そして馳せる。
騎士団長室を離れてから数十秒間、アランとカラムは並んで歩きながら何も言わなかった。
ぽっかりと空いた月を眺めながら、ロデリックからの言葉を頭の中で反復させる。そして、最初に互いの沈黙を破ったのはアランだった。
「………………六年前、さ。」
ふいに六年前の話題となり、カラムは疑問に思いながらもアランの方へ顔を向ける。アランは月へ視線を上げながら、口だけを動かしていた。
「……あの時、アーサーはもう気づいてたのかもな。プライド様のそういう危うさに。」
その言葉にカラムは一度目を丸くした。
引き摺られるようにアランの言わんとしていた六年前を思い出す。まだアーサーが新兵どころか騎士団に入隊すらしていない時だ。謁見の間で、プライドと語らった彼は、…誓っていた。
『俺は必ず騎士になります!貴方を、貴方の大事なものを…親父もお袋も国の奴ら全員を、この手が届く限り護ってみせる…そんな騎士に‼︎』
大事なものを、と。
アーサーは確かにあの時そう誓った。彼がどんな心境でそう誓ったのかは二人にもわからない。だが、まるでその言葉がそのまま、今の自分達に課せられた役割にも重なるようだとそう思えた。
当時新兵にもなっていなかった彼は、どれほどの覚悟でそれを誓っていたのか。
「……だとすれば余計に。私達がこれ以上遅れを取るわけにはいかないな。」
前髪を指先で払いながら呟くカラムは、一度目線をアランから逸らした。彼と同じように月を見上げれば「念の為に聞いておくが」と今度はカラムから声を掛けた。
「…良いんだな、アラン。プライド様の危うい行動を事前に阻むということは、お前の好むプライド様の立ち回りも」
「あーー!良いって良いって‼︎……あの人があんな想いする方が嫌だし。」
カラムの言葉を途中で打ち消したアランは、歩きながら大きく伸びをした。ぐぐっ…と腕ごと身体の緊張が解れ、今から鍛錬始めねぇとと敢えて暢気な声で呟いた。
…もともと、あのプライド様の立ち回りこそが憧れだった。だから戦士としてのプライド様に憧れたし、惚れ込んだ。でも、今は。
『……私はっ…まだ、お二人に護って欲しいですっ…‼︎』
護りたい。
あの人が今度こそ傷つかねぇように、あの人の願いを叶えたい。
騎士として、そして俺として。この身を賭してあの人の幸せを
「護れれば。…それで良いって。」
頭を掻きながら俯き、笑うアランを目だけで確認したカラムは「そうか」と短く答えた。あまりにも一言だけのその答えに、今度はアランがカラムの顔を覗き込んだ。
「お前もさ、……次は絶対死ぬなよ?プライド様が泣くぞ〜?」
少し真剣な眼差しで語った後、最後はからかうように笑い掛けるアランにカラムが眉間の皺を寄せた。「もともとまだ死んでいない」と言い返すカラムは、自身を覗き込むアランの顔を鷲掴んで押しのけた。
しかし、プライド様が泣く、という言葉に記憶が開き、胸が小さく痛んだ。
『…良かった…っ』
…心から私の無事を喜び、そして泣いて下さった。
もう二度と、あのようにプライド様を泣かせはしない。
誰かが犠牲になることで胸を酷く痛めるならば、その犠牲が出ぬように。
「少なくとも私のことでプライド様を泣かせるような暴挙は二度と御免だ。」
ピシリと言い切るカラムに、アランが「相変わらず固いなぁ」と笑いながら相槌を打った。苦笑いにも見えるその笑みの後、アランが低い声色で言葉を続ける。
「俺も。……もう二度と御免だ。」
あんな想い。とそうぼやくように放つアランから、カラムは何処と無く闇夜とは異なる影を感じ取った。あの時、自分の死を確信させてしまった相手がプライドだけではなく、隣に並ぶ友も同様であったことを思い出す。
「…すまない。」
「良いって。いつか絶対仕返すから。」
それは根に持った時の返しだろう、とカラムが言い返すとアランから笑い声が返ってきた。…その時。
「……あ。アラン隊長、カラム隊長。」
ふいに、二人が歩いた先に見慣れた騎士の姿が止まった。
先に自分達に気付き、声を掛けてきたのはアーサーだ。もう休む前だったのか、鎧を既に脱いで身軽な格好だった。
二人共、先ほどに話題に出たせいか「アーサー」と名を呼んだ後は何かを考えるように口を一度閉ざした。
アーサーも二人が何故揃って騎士団長室から出てきたのかは察しがつき、言いにくそうに口を結んで二人の反応を待った。立ち止まり、向き合ったまま隊長二人にどう切り出すか悩んだ時
「いやぁ〜…大きくなったなぁ、アーサーは。」
えっ⁈と、思わずアーサーは大声を上げる。アランからの予想外の発言に目を白黒させて「なっ、なんですかいきなり!」と叫びながら一歩下がった。
「身体つきもそうだけどさ、背も絶対伸びたし本当に十代って成長早いよなぁ…。」
「確かに。六年前と比べたら別人だ。」
「ッま、待って下さいって‼︎なんなんすか⁈なんでいきなり俺の話題になるんすか⁈」
戸惑う自分に構わず、アランとカラムが「だよなぁ…」「うむ…」と二人だけで頷くため、余計にアーサーは恥ずかしくなった。若干顔を火照らしながら「そんな目で見ないで下さい‼︎」と叫ぶ。
「ンなことより‼︎隊長達はこんな遅くまでなにやってたンすか‼︎」
いっそ自分の話題から逸れれば良いと話を変える。言葉にした直後にうっかり地雷を踏んだ気がしたが、もう取り消せない。
「あー、俺ら一カ月謹慎処分だってよ。」
さらり、と。気軽な様子で言葉を返したアランに、アーサーは目を丸くした。そのまま「ま、エリックが復帰してかららしいけど」と続けるアランはアーサーに明るい笑みまで向けて見せた。
「でも、その一ヶ月暇だよなぁ。鍛錬だけでも演習場使わせてくれるかな。」
「騎士団で謹慎者など久方ぶりだからな。まぁ鍛錬くらいは大丈夫だろう。謹慎中に腕が鈍れば元も子もない。」
平然とした様子で語る二人にアーサーは一度だけ口の中を飲み込んだ。そして、おずおずとまた口を開く。
「謹慎…の他は…?」
「無いってよ。王族の方々と騎士団長達からの恩情だ。」
「じゃっ…じゃあ、アラン隊長もカラム隊長も謹慎後はまた近衛騎士として騎士団に居るンすね…⁈」
少し期待を含んだように目を輝かせるアーサーに、今度はアランとカラムの方が虚を突かれてしまった。
自分達の進退を他の騎士達が心配してくれているのは知っていた。殲滅戦後のチャイネンシス王国に滞在中も、多くの騎士達からプライドの命を守った功績と、そして処罰の有無やまさか退任なんてしませんよね⁈と詰め寄られたこともある。だが、アランもカラムもその問いについては今まで敢えて口を噤んでいた。女王であるローザ、そして騎士団長であるロデリックからの判断に準じることは決めていた以上、確実に騎士として残る保証はどこにもなかったからだ。
そして、まさかアーサーにまで気に掛けられていたとはと。二人は少しだけ意外だった。
「ああ、…まぁな。」
「……そのつもりだ。」
彼の真っ直ぐさや、性格の良さはアランもカラムもよくわかっている。だが、それでも…と。
ほくほくとした笑みを自分達に向けるアーサーがとても眩しく、そして…少し胸に刺さった。そんな彼らの心境に気付かず、アーサーはさらに口を開いた。
「良かった…です。すげぇ、ほっとしました。…あ、他の騎士の方々にはまだ言わない方が良いっすか⁈皆、本当にアラン隊長とカラム隊長のこと」
「アーサー。」
カラムが、アーサーの言葉に重ねた。突然呼ばれ、アーサーはすぐに口を結んで二人を見返した。隊長二人とアーサーが互いに順々に目が合い、そして
アランとカラムは、深々と頭を下げた。
まさかの隊長二人から下げられたことに、アーサーは酷く狼狽える。
副隊長の自分に、何故二人が頭を下げるのかと今度は言葉にもならず目を丸くした。一瞬、自分ではなく自分の背後に誰かがいるのかとも考えて周りを見回したが、自分以外は誰も居なかった。
「…ごめんな。」
「すまなかった。」
アラン、そしてカラムからの短く、そして重みのあるその謝罪に、やっとアーサーは自分にそれが向けられていることを理解した。
「折角、お前とステイル様が信用してくれたのに。…期待、裏切っちまった。」
「お前が一人で守り続けてくれた近衛騎士への信用を落とした。…折角の機会を無下にしてしまった。」
深々と下げた頭を上げようとしない先輩二人にアーサーは喉を鳴らした。彼自身、プライドの怪我についてはステイルやプライドからだけでなく、多くの騎士からも話を聞いた。二人が一時的にプライドの傍を離れざるを得なかったことも、二人が最善を尽くしてくれたことも、…カラムとアランが互いに命も痛みも賭けてプライドを守ろうとしたことも。
だからこそ。
「…っ、…やめて…下さい。」
絞り出すように、アーサーは言葉を放った。両手の拳をぎゅっと握り、緊張から心臓が拍動するのを感じながらも必死に彼らへ口を動かした。
「そういうの、…やめてください。…俺にとっても、他の騎士の方々にとっても、…アラン隊長もカラム隊長も…すげぇ、憧れで。尊敬してて…格好良くて。それは今も、…誰も全然変わりません。」
自分の立場でこんな説教じみたことを二人に言って良いのだろうかと、ぐるぐる頭を回しながら。それでもアーサーは頭を下げ続ける二人に言葉を重ねた。
「プライド様の怪我も、…お二人じゃなかったら本当にあれだけじゃ済まなかったと思います。他の騎士の方々も皆そう話してて…誰も、お二人のことを悪く言う人はいません。…皆、心からお二人を尊敬して、…心配してました。」
人の取り繕いの表情を見抜けるアーサーだからこそ、確信を持ってそう言えた。
「……お二人が近衛騎士で、本当に良かったです。あの時にプライド様に付いてて下さったのがアラン隊長とカラム隊長で、本当に。…ありがとうございます。」
柔らかいアーサーの言葉が声に乗り、その柔らかい表情までもが、地面に視線を落としたままの二人に伝わってきた。
まさか謝罪に対し、逆に礼を言われるとは思わずアランもカラムも身を硬くさせた。
「俺も、ステイルも、プライド様も、ティアラも、…騎士の方々全員、お二人への信頼は変わりません。今もお二人は、すげぇ優秀で、…頼れる騎士です。」
予想を遥かに上回る優しい言葉に、思わず喉の奥が引っかかりかけたのをアランは無意識に飲み込んだ。カラムも、こみ上げるものを耐えるように静かに拳を握る。
「…だから頭下げたりなんかしないで下さい。お二人はずっと俺の、…憧れの騎士なんですから。」
照れ臭そうに笑うアーサーは、最後に二人が顔を上げ始めた途端「これからも宜しくお願いします!」と自分の頭を思い切り二人へ下げた。
パサッとアーサーの束ねた髪が一緒に首から垂れ、尻尾のように揺れた。礼儀正しく下げられたアーサーの頭を、アランはわしゃわしゃと乱すように撫でた。
「ありがとな」「宜しく頼む」とアラン、カラムに順々に礼を言われ、乱された髪を押さえながらアーサーは少しはにかんだ。
「んじゃっ、今からアーサーも一緒に鍛錬行くか!」
気を取り直すようにニカッと笑ってみせるアランは、アーサーの肩に腕を回し引っ張るように足を進めた。
「えっ、いや俺は水飲みに来ただけで…あ、手合わせもしてくれますか⁈」
「アラン、調子に乗って絡むな。今日はもう遅い。鍛錬馬鹿のお前は良いが、明日もまだ私達は近衛の任があることを忘れるな。」
アーサー、お前も無理をするなとカラムの言葉にアランが不満そうに声を上げる。アーサーが「いや、今日は大丈夫です!」と返すが、カラムに肩を二度叩かれた途端にその勢いも無くなってしまった。「…休みます」と覇気の薄れた声にアランが「じゃ、明日エリックも誘って打ち合いしようぜ!」とアーサーを慰めるように肩を揺らす。エリックは絶対安静だ、とカラムが返したがそれよりもアーサーの「是非‼︎」の大声が勝ってしまった。
肩を組み、そして並びながら近衛騎士三人は歩んでいく。
月を見上げ、共に来る明日に想いを馳せながら。




