392.七は遭遇し、
「ねぇ!本当に暫くはのんびりしてて良いの⁈」
市場の真ん中で目の前を歩く男に少女が声を上げる。
男が手を引く少年と手を繋ぎ、挟まれた少年ごと引っ張り、男に呼び掛ける。
左右には見慣れた屋台や店が所狭しと開き、子ども連れを狙って彼らにも気さくに声を掛けては品を買わせようと笑顔を振りまいた。
「あー?主が言ってたろ。ここ最近は働き通しさせたから、ひと月は好きにしてろってよ。」
人目が多いからか、フードを深く被りながら男は面倒そうに言葉を返した。その言葉に男の腕を掴む少年は、右手と左手それぞれを男と少女と逸れないようにしっかり繋ぎながら声を上げた。
「ヴァルはいま何処に向かってるんですか?ベイルさんのお店ですか⁈」
少年…ケメトの言葉にヴァルはフード越しに頭を掻いた。
「悪くねぇが」と返しながら懐の所持金を頭の中で大まかに勘定する。半年前にあった防衛戦の一件でステイルから受け取った褒賞金。その後も仕事続きで必要以上全く使っていない。更に暫くはジルベール家から強奪まがいの菓子や酒で事足りていたこともあり、いま彼らの懐は大いに潤い過ぎていた。
万が一のこともあり、二人にも小金を持たせてはいるがそれでも三人分の資金殆どはヴァルが預かっている。…ただし、隷属の契約で自分の分以外の金には手を付けられない為、本当に二人の分の稼ぎも文字通り〝預かっているだけ〟なのが現状だ。
結果、余計に重くなった小袋の数々をさっさと使ってある程度軽くしたい欲求もあった。
「取り敢えず暫くは国内で、だな。主から休暇中も仕事以外でも国外に出る許可は受けてるが…今更外に出る必要もねぇだろ。」
配達人として日々国と国を渡り歩いているヴァル達にとって、国外は珍しいものではない。
むしろ今日まではフリージア王国での滞在期間すら短かった。配達物の受け渡し以外は国外を走り回っていたのだから。
罪人として隷属の契約で許可なく国外に出れなかった筈の自分が、配達人の仕事を請け負ってからはとうとう国内にいることの方が珍しくなったのも可笑しな話だと彼は思う。
せっかく大国の王都にいるのだから、ここで豪遊するのも良いだろう。歓楽街か、上級層の人間しか行き来しないような店に敢えてボロの格好で冷やかしも悪くない。
そんなことを考えながら、取り敢えずさっさと城から離れるべく歩くヴァルにケメトとセフェクは手を引かれながら早足でついて行く。
「ハナズオへの配達は良いんでしょうか⁈ずっとやり取りしてたのに!」
「そうよ!私達じゃないと返事貰うの大変なんでしょう?」
二人の問い掛けにヴァルは煩わしそうに舌打ちを繰り返した。
ここ最近の働き詰め。その多くがハナズオ連合王国とフリージア王国との往復だった。三ヶ月前にあったプライドの誕生祭から何度もヴァル達は王族の馬車で行けば十日も掛かる道のりを往復し続けていた。
もともとの同盟国間のやり取りが落ち着いたからとはいえ、長距離往復配達を何度も。しかも、セドリックもプライドも返事を書くのが速かった。いっそどちらか本人を配達した方が楽だと本気でヴァルは思う。女王であるローザとハナズオ連合王国との書状に代わってからは、少し間も挟まれるようになり往復もマシにはなったがそれでも面倒に変わりはなかった。
更にはこの三ヶ月の間にハナズオ連合王国のヨアン、フリージア王国のステイル、ハナズオ連合王国のセドリックと誕生祭が続き、その度に書状の受け渡しついでに大量の祝いの品を運ばされることもあった。更には先月にはアネモネ王国を寄った際、レオンからもアーサーの誕生日に合わせて大量の配達物を〝騎士団へ〟任されてしまった。レオンから代金は貰ったが、それでも騎士への届け物だと思えば気分も悪い。
「もう殆ど馬鹿王子ともハナズオの国王ともやり取りは済んだとよ。三ヶ月先までは女王の返事待ちだ。」
そうして一区切りついたからこそ、ヴァル達は長い休暇をプライドに許されたのだから。
ヴァル自身、手紙の往復だけで一体どんなやり取りをしていたのかは知らない。プライドもセドリックとのやり取りのことは話していない。そしてセドリックにすらヴァルは直接会っていない為、余計にどんなものか予想もつかなかった。ただ、先月のセドリックの誕生祭でプライド達がハナズオ連合王国から帰国した後から、書状がプライドからの個人的なものから、女王からの正式なものへと変わっていた。
学も殆ど無いヴァルには想像もつかない。ただ、プライドからの妙な反応と時折姿を見せるステイルからの不機嫌そうな様子から何となく面白くない、肌触りの悪さだけは感じ取った。知らないままでいられるのならば一生知らないままで済ませたいような、嫌な予感が。
舌打ちを再び鳴らし、不快そうに顔を歪めるとヴァルの腕を掴み直したケメトが覗き込んできた。
「ヴァルは何処に行きたいですか?」
僕はどこでも良いです!と笑うケメトに一度目を向けたヴァルは、セフェクと一緒に見比べる。「まだ決めてねぇ」と返しながら、そこでやっと足を緩めた。時間が夕暮れに近付いたせいか人の行き交いが多い。昔ならば大人達の影に埋もれていたセフェクとケメトだが、今は二人ともそれなりにヴァルの目線から見つけやすくなった。
「…腹拵えしながら考えるか。」
そう呟きながらヴァルが懐に手を入れると二人の目が輝いた。
やはり空腹だったらしいと思いながら二人に数枚ずつ食事代を手渡す。チャリ、と軽い音とともに二人は両手でそれを受け取った。長身のヴァルを目印に、二人はそれぞれ好みの屋台へ駆けて行った。以前はヴァルから離れても二人一緒に同じ店で買い物をしていたが、今はそれぞれ違う店で買うことも増えていた。
酒や肉とすぐ決めてしまうヴァルと違い、二人は選ぶのにその倍以上の時間が掛かる。恐らく戻ってくるまでまた時間が掛かるだろうと思いながら、ヴァルは息を吐いた。二人が走って行った方向をそれぞれ眺めながら、目を凝らす。城下町の中でも王都に分類し、物乞いすら居ない上等な市場だ。フリージア王国自体、今や治安がかなり落ち着いている。城下町、さらには王都ともなれば人攫いどころか窃盗すら滅多に無い。
……まぁ、それでも完全に温みきった訳じゃねぇが。
自分のような人間が何処に紛れているかわかったものじゃない。そう思いながらも、こうして自分がその市場を選んだことが少し負けを認めたようで腹立たしくもあった。
治安が悪ければ悪いほど商売がしやすい、生きやすいと望んでいた自分が、今やこうして治安の良さに安堵してしまっている、その事実に。
若干の呆れと嘆きを混じえて低い声を漏らしながら、それでも彼は警戒だけは怠らない。
……
「果物…果物…。」
自分の目的を忘れないように小さく何度も呟きながら、セフェクはうろうろと屋台を見回す。
何を食べたいか決めていても、こうして様々な屋台を過ぎる度に目移りしてしまう。気がつけば自分が何を食べたいかを忘れてしまうことも多かった。
ヴァルと違い、フードを被ることも面倒がるセフェクは特に何度も屋台や店に声を掛けられる。格好こそ裕福には見えないが、若い少女はどこの市場でも声を掛けられやすい。
こうしている今も目が合う前から「お嬢ちゃん!安くしておくよ‼︎」「ほら見ろ出来立てだ!」と声を掛けられては一歩引いて早足に去ってしまう。ケメトかヴァルと一緒であれば、容易に声を掛けられないが、一人だとどうしても狙われた。
目的の品を探しながら、返事も返さず次の屋台へ急ぎ、また足を緩めて店を眺め、また話しかけられては駆ける。昔と比べれば大人にも一人で相対することができるようになったが、それでもまだ苦手意識は変わらない。ケメトやヴァルの前では気丈に振る舞えても、恐怖心は完全に拭えるわけではない。
…でも、ケメトが平気なのに私だけなんて格好悪いもの。
距離さえ取れば、返事もできる。買い物程度なら平然としていられる。それでもまだ、目を見て話す事は躊躇われる。
目当ての品が見つからず、無意識にフードをそっと被った。それでも少女らしいシルエットで女性であることは誰でも察せてしまう。フードを押さえながら顔を上げるとやっと、少し先に果物の店が見えた。早く買い物を終わらせようとフードを両手で押さえ、急ぎ足を速め
─ッドン。
突然、人にぶつかった。
フードを被ったまま俯いていたせいで、横切る影に全く気付けなかった。思い切りぶつかり、よろけ、地面に手をついた。怪我は無いが、それよりぶつかってしまったことへの戸惑いの方が大きかった。
セフェクがぶつかった相手はよろけただけで「大丈夫ですか」と声を掛けてきた。同時に差し伸べられた手とその声にセフェクは
言いようのない嫌悪感と恐怖に襲われた。
「………………⁈」
自分でも、何故突然そんな感情が込み上げたのかわからない。今までだって何度も人にぶつかった。相手が自分より大人の男性であることも多い。昔ならば唾を吐き掛けられたり石を投げられ、足蹴にもされた。それでも転べばすぐに立ち上がり、最近ならば「大丈夫、ごめんなさい」の一言くらいは返すこともできた。それなのに、今はどうしても何もでない。
腰が抜けたように地面にへたり込んだまま、差し出されたその手に不思議と血の気が引いた。「どうかしましたか」と聞かれ、顔を上げてしまえば乱れたフードがパサリと背中へ降りた。
茶色い髪の少女の姿が露わになり、血の気の引いた顔が目の前の男を見上げた。どこか見覚えがある気がするその男から、どうしても目を逸らせない。
「どうかしましたか?まさか体調でも…?」
親切にセフェクのことを心配してくれるその男性は、彼女の青白い顔に目を丸くした。
まさか急病人かと疑い、そっとその背に手を添えた。立てますか、と尋ねられ、やっとセフェクは喉から「大丈夫です…」とかすれるような声だけを絞り出す。
男性からの補助から逃れるように手足に力を込めて自分の意思で立ち上がる。服の埃を払う間も惜しんでその場から去ろうとすれば、先に男性が手慣れた手つきでセフェクの服の埃を払った。突然触れられ、また不思議とセフェクの身体は氷のように固まった。
「うっかりよそ見をしてまして…失礼致しました。本当に怪我や体調は?」
セフェクと目を合わせようと同じ顔の高さまで覗き込んでくる男性に、虚ろな目でセフェクは答えた。
それでも見るからに顔色の優れない少女に、どこかで休みますかと市場から離れた場所を男性が勧めるがセフェクは首を横に振る。上等な服を着たその男性は、心配そうに何度もセフェクを覗くが彼女の答えは変わらない。男性がいつまでたっても去らず、自分も足が固まってしまった彼女は震える唇で言葉を紡ぐ。
「大丈夫、です…ごめんなさい、…失礼、致しました…申し訳…ありま…せ、……?」
自分でも、何故そんな言葉が出たのかわからない。
ただ目の前の人物には反射的にそう言わないといけない気がした。男性も突然謝まられたことで戸惑ったように首を捻り、そして目を……丸くした。
「………お前は。」
思わず、といった様子で男性が先程と違う低い声を漏らす。
何度も眺めていた筈のセフェクの顔を今までと全く違う眼差しで見つめ続けた。
まさか、いや…だが、コレはと。一人でぶつぶつと呟きながらも疑うようにセフェクを上から下まで見る。その髪と目の色に男は記憶を辿り、その両手で彼女の両肩を掴
「おい。」
…もうとした寸前、彼よりも更に低い声が二人を断じるように放たれた。
敵意の混じえたその声と、聞き慣れたその声に二人は同時に振り向く。視界に捉えれば、明らかに機嫌が悪そうに男を睨みつけているヴァルと、その腕を掴むケメトが佇んでいた。二人ともフードを被ったままその下の目はじっと男とセフェクに向けられている。
「ウチのガキに何か用か。」
ギロリと睨み、契約により恐喝が許されない彼は必要最低限の言葉で男に圧を掛けた。
のしのしと重々しくセフェクと男へ歩み寄りながら、鋭い目だけは変わらず男を刺し貫くように固定されている。ヴァルの言葉に「ウチの…⁇」と小さく呟く男はヴァルの明らかな凶悪な風貌に堪らず後退った。
セフェクにある程度近づけば、ヴァルより先にケメトが一気に駆け出し、「大丈夫ですか⁈」と固まったままのセフェクの肩に触れた。
ゆらゆらと不機嫌そうに身体を揺らしながら、セフェク達と男の間に入るヴァルが再び「何の用だ」と尋ね、男を睨んだ。男はゴクリと喉を鳴らしながらも、蛇に睨まれた蛙のように動きが止まる。
「…君は、…その子の………親…か?」
「こんなガキがいるように見えるか?」
ヴァルの風貌こそ凶悪だが、彼とセフェク達との歳差は親子と見るには中途半端だった。それでもそんな歳に見られたのかと思い、舌打ちを鳴らしながら睨むヴァルに男は「いや…」と小さく返した。
どうにも歯切れが悪い男に嫌気が差し、ヴァルは一度セフェクとケメトへ振り返る。それに気づいたケメトが「セフェクは大丈夫だそうです!」と返すと、やっとヴァルからの警戒が緩んだ。ハァ…とうんざりとした溜息を吐き、男へと背中を向けた。セフェク、ケメトと二人の名を呼び軽く顔を向ける。
「…行くぞ。」
ヴァルの言葉を合図に、ケメトがセフェクの手を取った。セフェクも反射的に握り返せば、不思議なほど手足が普通に動く。
うん、と返しながらケメトに手を引かれ、男を横切りヴァルの傍へと駆け出した。すると、慌てるように男が「待ってくれ」と声を上げた。市場を行き交う人々が思わず何人も振り返るほどの音量に、顔を顰めながらヴァルも軽く振り返った。
「その子は、君の、…何だ?セフェク、というのは…⁇」
瞬きもせず尋ねてくる男の問いにヴァルは意味も分からず顔を更に顰める。
むしろ男の質問の意図を聞き返したくもなりながら、無視をして去ろうとすればまた同じような問いを大声で喚かれた。今にも騒ぎを聞きつけた衛兵や騎士が駆けてきそうな程の喚きぶりだった。
これ以上目立つ訳にもいかず、ヴァルはフードを指先で引いたまま悪態をついた。本当ならばこの場で男を殴って黙らせたいが、それもできない。仕方なく足を止めて男を睨む。
「…セフェク。知り合いか?」
目の前の男が妙に突っかかることに疑問を抱き、セフェクに声だけで尋ねる。
その後にちらりとだけ目を向ければセフェクはケメトの手を強く握り、ヴァルの背中に少し身体を隠しながら口を開いた。
「…知らない。」
その一言だけで首を振るセフェクを確認し、男を見た。
彼女の言葉に驚いたように目を丸くする男に、どうやら一方的な知り合いか、他人違いかと見当付ける。また背中を向けようとしたが、喚かれるのも面倒だと思い仕方なく口を開く。
「人違いだ。セフェクはコイツの名だ、テメェとは関係ねぇ。」
これで満足か、と続けながら今度はヴァルからセフェクの手を掴む。
ケメトと繋ぐ方と反対の手でヴァルの手に触れたセフェクはぎゅっと力を込めて握り返した。だが、それでも男は食い下がる。最初の問いには答えていないぞと叫び、更には誘拐犯がとまで難癖をつけられる。本当に衛兵を呼びそうなその勢いにヴァルが本気で男をどう黙らせるべきかと考える。
目立つのも困るが、衛兵を呼ばれて難癖をつけられれば本当に自分が二人の誘拐犯にされても仕方ない。むしろ風貌の異色を除いても、人相の悪さからそう見られることは今までも何度かあった。そう考えている内も、男の喚きは止まらない。いっそ人前覚悟で能力を使って逃亡するかとも考える。
「私はバスタード家の者だ!事と次第によってはお前達を捕らえることもできる‼︎嫌ならば答えてみろ!お前はその子をどうやって…」
「家族です‼︎」
男の言葉を遮るように、ケメトのまだ高い少年らしい声が響いた。
少し男に警戒をしながら、顔を真っ直ぐに向けたケメトが言い切る。あまりのはっきりとした断言に男が言葉を止めると、続けるようにケメトが口を開き、笑って見せた。
「セフェクは僕の姉で、ヴァルは僕らの家族です!だから、おじさんとは関係ないですよ。僕もおじさんのことは全然知りませんから。」
行きましょう、とケメトがセフェクとヴァルを引っ張るように前に進んだ。
ケメトと手を繋いだセフェクが次に歩き出し、そして引かれるようにヴァルが歩き出す。再び男に背中を向けたが、今度は何の言葉も返ってこなかった。
引っかかるようにヴァルが小さく振り返れば、男は未だ棒立ちのままこちらを見つめていた。次にセフェクを見れば、もう男には興味がないように自分を力強く引き続けるケメトを口をぽかんと開けたまま見つめていた。ヴァル自身、ケメトが身近な人間以外にそこまではっきりと正面から言葉を放つのを初めて見た。
ヴァルとセフェクの視線に気づいたように、ケメトは二人の方に振り向くと照れたように笑った。
「…僕、いまちゃんとヴァルみたいに格好良くセフェクを守れましたか?」
自然と足が緩み、二人を引く体勢からいつものように背後に下がるケメトにヴァルとセフェクは同時に瞬きをした。
「……ありがとう。」
セフェクは返事と共に強くケメトの手を握り返した。
すでに人混みに紛れ、男の姿は見えなくなっていた。それを確認したヴァルはセフェクから一度手を離し、手近な店で林檎を二つ買い取った。そのまま、何も言わずに二人へと手渡す。
ケメトが嬉しそうに「ありがとうございます!」と声を上げると、ヴァルは手渡したその手をそのまま二人の頭に置いた。
ケメトと並んで林檎を囓った瞬間、やっとセフェクは自分が空腹だったことを思い出す。甘い果汁に喉も潤しながら短く礼を言うと、ヴァルは背中を向けて再び歩き出して。その背にぴったりとケメトと二人で続きながら、セフェクは暫く何も言わずに林檎を囓り続けた。行き先はわからない、ヴァルが決めたのかどうかすら知らない。
ただ今は、行き先などはどうでも良くなった。




