そして騎士団長も悩む。
「…クラーク。やはり今夜は……。」
見慣れた馴染みの酒場。
深夜になり、友に引き摺られてきた騎士団長のロデリックはジョッキを握りながらも重々しく口を開いた。いつもなら一息に飲み切れる量だが、今は安易に飲もうとすら思えない。
「今更何を言っているんだ、ロデリック。」
自分の分に酒を注ぎ、瓶をカウンターに置いた副団長のクラークは、そのままロデリックの背中を強く叩いた。バンッ、と叩いた拍子に並々と注いだジョッキが溢れてカウンターに多めに零れた。
「お前がいつまでもそうしているからだ。私に言えないぐらいならば良いが、他の騎士達にまで気取られるのは頂けないぞ?」
取り敢えず飲め飲め、と更に肩を叩けば仕方がなくロデリックはジョッキを仰いだ。グビグビと喉を鳴らし、一度で空にしてからジョッキをカウンターに叩きつけた。だが、すぐクラークにより再び並々と酒が注がれる。
「どうしたんだ、友よ。非番から帰ってきてずっとその調子じゃないか。…クラリッサさんに何かあったのか?」
隣に座り、自分も酒を仰ぎながら覗き込む。
ロデリックが今朝から様子がおかしいのは、騎士達と同じようにクラークも当然ながら気付いていた。更には今朝からアーサーの様子までがおかしい。だからこそ、こうしてロデリックを半ば強制的に酒場に連れてきていた。ロデリックの妻であるクラリッサの名前を出せば、余計にロデリックの顔は曇った。まさか本当に、とクラークが身を乗り出せばロデリックは無言で首を横に振った。
「いや、クラリッサも親類も全くの健在だ。…店も、問題はない。」
そう言いながら再びジョッキを空にし、今度は自らの意思で酒を注いだ。
なら良いんだが…と返しながら、クラークも酒を二口飲みこんだ。ロデリックがこの酒場で、更に自分に対しても詳しく言おうとしないということは〝そういうこと〟なのだから。最後に軽い調子で「じゃあ、夫婦喧嘩でもしたか」と言ってみれば、ロデリックはわかりやすくカウンターに額を打ち付けた。
ゴン、と低い音が響き、クラークが今度は驚いた様子で「なんだ、本当にそうなのか⁈」と声をあげた。
「いや、……私が一方的に叱られただけだ…。」
低いロデリックの声に、クラークが少し察したように笑った。それでか、と言いながら慰めるようにロデリックの肩に腕を回し、軽く叩く。「クラリッサさん、怒ると怖いからなぁ」と言いながら取り敢えず飲め、と酒瓶を数本ロデリックの前へと並べた。
クラークに一言で返しながら、半ばヤケのようにロデリックはジョッキを何度も注いでは空にしていった。
「また隠し事でもバレたのか?」
明るく酒を飲みながら言うクラークに、ロデリックは「そんなところだ」と苦々しく答えた。そうかそうかと笑いながらクラークもまた酒を仰ぐ。出された干し肉を噛みながら、頭を重そうにするロデリックを暫くは眺めることにする。
親友であるクラークへ正直に話せないことを歯痒く思いながら、ロデリックは言葉と共に苦々しく酒を飲み込んだ。こんなに苦々しく酒を飲むのも久々だと思いながら、長く深い溜息を吐き出した。
…嘘では、ない。
実際ロデリックは家に帰ってすぐ、妻であるクラリッサに詰め寄られていた。
ロデリックも最初は何かあったのかと驚いたが、クラリッサがその手に掴んでいたものに今度こそ心臓が止められた。…王族の紋章が入った、その封筒に。
ロデリックが家で不在中、届けられた書状や封筒を自分の代わりに妻が確認することは大して珍しくもなかった。もしそれが訃報や急を急ぐ内容ならば、騎士団演習場に伝えに来ることはクラリッサの役目でもある。
そしてそれが、今回は裏目に出た。
二日前に城の衛兵から届けられた書状。騎士団長である夫宛に城から届くのもそこまで珍しくはなかった。更に今回はロデリック宛ではなく、ベレスフォード家への書状。クラリッサは躊躇いなく開き、…絶句した。
書状には自分の息子であるアーサーが第一王女の婚約者候補であること。
更にはそれを外部には決して漏らさないようにと念押しする旨が記されていたのだから。
仕方なく、ロデリックは事の次第を全て妻にあきらかにした。
プライドの誕生祭から数日後。
カラムの件で女王に呼び出しを受けたロデリックは、そこで自分の部下であるカラムがプライドの婚約者候補であることに確信を得ただけではなかった。
女王と摂政の口から告げられたのは、自分の息子であるアーサーがプライドの婚約者候補として選ばれたという信じられない事実だった。
騎士団長として、部下二人が婚約者候補であるということだけでも歴代希を見る事態だというのに、更にはその一人は自身の息子だ。
あまりの事態に、謁見後も暫くは許容量が間に合わず騎士団演習場に帰った後も足元がフラついた。一体何が、どうなっているのか、何故そうなったのかと考えても答えには辿り着かなかった。
クラリッサもそれをロデリックが話してすぐに彼と同じ疑問を繰り返したが、当然ながらロデリックもプライド様の御意志だとしか答えられなかった。
騎士団長としてそれなりの地位や勲章を持っているロデリックだが、彼も妻も産まれは庶民だ。更にはアーサーは王配としてどころか、下級貴族ほどの教養すら身に付けていない。そんな彼がよりによってこの国の次期女王の伴侶候補として選ばれた。
女王と摂政には、もともと候補者として含まれた経緯も説明は受けた。更には王配が〝どのような人物でも〟支える体制が築かれているとも告げられた。それに、あくまで候補。三人の中から本当にアーサーが選ばれるかは別だ。だが、その三名に選ばれたというだけで、フリージア王国の民としてはどれ程の栄誉か。
上級貴族や他の王族すら得られなかった栄誉を、何故庶民の血しか流れていない自分達の息子がと。驚きや喜びを遥かに超えて、疑問しか残らなかった。
話を最後まで聞いたクラリッサは「アーサーは知っているの?」と尋ねたが、ロデリックは当然首を横に振った。
言えるわけがない。女王直々に通達を受けたロデリックすら、未だに戸惑いを隠せず頭の整理もつかないというのに。それをプライドの近衛騎士として毎日顔を合わせているアーサーに伝えれば、自分以上に戸惑うことになるのは目に見えていた。更に、同じ婚約者候補はアーサーが尊敬し慕っているカラム。アーサーが狼狽する要素しかない。
プライドが一体どういうつもりなのかは、ロデリックにもクラリッサにも想像がつかなかった。たとえ、本命の婚約者候補が居たとしても、残りの一人をアーサーにする理由が見つからない。カラムは伯爵家の一人だが、自分達は家柄すら基準に達していない筈なのだから。
『……アーサーとプライド様は本当に、本当に近衛騎士と第一王女というだけなのよね…?』
暫く頭を整理する為に沈黙を続けていたクラリッサが、絞り出すようにロデリックへ尋ねた。
何かやましい事は無いのか、という意味ではロデリックは間違いなくそれだけだとクラリッサに答えた。…が。実際はそれだけでの関係ではなく、第一王子であるステイルとは友人関係であり、更には張本人であるプライドととも七年ほど前から顔見知りでもある。
クラリッサはアーサーがプライドを王女として慕っていることは知っているが、その本当のきっかけは知らない。…それを説明すれば、芋づる式に七年前の崖崩落事件から説明をしなければならなくなるのだから。
夫婦の話し合いは丸一日掛かり、クラリッサは小料理屋も閉め続けた。
最終的にはロデリックから誰にも決して話さないように、アーサーにも話さないように、気付かれないようにという頼みも聞き入れてはくれた。届いた書状もロデリックが受け取り、家にも証拠はなくなった。
ロデリックが再び騎士団演習場に戻る頃には、クラリッサも少し気持ちの整理がついたのか「アーサーは貴方と同じでそういうのに絶対疎いと思ったのに…」と呟いていた。
若干熱っぽく頬を染めていた妻の姿に、まさか考え過ぎて知恵熱を出したのではないかとロデリックは心配にもなったが、最後には「大丈夫だから」と背中を押し出されてしまった。
二人で相談し、アーサーには暫く家に帰らないようにとも伝えた。あと数日もすればクラリッサは気持ちも完全に切り替えられる。…逆に言えば〝あの〟クラリッサさえ数日は必要だということにロデリックは改めてことの大きさを認識させられた。
…クラリッサが、あそこまで頭を悩ますなど何年ぶりか。
ハァ、と溜息をついたロデリックは無意識にジョッキへ酒を注ぎ続けている自分の右手を見た。
クラークが並べてくれていた酒瓶が既に何本か空になっている。知らないうちに大分飲んだのかと、そこでやっと理解した。
「そんなに怒らせたのか、ロデリック。ちゃんと謝ったのか?」
「………謝った。が、…それで済む話でもない。」
今までのように心配をかけて泣かれなかっただけまだマシか。
それでも知恵熱を覚えるほどに頬を染めていた妻の姿を思い出すと、隠していたことにも若干罪悪感を覚えた。だが、だからこそこんな大きすぎる事態を妻に抱えさせたくもなかった。王族からの求婚を自分達の身分で断るなどできるわけがない。
ロデリック自身、もしアーサーがこれを知り、万が一にも最後の一人に選ばれた場合にどういう反応をするのか想像もつかなかった。
喜ぶか、畏れ多いと拒むかそれすらも。ただ、確実に狼狽えることだけは確信できた。アーサーがプライドを慕っていることぐらいは、ロデリックも理解できている。だが、婚約…婚姻となればまたそれは別の感情だ。正直、ロデリックはそこまでの機微を汲み取ることに長けてはいない上、自身もそれを自覚している。
……こういうのは私より、クラークの方が向いている。
ちらり、と更に新しい酒瓶を用意しながらクラークへ目を向ける。「ならば誠心誠意を見せるしかないな」と笑いながらジョッキを傾けるクラークは、まだたった二杯目だ。
彼ならばこの話をすればもっと参考になる意見をくれただろうが、家族同然とはいえ単なる友人であるクラークに話せるわけがない。
妻には隠し通したかったが、同時に悩みを共有してくれる存在ができたことを安堵してしまっている自分もいた。
…それにアーサーの、……気持ちは…。
そこまで考えて、とうとう意識が薄れてきた。
考え過ぎている間に大分飲んでしまったらしいとそこで自覚した。今度は本当に酔いで頭をカウンターに沈めたロデリックにクラークは「とうとう潰れたか」と呟きくっくっ、と笑った。
悩んでいる時と落ち込んでる時は潰れるまで酔わせた方が早い、と知っているクラークは完全に目を閉じてしまったロデリックを静かに眺めた。
ロデリックが唯一酔った姿を見せる相手であるクラークだからこそ知ってる扱い方だ。そのまま二杯目のジョッキを一気に空にしながら友人の背を叩く。
「…お前も、私も、…歳をとったな。」
昔はもう少し飲めただろうと、独り言のように呟きながらクラークは笑う。
酒で顔が火照ったままの友人をこのままもう騎士団演習場に回収するかとも考えたが、あまりにも疲弊しきったその寝顔にもう少しだけ寝かせてやるかと思い直した。
大柄な身体の彼の団服を、慣れた手つきで一度脱がし、そのまま潰れたロデリックの上に羽織らせた。
熟睡した友人を横目に、自分ももう一杯飲むかそれとも弱めの酒でのんびり繋ぐかと考えた時。突然パサリ、と紙らしき音が耳に届き、視線を床に落とした。
「……?」
何かと目を凝らせば便箋だった。
床に落ちた拍子に、封筒からバラリとこぼれてしまっている。封筒も宛名が上の状態で差出人もわからないが、高級感のある封筒と便箋にそれなりの身分のものだなとは察しがついた。
自分に見覚えのないそれに、ロデリックの団服からこぼれたものだろうと理解する。宛名を見ないようにと丁重に封筒を手に取り、次に便箋を拾う。二つ折りにされたそれを、他の便箋は落ちていないかと確認しながら手に取った。そして折り目のままに畳み、埃を払った、…その時。
「……………なに?」
思わず、一人声が漏れた。
気づいた瞬間、自分の目敏さを呪った。
見えてしまったからだ、便箋の裏面からうっすらと。
〝婚約者候補〟〝アーサー〟というその文字を。
一度見なかったことにするように目を瞑り、そっと今度こそ便箋を封筒にしまう。せめて差出人だけは決して見ないように細心の注意を払いながら、手紙を元の場所であろうロデリックの団服の内ポケットに仕舞い込んだ。
「………………………………友よ…。」
同情の意を込めて、クラークは眠るロデリックの背に手を置いた。
カラムの特別休暇の件で女王に呼び出された日から今日の様子まで、ロデリックがここまで疲労した理由、その全てに合点がいった。つまりはそういうことか、と心の中で呟いた。
…恐らく、アーサーはこのことを知らないのだろう。そしてロデリックの話から察するに、クラリッサさんもつい最近それを知ってしまったと。
「…そして、私も知るわけにはいかないな。」
相談にでも乗ってやれれば良いが、残念ながらそれはできない。本来ならば自分が知ってはいけない情報なのだから。
ポン、ポン…と優しくロデリックの背を叩きながら、疲労しきったその顔を改めて眺める。自分の息子がまさかの王配候補、しかも相手は自分達にとっても大恩人であるプライド。そして何よりも
「お前はそういうのに疎いからなぁ…ロデリック。」
しょうがない、と思いながらクラークは頬杖をつく。
恐らく彼からすれば本当に突然過ぎることだったのだろうと、そこまでも理解する。
クラークにとっては「流石プライド様だ」と大笑いしてしまいたい。寧ろアーサーのことを考えれば、心の底から喜んでやりたい気持ちでいっぱいだった。
だが、いま一人悩んでいる親友の横でそうするわけにもいかず、代わりにジョッキへ三杯目の酒を注ぐ。
「アーサーと、カラムか。もう一人は、……まぁ…順当に行けば。」
口の中だけで呟きながらクラークはぼんやりと一人の青年の姿を思い出し、思考を止めた。騎士である自分がこれ以上深追いすべきでないと思い直す。
ジョッキの中身を一気に仰ぎ、中身を空にした後にそっとカウンターへ置く。
「………さぁ、帰るぞロデリック。」
二人分の料金をカウンターに置き、ロデリックの団服をしっかりと着込ませてから肩を貸す。大分泥酔した様子のロデリックがまた譫言を漏らしたが、聞こえないふりをして連れて行く。
「本当に…歳を取ったなぁ、…私もお前も。」
…自分の息子の婚約で、頭を悩ませることになるほどに。
そんなことを思いながら、クラークはロデリックを連れ、フラフラと酒場を後にした。
ロデリックが数ヶ月前に、アーサーをこの酒場に連れて来たことも、更には共にどのような未来を描き、どんな話をしたのかもクラークは予想がついている。だからこそ余計に、今の状況はロデリックにとって複雑なものだろうと理解する。
「どちらも喜ばしいことだ。………そして、どちらも哀しいな…。」
足は動かしてはいるが意識が未だにまばらな友へと笑う。息遣い程度の小さな声でクラークはそのまま天を仰いだ。
騎士団演習場へ歩きながら、長く息を吐く。
「まぁ、…安心しろ。」
今度は少し大きな声で呟いた。独り言ぐらいの声まで上がり、友と肩を並べながら一人空へと口を開ける。
ロデリックが聞こえていないこともわかった上で、むしろその方が良いと思いながら。
「その時は、私が一緒に泣いてやる。」
…たとえ〝どちらが〟泣くことになろうとも。
一人、誰も知らない約束を胸にクラークは潰れた友と共に歩き出す。
空を仰ぎ、ぽっかり空いた月を眺めながら。
…見果てぬ未来に、少しだけ胸を痛めて。




