373.貿易王子は尋ねる。
…なるほど。
大広間が沸き上がる中、僕は一人静かに思案する。
フリージア王国の婚約者選定方法。今までと異なり、だいぶ王女に配慮されたものになったなと思う。これなら僕とプライドの時のような間違いが起こっても婚約解消には至らず、他の候補者に改められる。更には三名いれば、一人が駄目でも残りの二人がいるから問題なく婚約者確定には間に合う。…にしても。
「思い切ったな…。」
誰にも聞かれないように口の中だけで呟きながら、僕は思う。
プライドだけでなく、ティアラまでもがもう婚約者候補を確定させてしまった。勿論、期間内ならば何かあれば変更もできるのだろうけれど、それでも確定させたのは、きっと二人が王女としてここにいる来賓に示しをつける為なのだろう。…これ以上、婚約までの時期を延ばす訳にはいかないと。
…僕のせいでプライドが婚約時期を逃した、その王族としての傷を埋める為に。
「……。」
改めて考えて胸が痛んだ。
僕のせいでプライドだけでなく、妹のティアラまでもがと。…その事実に。
だが、それで感傷に浸れば許されるという訳でもない。誰もがフリージア王国の女王からの宣言に騒然とする中、いま僕ができることといえば。
一度だけ深呼吸をして、気持ちと息を整える。女王の話が終わり、再び語らいの時を許された大広間で僕は彼に目を向け、茫然とした状態のその耳元にそっと語りかける。
「貴方は、一体誰だと思いますか?…セドリック王弟殿下。」
「っ⁈…、…レオン第一王子、殿下。」
僕の囁きにビクリと肩を揺らした彼は勢いよく振り返り、丸くした目で見返してきた。
何やら顔色が芳しくない彼はゴクッと一度喉を鳴らすと、ゆっくりと呼吸を整えた。同時に顔色にも若干血色が戻っていく。
「プライド第一王女と、…ティアラ第二王女の婚約候補者について、でしょうか。」
少し戸惑い気味に僕に返す彼は、泳ぎそうな視線を必死に僕へとどめながら一度口を結んだ。
更に再び開かれれば「私には、…全く見当がつきません」と言葉を返された。少し暗く沈んだ声に、少なくとも今の彼はそこまで傲るような人間ではないらしいと理解する。…そして、僕は敢えて少し引っ掛ける。
「…プライドと〝懇意に〟はなれなかったのかい?」
ンッ、とセドリック王子が突然喉を詰まらせた。
次の瞬間にはゴホゴホと咳込み、顔を塗ったように真っ赤にしてしまった。咳が治り、やっと僕に向けてくれた顔が咳き込んだせいか若干涙目になっている。彼は震わした唇で「その、…件なのですが」と話し始めた。
その件、ということは彼もどうやら自分の発言を覚えてはいるらしい。
『特にプライド第一王女殿下と懇意になりたいと私は望んでおります』
当時、彼が僕に十一日後にフリージア王国へ訪問するという言付けを託した時の言葉だ。
知らないとはいえ、元婚約者の僕に対してなかなか挑戦的な台詞だなとは思ったけれど、それよりも第一王子である僕に託けを頼むという行動の方が突飛過ぎてあまり気にはならなかった。
セドリック王子は声を潜めながら、本来ならば場所を変えて正しい謝罪をしたかったのですがと続け、国王の陰や柱に隠れて見えないようにと人目を気にしながら小さく僕に頭を下げた。
「その節は、まことにっ…アネモネ王国の第一王子殿下に対し大変な失礼を致しました…!申し訳ありませんでした…‼︎」
第一王位継承者であるレオン王子殿下に託けを頼むなど…‼︎と心から恥じているようにそう語る彼は、耳まで真っ赤だった。…正直、彼はもう防衛戦の忙しさにその事を忘れてしまっていても当然と思っていたから驚いた。
僕自身、覚えてはいても根に持つほどではない。むしろ根に持つというのならば僕のことよりもプライドの…、…。
そこまで考えて、一度思考を止める。今はそれよりも、過去のことにも関わらず目の前で心から謝罪してくれた彼に僕からも礼を尽くさなければ。
そうしている間にも彼から再び潜ませる声で「実を言いますと、レオン第一王子殿下にお手を煩わせて頂いたにも関わらずプライド第一王女殿下にもその後に多大な御迷惑と不敬をっ…」と既にプライドに謝罪したことも含めて早口で説明をしてくれた。きっと人目を気にしてくれての配慮だろう。今は婚約者候補のことで騒然としているから気づかれないけれど、仮にもハナズオ連合王国の王弟がアネモネ王国に謝罪なんて、噂が立てば互いに火の粉が掛かってしまう。自身の恥というよりも、国王二人と僕への迷惑を考えての潜め声だった。
僕は彼に頭を上げるように願い、もう過去のことだと断る。別にもともと僕が謝って欲しかったわけじゃない。彼がその間違いに気づいて、プライドに二度と危害を加えないのならばそれで良い。顔を上げてくれた後も礼を尽くしてくれる彼に笑みで返しながら、僕は改めて話題を投げかける。
「それよりも、…君は婚約者候補についてはどう思う?」
「…どう、と申されましても。きっと相応しき者が選定されたのでしょう。……とても、羨ましく思います。」
僕からの問いに彼の燃える瞳がどこか憂いを帯びたように陰った。僕から逸らされず真っ直ぐに向けられたのが不思議なくらいだ。
「…君は?第二王子ならばどちらも可能だと思うけれど。自分が候補者に入れたら…もしくは今からでも入りたいとは思わないのかい?」
もし、今の候補者に入っていなくてもまだ可能性はある。検討期間まではやり直しだってきくだろう。…本人の強い希望など、その事情さえ変われば。
恐らくこの場にも自分が候補に入っていようといまいとまだ望みはあると考えている者も少なくない。
僕の囁きに彼は全くそこまで考えが及んでいなかったのか、ポカンとしたようにその頬を紅潮させた。……どうやら、望みは抱いているらしい。
「ない訳ではないようだね」と僕が返すと、彼は少し慌てたように片手で口を覆った。失礼致しました、と慌てて返してくれる彼に笑みを向けながら、僕は一番大事な疑問を直接ぶつけてみる。
「どちらだい?ティアラかな。それともプラ…、……………あれ⁇」
言葉が、思わず途中で止まる。…続けるまでもなかった。僕が「ティアラ」の一言を告げた途端、彼の顔色が明らかに真っ赤に変わってしまった。そのままとうとう目が合わせられないように小さく俯き、口を結んでしまう。
周りに気付かれないように声を潜めたまま、そっと僕は彼に確認をする。
「プライド、ではなく。……ティアラ、なのかい?」
ボンっ、とやはりティアラの名前を出した途端にわかりやすく彼の顔が更に茹だった。
プライドの名前が出た時は少し不思議そうに目を僕に向けてくれた彼が、ティアラの名前を出した途端に、だ。
僕の反応に、気付かれたことを確信した彼はとうとう腕ごと使って口を隠し、僕から背けながらまた謝罪を零した。「どうか、どうか…願わくば御内密に…」と呟く彼が、なんだか可愛らしく思えてしまう。
「大丈夫、誰にも言わないよ。…うん、ティアラも可愛いよね。」
ふふっ、と思わず笑いながらそう言葉を掛ければ見開かれた目で彼は僕を真っ直ぐに見返した。あまりにもはっきりとした反応が楽しくてさらに言葉を重ねてみる。
「僕はまだ二年程度の付き合いだけれど、彼女はとても良い王女だと思う。女性らしくて優しいし、それにとても姉兄想いの王女だ。博識だし、あんな素敵な人が婚約者だったらきっと幸せだろうね。」
ティアラの良いところも僕はたくさん知っている。共感の意味を込めて彼にそれを告げれば、……何故か彼の顔が今度は青くなった。
一体どうしたのだろうか。パクパクと微かに口を開いては閉じる彼に、兄であるランス国王とヨアン国王が異変に気付いた。「どうした、セドリック。そんなに婚約者候補の話がショックだったか」「セドリック。まだ確定したわけじゃないから」と声を掛けては肩や背中に手を置いていた。僕からも声を掛けたけれど、セドリック王子は「いえっ…なんでも、ありません…」と僕の顔を不安げに真っ直ぐ見つめながら返してくれた。
それでも気になり、小さく首を傾げて無言で尋ねると、彼は「お伺いしてもよろしいでしょうか…?」と覇気のない声で尋ねてきた。どうぞと返せば、彼は躊躇いがちにその口を開いた。国王二人も興味深そうに僕達へ耳を傾ける。セドリック王子は「無礼でしたら大変申し訳ありません」と先に謝った上で、僕に尋ねた。
「レオン第一王子殿下は、もし、仮に可能性があるとすればどちらの王女殿下と…?」
「僕は、…〝可能性があるなら〟第二王女のティアラということになるかな。彼女ならアネモネ王国でも素晴らしい王妃になるだろうね。」
僕が再びアネモネ王国王子として婚約することになるとしたら、第一王女で元婚約者のプライドではなく我が国に嫁げる第二王女のティアラということになるだろう。……まぁ、彼女の姉であるプライドと婚約解消した僕には絶対にあり得ない話だろうけれど。
そう思って言えば、何故か余計にセドリック王子の表情が曇った。「そう…ですか」と呟きながら、明らかに狼狽えている。どうしたのだろう、自分の好きな人が周囲から高評価だったら嬉しいものじゃないのだろうか。…今度、またヴァルに聞いてみよう。
大広間の騒めきが少し収まり、プライド達が女王の傍から再び大広間の来賓のもとへと降りてくる。プライドやティアラとの婚約を望む、多くの来賓が彼女達に語りかけるべきかと様子を窺っていた。その中でプライド、ステイル王子、ティアラは再び各来賓への挨拶をと散らばっていった。
婚約者候補は誰なのかという若干の不穏も混ざる中、こうしてプライドの誕生祭は幕を閉じた。




