338.冒瀆王女は放心する。
「では、長らくお世話になりました。同盟国としてまたお逢いできるのを楽しみにしております。」
祝勝会の翌日。
とうとう我が軍は、フリージア王国に帰国することになった。私の足の所為で五日間も長居してしまったにも関わらず、ハナズオ連合王国の王族総出で国門まで私達を送り出してくれた。ランス国王、ヨアン国王、セドリックを始めとした錚々たる顔触れだ。
「いえ、こちらこそ。ハナズオ連合王国の全国民がフリージア王国には感謝の念に堪えません。」
「近々、必ず我が国からフリージア王国に挨拶に伺います。」
急遽駆け付けて下さったアネモネ王国にも、必ずお礼を。とランス国王に続いて、ヨアン国王が柔らかく笑んでくれた。私から両脇にいるステイル、そしてティアラの順に握手を交わし、国王と最後の別れを惜しんだ。
騎士達も今は馬から一度降り、国王から労いの言葉を受けている。私が足を治す為に滞在している間に、騎士達も殆どがその怪我を癒していた。エリック副隊長を含んだ重傷の騎士達も、誰かに肩を借りて立ち歩くことが可能なくらいには回復をした。
私やティアラ、ステイルは挨拶の後は、瞬間移動で一足先に帰国することになっている。
近衛騎士の四人も一緒の帰国だ。エリック副隊長は帰国した後も暫くは近衛騎士任務には戻れず安静だろうけれど、ステイルが怪我人ならば尚の事と母上に了承を得てくれた。
本当なら怪我人だけでも騎士全員瞬間移動したかったのだけれど、そこまで大規模な移動は流石に駄目だった。各国や地域でフリージア王国騎士団の様子を窺っている密偵や使者の目を考えても、ステイルの特殊能力が知られてしまう可能性はなるべく避けないといけない。王族だけなら移動中も馬車の中だし不在でも気づかれないけれど、流石に怪我人や騎士隊が目に見えて居なかったら不審に思われてしまうだろう。
…何故私達だけは先に瞬間移動なのかは、未だにわからないけれど。
私の足の怪我は治ったのだし、普通に行きと変わらない先行部隊との帰還でも問題ないのに。でも、一週間以内と話していたし何かフリージア王国に私達が不在ではいけない理由でもあるのかもしれない。
そう思うと、騎士団長やジルベール宰相を置いて行くのは申し訳ないけれど、早く帰らなければとも思える。
「貴殿の功績も忘れはしません。素晴らしく強く、誇り高い騎士でした。」
「素晴らしい采配でした。ハナズオ連合王国は両国とも貴方の手腕に救われました。」
私達と最後の挨拶を終えたランス国王とヨアン国王が騎士団長とジルベール宰相とも握手と挨拶を交わしている。光栄です、とんでもありませんと二人もそれぞれ挨拶と共に笑みで返していた。そして国王と挨拶を終えた私達は
「…プライド。」
第二王子であるセドリックと、別れの挨拶を交わすところだった。
私に贈ってくれた指輪があった指は、やはり今は何も嵌められてなかった。心なしか、それを含んでも今日はどこか装飾がいつもより足りてない気がする。…まぁ、いつもが多過ぎるのだけれど。
既に神妙な表情を浮かべているセドリックに、私から握手の為に手を伸ばす。すると、優しく私の手を取ってくれたセドリックはぎゅっ、と両手で握り返してくれた。燃える瞳が、これ以上ないくらいの熱量で私に多くを語ろうと向けられている。
「元気でね、セドリック。ちゃんと国王陛下の言う事を聞いてね。」
そう言って笑みで返すと、セドリックが「ああ…」と短く答えてくれた。真剣とも取れる作り笑い一つない表情のまま。
握手を交わした後、最後に私の顔色を窺うように目を向けながら私の手の甲に口付けをしてくれた。
事前に誰かから〝敬愛〟の証である手の甲はセーフと確認を取ったのか、私の様子を見つつではあるけれど戸惑う様子はなく唇を添えてくれる。金色の長い髪が腕に掛かり、更には至近距離の綺麗な顔に思わず顔が熱くなった。最初に会った日にした手の甲の口付けとは違い、重々しく手の甲に触れられたその唇は…、………あれ。
思わず手の甲に口付けしてくれたセドリックに色々考え込んで呆けてしまったけれど、…何だか口付けが長い気がする。
……まさか。
「え…。」
ふと、予感がして思わず声が漏れた。すると、既にステイルやティアラも気付いていたらしく驚いたように目を丸くしていた。私の手の甲に口付けをしてから、数秒掛けてセドリックがゆっくりとその唇を離した。
敬愛の〝誓い〟だ。
単なるその時だけの〝敬愛〟の意思表示ではない。生涯に渡って敬愛し続けると、…私がそれだけの人間だとセドリックが認めてくれた証だ。
目の前にいる第二王子からの意思表示に、驚きで声が出ない。最初に会った時のは何の脈絡もない口付けばかりだったけれど、今回は違う。ちゃんと口付けの重みも意味も理解した上での、更には〝誓い〟だ。
あの時のような自信たっぷりの笑顔でもない。真摯な表情で、顔を上げた後もまるで贖罪でもしているかのように眉を寄せ、私を正面から捉えていた。男性的に整った顔でそんな表情をされるから、いっそ決め顔よりも心臓に悪い。
「誓います…。次にお逢いする迄には、必ず変わっていると。」
突然、いつもの聞き慣れた話し方からの敬語だった。最初の最悪な印象をやり直すかのような言動に動揺が隠せない。必死に悟られまいと顔の筋肉に力を込めたけど、そのまま固まってしまう。そっと手を離されれば、パタリと手に力が入らず垂れてしまった。
「本当は、その……に………たかった。」
独り言のように小さく、くぐもった声は上手く聞き取れなかった。
聞き返したくて目だけでセドリックの顔を見返せば、少し残念そうに哀愁を帯びた笑みを私に向けていた。
「ですが、俺にそれは許されない。…少なくとも、今は。」
手を胸に添え、最後に深々と頭を垂らした。
優雅なその立ち振る舞いは、誰がどう見ても立派な王子様そのものだった。私が尋ねるように見つめても、セドリックはそれ以上語ろうとはしなかった。ただ、どこか大人びたその表情が何かを物語ろうとしているかのようだった。
…昨晩の指輪と同じように。
無意識に、彼から貰った指輪を仕舞ったままの懐を胸ごと服の上から押さえつける。
きっと、今の口付けもそういう意味だろうと思えば、彼の真摯な気持ちが余計に身に沁みた。
私に顔を上げたセドリックが、隣のティアラに握手を求めた。少し怪訝そうな表情のティアラだったけれど、国同士の挨拶だ。ゆっくりとセドリックに手を差し出した。彼は片手で重々しくティアラと握手を交わし、敬愛の挨拶でもある手の甲に口付けをした。今度はすぐに唇を放し、それを見届けたティアラが「ふんっ」と鼻を鳴らして顔を小さく逸らした。そのまま自らセドリックから手を緩められる前に手を引
ー こうとした、寸前。
ティアラの手に添えられていた方とは、反対のセドリックの手が伸びた。ティアラの小さな手を両手で包んだと思った瞬間。チャリッ、と小さな音がした。
顔を逸らしていたティアラが驚きで目を丸くする。水晶のような大きな瞳をセドリックへ向けると、燃える瞳と目が合った。私の位置からは、長い髪に隠れて表情は見えない。ただ、ティアラの手を包んだままのセドリックがそっと彼女に耳打ちをするように私側のティアラの耳に顔を近づけた。セドリックの潜めた声が、隣の私まで聞こえてきた。その言葉に、私は。
「〜〜〜〜っっっっ⁈‼︎‼︎」
もう、声にすらならない。
顔が、身体が灼熱のように熱くなって頭が沸騰する。こんなにクラクラしたのなんて、レオンに頬へ口付けされた時以来だ。
セドリックの横顔に釘付けになりながら固まると、私の背後に控えるアーサーとカラム隊長が心配して私の名を呼んでくれた。二人にはどうやら台詞は聞こえなかったらしい。唇を強く結んだまま固まっていると、暑過ぎて汗までかいてきた。
セドリックはそんな私に気付いていないように、そっとティアラから離れ、私の時と同じように頭を下げた。そのまま何事もないようにステイル、ジルベール宰相、騎士団長に挨拶を続ける。ティアラも私と同じように固まったまま動かない。放心したようにセドリックへ差し出したままの手でぎゅっと拳を握ったまま白い肌を真っ赤にしていた。
あまりに私とティアラが真っ赤になっているから、それに気づいたランス国王が「セドリック!また何か不敬をしたのか⁉︎」と挨拶を終えた後のセドリックに怒鳴った。ヨアン国王も心配そうに私とティアラを見比べている。反対隣にいたステイルまで私達の方を覗き込んできてくれて、何もされていないと弁明する私の次に真っ赤なティアラにも声を掛けていた。でもティアラも完全に固まったまま小さな声で「な…なにも…」と呟くだけだ。
セドリック本人も手以外は触れてもいないと国王二人に言ったけれど、若干顔が赤い。
運良く、…というかもう挨拶を全て終えて後は帰るだけだったので、上手くステイルとジルベール宰相が先を促してくれた。
最初に私とティアラ、アーサーとカラム隊長がステイルに伸ばされた手を掴む。
「そっ、…それではまた。…皆様とお逢いできるのを楽しみにしております。騎士団長、ジルベール宰相、騎士の皆様、お先に国で待っておりますね。」
なんとか言葉にして、顔真っ赤の汗だくだくのまま皆に笑いかける。言葉がそれぞれ返ってきて、頭を下げられた。それをしっかり見届けた後、やっと私達の視界は切り替わった。
見慣れた、我が国フリージア王国の城内に。
気が抜けて、視界が切り替わったとわかった瞬間にその場にぺたり、とへたり込んでしまう。同時にティアラも私に寄りかかるようにして一緒に座り込んでしまった。アーサーとカラム隊長が心配してくれて、一拍置いてからステイルがアラン隊長とエリック副隊長を連れて現れてくれた。
私達の出現に、城内はすぐに慌ただしくなった。
私達の宮殿の玄関口に瞬間移動したので、どんどん見慣れた衛兵や侍女達が駆け寄ってきてくれた。
ステイルと近衛騎士達が、私達の身を案じながら集まってくる衛兵や侍女達へ対応してくれる中、私はティアラと同時に互いの真っ赤な顔を見合わせた。
「お姉様…。」
なんとか口が再び開いたティアラは緊張が解けたように若干涙目だ。そのままそっと、私にだけ見えるように握られた拳の中身を見せてくれた。さっき、セドリックに握らされた品だ。それを確認しただけで、私の熱が更に上がった。
頭の中にセドリックのさっきの言葉が鮮明に蘇る。
『…必ず、相応しい男になってみせる。』
深い、低いセドリックの声だ。色気の混じったその声が、思い出すだけで頭を振動させた。
『知識も、技術も、教養も全て。…必ず身につけてみせる。』
確固たる決意がそこにはあった。
セドリックの覚悟は私もちゃんと知っていた。彼はその為に昨晩、私にあの指輪を贈ってくれたのだから。
『その隣を俺は、…生涯の居場所にしたい。』
その言葉を聞いた瞬間ティアラは一瞬、隣に居た私を見た。まるで意味を疑うような、確かめるような眼差しで。セドリックの言葉が冗談か本音かわからなかったのかもしれない。そして彼は確かに最後、こう言い放った。
『ティアラ・ロイヤル・アイビー。…貴方に、心を奪われました。』
ティアラが見せてくれた手の中のそれに、応じるように私もセドリックからあの時に渡された指輪を取り出し、ティアラに見せた。
セドリックが私に贈ってくれたのは、彼が左手の親指に今まで嵌めていた指輪だ。
親指は〝権威の象徴〟と〝信念を貫く〟ことを意味している。
左手の親指なら〝障害を乗り越え〟〝力を発揮する〟意味もある。
本来ならばそこに指輪を嵌めることで、願いを込めるそれを、彼は敢えて私に贈ってくれた。それはつまり彼が願掛けではなく、自分の意思で、自分の力でそれを成し遂げてみせるという私への誓いと意思表示だ。そして、セドリックがさっきティアラに手渡したのは…
片耳分のピアス。
セドリックがいつも身につけていたピアスだ。
セドリックの装飾品がいつもより少ない気がするとは思っていた。いま思い出せばティアラに彼が耳打ちした時、チラッと見えたその右耳にはピアスが無かった。
男性の左耳だけのピアスは、愛する女性を守るという誓い。更に言えば、一揃いの内で片方のピアスを贈ること自体、その女性を愛しているという意思表示だ。
セドリックはあのひと時で、ティアラに全ての形で自分の気持ちを伝えきった。
そして、彼はその望みを叶える為にも確実に動き出すだろう。私に贈った指輪がそれを物語っている。
生半可な気持ちじゃない、恐ろしいまでの覚悟がそこにある。
ゲームではたった一年足らずで立派な国王代理に成長した彼は、一体どこまで成長するつもりなのか。
「私っ…そんな、…何故、私に…?」
まだ言葉が気持ちに追いつかないのか、辿々しく呟くティアラは顔を真っ赤にしたまま視線を泳がせていた。唇を震わし、両手で胸を押さえつける。あわあわと言葉を漏らしながら、最後にセドリックに渡されたピアスをぎゅっと握り締め、呟いた。
「…〜〜〜っ……、……ほんとっ……だいきらいっ…。」
顔を真っ赤にしたまま、金色の瞳を潤ませたティアラは怒ったように小さな拳を静かに震わせた。
……どこにあった…⁈その、フラグ……⁈
騎士団長率いる騎士団が、ハナズオ連合王国から正規のルートで帰国を果たしたのはそれから四日後のことだった。




