顔を赤くしながらそのピンク色の唇が「あの…、…さ…先程は…」と紡ぎ出した、その時だった。
「!待ってくれ。」
ティアラの謝罪を遮るように、セドリックが手を伸ばして声を上げた。
突然の言葉にティアラだけでなくプライドも驚いたように顔を上げる。目を丸くし、セドリックを見返せば本人も少し戸惑ったように「すまない」と最初に遮ったことを謝罪した。
「…その。…もし願えるのならば、今から俺が話すことを……貴方の、…お前の意にそぐわなければ忘れて欲しい。代わりに今、貴方が謝罪しようとしてくれている件についても俺達は忘れる。……それで、どうでしょうか。」
緊張の為、少しまた敬語が交ざりながら語るセドリックの男性的に整った顔には苦悶と覚悟が滲んでいた。
突然尋ねられ、ティアラは何度も瞬きをしながらも頷いた。理解よりも、今この場で先程の自分の無礼のお返しになるならばという想いの方が強かった。
ティアラの返事にほっ、と一度だけ柔らかく笑むセドリックは確認するようにプライド達を目で確認した。
窺うように「彼らの前で…良いか?」とティアラとプライドに尋ねる。プライドもティアラも振り返った後にお互いに目を合わせたが、すぐに頷いた。近衛騎士もステイルも、彼女達にとっては信頼できる相手なのだから。
二人の返事にセドリックは「わかった…」と頷くと、静かに深く息を整えた。そして、最後に吐き切ると胸を張るように再び吸い上げ、静かにはっきりと部屋内にのみ轟く声で意思を発した。
「ティアラ・ロイヤル・アイビー。……俺を、お前の婚約者候補に加えて欲しい。」
なっ⁈と、一番に声を上げたのはステイルだった。
目を見開き、どういうことだ⁈と言わんばかりにセドリックとプライド、そしてティアラを見比べる。人前での告白に一気に真っ赤になるティアラと同じように、背後に控えたプライドも全身が真っ赤になる。だが、その直後にステイルが「それはどういう」と堪らず口を開け出したところでプライドは慌てたようにステイルの口を手を伸ばして覆った。そのまま硬直するティアラの背後からステイルの背後へと飛び出す。むぐ⁈とステイルは口封じされたことよりも、プライドの手が自分に当てられたことに驚いて固まってしまう。
硬直するティアラに、セドリックは少し戸惑いながらも言葉を続けた。
「今しがた、ローザ女王から許可と…そして公表も許された。これから先、ハナズオ連合王国とフリージア王国は合同で〝国際郵便機関〟を互いの国に設立する。」
セドリックは服の中から先ほど成立したばかりの承諾書の控えをティアラに掲げた。もちろん本部はフリージア王国だと続けながら、反応を待つ。
契約書には確かにその旨と、国王二名、更には女王であるローザの承諾のサインが記されていた。
初めてそれを知るアーサーとエリックもこれには思わず声を漏らす。国際郵便機関、その名と提案こそは三年前から知っていたが、具体的な進行は為されていなかったものだ。…ただ一人王族専用の〝配達人〟を除いて。
プライドとステイルも当然ハナズオ連合王国との試みは知っている。セドリックと書状でやり取りをしながら相談にも乗り、更には女王ローザへの橋渡しもしたのが二人なのだから。…が、
…何でいまの流れでその話をするの…⁈
プライドは理解が及ばない。
何故⁈と何度も疑問がよぎりながらも、セドリックの当たって砕けるかの瀬戸際状況に邪魔だけはするまいと今は堪えた。そしてプライドに口を封じられながら話を聞いていたステイルは
全て、理解した。
驚きのあまり、声も出ないステイルはたとえプライドが手を離しても何も言えなくなった。あまりにも自分の予想の斜め上に及ぶ事態に、頭を追いつける事で精一杯だった。
「…っ?…そ、それがっ…どういう…⁈」
しどろもどろになりながら、ティアラが尋ねる。
プライドと同じようにティアラも何故セドリックが今そんな話をするのか理解できない。大体、何故いきなりまた告白されたのか。やはりプライド達には部屋を退出して貰うべきだったとまで考える。だが、セドリックはそのティアラの反応にすら惑う事なく答えた。
「俺は〝郵便統括役〟として、この国際郵便機関に携わることになった。……ハナズオ連合王国とフリージア王国。広き世界で多くの国々を繋ぐ、その為に。」
冗談や軽い覚悟ではない。それはセドリックを前にした誰もが理解した。
赤々と揺らめく瞳の焔は、防衛戦で見せた姿と全く同じだった。
ハナズオ連合王国とフリージア王国の共同機関。ならばその最高統括役がどちらかの上層部の者になることは必然だった。そして、ハナズオ連合王国の王弟であるセドリックには充分過ぎるほどその資格がある。
だが、ティアラはまだわからない。何故、それが自分を婚約者候補に入れろなどという話になるのか。両国の合同機関の代表になったから今なら相応しいとでも言いたいのか。だが、ハナズオ連合王国の王弟であるセドリックは既にその資格は持ち合わせている。役職が付いたからといって、何が変わるのかとティアラ自身その口で問おうとすら思った。だが、その前にセドリックは
「その為に俺はこの国に生涯根を下ろす。」
言い、放った。
ティアラもその言葉に息が詰まった。
セドリックの言葉を理解しようとしても理解しきれなかった。自身が言っている意味を彼が理解しているのかとも疑った。だがセドリックは揺らがない。承諾書を再び丸めて服の中に仕舞うと、真っ直ぐにその瞳でティアラを捉えた。誰もが驚愕で言葉もなく静止する中、セドリックだけが緩やかに動き、…最後にティアラへ右手を伸ばす。
その場の誰もが、想像出来ない言葉を彼女に放つ、その為に。
「…これでお前は、婚姻してもこの国に居られる。」
静かで、この上なく優しい声だった。
その言葉を皮切りにティアラはカタカタと小刻みに震え出す。白く細い四肢を震わせながら、唇が何かを言おうと動き、だが頭が言葉も思いつかずただ息だけをぱくぱくと放った。
「ハナズオ連合王国の王弟である俺と婚姻すれば、お前は第二王女としての使命を全うしながらも愛する人達と離れずに済む。プライドとも、…ステイル王子とも、愛する家族と共に時を刻める。」
真っ直ぐと放たれる言葉にビクリとティアラの肩が上下した。
両手で自分の胸を押さえつけ、きゅっと下唇を噛み締める。震えが酷くなりながら、囚われたようにセドリックの燃える瞳から目が離せない。
「俺を、……愛していなくても構わない。ただ、俺にできること全てをお前に捧げたい。もし、お前がレオ…、……愛した男の元へと既に心を決めているのならば拒んでくれて構わない。」
まるで自分を都合良く使えと言わんばかりの言葉に、プライドまでステイルから手を離して胸を押さえつけた。
既にセドリックは郵便統括役として決定した。つまり彼はたとえティアラに断られてもその任を全うし続けるつもりだということだ。
「だが、もしそうでないのならば。…俺を、選んで欲しい。お前が人知れず、多くの祝福を受けながら望んで壁の華となるつもりというならばっ…。……………俺の隣で、咲いてくれ。」
セドリックに囚われた瞳が、視界が揺らぐ。
頬が熱く、火照ったせいだけでないことが拭わずともわかった。それでもまだ、セドリックから目を離せない。ティアラの瞳の雫に気付いたセドリックの方が先に戸惑い、初めて揺らいだ。
ティアラの唇が、ゆっくりと動き出す。
「どうして」と。息も浅く、それは声にならず宙を揺蕩った。
セドリックがフリージア王国に根を下ろすということは、同時にハナズオ連合王国から離れるということになる。折角救えた大事な兄達と国から、彼自身が。
声にならなかったティアラの疑問に、正面からそれを捉えたセドリックだけが口の動きだけでその言葉を理解する。だが、その問い自体を理解できなかった彼は少しだけ眉を寄せ、更に問いで彼女に返した。
「愛する女性に全てを捧げたいことに、理由などが要るのか?」
あまりにも純粋過ぎる問いだけが、その場の空気すら切り裂いた。
当然のように語る自分の言葉よりも、むしろその途端余計に溢れ出したティアラの涙にセドリックは狼狽えた。それでもまだ、と彼はせめて止められるまではと想いを紡ぐ。
「俺は望む者の傍らで、心から笑む貴方を見ていたい。大事な者とずっと笑い続ける…そんなお前と共に在りたい。」
溢れた涙がとうとう頬から細い首を伝い、彼女の胸元を濡らした。
目も逸らせず、瞬きを繰り返せばポロポロと涙の粒が絨毯に吸い込まれた。ひっく、ひっ…と泣き噦り、声を抑えるようにとうとうティアラは口を両手で覆い、俯いた。
セドリックは彼女の涙を拭きたそうに伸ばした手を持ち上げ、…そして躊躇した。ティアラの返事も待たず、その涙を拭う権利すら自分には無いように感じてしまう。
ぐっ…と伸ばそうとした手で拳を握って耐え、そしてもう一度そっと願うようにティアラの目の前に手を差し出した。
「…ティアラ。別れ際に告げたあの言葉をもう一度、言わせて欲しい。」
言葉の出ないティアラに、ただひたすらにセドリックは語り掛ける。
しゃくりあげ、言葉の出ないティアラに自分の想いが一方的だと、誰よりも己自身がそう思いながら。
「ティアラ・ロイヤル・アイビー。…貴方に、心を奪われました。」
絶対的記憶能力を抱く彼は語る。
九ヶ月前、彼女に語った誓いの言葉を一言一句違わずに。
既にティアラの喉はしゃくりあげ、口を押さえたままの手が涙を伝らせ袖を濡らす。涙が自分の意思で止めたくても止められず、目を瞑ってみても耐えられない。
「お前の隣を俺は、…生涯の居場所にしたい。」
その言葉を聞いた途端、またひっくと大きく喉を鳴らした。
そして、震えるその指先でそっと差し出された右手に触れた。手を添え、そのまま静かに自分の頬へと引き寄せる。ティアラの細い指に触れられ、それだけでセドリックの手がビクリと強張った。それでもティアラに招かれるように彼女の顔へ伸ばされる手の指先が、最後に彼女の涙で小さく濡れた。
「…っ、………………選びます…っ。」
雫のような球体の答えが唇から溢れ、弾けた。
78.125




