344.真白の王は笑う。
「…それで。何故、あれほどに騒いでいたんだ?」
国王であるランスの部屋で、僕とセドリックはソファーに埋もれながら彼の問いに口を噤んだ。…正確には、不貞腐れたセドリックに先んじて僕が話すわけにはいかなかったという方が正しい。
「ヨアン、お前まであんなに取り乱すなど」とランスに言われても、僕も上手く説明する言葉が見つからなかった。
セドリックはソファーに埋もれたまま、僕とランスから顔を逸らして頬杖をついていた。
「……………………兄貴には関係ない。」
「ランス、すまない。僕があまりのことに思わず君を呼んでしまって。本当に、何もないから。」
思わずとはいえ、公務中の彼を声だけで呼び出してしまうなんて。セドリックが勉学から逃亡した時以外、今まで誰もやらなかった暴挙だ。チャイネンシス王国の国王である僕がそれをしてしまうなんて恥ずかしい。
「構わん。ちょうどお前のところに行こうとしていたところだ。……セドリック、ヨアンをあまり困らせるな。」
ランスの言葉に再びセドリックがむくれた。一瞬、ちらりと僕の方に目を向けると身体中の空気を吐き出すように大きな溜息を漏らした。そして、諦めたように口を開く。
「…………恋愛相談だ。」
ゴホッ!ゴバハッ‼︎⁉︎
…ランスから、すごく面白い咳が放たれた。
身を乗り出すように机に両手をつき、椅子から立ち上がる彼に僕も苦笑いをしてしまう。
「セドリック⁈お前っ…何故、突然⁈」
咳込んだ息苦しさか、それとも別でか若干既に顔が赤い。僕らから顔を逸らしたままのセドリックの頬がまた仄かに紅潮していた。ランスの様子を目だけ向けて眺めたセドリックが「だから言っただろう。どうせ兄貴はこういう話に疎い」と言い放った。少し開き直ったようにも見える彼はソファーの背もたれに仰け反るようにして身を委ね出した。
「ど、…どこの令嬢だ…⁈」
恐る恐る尋ねるランスは僕とセドリックを交互に見比べた。すると今度は体勢を変えないままセドリックは僕に答えたのと同じように「異国の王女だ」と言い切った。…その途端、ランスは見事に再びむせ返えることになる。
ゴボッゴガッゴハッ‼︎と何度も咳き込み、若干酸欠のように肩で息を整えると、その視線をセドリックから僕にずらし、凝視した。
見開いた目が咳込んだせいもあってか血走っている。僕が「たぶん」と意味を込めて彼に頷くと、一気にその場に項垂れた。
「………セドリック。何故お前はそう果敢にフリージア王国に挑もうとするのだ」
はぁぁぁぁ…と、長く深い溜息の後にランスは再び席に腰掛けた。それに対してセドリックは少し顔を紅潮させたまま、僕らからプイと顔を背ける。
「………それで。あれだけの不敬を目にされた場合、どう接すれば良い?これから先、俺の気持ちを伝えた上で礼を尽くし、…償うにはどう接すれば良いのかわからん。」
投げやりに言ってみせるセドリックは、その口調とは裏腹に顔が更に赤みを帯びた。
遠回しに〝フリージア王国〟の王女が恋の相手だと肯定した彼だけれど、平気なふりをしているだけで本当は恥ずかしくて堪らないのだろう。改めて僕はことを荒立ててしまったことを猛省する。彼も十七歳なのだから、恋の一つはしてもおかしくない。ただ…
「……先に言っておくが、お前がフリージア王国にやらかしたことは普通ならば許されん。あれはプライド第一王女の慈悲だ。」
少し落ち着いたのか、溜息交じりに語るランスは少し厳しい目でセドリックを見た。
セドリックがフリージア王国で犯した暴挙については僕もランスも洗いざらいセドリックに白状させていた。…少なくとも彼が不敬だったとあの時点で自覚した分だけでも、詳しく聞いた僕とランスは気が遠くなった。本当にフリージア王国で処分や追放されなかったのは奇跡以上だ。
ランスは聞くたびに何度も拳をセドリックに振り落としたし、僕からも説教をして、二人でセドリックに外出禁止を始めとした仕置も幾らか彼に課した。……まさかマナーの勉強が一番の彼への拷問に近い薬になるとは思わなかったけれど。
ランスの言葉にセドリックは「わかっている」と短く答えると、再び「その上でどうすれば良いのか聞いている」と声を低めた。少し気持ちまで沈んだ彼に、僕からも声を掛ける。
「先ずは、次に会う時までにマナーや礼儀を完璧にして、その上でもう一度改めてちゃんと謝罪するのはどうかな。」
「だが、それだけでは俺の気持ち全ては伝わらん。…別れ際の言葉を忘れられてしまっていたらお終いだ。」
いや、忘れることは絶対にないだろう。
全てを記憶できてしまうセドリックにとっては〝忘れる〟ことは程度の感覚も掴めないのだろうけれど、少なくともあの別れ際に赤面していた彼女の様子から見ても確実に印象が強く残ってしまっている筈だ。…たとえセドリックが忘れて欲しいと願っても百年は忘れられないだろう。
「結局、あの時お前は何を言ってやらかしたんだ。」
真剣に悩む様子のセドリックに、ランスが腕を組んで尋ねる。セドリックがあの時、彼女達に何を言って何をしたのか。セドリックは何度聞いても「不敬は犯していない」と言い張ったまま僕らにも教えてくれなかった。
ランスの問い掛けにセドリックは、一度だけ僕とランスに視線を向けた。寝返りをうつようにソファーから僕らに背中を向け、…そしてとうとう打ち明ける。
「……貴方に相応しき人間となり、その隣を生涯の居場所にしたいと。右耳のピアスを贈り誓った。」
ガタンガタンガタッッ‼︎‼︎
僕とランスは殆ど同時に立ち上がり、セドリックに駆け寄った。
突然僕らが突進してきたことに驚いたセドリックは、身を起こし「なっ⁈なんだ!」と声を荒げて目を丸くした。でも僕らも答える余裕がない。
僕がセドリックの金色の髪を掻きあげると、ランスが躊躇なくその下の耳を引っ張った。金色の長い髪に隠れた彼の耳は僕らでもあまり目にしなかったけれど、確かにその耳にはいつも付けられていたピアスが無く、穴だけが残っていた。「あだだだだだだ‼︎」と悲鳴を上げるセドリックに、ランスがそれ以上の声を放つ。
「最近お前の装飾が減ったと思えばそれか‼︎‼︎」
何故お前は段階を数段飛ばす⁈と叫ぶランスの顔は真っ赤だった。恐らく今回は怒りとは別の理由だろう。
意思表示も何も、セドリックは既に彼女へ求婚を終えているようなものだ。まさか今後会った時に再びアプローチをしようと考えていたのだと思うと、今回彼が相談してくれて本当に良かった。下手をしたら会う度にセドリックは彼女に求婚をしかねない。
確かに、ただ贈り物をして愛の言葉を囁くだけならば王女として他の国の王子や子息からも受け慣れているだろう。セドリックの言葉を聞いても上手な言い回しをしてはいないようだし、問題ではない。ただ、ただっ…‼︎
「君がフリージア王国に関わってからまだひと月も経っていないだろう⁈」
思わずまた声が上擦ってしまった。だめだ、気が付くと顔が熱い。たぶんまた火照ってしまっているだろうと自覚する。
ランスも僕に同意するように頷くと、セドリックは突然きょとんとした顔で僕らを見返して来た。
「人が恋に落ちるのに時間が必要なのか⁇」
……。
…だめだ、何故か僕もランスも何も言えなくなる。
思わず固まってしまい言葉に詰まった僕らにセドリックは小首を傾げた。だけど、僕もランスも年長者の意地としてこのまま折れるわけにもいかない。
「…とっ、…とにかく、……それならもう彼女を口説くような言葉は少なくとも自重したほうが良いね。」
顔が熱いまま俯いて、何とか言葉を導き出す。するとセドリックから間髪入れず「何故だ?」と疑問が返ってきた。
「それでは俺の好意は伝わらんだろう。」
「…心配せんでも、もう充分過ぎるほど伝わってしまっていると思うぞ。」
セドリックの言葉にランスが片手で頭を抱えた。ぐったりと返しながら、頭が痛そうにセドリックを見る。
「今は伝わっていても、次会った時も俺の気持ちが変わっていないと伝えねば…」
「あまり何度も言うと、軽く受け止められてしまうよ?本人に言っても、他の女性にまで言ってもね。」
その証拠に今までの令嬢達でも本気にする人は居なかっただろう?とゆっくりセドリックを宥めるように言うと、やっとセドリックから勢いが治った。
「だから次からは彼女にも、そして他の女性にもそういう言葉を掛けるのは無しにしよう。」
僕の言葉にランスは「そうだ、それが良い」と何度も頷いた。セドリックも一応納得してくれたらしく、難しそうに眉間に皺を寄せながらも「わかった…」と返してくれた。何はともあれ、これで彼の不敬や非礼の心配は減ったと思うと少し安心する。
他の令嬢達と同じく礼を尽くす、そして本人だけでなく他の女性にも容易に口説いたり触れたりしないこと。と、もう一度僕とランスの口から念を押す。するとやっと本人の中では解決したらしく「ならばやはり一刻も早くマナーの教養を完璧にしなければ」と頼もしい言葉も返ってきた。ランスもそれに安心したらしく、今度は自分の席ではなくセドリックの隣のソファーにそのまま並ぶようにして腰を降ろした。二人用のソファーではあったけれど、身体の大きなランスが座ったことでセドリックが少し狭そうに眉間に皺を寄せた。それでもランスは構わず、自分の膝に頬杖をつきながらセドリックを覗き込む。
「……それでセドリック。つまりお前はあの方とゆくゆくは婚姻したいと思っているのだな?」
叶うか叶わぬかは置いておくとして。とランスが続けながら尋ねると、今度はセドリックは目を丸くして固まった。
「……………婚姻…。」
ポンっ、とまるでやっと言葉の意味を理解したかのようにセドリックの顔が赤らんだ。…どうやら言い慣れた甘い言葉よりも彼にはこちらの方が恥ずかしいらしい。
初々しい彼の反応に、思わず口元が緩んだ。けど、ランスはその反応に「そうか……」と若干重々しく呟いた。僕もそれを見て、彼が考えたことを察する。
セドリックが彼女と結ばれるかは、気持ちを別としても正直難しい面が多い。ハナズオ連合王国としての僕らの伸び代にもよるだろう。同盟国として互いの王族が婚姻というのは、政治上よくあることだ。そしてセドリックは第二王子。王女との婚姻も一応は問題無い。フリージア王国がハナズオ連合王国と婚姻させても良いと判断してくれれば、同盟関係の強固としても効果的だろう。僕らハナズオ連合王国としても、大国であるフリージア王国の王族との婚姻は大きい。…ただ、フリージア王国がそれだけのメリットを感じてくれればの話だ。
ハナズオ連合王国と違い、フリージア王国には多くの同盟国もあるし、その大国の王女とあれば引く手数多なのだから。更に言えば、僕らはフリージア王国に対して助けられただけだ。
これから自国の金や鉱物で貿易も開く予定ではあるけれど、それでも恩を返しきるには到底及ばなし、それを婚姻なんて恐れ多いことこの上ない。
何より、…当の本人であるセドリックはフリージア王国で多くの不敬を犯していることを彼女は誰よりも知っている筈なのだから。
そして、もし万が一にもハナズオ連合王国とフリージア王国の王族との婚姻が、セドリックと彼女との婚姻が成立したとして、それはつまり……。
「……………。」
考えると、ランスの気持ちは痛いほどよくわかった。僕も恐らく同じ気持ちだ。寂しく無いといえば嘘になる。…だけど。
「良い傾向だとは思うよ。」
セドリックではなく、ランスに答える。僕の言葉にランスは俯き気味の顔をこちらに向けてくれた。
セドリックは意味がわからないように首を傾げたけれど、ランスは少し肩の力を抜いてくれた。「そうだな…」と呟くと、手だけを動かして隣にいるセドリックの頭を鷲掴んで撫でる。セドリックも髪の乱れが気にならなくなったのか、無抵抗に疑問の表情のまま僕とランスを見比べた。
「まぁ…実るかは別として、だ。もしそうなった時は、お前の人生をちゃんと私もヨアンも祝福してやる。」
そう言って仄かに笑んだランスに、セドリックは無言のまま同じ燃える瞳を向き合わせた。ランスの笑みを確認すると、少し嬉しそうに視線を下げて「感謝する」と短く答えてくれた。
「…それで、セドリックはいつから彼女に恋をしたんだい?」
気持ちを変えようと、僕もセドリックの反対隣のソファーに腰をかけながら尋ねる。ランスも気になるらしく、セドリックの頭から手を離して彼の言葉を待った。
セドリックは僕らに挟まれながら話すべきか悩むように視線を泳がせ、最後に口を開いた。
「…………防衛戦の時に。」
やっぱりそこかぁ、と僕が笑いながら返すとランスからも溜息が返ってきた。国の一大事に何をしていたんだお前は、と言われセドリックは耳が痛そうに目を窄めた。
「惚れてしまったものは仕方があるまい。…彼女を、幸福にしたいと思った。」
相変わらずのストレートな言葉にまた僕らの方が照れてしまう。まぁ既に彼女は充分幸せそうに見えるけれど、と心の中で思いながら頭を撫でる。そういうのを本人にはあまり言い過ぎないようにと注意しながら「ダンスを踊れなくて残念だったね」と慰めると、予想外に表情が沈んだ。
確かに、彼女はとても素敵な女性だ。心を奪われてしまうのだって僕も、…そして恐らくランスもよくわかっている。セドリックが恋をしたのも当然の流れだろう。それだけ彼女はセドリックに多くを与え、支えてくれたのだから。
「だが、あまり過度の期待はするなよセドリック。相手はフリージア王国の第一王女だ。お前よりも相応しき相手は何人もいる。何より、お前はまだ勉強不足だということを忘れるな。」
ランスの言葉に僕は頷く。そう、プライド王女に想いを寄せる男性はセドリックだけではないだろう。僕やランスだって、彼女が第一王女でなければきっと
「……?何故、そこでプライドの名が出てくる⁇」
……あれ?
再び、僕とランスは停止する。
セドリックの言葉を飲み込みきれず、頭の中で何度も思い起こす。…逆に何故ここでプライド王女の名が出ることを疑問視するのかわからない。
「……想いを寄せる相手は、……プライド王女じゃ…ないのかい…?」
「違う。むしろ何故プライドになる?兄さんや信仰深いチャイネンシスの民も神と結ばれたいとは思わんだろう。」
…………僕らは、何の話をしているのだろう。
怪訝な表情を浮かべたセドリックの言葉が異国の言語のように頭にはいってこない。ランスも僕と同じく相手はプライド王女だと思っていたらしく、セドリックの言葉に開いた口が塞がっていなかった。
そして今度こそ、ちゃんとセドリックに確認する為に僕は彼に問い掛ける。
「……ティアラ第二王女のことが、…好きなのかい…?」
次の瞬間。
顔をこれ以上なく真っ赤にしたセドリックが、震えそうな唇を引き結びながら、コクリと一度だけ頷いた。
それはもう、茹だったのかとしか思えないほどの赤面で。
ランスも驚きで反応できないようだった。無理もない、僕らの目では少なくともセドリックに対し、ティアラ王女は彼を良くは思っていないように見えた。
勿論、数々の不敬と迷惑を掛けたセドリックに対して、ティアラ王女の反応が正しいし、当然だと思っていた。だからこそそんな中でも直接不敬を受けた本人であるにも関わらず、親しげにセドリックと関わって下さったプライド王女に彼が心を惹かれたのだと。…そう、思っていたのだけれど。
「…ティアラ王女、に……お前が。」
今度はランスが、繰り返すように尋ねた。セドリックが耐えられないように赤面し続ける顔を僕らから逸らす。
ティアラ第二王女。とても愛らしく、そして祝勝会で少し話をしただけでも博識で、第二王女としての振る舞いも素晴らしい、女性らしい王女だった。
何故かナイフ投げを得意としていたけれど、それ以外は理想的な女性像を形にしたような存在の彼女に恋してしまうことも頷ける。彼女は心優しく、僕やランス、ハナズオ連合王国の誰にも分けへだてなく親しげに話してくれた。………ただ一人、セドリックを除いて。
「防衛戦でティアラ王女と共に私の元へ加勢に来たが…まさかあの時か…?」
ランスの問い掛けに、セドリックは今度は答えなかった。ランスに前聞いた話では、見事なナイフ投げで我が軍の兵士どころか自軍の騎士すらもあっと言わせたようだけれど。
彼女の果敢に戦う姿か、共に戦場を駆けてくれたことか、それとも僕らの知らない間の何かが二人に有ったのか。少なくとも、防衛戦を終えてからあの別れの間際までティアラ王女のセドリックへの御立腹は変わらなかった。ダンス中、僕やランスからもプライド王女に対してだけでなくティアラ王女にも謝罪をしたけれど、彼女は「悪いのは陛下ではありませんからっ」と笑顔で返してくれただけだった。そして
セドリックは、そのティアラ王女に恋をした。
「っ……は…ははははははははははははっ…」
思わず、そこで耐え切れずに僕はお腹を抱えて笑ってしまう。駄目だ、考えたら考えるほど笑いが止まらない。
セドリックが「兄さん‼︎何故笑うんだ⁈」と怒り、ランスが久々に見る僕の大笑いに目を丸くした。僕はセドリックに謝罪しようにも、笑いが完全に入ってしまい上手く話せない。「ごめっ…セドリッ…」と漏らしながらも笑いが止められない。
「なん…か…っ…驚きが一周回っ…!…お、おかしくなっ…〜〜っ‼︎」
だめだ、また笑いが込み上げてきた。目尻に涙が溜まるのを自覚しながら僕はなんとか自身を落ち着けようと耐える。
今まで、セドリックが数多の女性に対して甘い言葉や口説きのような発言をして、本人も望まない内に好意を寄せられたのを僕もランスも見てきた。そして、そのセドリックが初めて恋をした相手は、まさかの彼を世界で一番良く思っていないであろう女性だった。
しかも、大国フリージア王国の第二王女。大恩あるプライド第一王女の妹君だ。
「言っておくがセドリック。……実らなくとも、そこで腐るな。」
完全に失恋決定かのようにセドリックの肩に手を置くランスに、また笑いが噴き出してくる。
プライド第一王女相手であっても、同じくらいセドリックの恋が実る可能性は低い。むしろフリージア王国の王配となるのだから、ティアラ王女よりも競争率は高いだろう。ただ、人同士の関わりだけで見れば未だプライド王女の方がセドリックに親しく関わってくれていたように見える。なのに、…なのにセドリックが恋したのは自分に全く好意の欠片すら向けていなかった
「ティアラに振られることを前提の話をするな!」
まだ諦めんぞ‼︎と真っ赤な顔のままセドリックがランスに向き直る。
その表情を正面から至近距離で受けたランスが、わかったわかったとセドリックの頭を押さえつけるようにして撫でた。
「フリージア王国に迷惑をかけんことであれば、俺とヨアンもお前に協力しよう。…まぁ、頑張ると良い。」
ランスの言葉に笑いがやっと引いた僕も同意する。むしろ、またセドリックが暴走してこれ以上嫌われないようにする為にも僕らが歯止めをかけないと。そのまま、何か彼女にしてあげたい事はあるかい?と探りを入れてみると「…一つある」とやはり何かを既に考えていたようだった。ただそれ以上は何も言おうとしないセドリックに、僕から質問を変える。
「ティアラ王女のどんなところに惹かれたんだい?」
何だか、初々し過ぎる気がする話題に質問する僕の方がくすぐったくなってしまう。それでもセドリックの顔を覗き込めば、まだ火照りが冷めておらず、あまりに微笑ましくて口元がまた緩んでしまった。
更にランスから「お前はティアラ王女と何があったのだ?」とも聞かれ、セドリックはおずおずと口を開いてくれた。
「……彼女の、心からの笑みを見たいと…そう、思えたからだ。」
返ってきたのはさっきまでの直接的な物言いとは打って変わり、何故か酷く抽象的な答えだけだった。
敢えて詳しくは言おうとしない様子のセドリックに、ランスは「そうか」と一言だけ答えてまた頭を軽く撫でた。僕からも「仲良くなれると良いね」と言葉を掛けると「その為にもやはり一刻も早くマナーを身に付けなければ…」とセドリックが痛そうに頭を抱えた。
マナーの教養に最近とても力を入れている彼は、近々とうとう実技にも入るらしい。一歩一歩、そして誰よりも早い足取りで彼が前に歩み始めていってくれることは嬉しい。
ひと月前までは想像もできなかったセドリックの変化にランスも嬉しそうで、今は更に少し楽しそうだった。
「一カ月後には同盟国としての挨拶でフリージア王国に私とヨアンは挨拶に行くことになっている。それまでにマナーと礼儀を完璧に身に付ければ、お前も連れていってやる。」
ランスの言葉にセドリックの目が輝く。「本当だな⁈」とその場から立ち上がった。
「良いのかい?ランス。そんなに早く解禁してしまって」
「勿論、その前に国内の社交界に出して問題がなかったらだ。一つでも問題があれば三ケ月後までお預けとなるが、…その時に問題を起こされたら目も当てられんからな。」
確かに。万が一にもセドリックがまた無礼を犯した場合、来月の挨拶だけならば僕とランスで止められるだろうけれど三ケ月後の…あちらの方でそんなことが起こったら同盟が今度こそ台無しになってしまう。
「来月に一つでも問題を起こせば、フリージア王国には三カ月後どころか二度と行かせん」とランスが断言すると、セドリックが目を丸くして数秒固まってしまった。そんな様子に思わずクスクスと笑ってしまう。
僕もランスもフリージア王国は初めてだから楽しみだ。これから先、きっとフリージア王国とは長い付き合いとなっていくだろう。その為にも、僕らは早く国を開く準備を始めなければならない。我が国の鉱物とサーシス王国の金脈。それを貿易として取引を始めることがフリージア王国との同盟条約のひとつでもあるのだから。…僕らも早くフリージアには〝提供〟したい。
最後、今すぐにでも教師にマナーの実技をみてもらう為にと部屋を出て行こうとする彼を一度引き留める。セドリック、と呼ぶとピタリと扉の前で止まってくれた。そのまま振り返ってくれるセドリックへ、僕は笑い掛けてみせた。
「…たくさん、安心して知識も経験も積むと良い。何があっても僕らは君の味方だから。」
僕も、ランスもと。そう続ければセドリックは少し照れたらしく、子どものような表情をしたまま一度だけ頷いてくれた。
扉を閉める直前、約束のクロスを服越しに掴んで見せながら。
僕らのこの上なく大事で可愛い弟は、また勉学へと戻っていった。
ゲームでは、ヨアンのセドリックへの誤解はセドリックルートでランスが目覚めなければ、晴れません。
ヨアンはずっとセドリックを怨み、セドリックも自分の愚かさの所為だと思い、弁解はしませんでした。
いま、ヨアン国王とランス国王は幸せです。