389.摂政は思い巡らす。
「お疲れ様です、ヴェスト摂政殿。」
誕生祭が終わりに向かい、女王であるローザの挨拶が行われる数分前。
自身の役目が一区切りつき、来賓からの挨拶を終えたローザ、アルバートから数歩離れたところだった。
労うように新しいグラスを差し出してくるその手に、ヴェストは受け取るべく自身の手を伸ばす。
「…ああ、お前も御苦労だったジルベール。」
受け取ったグラスを胸の上に掲げるヴェストは、笑みこそしないがしっかりと目を合わせてジルベールからの労いに応えた。
宰相である彼も多くの来賓へ足を伸ばして挨拶に回っていた為、優雅な笑みや動作に反して当日の労働量はヴェストよりも遥かに多い。
「カラム爵子、…カラム殿のことは私も些か驚きました。〝早くボルドー卿が御快復すると良いのですが〟」
優雅なその笑みに、ヴェストは微かに眉間の皺を深くして目を閉じた。
察しの良いジルベールが、他の来賓が勘付いていることを気づいていない訳がない。その沈黙が何よりの返答となるかのようにジルベールは笑みをそのまま言葉を続ける。
「勿論、私に真偽を確かめる権限などございません。ですが、カラム殿はいずれにせよプライド様にとって大事な近衛騎士殿。私も私にできることを精一杯考じさせて頂きたいと思っております。」
探りを入れている訳では決して。と両手の平を見せて続けるジルベールにヴェストは静かに息を吐く。「くれぐれもアルバートに迷惑は掛けぬように」と短く返すヴェストに、勿論ですとも。と優雅な笑みで応えた。
「…お前の敵にはなりたくないものだ。」
「私も同じです。」
険しい顔のままのヴェストに反し、常に優雅な笑みを浮かべるジルベールの姿は正に対照的だった。すると続けるようにジルベールはそっと身をヴェストと触れるほど添いながら囁き掛ける。
「ですので。…一つだけ確認させて頂きたいことが。今から私が上げる方々はプライド様とティアラ様の婚約者候補〝ではない〟ということを。」
殆ど口元すら動かさず囁くジルベールに、ヴェストは溜息で返した。目線を横に並ぶジルベールではなく、大広間に集う来賓一人一人に配りながら。
周りの来賓からはジルベールが話している言葉どころか、目を向けてもただ二人が横並びになっているようにしか見えないだろう。
そして告げ終えたジルベールにヴェストは二度目の溜息を吐き「ジルベール…」と目を向けた。
「お前の事だ、そこまで言うということは察しが付いているのだろう。」
「御安心を。たとえ何があろうとも流出するつもりはありませんので。」
むしろ、その逆です。と告げるジルベールは大袈裟に身体全体を使って礼をして見せた。薄水色の髪が揺れ、切れ長な目がヴェストを覗く。
「王配殿下にはご相談済みですが。…陛下の片腕たる貴方様からも御許可を賜りたいのです。」
何をだ、と聞かずともヴェストは理解していた。
今回のボルドー卿によるあからさまな婚約者候補としての台頭。そしてそれをボルドー卿は良しとしていたが、騎士であるカラム自身は望んでいない。
…当然だろう、彼は単なる貴族ではなく危険を冒す職務でもある騎士。護衛される側ではなく護衛する側の人間だ。
普通の貴族相手よりも暗殺なども企てやすい。
更にはカラムの周囲の者も騎士。称号は持ち得ても、家としては王族は勿論、貴族より身分の低い者が殆ど。貴族や他の王族に強く問われれば、上手く躱すことも難しいとヴェストは思う。
公表は本人や家の自己責任として任せてはいるものの、万が一にもそれが婚約者候補本人やカラムのように職務にまで支障を来たせれば新しく制定した婚約者候補制度にすら支障が生じる。そして何より、プライドの二度目の婚約者選びはこれ以上間違うことも波風を立たせることも許されない。
だからこそ、秘密裏に王族は次期王配候補でもあるプライドの婚約者候補を援助する必要がある。……少々小賢しい手を使っても。
それをジルベールも理解し、口端を僅かに引き上げた。切れ長な瞳を妖しく光らせながら言い放つ。
「情報操作ならばお任せ下さい。」
まるで既に前科があるような、絶対的自信を持ったその笑みにヴェストの背筋が僅かに冷えた。
無言で目を見開き、ジルベールを見返すヴェストは数拍置いてから腕を組む。
「お前の責任者はアルバートだ。私から言う事は、…ない。」
「ありがとうございます。」
今日中に王配殿下にもお伺いを立てます、と笑むジルベールは再び頭を下げた。
そこまでしてからふと、言い知れない視線を感じて振り向けばローザの隣に佇むアルバートがギロリと厳しい眼差しをジルベールに向けていた。それを確認し、困り笑顔になるジルベールは「では、失礼致しました」とアルバートに自身を強制回収される前にと身を引いた。
その数分後、とうとうローザによる閉幕の言葉でステイルの誕生祭は無事終わりを遂げた。
様々な思惑が交錯しながらも、無事甥の誕生祭を終えられたことにヴェストは一人静かに胸を撫で下ろした。
─ そして、同時に
……
カン、カン、カン。
誕生祭も終え、女王や王配への最後の報告も終えたヴェストは先ず最初に自身の執務室へと足を運んだ。
─ ヴェストは、今回の件で改めて思う。
扉を閉じ、施錠する。
部屋を見回し、自身が部屋を出る前から何も変化が無いことを確認してから、或る一箇所へ足を運ぶ。
─ 〝次〟までには必ず、何かしらの対策が必要だと。
ジルベールの提言を黙認したのもその一つ。
先ほども女王であるローザと王配であるアルバートに自分からも報告を行った。ジルベールが何をするつもりなのか、そしてある程度の察しもついていることも。
─ ラジヤ帝国にまで、婚約者候補の正体が気取られるその前に。
手を伸ばす。
部屋のとある一箇所に手を掛け、引く。
ヴェストの部屋を頻繁に出入りするステイルやジルベールすら知り得ない、隠し場所の一つに。
─ 今回のように大きな騒ぎになれば、ラジヤ帝国が手を打ちかねない。
ローザとアルバートにも許可を得て、急ぎ婚約者候補の家に〝婚約者が確定するまでは、婚約者候補であることを外部には秘匿せよ〟と改めて釘を刺す旨を内密に書状で送ることにした。
こうしてたった一人婚約者候補が露わになっただけでも来賓は強く波打った。
貴族や王族であれば、護衛を付けるなど自身を守る為の対処もできる。今回のボルドー卿のように家の名を広めたがる者も多くいるとは予想していたが、…やはり早急に改めねばならないとヴェストも、そしてローザとアルバートも判断した。
─ 特に、今回は。
書類を手に取り、今回の招待客リスト等も含めたそれを一度纏めて机に広げる。
ラジヤ帝国の皇帝と皇太子もその内に含まれている。もし、今回彼らが出席していれば…カラムの身の危険すらもっと深刻に考えなければならなかった。いや、今回のことで噂が立ってしまった時点でもう講じる必要が出てきた。
─ プライドやティアラを狙う、ラジヤ帝国の存在。
その意思表示の為。プライドの誕生祭で、同盟国ではないためにラジヤ帝国が呼ばれなかった状態だったからこそ「この場に婚約者候補が六名居る」と断じたのだから。ラジヤ帝国は候補者には含まれないと、暗に宣言する為に。
─ そして、狙われる標的となり得る婚約者候補。中でもプライドの〝候補者〟は…少々異色だった。
書類の中の一枚を摘み上げ、一番上に載せた。
当時、プライドとティアラに渡した婚約者候補を並べたリストだ。それぞれのリストには一枚につき三箇所だけ印が付けられている。ヴェストはプライドの方のリストを広げ、婚約者候補の詳細を改めて自分の目で確認した。
プライドとティアラの婚約者候補はローザとアルバート、そしてヴェストが選出した。その中でプライドが選んだ人物は。
─ カラム・ボルドー
伯爵家の次男。家族構成は父、母、兄が一人。ボルドー家は長男が継承する。
特殊能力〈怪力〉を持ち、最年少の十四で騎士団に入団。更に新兵から僅か二年で騎士団本隊に首席入隊。当時三番隊騎士隊長、副隊長が同時に欠けたことにより当時最年少の二十で騎士隊長に就任。功績を重ね、以降は毎年最優秀騎士に選出される。
第一王女プライド・ロイヤル・アイビーの近衛騎士。
─ ステイル・ロイヤル・アイビー
フリージア王国の第一王子。家族構成は父、母、姉が一人、妹が一人。(元の家に親族は母一人のみ)
出生は庶民だが優秀な特殊能力〈瞬間移動〉を持ち、齢七で王族に養子となる。
次期摂政として勉学に励み、優秀な頭脳で頭角を現す。現時点で王配業務にも手を伸ばし、更なる飛躍を見せる。
第一王女プライド・ロイヤル・アイビーの義弟にして補佐。
─ アーサー・ベレスフォード
フリージア王国騎士団の八番隊騎士隊長。
家族構成は父、母のみ。
父親は同じく騎士団の騎士団長だが、共に出生は庶民。
特殊能力〈植物の成長補助〉を持ち、最年少の十四で騎士団に入団、更に新兵から僅か一年で騎士団本隊に首席入隊。齢十九で八番隊副隊長、更にたった一か月程で騎士隊長に就任。カラム・ボルドーの最年少騎士隊長記録を更新する。
第一王女プライド・ロイヤル・アイビーの近衛騎士。
庶民の出だが、次期摂政である第一王子のステイル・ロイヤル・アイビーと齢十三の時から密接な友人関係にある。知識、教養面での不安はあるが現時点で王配業務の習得を得るであろうステイルからの補佐により可能と考え、特別にプライド・ロイヤル・アイビーの婚約者候補リストに加える。
…カラム・ボルドー以外は親類もしくは元の親類は、庶民。
知られれば、容易に狙うこともできる身分の家。
過去にも公表前に婚約者の正体が漏れ、その結果、下流貴族の家に上流貴族や他国の王族が圧力を掛けたり、親類の立場やその身と引き換えにと脅迫や未遂を起こしたという事例もある。
ステイルに関してはローザとアルバートから摂政付きとしてステイルを預かっているヴェストが、本人には伝えないことを決めた。
プライドから伝わってしまえばその時は仕方がないが少なくともそれまでか、もしくはプライドがたった一人に絞るまでは伝えるべきではないと判断した。
せっかく順調に摂政業務と並行して王配業務を学んでいる彼が、それを知れば確実に動揺してその後の学びにも支障を来すことは目に見えていた。
…まぁ、少なくとも嫌がりはしないだろうが。
心の底でそう確信しながら、ヴェストは改めて書類を元の場所へと仕舞う。
もともと、リストにステイルとアーサーの名前を入れたのはヴェストだった。今度こそ間違わない為にも単に政治的要素や身分だけでなく、プライド自身が望み、そして心から望まれるような人選を含ませた結果だった。そして、見事的中した。
『…これだけは、確認させて下さい。この、婚約者候補は────…』
プライドがこの三人を選んだ時、最後にローザへ何故あんな確認をしたのかは知らない。だが何にせよ、ステイルのアレがなければ到底無理な話だったと、ヴェストは思う。
静かに息を吐き、数秒間黙祷するように目を瞑る。
ステイルが王配業務に携わり、滞りなく摂政業務と並行させているからこそ可能な人選でもあった。
ローザやアルバートには思い切った人選とも言われたが、それでも説得すれば二人とも納得してくれた。プライドの望む人選になるならばとも思い、それに何よりも
一番辛い想いをするであろう、ヴェスト自身が。…その内の一人に、ステイルを推したのだから。
…大事なのは、あくまで国と民。そしてプライドの間違いない婚約だ。
自分にとって一番辛い結果となる結果となっても、その時は仕方ない。
その上でプライドが、そして甥であるステイルがそれを望んだ時は摂政である自分が躊躇うことなど何もない。むしろ養子として王族になったステイルが王配となり、更には望まれて隣に立てるのならば叔父として幸いなことでしかないと。
「……私の身も、まだまだ健在だ。…問題など無い。」
妻も娘も息子も、とっくに手がかからなくなった。そして自分もまだ摂政として、短くてとも十年は働けると自負をしている。
…だから、問題ない。全てはプライドが選ぶべきことなのだから。
私のことなど考える必要はない。
幸い宰相であるジルベールには老いの心配もない。問題なのは摂政である己のみ。
摂政として生き、そして自ら過去を捨て去った己のなすべきことはただ一つ。…この身が朽ちるその時まで、己が天命を全うするのみ。
「…甥の為に叔父が振り回されるなど、よくあることだ。」
自分の執務室を眺めながら、彼にしては珍しい笑みが零れる。
もともと自分だけの部屋だったそこに、今はステイルの痕跡がところどころ残っていた。この三年近く、毎日ステイルが熱心に自分へ付いて学び続けた結果だ。
自分の後を継ぐ為に。
フリージア王国の摂政となる為に。
その為にヴェストもまた自分の持てる全てを惜しげもなくステイルに注いできた。…そして、もしプライドが彼を選べばそれが水泡に帰すこともヴェストは覚悟の上だった。その時、今現在の自分の労苦も全てが殆ど無意味なものとなることを。
「…もう十七なんだ、自分の意志で選べば良い。」
成人となったステイルが、過去のヴェスト自身が考えもしなかった選択を、未来を選ぶのも悪くはないと、そう…思う。
だからこそ、いま自分が考えるべきは婚約者候補とその親類の身の安全。
その為にも婚約者候補の正体は隠し通さなければならない。
「その為にも、体調管理も仕事の内…だな。」
自分に何かあればステイルの選択肢も、プライドの選択肢も減ってしまう。ヴェストの後任はステイルのみ。万が一にも自分が倒れて、勉強不足のステイルに摂政業務を担わせてしまうことになれば死んでも死に切れない。
ヴェストは部屋を見回し、戸締りから物の配置まで自分の目で確認した後、灯りを消した。
ゆっくりと扉に手を掛け、衛兵に挨拶をしてから部屋を出た。
…誰を選んでも良い。
カラム・ボルドーでも、アーサー・ベレスフォードでも、そしてステイルでも。
たとえステイルになったとしても自分が痛む分、……甥が幸せになるならば構わない。
プライドが三人の内からたった一人を決める時が来る、その日の為に。そして
…………その先の、為にもと。
…まだ私は、老い果てる訳にはいかないのだから。