395.貿易王子は差し伸ばし、
「…すみません、また僕の勝ちですね。バスタード卿。」
ヴァル達との夜から一週間後。
レオンは一人の来賓と客間でカードを嗜んでいた。レオンに負けた相手の男爵は「勝負になりませんね」と負けながらも嬉しそうに笑っていた。
フリージア王国という大国の城下に屋敷を構える貴族とはいえ、たかが城下にある農村の一端を任されただけの男爵家。アネモネ王国の王族に招待を受けるなど滅多に無い。
同盟国であるフリージアの民の暮らしを詳しく聞きたいと、彼の評判をたまたま耳にしたというレオン直々の指名と招待というだけで男の機嫌は上々だった。
「すみません、昔から何故かカードで勝ってしまうことが多くて。」
あまりやったことはないんですが。と滑らかに笑むレオンに男は「いえいえ」と声を上げる。
カードなど所詮は接待。むしろここでは相手に勝ちを譲った方の勝利ともいえる。ワイングラスを傾けながら、上機嫌に微笑む彼は村でも人柄の良さに定評のある男だった。
こうしてレオンと相対しても、第三者が見れば木陰の休息かのように微笑ましいだけの光景にしか見えなかっただろう。
「そのせいでか、あまりカードの相手をしてくれる方がいなかったので今日はお相手して頂けて嬉しいです。」
「いえいえ、こちらこそ光栄の限りです。私などで宜しければいくらでもお手合わせ願います。」
柔らかな言葉を返してくれる男に笑みで応えるレオンは、カードを一度纏めた。
「バスタード卿のお話はとてもためになります。なかなか僕も頻繁にフリージア王国の農村までは足を運べないので。民はみんな仲睦まじく、美しい奥様もいらっしゃった。…本当に素敵だ。」
レオンの言葉に謙遜するかのように手を振る男は、妻には六年前に先立たれてしまいましたがと悲しげに笑ってみせた。
それにレオンは眉を垂らしながら笑みで返すと、ふと思い出したように「ああそうだ」と抑揚をつけた。
「最近、貿易先の船員からカードで占いをする方法を聞いて。良かったら、やらせて頂いても宜しいですか?」
おぉ、良いのですか!と嬉しそうに男は両方の手の平を見せて驚いてみせた。
是非とも、と返し「そんな遊びまでご存知とは流石ですね」とレオンを褒める。そして
その笑顔はいとも簡単に凍りつくことになる。
何度かカードを切って見せ、いくつかに分けて並べ、更に数枚を円にしてテーブルに置いた後。
ピッ、とレオンは手の中に残ったカードを一枚ずつ手に取って並べて見せた。
「…一つ。貴方はとても恋多き方のようだ。」
ドキリ、と表面で取り繕いながら男の心臓だけが跳ね上がった。
明るく笑い、死んだ妻に会う前はそんな時代もと懐かしんでみせる。だが、レオンは構わずまた一枚カードを置いた。
「二つ。…毎日人に囲まれる日々。すごいな、男爵家でこんなに毎日頻繁にパーティーを開ける家なんて珍しい。」
まるで、いまそこで覗いて見ているかのような口振りに男は背筋が凍った。
村の中だけでなく、多くの貴族とも人脈がある。だからこそ憩いの場を設けているのだとそれでもやはり穏やかな口調で語った。
「三つ。…大きな隠し事。やはり男爵家ともなると秘密も多いのですね。でも、これはあまり穏やかな隠し事ではなさそうだ。」
とうとう男から愛想笑いすら消えた。
まるで目の前で裁判が行われているかのような空気に突き落とされたかのように飲まれていく。
「四つ。…不当な引き換え。税率が高過ぎる。確かフリージア王国では数年前から税率が下がった筈なのに、下がるどころか僅かに上がってさえいる。貴方の民は誰もそれを知らないようだ。」
レオンの穏やかな声の抑揚がなくなっていく。
民を騙し、その信頼を裏切り、更には私腹を肥やしていた目の前の男を軽蔑するように沈んでいく。
「五つ。…………………………消された、女。」
最後の言葉が、しんと冷たい空間に静かに投じられた。
小さく俯いた彼の顔は男にも覗けない。ただまるでレオン自身が痛みを伴うようなその声色に、男はまさか自分が今まで手に掛けた女性〝達〟やその遺族にレオンの関係者がいるのかとも考えた。だが、思い出そうにもアネモネ王国と関係を持った女性など分かるわけがない。中には一夜だけの女性も多くいたのだから。
ただ、間違いなく自分の悪業を知っている目の前の王子を前に動けなくなった。その辺の民ならばいくらでも口封じの方法はある。だが相手はアネモネ王国の第一王子。どう足掻いたところで敵う訳がない。
ガタガタと震え、椅子からすらこぼれ落ちそうな男を前に、レオンは俯いたまま音もなく立ち上がる。
「今頃、貴方の村にフリージア王国の騎士が訪れていることでしょう。その領地を司る伯爵家の方と共に。…もうジルベール宰相もご存知のことですから。そして、今この部屋の外でもフリージア王国の騎士がお待ちです。理由は、…もうわかりますよね。」
最初こそ笑んでいた筈のレオンの整った顔から、明るさが消えた。
冷たく、切り離した存在をただただ蔑視する瞳が翡翠色に光っていた。男が言葉もなく汗をダラダラと流したまま固まると、レオンは不要となったカードを纏めてテーブルの上に置き放った。
「貴方が消した女性の内の一人は、今は幸せに暮らしています。大事な存在を…そして大事に想ってくれる存在を見つけて。…もう二度と僕は貴方に彼女の心を犯して欲しくはない。」
少しの怒りと、それ以上の悲しみに満ちた胸を片手で押さえつけてレオンは言う。
知ってしまったことを罪に思えるほどに、彼は男が犯してきた所業に胸を痛めていた。
これから彼は、フリージア王国で罪人として法に則り罰せられる。そこから先はフリージア王国の領分だ。レオンが出来ることは男の不正の事実を白日の下へと晒し、宰相であるジルベールに委ねること。レオンからの情報提供にジルベールは迅速な対応で応えていた。
見ず知らずの自分を突然断罪したレオンに、男は疑問ばかりが先んじる。一体どれほど膨大な期間を使って調べ上げたのか、何よりアネモネ王国の第一王子などという存在と人脈を持つような化物を彼は知らない。
誰もいない客間で、レオンの意思一つで男を殺すことも出来る。抵抗された、襲われたと言えば第一王子のレオンが罪人一人を殺めたとして罪に問える者などいる訳がない。
そう考えてしまえば男はガタガタと震えが止まらずとうとう椅子からこぼれ、崩れた。座り直そうとすら思えず、椅子の足を背凭れのようにしたまま真っ青な顔で見上げる男に、レオンは真っ直ぐその瞳を向けた。
「もう二度と彼女に……いえ、女性に関わらないで下さい。親類縁者や血族、既婚、独身、年齢問わず全ての女性に。もし貴方がまた今までのような所業に手を染めたら。……………僕はきっと、貴方を許せない。」
嘘偽りない言葉だと、男はその肌で感じ取った。
そして次期国王と名高い彼からの「許さない」がどれほどに恐ろしいものであるかも。今こそ、悲しみで抑えてくれている彼の感情に怒りや執着が加われば、自分の身が想像を絶する形で罰せられるということを確信すらした。
何度も頷き続ける男を見て、レオンは静かに指を鳴らす。パチン、という音と共に勢いよく扉が開かれた。
アネモネ王国の騎士と共にフリージア王国の騎士が並び、囲うようにして男を捕らえた。既に抵抗の意思を折られた男は無抵抗に騎士達によって連行されていく。
騎士達を見送り、挨拶を交わした後。レオンは早速次の公務へ向かうべく足を動かした。
「………セフェクは、…幸運だったね。」
あんな地獄のような日々を抜け出して、ヴァルやケメトに出逢えたのだから。
そう思いながら口の中でレオンは呟き、小さく笑った。
暗く閉ざされ、外から遮断され、鬱憤と欲の吐き溜めにされた生活。それを乗り越えて彼女は今の幸福を掴み取った。その幸福を少しでも自分が守ることができたなら嬉しい。…そして、少し誇らしい。
〝助けて〟と。
声のない、心の内だけに止まっていた彼女の過去の悲鳴に…無力だった自分が、指先一本だけでも差し伸ばすことができたのならばと。
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