そして手渡す。
「…っ、…姉君。そろそろ時間も頃合いでしょう…、俺達も部屋に帰らなければ。」
ステイルが眼鏡の縁を押さえながら気を取り直すように話を切ってくれる。
時計を確認すれば、もうそれなりの深夜になってしまっていた。アーサーはこの後騎士団長と家に帰るようだし、確かにそろそろ切り上げた方が賢明だろう。そうね、と言葉を返すとエリック副隊長達が手早く片付けを始めてくれた。
「まずはお前からだ。元いた場所で良いな?」
ステイルが溜め息交じりにゆっくりとその足をヴァル達の方へと動かした。
ヴァルは一言答えると、砂の壁を解いて再び荷袋の中に戻す。砂が蛇のように荷袋の中に入っていく様子はまるで使役した使い魔のようだった。
更にはまだ飲み切っていない未開封の酒瓶をおもむろに数本鷲掴む。そのまま「構わねぇな?」と私に尋ねてくるから、持ってきてくれた騎士団長達に振り返ってみれば無言で一度だけ頷かれた。
私がそれを確認してからヴァルに許可すれば、また少し機嫌良さそうに持ち帰る本数を増やし始めた。…どうやらかなり気に入ったらしい。最終的にはまた荷袋の砂を操って、あるだけ全部を砂の絨毯に載せだした。戻った後もこれは確実に晩酌コースだろう。
そこまで考えて、ふと凄く大事なことを思い出す。「あ」と思わず声を漏らしたまま慌てて「ちょっ、ちょっと待ってステイル!」とヴァル達を瞬間移動させようとするステイルに待ったをかけた。
私の突然の声にすぐ振り返ってくれるステイルと、まだ何かあるのかと言わんばかりに片眉を上げるヴァルを置いて私は急いでバスケットを取りに走った。
すると私よりバスケットの近くにいたティアラが先に取って手渡してくれた。ティアラにお礼を伝え、ヴァル達だけでなく皆に向き直る。
「最後に、私とティアラからお土産をご用意しました。…といっても、ただのクッキーなのですが。」
最後は思わず苦笑いしてしまう。ステイルの似顔絵クッキーみたいな手の込んだデザインじゃない、単純なお花型のクッキーだ。それでも可愛く包装もできて、パッと見は悪くないと思う。
既に私とティアラが作っていたことを知っているカラム隊長とエリック副隊長は、気がついたように笑んでくれたけれど、知らなかった人達は目を丸くしていた。
そんなに勿体ぶるものでもないし、片腕にバスケットを下げたまま最初に帰ろうとするヴァル達に駆け寄った。口の部分を結んだ紐に付けたカードの宛名を確認し、バスケットから一個ずつヴァル、セフェク、ケメトに手渡していく。
セフェクとケメトは嬉しそうに「ありがとうございますっ!」と声を弾ませてくれたけれど、ヴァルは目を皿みたいに丸くしたまま手だけで受け取ってくれた。…残念ながら反応はあまりない。さっきクッキーを食べたかったみたいな反応があったから、てっきり少しは喜んでくれるかなと思ったのだけれど。
やはりクッキー単体よりも自分の物になる筈のものが無しになったことに腹が立ったのだろうか。殆ど無反応なヴァルの代わりに、何故か砂の絨毯が所々崩れて酒瓶がゴトリと落ちた。低空だったから落ちても割れずに転がるだけだったけれど、それに気づいたセフェクとケメトが急いで拾い集めてあげていた。
セフェクが「ちょっと!割れたらどうすんの!」とヴァルに声を上げた途端、ヴァルが視線をクッキーの包みに向けたままに手だけを動かして砂の絨毯の崩れた部分を修正した。
視線を落としたままのヴァルは、二度ほど瞬きをした後に今度は包みの口のカードの部分を摘んで二つ折りのカードを開ッ…‼︎
「ッ開かないで下さい‼︎‼︎」
思わず大声を上げてヴァルを制止する。
私の命令に、ヴァルの指先がピタリと止まった。酒瓶を元どおりに置き終わったセフェクとケメトが驚いたように自分達の包みのカードを見つめた。……危なかった。
「その、…皆さんもお渡しした後もカードはまだ開かないで下さい。どうか私が居なくなってから読んでください。……………恥ずかしいので。」
ギリギリで防げたことにほっと息を吐きながら、自分で言って顔が熱くなる。
別に大したことは書いてない。それでも、自分の前で読まれるのは凄く辛いものがある。仮にも音読なんてされた日には確実に顔から火が出る。
目の前にいるヴァルが顔を怪訝に歪めたけれど、それでもやはり無言で命令通りにカードから一度手を離してくれた。
「また厄介なモンを…。」
…何やら溜息交じりに苦情が聞こえた気がした。
見ればかなりぐったりとした表情でクッキーの包みを手に抱えてくれていた。
確かヴァルは甘いもの大丈夫だった気がしたのだけれど、もしかしてクッキーは苦手だったのだろうか。だったら悪いことをしたなと思い「食べれなかったらセフェクとケメトにあげて下さい」と言ったら、何やら鬱陶しそうに片手でパタパタと払われた。
「ちげぇ」と低い声で応えると、気を取り直すように砂の絨毯に歩み寄って片足で踏みつけた。更にケメトとセフェクがヴァルに掴まると、ステイルが眼鏡の位置を直しながら再びヴァル達に歩み寄る。
「では、姉君。彼らを帰してもよろしいでしょうか?」
一言改めて確認を取ってくれるステイルに私からも答える。手を振ってくれるケメト、セフェクと、どこか憮然とした表情で私を睨んでいるヴァル達を見送り、次の瞬間には酒瓶ごと姿を消した。
「そういえば姉君、俺のクッキーのカードは…。」
パンパンっ、と軽く両手を払うステイルが首を捻る。ステイルが何を言わんとしているかわかり「ああ!」と声を上げながらその問いに答える。
「ええ、ステイルのは宛名だけのカードよ。」
笑顔で返しながら、私は次に騎士団長達へ渡す分をとバスケットの中を探った。
たぶん、ステイルへのクッキーに付けたカードは二つ折りのものではなかったから不思議に思ったのだろう。流石ステイル、渡してからちゃんとそこまで確認してくれていたんだなと思いながら私はクッキーの包み二つを手に騎士団長と副団長に駆け寄った。…何故かティアラが私の隣でクスクスと笑いを堪えていたけれど。
視線の先にチラリと目を向けてみれば、棒立ちになったステイルの肩にアーサーが手を置いていた。
「騎士団長、副団長もどうぞ貰って下さい。」
本当に大したものではありませんけど、と笑いながらティアラと一緒に一つずつ手渡しする。
騎士団長も副団長も、両手で丁寧に包みを受け取ってくれた。副団長が「クッキーの方はいま一口頂いても構いませんでしょうか?」と聞いてくれ、私もそれに頷いた。
副団長は口の部分を開くと花型のクッキーを一つ摘んで早速食べて見せてくれた。カリッという音の後に副団長が「流石、お上手です。とても甘くて美味しいですね。残りも大事に食べさせて頂きます」と笑みで返してくれた。良かったです、と返しながら私もティアラと一緒に照れ笑いを浮かべてしまう。騎士団長も隣で私に笑みながら「ありがとうございます」と頭を下げてくれた。
「近衛騎士の皆様も、是非。」
騎士団長達に続き、アラン隊長、カラム隊長、エリック副隊長にも手渡した。
何も知らなかったアラン隊長は特に凄く目を輝かせて受け取ってくれた。カラム隊長やエリック副隊長はカードのことは知らなかったからか、お礼を言ってくれてからすぐ、中身よりも宛て名の書かれた表部分を摘んで見つめていた。
「前回の時も、お姉様は近衛騎士の方々の分も作るおつもりだったのですよっ!」
ティアラがどこか自慢げに笑って言ってくれると、今度は三人とも驚いたように目を丸くして私へ向けてくれた。何だか気恥ずかしくなってしまい、その視線に照れ笑いで返してしまう。
「……以前に、食べると言ってくれたので。……やっとお渡しできて嬉しいです。」
社交辞令だったのかもしれないけれど、あの時の優しさにやっと返せたのだと思うと嬉しい。そう思って見返せば、…何故か三人とも顔がどこか赤い。
どうしたのだろう、まさか第一王女相手に催促したみたいになったとか心配しているのだろうか。ありがた迷惑になってしまったらと思い、急ぎ私から「あのっ、でも私が御三人に食べて頂きたくて作っただけですから!」と訂正をいれる。……けど、何故か余計に火照りが増してしまった。
駄目だ、私本人がどれだけフォローをいれても気を遣わせたとしか思って貰えないのかもしれない。
これ以上の言葉が思いつかず、とうとう私まで黙って三人を見返してしまうと、慌てた様子で私を気遣うように騎士達が言葉を返してくれた。
「きょっ、恐縮です…。まさか我々のことまでお気に留めて下さっているとは思いませんでした…!」
「あっ、あり、ありがとうございます‼︎だっ、大事に頂きます‼︎」
「はい…!本当に…〜っ、…ぁ…ありがとうございます…‼︎」
カラム隊長、アラン隊長、エリック副隊長が順々に言葉をくれる。でも未だ緊張した様子で顔がまだ赤い。エリック副隊長に至っては若干涙目な気がする。
喜んでくれているみたいで嬉しいけれど、やっぱり第一王女と第二王女からの贈呈って物が何でも緊張するものなんだなと改めて思い知らされる。…ちょっと寂しいけれど。
その後にティアラが「皆さん喜んで下さって良かったですねっ!」と笑い掛けてくれて、やっと私も肩から力が抜けた。ええ、本当にと返しながら改めて三人に挨拶をし、最後にアーサーの元へ向かった。
「えっ…俺の分もあるンすか…⁈」
アーサーが棒立ちでステイルに並んだまま、目を丸くした。
もうこんな御馳走まで貰ったのに⁈と驚いてくれて、それだけでアーサーの分も用意して良かったと思う。
私のバスケットからティアラが包みを出すと、最後の一個をアーサーに手渡してくれた。「どうぞっ」と声を弾ませるティアラにアーサーが笑顔で包みを受け取ってくれた。
ありがとな、とティアラに言葉を返すその目が本当に嬉しそうだ。そのまま頭を撫でようとティアラに手を伸ばしたけれど、直後に騎士団長達が見ていることに気づいて無言で引っ込めていた。ティアラもそれに気づいて可笑しそうに笑ってる。
その後アーサーは受け取った包みをまじまじと見つめ、…気付く。
「…あれ。俺のも………宛て名だけ…なんすね。」
目を一度だけぱちくりさせて呟くアーサーに、さっきまで棒立ちだったステイルが「何だと?」と反応した。
アーサーの手の中の包みを覗き込み、驚いたように宛名だけのカードを摘んで確認している。…もしかして、自分だけメッセージ無しで仲間外れにされたのがショックだったのだろうか。
二人で顔を並べて宛名だけのカード眺めているステイルとアーサーにティアラが悪戯っぽく笑った。クスクスと楽しそうに笑った後、その笑みを私に向けてくれる。
ティアラの反応に、ステイルとアーサーが同時に顔を上げてまじまじと私とティアラを見つめてきた。すると、ステイルが少し躊躇するように声を抑えながらその口を開いた。
「姉君…、…その、もし宜しければ…何故俺とアーサーだけ…、……なのか…教えて頂けませんでしょうか…?」
いえ、もうあの贈物だけで充分に嬉しいのですが…!と凄く言いにくそうに絞り出すステイルにアーサーも無言で何度も頷いた。
何だか二人の反応が可愛くて、私もティアラに並んで笑ってしまう。ティアラが「どうぞ、お姉様から是非」と小さく私に囁いてくれ、私も承知する。そのまま、バスケットに再び手を入れると残された二つを指先でそっとつまみ上げた。
「だって、二人にはこれがあったから。」
同時に目を丸くする二人に笑い掛けながらも、口にしたら自分まで急激に緊張してきた。
若干口元がピクピク震えながら、バスケットから取り出したものをアーサーとステイルにそれぞれ差し出した。
二人宛の、手紙を。




