396.真白の王は胸を踊らせる。
「…お聞きしても、宜しいでしょうか。」
…目の前の女王に膝を折り、問う。
なぁに?と軽い口調で返しながら、その目は僕にではなく、たった今献上した宝石に目がいっていた。…我が〝州〟により産出された、それに。
「何故、貴方様への献上に私自ら御伺いする必要があるのでしょうか。」
僕は、尋ねる。
七カ月前、チャイネンシス王国と呼ばれた〝州〟を乗っ取り、セドリックと共にランスや僕らを陥れた醜き女王に。
支配されてから、国も文化も全て奪われた。もう神に祈る民など殆どいない。居たとしても見つかれば違反者として捕らえられ、…奴隷として搬出される。
最初こそ罪人を奴隷として搬出することで賄っていたが、もともと小さい国で閉ざされたチャイネンシス王国に大した数の罪人など居なかった。最初は檻に捕らえられていた罪人、次が過去に重罰を受けた罪人、次が罪を犯したことのある者、段々と搬出の必要数が足りなくなれば盗みや違反など小さな罪でも犯した者が、一人残らず奴隷として搬出されていった。……違反。宗教活動を、断行する者も。
ラジヤの属州になった以上、神を信仰しない彼らの文化に合わせなければいけない。宗教活動や神に祈る行為をした者は判明次第〝違反者〟として捕らえるしかない。もう僕らはラジヤの民なのだから。
神にただ祈り、望み願う行為の何が罪なのか。それすらわからないまま、神に祈った者から奴隷にされた。老いも若きも関係なく。……この、僕を除いて。
「別に良いじゃなぁい。どうせ暇でしょう?元王様は。」
〝元〟と。その言葉に胸を刺されたように痛んだ。今の僕は〝国王〟ではない。あくまで属州の統括者だ。
定期的にこうして指定された通りの宝石をフリージアの女王へ届け、機嫌を伺う。その為だけに州を離れ、片道十日はかかる道のりを往復しなければならなかった。
民が必死に掘り出し、職人が粋を凝らした宝石を女王はまるで小石の如く手の中で遊び、陽の光に透かして楽しんだ。そして女王は言葉も出ない僕に続ける。
「だって、折角生かしておいてあげたのよ?なら、ちゃんと顔が見れないと勿体無いもの。」
フフフッ、と妖しく笑う女王は僕にはもう人にすら見えなかった。
宝石から初めて僕に視線を落とし、ねっちゃりと糸の引いた笑みを向けてくる。宝石にもう飽きたかのように隣に並ぶ摂政へ箱ごと粗雑に放り投げ、頬杖を突きながら恍惚と紫色の瞳が光り、その姿が目に入るだけで吐き気がする。
何故か、女王は僕を殺さなかった。元国王である僕は宗教の象徴でもある。民の前に晒し、首を刎ねてこそ全ての終わりを宣告できるにも関わらず。
それどころか僕を統括者として置くようにラジヤへ手を回し、僕だけはクロスの所持も許すどころかそのまま義務付け、…結果、僕は神の象徴を掲げながら神に祈りを捧げる民を奴隷に堕とすこととなった。
それが、矮小な国であったにも関わらず大国へ刃を振り上げた僕への報いだった。
「嗚呼っ…、ねぇもっとよく見せて。ちゃんと顔を上げて?憎くて憎くて堪らない相手に跪く気分はどぉ?」
フフッ…ハハハッと楽しそうに笑う彼女は、王座から僕を覗き込む。
怒りと憎しみを内側へ抑えつけながら、口の中を噛んで食い縛る。血の味を感じながら、必死に堪えても胸の奥が黒く焦げ、更には汚く濁った。
「感謝しなさいよ?こんな立派なお城、貴方じゃあ一生かかってもお目にかかることすら叶わなかったわよ。」
こんな根城、羨ましいとすら思えない。
民の血と嘆きに構築された、醜く欲に溺れた無機物など。
なのに女王は自慢気に両手を広げ、まるで世界で最も高貴な場所だと言わんばかりに笑みを引き上げる。
僕が感情を必死に抑え、膝をついたまま見上げれば、女王は王座からゆっくりと立ち上がった。感情を抑えた僕をつまらなそうに睨み、そして一歩一歩近づいた。
「ねぇ、ヨアン。……もうこれ以上自分が歪むことは無いだなんて思ってなぁい?」
信じられないほど、…邪悪なその声に息を引く。意味もわからず心臓が一度止まり、見開かれた目が痙攣したように閉じられない。
彼女の笑みが、怖気が止まらないほどに引き攣り上がり、残酷なほど鮮やかだった。
僕の顔を覗いた女王は顎に手を添えてきた。自分の方へ下から指先だけで持ち上げるようにして、顔を向けさせる。無抵抗にされるがままの僕へまた恍惚とした笑みを落とした。「たとえば」と、その卑しい唇がゆっくり言葉を紡ぐ。
「貴方の大嫌いな…憎くて憎くて堪らない王子様に、貴方が傅くことになったら?」
…女王の言葉に、一人の青年の姿を思い出す。
この胸に穢れを招いた、消したくても消し去れない裏切り者。僕の、大事な親友の心すら殺した彼の弟。
憎悪に再び支配され、視界が真っ赤に染まる。僕の顔を余すところなく覗き続けた女王は、それにうっとりと満足気に顔を綻ばせた。
「あぁ…そうだわ。その時は貴方に彼の着替えを任せましょう。罪無き乙女の、愛を裏切り、その血に汚れた彼の服も身体も、貴方がその手で清めてあげて?聖なる国の元王様にぴったりな仕事だわ。」
フフッ…アハハハハハハハハハッ!と今から何を想像したのか、背中を反らして高らかに笑い出す。
一体何を言っているのか。罪なき乙女?愛?血に汚れる⁇常軌を逸した女王のただの妄言か、それとも
「楽しみね。…貴方と彼の素敵な再会。今から三ヶ月後が待ちきれないわっ。」
そう言って、僕の白髪を撫でた。
振り払いたい欲を抑え、されるがままに肩だけを強張らせる。すると、それに気付いた女王が弄るように真っ赤に塗られた爪先で僕の首から肩を擽り、嘲った。あまりの不快感に声が漏れそうになりながら今度は口の中を噛み切る。
「忘れないでね。貴方はたかが属州の統括者、私は大国フリージアの女王。そして彼は─…。」
ニタァァァアアアアァ…と、今度こそ背筋の凍る上がった口端が尋常ではないほど引き上がった。歪むように笑んだ彼女に否が応でも目を奪われる。
「貴方に、靴を舐めさせる。」
地の底に響くような低い声。
これ以上ない残酷な笑みに、息が止まった。
……
「どうした、ヨアン。そんなにセドリックのことが気掛かりか?」
…ふと、ぼんやりしていたら声を掛けられた。
聞き慣れたその声に急いで顔を上げる。見れば、ランスが少し心配そうな顔を僕の方に向けてくれていた。…しまった、少しぼんやりしていたみたいだ。
今頃城で待っているであろうセドリックの事を考えていたら、思考が深くなり過ぎたらしい。…セドリックを置いての長旅なんて初めてかもしれない。
「ああ、すまないランス。国を出る前に少し落ち込んでいたのを思い出したら、ちょっとね。」
気にする必要はない、とランスに言われ、自分でも過保護だなと思って笑ってしまう。
今日招かれたパーティー、僕とランスは理由があってセドリックをハナズオに置いてきてしまった。
ランスも苦笑を返してくれた後、ちょうど歩み寄って来てくれる今日の主役に僕らは同時に声を掛ける。
「本日は御招き頂きありがとうございます、ジルベール宰相殿。」
手を伸ばし、ジルベール宰相と握手を交わす。
こちらこそ御足労ありがとうございます、と笑顔で返してくれるジルベール宰相に僕とランスも言葉を返した。
フリージア王国の宰相であるジルベール・バトラー殿。今日は彼の誕生パーティーだった。
防衛戦でも多大な貢献をして下さったジルベール宰相の誕生日パーティーに、僕らハナズオ連合王国も招待された。セドリックも行きたいと望んだけれど、…僕とランスが断った。
例の案件の返事までついに残り一ヶ月となり、既に色々面白いことになっているセドリックをフリージア王国に連れて行くのは不安だと僕ら二人で判断した。
パーティー会場が城ではなくジルベール宰相の御屋敷だったとはいえ、招待客には当然のことながら以前にセドリックが多大な迷惑を掛けた第一王女のプライド王女、第二王女のティアラ王女がいるのだから。…だからこそセドリックも行きたがったのだけれど。
「ハナズオ連合王国の国王陛下にお越し頂き、身に余る光栄です。どうぞごゆっくりお過ごし下さい。」
優雅に礼をしてくれたジルベール宰相は、そう言うと速やかに他の来賓へ挨拶に向かっていった。
流石フリージア王国の宰相ということもあり、来賓も豪華な顔ぶれだった。プライド王女達だけでなく、フリージア王国の摂政や女王まで招かれていた。王配は女王の代理で城にいる為欠席らしいけれど、それでも豪華過ぎる布陣だ。多くの騎士が、来賓としてだけでなく警備として屋敷の至る所に配置されていた。
奥にはジルベール宰相の夫人らしき綺麗な女性や娘らしき令嬢も控えている。そして宰相の令嬢らしき少女に、ちょうどプライド王女やティアラ王女、ステイル王子が声を掛けていた。どうやら三人とも御令嬢とは面識があるらしい。
そこまで眺めていると、プライド王女が顔を上げて僕らの方に気付いてくれた。互いに足を進め、挨拶を交わし合う。…少しだけ、プライド王女と苦笑いし合いながら。
「セドリックは不在なのですね。」
プライド王女がセドリックの不在を気に掛けてくれる。ええ、それが。と返しながら、体調不良を理由に伝えた。あながち大きな嘘でもないのが恥ずかしい。
「ですが、こうしてランス国王陛下とヨアン国王陛下のお顔を拝見できて嬉しいです。」
プライド王女の言葉にティアラ王女とステイル王子も頷いてくれる。嬉しい言葉にランスの後、僕からも彼女達に言葉を返す。
「ありがとうございます、僕もお会いできて嬉しいです。…プライド・ロイヤル・アイビー第一王女殿下。」
続けてティアラ王女、ステイル王子の名も紡ぎ、同じように握手を交わした。こうして彼女の名を口遊むだけでも、胸が温かくなる。本当にあの日の奇跡が今でも信じられない。………………そして、僕らの現状も。
語らいながら僕が曖昧な笑みを浮かべてしまうと、プライド王女とステイル王子が同時に目配せし合った。
ごめんなさい、と呟いてプライド王女が小さな声で呟いた。
「例の件は、私もステイルもまだ母上から結果を聞いておりません。」
「まさか…それで、セドリック王子殿下は知恵熱を?」
いえ、まさかと。思わず僕とランスで同時に同じ台詞を返してしまう。
ティアラ王女は例の件については知らない為、僕らの会話に少しだけ首を捻りながらも笑ってくれていた。
セドリックが不在のせいか、前回よりは笑顔が柔らかい。そう思うと余計に苦笑してしまう。そのままティアラ王女と目が合うと、彼女は恥ずかしそうに唇を結んで顔を伏せてしまった。
「ところでランス国王陛下、ヨアン国王陛下。金と鉱物の輸出をとうとう他国にも始められるとか。」
噂は聞き及んでおります、とステイル王子が微笑む。流石次期摂政でもある御方だ。摂政と同じように他国の動きにも精通しているらしい。
ええ、お陰様でと返しながら、僕らの口からも彼らに近況を伝えた。
もともと同盟を結んでいたフリージア王国とは先んじて少しずつ交易を行っていた。
サーシス王国の金や金細工、チャイネンシス王国の宝石。フリージア王国と同盟を結ぶ前から国を開く準備を進めていた甲斐もあり、先週やっとその体制が整った。フリージア王国からの協力や仲介、ジルベール宰相やヴェスト摂政の助言なども大きかった。
金脈や炭鉱、鉱山の開発と定期的な産出に必要な人員確保。採掘から加工輸出までの導線構築と安定化。
ランスと僕が国王になってから地道に進めてきた取り組みだ。
我が国の最大資源である金脈と鉱物。国の利益と民の仕事場を増やし、還元できる仕組みをと。……この広い世界の国々と対等に渡り合う、その為に。
そしてとうとう僕らは
国を、開く。
交易条件を照らし合わせ、取引が成立さえすればひと月も経たない内に開放された港には他国の船が訪れることになるだろう。アネモネ王国との交易や、同盟国であるフリージア王国だけではない。世界との交易、そして交流だ。
「…本当に、本当に貴方方の…フリージア王国のお陰です。」
言葉にする度に、感謝が溢れ出してくる。思わず顔が無意識にも綻んだ。
僕とランス、そしてセドリックの夢が叶ったのだから。
いえこちらこそ、ハナズオ連合王国の努力あってこそ、陛下の手腕あってこそです。と返してくれ、今度はプライド王女が僕らに笑いかけた。
「それに、御礼を言うのはこちらの方です。ハナズオ連合王国の高品質な金や宝石を…あんな破格で取引して頂いているのですから。」
そう声を抑えて、僕とランスの顔を窺うプライド王女は何かを思い出したように若干顔から血の気が引いていた。
それを見てステイル王子とティアラ王女が小さく笑う。ランスは逆に驚いたように「とんでもない、あの程度で御返しできる恩ではないのですから」と即答していたけれど。
彼女が気が引けてくれるのも、わかる。僕とランス、ハナズオ連合王国は自国の金と宝石をフリージア王国にだけは輸送と採掘から加工までの人件費を含む必要経費のみの額で取引していた。殆ど無償で提供しているようなものだ。
だけど、それは僕らハナズオ連合王国から申し出たことだった。当時、取引を決めた時にはフリージア王国の女王と摂政も驚いていた。…でも、これは我が国の民の総意でもあった。自国の自由と民の命は、金や宝石では変えられないのだから。
取引の値をそれ以上上げようとしない僕らに、最終的には定期的にごく僅かな一定量のみの金と宝石を取引することで互いに合意した。
それに実際、加工における手間や職人技術と時間はさておき、サーシス王国の金脈も僕らチャイネンシス王国の鉱山もその資源は際限がないと言って良い。サーシス王国なんて、地面を掘れば金が出ると言われたこともあるくらいだ。お陰で百年近くの間にハナズオ国内での金と宝石の価値も大分下がっていた。…その所為でフリージア王国への金と宝石のほぼ無償提供に金や宝石〝だけ〟で良いのかと疑問を投げる若い民もいた。
フリージア王国女王と取引が成立した後にも、それを知ったプライド王女から安すぎると逆に止めに入られてしまった。でも、「セドリックの不敬についての賠償金と思って下されば」と断ったら、すごく狼狽えた後に何とか了承してくれた。…寧ろ、賠償金としたら少な過ぎるくらいだと思うけれど。
そう語らいながら、ふと僕は気が付いて屋敷の大広間を見回した。
「今宵は、…やはりフリージア王国の方々が多く招かれているのですね。」
ランスは流石に気が付かなかったらしく「そうか」と小さく呟いてから、軽く見回した。
今回は外交色の強い王族の式典ではなく、親睦の意図が強いジルベール宰相の誕生パーティーだ。新しい同盟国である僕らが呼ばれたとはいえ、他の王族で呼ばれている人は少ない。プライド王女の近衛騎士四名やアネモネ王国のレオン王子は呼ばれていたけれど、他は全員式典にも呼ばれるような上流貴族と、……初めて見るような来賓が多かった。セドリックが居たら具体的に誰が何回会ったことがあるかもわかっただろうけれど。
「ええ。…今回ジルベール宰相はあまり関わる機会のない貴族の方々とも交流を図りたいということで。」
すると、僕の言葉にステイル王子の浮かべた笑みが、どことなく黒い覇気を纏った気がした。
交流のない…つまりは上流貴族だけでなく下級貴族も中には招いているということだろうか。やはり宰相ともなると、国内にも深く携わる必要があるらしい。こんな大国の中でもそこまで手を広げるなんて、やはり尋常ではない手腕だ。
驚く僕の顔色を読んでか、ステイル王子が「僕も最近、是非出来る限り多くの貴族の方々と交流を深めたいと思っていたので嬉しく思っています」と返してくれた。…何故かプライド王女とティアラ王女の笑みが反比例するように引き攣って見えたけれど。
「素晴らしい。私達も見習わねばならんなヨアン!」
ランスが感心するように声を漏らし、僕の背を叩いた。
確かに僕らももっと互いに国内の貴族や民と交流の場を設けることも必要かもしれない。これから国を開けば、また民の生活も変わってくるだろうし。
そうだね、と言葉と共に笑みを返す。
国を開いたからといって終わりなんかじゃない。開いたからこそ、そこから民が自国の生活を理解され、その上で他国と交流を取り、世界の流れに触れられるように、僕ら王族は彼らの平穏を守らなければならない。
貿易、交流、信仰の理解、世界との関わりと治安。すべきことは山積みだ。
更にローザ女王から例の件の合意を得れば僕らは更に忙しくなるだろう。でも今はただそれが楽しみで……わくわくしてしまう僕がいる。
世界の広さを受け入れた僕が、そこに居た。