353.義弟は解答する。
「どうぞ、お待ちしておりました。」
軽くノックを鳴らせば、すぐに扉の向こうから返事が返ってきた。既に聞き慣れた声だが、今はそれを聞くことすら若干苛立つ。
それに合わせて衛兵が宰相の執務室の扉を開くと、ジルベールがいつもの余裕の笑みで俺を迎えた。衛兵の手前、俺も笑みを作って部屋の中に入ったが、扉が閉じられた瞬間にそれも取りやめて腕を組む。
「ヴェスト叔父様からの指示で来たが、…俺に何の用だ、ジルベール。」
俺の不機嫌を含ませた声に、ジルベールは笑いながら眉を落とした。
その反応から察するに、どうせ俺が先日の祝勝会から機嫌が良くないことにも気付いているのだろう。城の人間やヴェスト叔父様達の前ではいつも通りに笑みを装ったが、…正直未だに腹立たしさが消えない。あの繕った笑みのままアーサーに会ったら確実に一喝いれられるだろう。結局はあの後も、話を聞こうとしてくれたアーサーに腹立たしさの原因について明確には言えなかった。
「お忙しい中、申し訳ありませんステイル様。ですが私もヴェスト摂政からの御指示でして。」
ヴェスト叔父様の…?と、気付けば組んだ腕が緩んだ。
わざわざヴェスト叔父様がジルベールを呼んでまで指示したことだ。少しの期待を抱きながら、ジルベールに話の続きを促した。…だが。
「実はヴェスト摂政が御多忙とのことで、恐れ多くも私が代理でステイル様に簡単な試験をさせて頂くことに。」
そう言って、ジルベールは机の引き出しから厚さ一センチはあるであろう紙の束を取り出した。俺が拍子抜けで落胆するのに笑みで受けながら「どうぞこちらを」と部屋のテーブルと椅子を勧めた。
「単なる抜き打ち試験か…。」
確かに、それならばヴェスト叔父様が見れないのも仕方がない。多忙であることはヴェスト叔父様もジルベールも変わりない。だが、確か今頃ヴェスト叔父様は母上と重要な公務が入っているとのことだった。まだ摂政ですらない俺が加わることも許されない程の重要な公務が。
…その間に実力の確認といったところか。
溜息を吐き、誘導されるままに席へと座る。ジルベールから紙の束とペンを受け取り、一枚目から早速書き綴る。最初は全て基礎問題なのか、大して考える必要もなく答えを書き込んでいく。
「……聞くが、ジルベール。これに時間制限や決まりはあるか。」
変わらずペンを動かしながら、ジルベールに問う。すると「おや、余裕ですか」と言葉を零しながらジルベールは俺から離れ、自分の席へと腰掛けた。
「不正行為以外、特にこれといっては。ただ、最低でも一時間は掛けてしっかり行うようにと。」
「ならば何か話せ。お前の声で集中力を切られるくらいがちょうど良い。」
今日はいつにも増して切れ味が良いですね、と返しながらジルベールの含み笑いが聞こえてくる。視線を試験用紙から外さず、言葉だけをジルベールに向ける。見なくてもその声だけで苦笑が目に見えるようだった。「そうですねぇ」と呟くジルベールは、すぐに思いついたかのように話題を振ってきた。
「あぁ、そうそう。妻が、今回の件の御礼をぜひステイル様にしたいと話しておりました。」
「マリアには是非俺も挨拶をしたいが、…別に礼を言われることではない。次期摂政として当然のことをしたまでだ。」
茶会ならば喜んで姉君やティアラと呼ばれよう、と返せば「是非とも」とジルベールから相槌が返ってきた。早速一枚目が終わり、横に掃けながら次の問いへ取り掛かる。…また基礎だ。
「ステラがセフェクにまた会いたいと話すようになりました。」
「セフェクとケメトもステラに会いたいそうだ。ヴァルは二度と御免だと話していたが。」
配達人の仕事でヴァル達が城に訪れた時だ。プライドにそれを二人が訴えたお陰で、ジルベールの屋敷の一件もプライドとティアラにバレてしまった。今度はもっと口止めを徹底しなければと肝に銘じた。
ジルベールが軽く笑い声を上げながら「怖い上に屋敷中の菓子を持っていかれたと怒っておりました」と返してきた。…恐らくその菓子を食べるのはヴァルではなくセフェクとケメトなのだろうが。
「なら難しいな。あの二人はヴァルと一緒でなければ何処にも行かない。…レオン王子のように酒で釣るしかないな。」
「我が家の酒で釣れますかねぇ。」
「あの男は安酒でも高級酒でも搔っ食らう。」
どうせ酒の味など大してわかっていないだろう。そう思いながら俺はまた一枚捲る。…基礎ばかりだ。流石はヴェスト叔父様、抜かりない。
「ヴァルの人相の極悪さは仕方ない。最悪の場合、布袋か仮面でも被せろ。」
「それはそれで怖いと思いますが。」
フフッ…と想像したのか笑い声がまた聞こえた。
俺が冗談を言うとは思わなかったのか、愉快そうな声にまた腹が立つ。大体この男は…と頭の中でジルベールへの文句が湧いた途端に別のことを思い出す。
「そういえば聞いたぞ。コペランディの密偵に鞍替えを囁かれたらしいな。」
一枚、二枚と、ひたすら基礎が終わるのを待ちながら用紙を捲る。どこまでいっても基礎ばかりで張り合いがなく、数十枚纏めて捲って覗いてみたらやっと手応えのありそうな問いが顔を出して安堵する。
「ヴァルから、ですか…。」
「一部始終を見ていたらしいからな。お前にも存在を気取られなかったのは流石だな。」
前科が前科なだけに聞き耳や身を潜めることにも長けている。奴はジルベールが密偵の男と話していた一部始終も知っていた。
「なかなかその男に容赦がなかったそうじゃないか。あの配達人は夜目も利く。」
ジルベールが密偵を半殺しにしたこともヴァルから聞いた。俺の言葉にジルベールが溜息交じりに「見せつけたい相手は彼ではなかったのですが…」と呟いた。ヴァルの話でも、恐らく何処かで見ているであろう密偵への見せしめの意味合いでやっていたらしい。ヴァルの話で大体のことは既に知っている。…ジルベールが、マリアとステラの安否を脅迫の材料に出されても揺るがなかったことも。
『この命と人生はそれぞれ別のものに捧げております』
…そう、語っていたことも。
「……………。」
思わず手も口も止まってしまったことに気がつく。少し急ぎ手を動かしながら、やっと基礎が終わりそうなことに息を吐く。
「…まぁ、そこだけは認めてやっても良い。」
視線は絶対に向けてはやらない。変わらず用紙に目をやりながらペンを走らせると、ジルベールから「それは…?」とやはり意味を尋ねられた。
基礎の問題から手応えのありそうな問いに辿り着くまでは敢えてそのまま沈黙を貫いた。書き終わり、やっと頭を働かせられそうな問いになったことを確認してから俺は口を開く。
「………お前が四年前とは違うということだけは。」
顔など見てやるものか。
そう思いながら、逆に沈黙したジルベールを無視し問題を解き続ける。ヴェスト叔父様らしく、時折引っ掛けや判断の難しい問いが挟んである。
「…ありがとうございます。」
柔らかなジルベールの声に、眉間に皺を寄せて応えてやる。ペンを握る手に力がこもり、カリカリと音が部屋に響いた。
先程の基礎が嘘のように手厳しい問題が次々と続き、更には長文で答えが必要なものが出てきた。
流石にジルベールとの雑談に省く暇がなくなり、集中して書き込んでいく。ジルベールもそれを理解してか、暫くは俺に話し掛けてこなかった。集中力が増した分、寧ろ基礎問題の時よりペンが進む。一時間は掛けろとヴェスト叔父様の指示だ。ならば見直しを含めてきっかり一時間に終わらせてやると気合が入る。一枚、さらに一枚と書き込み、最後の一枚に掛かった時。…ジルベールが俺の集中を削ぐように刃を入れてきた。
「その調子であれば、最後の大問も滞りなく答えられそうですね。」
何が大問だ。
上から問いに答えながら、軽く最後の問いを視界に入れればたった一行の問題文と小さな解答欄だった。またいつもの大仰かと思いながら問いを解き続け、とうとう最後の一問になった時。
【プライドと未来の王配を支える為、王配業務・公務習得を望むか。】
「…⁉︎」
思わず用紙から目を離し、ジルベールへ顔を上げる。
見れば予想した反応とばかりに俺へ静かな笑みを向けていた。俺と目が合い、その笑みがニコリと更に緩まされた。
「ステイル様が摂政業務に携われてから、もう少しで二年。…ヴェスト摂政から、ステイル様は既に充分摂政業務をものにし続けていらっしゃると伺っております。」
二年…。
あの決意から、既にそんな年月が経っていたことのだと驚く。
つまり、この試験は単なる抜き打ちではなく…
「その試験結果が、基準に達していれば明日からは摂政業務に並行して私が王配の公務、業務に関しても手解きをさせて頂きます。」
とうとう、学べる。
プライドを守り、支える為の更なる知識。
王配の補佐であるジルベールから、間違いないその知識を学ぶことができる。
喜びのあまり、手が僅かに震えた。
ジルベールに気付かれるのが悔しくて必死に無表情を繕うが、今はそれすら難しい。
それでも俺の心情を手に取るように理解した様子のジルベールは、にこにこと嬉しそうに顔を綻ばせたままだった。
「ご自信の方は、いかがですか?」
俺の顔と、そして用紙を見比べながら尋ねてくる。わかってるくせに言ってくれるものだと、奴の顔を睨んだまま鼻で笑ってやる。
「当然だ。」
震えが止まり、俺はペンを握り直す。最後の大問に、俺は間違いない答えを書き込んだ。
「基準値など生温い。どうせなら満点か否かでも構わない。」
ペンを置き、見直す前に用紙を束ね、ジルベールへと見せつける。挑発するように笑ってみせれば、ジルベールからも楽しそうな笑みが返ってきた。「それでこそステイル様です」と世辞を言われ、悪くない気分の自分に腹が立つ。
そうだ、俺がやることは変わらない。
未来の王配が、…プライドの隣に誰が立つことになろうと構わない。たとえ誰をプライドが選ぼうと、たとえ誰がプライドを
『いつか私は、プライド第一王女…そしてステイル第一王子殿下、貴方とも近しい存在になりたいと望んでおります』
………望もうとも。
…………………。…いや、あれは違う。少々あの戦線布告とも取れる発言が引っかかっただけで別にたとえセドリック王子であろうとも俺は構わない。大体、防衛戦後の彼の話が本当だとすれば本来の彼は優秀な頭脳を持ち、自国や家族を愛し、今や常識も持ち合わせた立派な王弟だ。むしろ人格と共に望ましい人間だ。過去に許されない不敬をプライドに犯したが、だがそれでも今は
『大ッッッッ嫌い‼︎‼︎‼︎』
…プライドを一度でも泣かせたことを未だ根に持っているだけとかではない。そんな男を王配として俺が敬ってやることが気に食わないとか不満があるとかそういうことでは決してない。
「………一度笑わせられたぐらいで図に乗るなよ…。」
気がつけば口の中で言葉に出てしまった。
幸いにもジルベールには届かなかったらしく、聞き返してきた問いを適当に払った。今度こそと、書き終えた答案を最初の一枚から目を通し始める。
プライドの、隣。
誰であろうとも構わない。俺からの条件なら無数にある。だが、そこに今もう一つ付け加えるのならば。
プライドを、大事にし続けられる人間。
……
「入りなさい。」
女王ローザの執務室。
寝室とは全く別の用途で使われるその部屋は、玉座の間や謁見の間と同じ、王室の一つでもある。
そして今、その部屋に座するローザの左右には摂政のヴェストと王配のアルバートも控えていた。
侍女どころか衛兵すら外に控えさせられたその空間に、招かれた人物達は緊張から少し身を硬くし、足を踏み入れた。
扉が外側から衛兵により閉ざされ、完全に密室状態になると、ローザはテーブルを挟んで手前の席を勧めた。
「突然呼んでごめんなさいねプライド、ティアラ。今日は大事な話があって呼びました。」
ローザに勧められるままにプライドとティアラはソファーに腰掛け、それでも姿勢を崩さずに真っ直ぐ伸ばした背筋で向き合った。「いいえ、母上」と返しながらも彼女達は二人とも頭の中で自分が呼ばれた理由に見当がついていた。
次期摂政であるステイル、そして現宰相であるジルベールですら呼ばれていないこの場での話を。
ローザは娘二人に笑みを向けると、そのままヴェストに目で合図した。
ヴェストはそれに頷くと数枚の書類と、そして数十枚の紙の束をプライドとティアラにそれぞれ差し出した。
「これからお話しすることは、最重要機密事項です。第一王女、第二王女である貴方達しか知り得てはなりません。」
ローザの言葉に二人はコクッと口の中を飲み込んだ。頷き、一言で答えながらもヴェストから受け取った書類に目を通した二人はこれから何の説明が始まるかを全て理解した。
「新たな婚約者選定方法と、…その候補者について。」
二年前のプライドの婚約解消。それによって改められた婚約者の選定方法。
その為にローザが伝えておくべきことと、…そして彼女達自身が決めるべきこと。
ローザとヴェストの説明を受けた二人はその一つひとつに頷いた。
「ありがとうございます、母上。とても、私にとってもありがたいお話です。」
「私もっ、それが良いと思います。お姉様にとっても、…私にとっても。」
プライドとティアラの言葉に、ローザはほっとしたように笑んだ。アルバートとヴェストも心の中で安堵し、ローザと娘二人を見守った。
「問題がないようであれば、来月のプライドの誕生祭でこの選定方法だけでも発表しようと思います。あとは…」
こくり、と今度はローザが些か緊張するように喉を鳴らした。彼女がここまで緊張することは公式の場や会議でもなかなか無い事だった。
「一応、聞いておきましょう。プライド、ティアラ。現段階で書類に目を通してみて…貴方達の判断は。」
判断を待てると告げるヴェストに、プライドとティアラは改めて書類を捲る。数十ある紙を一枚一枚しっかりと確認した彼女達は
その場で、決めた。




