272.冒瀆王女は惑う。
「お姉様っ‼︎本当に大丈夫なのですか⁈一体どうしてっ…‼︎」
「ステイル様は何故、フリージア王国ではなく此処にプライド様を…⁈」
涙目のティアラと、顔面蒼白のジルベール宰相に「大丈夫、治療のお陰でもう痛みはないから」と繰り返し伝える。
ジルベール宰相が一体何があったのか説明を求めてくれたけれど、ステイルが来るまではと押し留める。セドリックが思い詰めた表情でまた自分のせいだと言おうとしたから、腕を引いて口止めした。第一王女を怪我させたなんて誤解を招いたら、下手すると今度はジルベール宰相の鉄拳が飛んでしまう。
その間も私に寄り添ってくれるティアラは「お姉様…ッごめ…なさい…私っ…また何も…」と悔やんでくれるように涙声で呟いてくれた。城にいるように言いつけたのは私だし、本当ならティアラは城どころかフリージア王国に居ても良い立場なのに。
セドリックが衛兵に命じて椅子を用意させてくれ、取り敢えずアラン隊長がそっと丁寧に私を椅子へ座らせてくれた。ずっと鎧を着た私の全体重を抱えてくれて大丈夫だったか声をかけたけど、一言で平気だと答えてくれた。流石は屈強な騎士隊長。
「お待たせ致しました、姉君。」
騎士が全員揃ったと同時にステイルが現れた。落ち着いたいつも通りのステイルの姿にほっとする。ステイル、と呼ぶと私に笑んでくれた後、全員を見回して「まずは現状の整理を行いましょう」と促してくれた。
私の怪我についてはカラム隊長が説明してくれようとしたけれど、私から説明したいとお願いした。カラム隊長やアラン隊長、そしてセドリックに説明を頼んでも皆が自分で責任を負ってしまいそうな気がした。
なるべく私からも客観的に南棟崩落からの流れを説明した。避難しようとし、衛兵が倒れ、セドリックが助けに行こうとし、私が止め、カラム隊長に押さえてもらい…と。出来るだけ誤解を招かないようにと説明する私の話にステイルとジルベール宰相は何度も小さく頷き、ティアラの顔が真っ青になった。敵兵に足を掴まれたり瓦礫が足に直撃したなんて聞くだけで耳も痛いだろう。
ジルベール宰相がわりと容赦なく「その時アラン隊長は」「その間カラム隊長は」と事細かに聞くのがちょっと怖かった。でも、アラン隊長もカラム隊長も躊躇なくそれにはっきりと答えてくれた。こういう時に切り替えができるのは、流石隊長格だと思う。話を終えたジルベール宰相が「成る程、不備はなかったようですね」と独り言のように呟いてくれ、やっと肩の力が抜けた。…アラン隊長とカラム隊長だけは、二人とも全く力が抜けていない様子なのが少し気になったけれど。
そのまま今度は治療してくれた騎士が、私の足の状態について説明をしてくれる。特殊能力で痛みや悪化は免れたけれど治癒には時間がかかる為、やはり絶対安静が必要らしい。無理に動かせば当然痛みも出るし、下手すれば治癒も遅れると。予想通りの言葉に私は一人口の中を飲み込んだ。
『プライド第一王女殿下…‼︎どうか、戦線を離脱下さい…‼︎』
映像の向こうから、ティアラと同じように顔面蒼白のヨアン国王が声を上げた。さっきまでの私達の会話を映像を通して聞いてくれていたヨアン国王も私の心配をしてくれているらしい。『何故っ、…何故そのような状態で…‼︎』と言葉を何度も詰まらせるヨアン国王は酷く狼狽しているようだった。
「いえ、私はこの国から出るつもりはありません。」
はっきりとヨアン国王へ送られている映像の視点へ目を向けて私は声を発した。何故…‼︎と綺麗な顔を辛そうに歪めてくれるヨアン国王と、私の発言に息を飲むジルベール宰相とティアラに私は改めて己が意思を告げる。
「私は同盟国である貴方方と運命を共にすると決めました。最後までこの国と共に居ます。」
睨むように視点へ目を向ければ、私の覚悟が伝わったのかヨアン国王が口を噤んだ。そのままこの話を一度終わらせる為に「北方の最前線の様子は」とジルベール宰相へ声を掛けた途端
『……プライド様。今のは全て私の聞き違いでしょうか。』
うっ…あああああ。
鉛よりも遥かに重々しい低い声に、今度は私が息を止めた。
映像に目を向ければ、さっきまでは爆撃を受けてから爆煙や通信兵の姿しか映らなかった筈の映像に、片手で痛そうに頭を押さえた騎士団長が居た。………聞かれて、しまった。
一瞬、本気で騎士への通信を切って貰えば良かったと後悔してしまう。騎士団長が元気そうなのは嬉しいけど、でもその身体中から溢れる恐い覇気が映像越しでも見えそうなくらいだった。
言葉を失って固まる私の代わりにステイルが「いえ、恐らく全て聞いた通りかと」と伝えると、騎士団長から低い唸り声が漏れた。まずい!絶対怒ってる‼︎怒ってる!私に‼︎‼︎
騎士団長が「六年前の…私の言葉はもう…お忘れらしい…」とぽつりぽつりと重々しく呟き、自分でも血の気が引いていくのがわかる。私はちゃんと騎士団長に謝りたいこともあったのに‼︎
いえ、そのっ…と唇をわなわなと震わせると、映像越しの騎士団長と一瞬目が合った気がした。思わずビクッと肩が上下する。
すると、私の背後に控えてくれたカラム隊長とアラン隊長が「申し訳ありません‼︎」と勢いよく頭を下げ出した。
騎士団長は二人の謝罪を聞いて一度目を瞑った後「その件に関しては、国に帰ってからだ」と一言で終わらせた。そのまま引き続き気を引き締めろ、と伝え、再び低い声で続ける。
『我が騎士団は今はまだ膠着状態が続いております。重傷者も何人か出た為、敵が動くまでは特殊能力者の治療と各隊の体制を整えているところです。…因みに、今のお話も聞いていたのは通信兵と私だけなので御安心下さい。』
…なんだろう。「御安心下さい」の部分だけが凄く重重しく語られた。騎士団長の言葉にステイルとジルベール宰相は頷いて「くれぐれも」と返していたけれど、私一人どうすれば良いか分からず視線を彷徨わせまくる。
『ですが、御命令を頂ければすぐにでも。進撃準備は整っております。』
その時、初めて騎士団長の目がギラリと鈍く光った。騎士団長の言葉を受けて、ジルベール宰相が小さく唸る。
「こちらもそれなりに被害は受けておりますし、早期決着も一つの手でしょう。…何より、やはり両国南方からの侵攻が手痛い。先程、チャイネンシス王国城下に居られるランス国王より報告がありました。城に集中していた筈の敵兵侵攻が、どうやら刃を城下に向け始めたと。それにサーシス王国の南方も未だ敵兵が溢れております。先程の崩落で一度引いた我が騎士達がいま再び向かってはいるでしょうが…。」
チャイネンシス王国の南方、更には私がもともといく筈だったサーシス王国の南方。さっきの南棟の崩落で一時的に勢いが薙いだらしいけれど、また敵兵が多く雪崩れ込んでいる。
ランス国王のもとにいる通信兵からの映像では、急ぎ報告だけでもと送ってくれたらしく今は敵兵の怒号と剣を振り回される場面が行ったり来たりと交差して、まるで生放送のままカメラをぶん回しているような映像だけだった。
ヨアン国王の本陣自体は、八番隊の騎士が頑張ってくれたお陰で無事なのは良かったけれど、城下にその分迫ってしまったら今度は民の危険が増してしまう。それにランス国王に何かあれば、今度はサーシス王国の危機でもある。
ステイルもジルベール宰相の言葉に頷いた。このまま時間を浪費すれば、その分こちらの消耗が激しくなるだけだ。ランス国王の元に援軍を回したくても、今はこの場にいる私達と騎士以外は何処も手一杯にある。せめて早く戦いを終わらせないと。
「そして、プライド様は…。」
ジルベール宰相が言いにくそうに言葉を繋げた。その視線が私の足に向けられ、私も言葉を飲み込む。
私の希望としては、この防衛戦が終わるまでは女王代理としてこの地に居たい。ただ、私がいるとその分で必要な護衛を置かなければならないし、お荷物なのは事実だ。更にはこの城にも現時点で護衛対象が多過ぎる。
正直、今までみたいな襲撃で一網打尽を防ぐ為にももう一度私達はある程度はバラけるべきだろう。それに、ただでさえ戦力が少ないのに、護衛として一人でも大きな戦力となる騎士をこうして何人も大量に引き止めてしまっているのも問題だ。
本来ならば私は騎士達を連れて南方の防衛、もしくはチャイネンシス王国城下にあたるべきだけど、この足じゃ足手まとい以下になるのが目に見えている。
ステイルやジルベール宰相達も同じ意見なのだろう。どのように現時点で戦力を分散すべきか、どこの戦力を削ってサーシスやチャイネンシスの南方に援軍を割くべきか。そしてこのお荷物な私の処理をどうするかと一生懸命考えを巡らせてくれている。
残る手段は…
「俺が、行く…‼︎」
突然、決心したような声が響いた。
振り向けばセドリックだった。歯を食い縛り、拳を握りしめながら告げる彼の言葉に誰もが視線を向けた。皆の視線を痛そうに肩を強張らせながらセドリックは再び口を開いた。
「俺が、フリージア王国の騎士を連れてチャイネンシス王国に援軍へ行こう。そうすれば少しは分散もできる筈だ。」
セドリックの言葉にずっと黙していたサーシス王国の宰相が声を上げた。それでは我が国の指揮は、と訴える摂政と宰相にセドリックは間髪入れず「ファーガス、ダリオ、お前達がいるだろう。それに指揮ならばこれまで通りジルベール宰相が居られる」と答えた。さっきまでも役立たずだった俺が不在なところで問題はない、と自身を切り捨てるように告げるセドリックに宰相も言葉を詰まらせた。
「プライドに付いていた騎士と通信兵をいくらかお分け願いたい。ステイル第一王子殿下、俺を…私を、チャイネンシス王国の城下までお送り願えますでしょうか。」
背筋を真っ直ぐと伸ばして進言するセドリックの言葉に、ステイルも頷いて応えた。すると今度は映像のヨアン国王がたまらない様子で声を上げた。
『セドリック!無茶だ、いくら君でもっ…今まで剣を握ったことすら無い、君が‼︎』
ヨアン国王の言葉に、再び全員がセドリックに目を向けた。
今度は突き刺さる視線を意にも返さないようにセドリックは黙って視線を窓の外へと向ける。
恐らく誰もがヨアン国王の言葉を、自身の耳を疑っているのだろう。〝剣を握ったことすら無い〟…そう、十七歳の王子なら普通有り得ないことだ。だけど、ゲームの設定でもセドリックはゲームスタートの一年前まで勉学という勉学をしてこなかった。当然、剣術や護衛格闘術すらも。
それでも「問題ない」と短く答えるセドリックは腰の剣を握ったまま窓の向こうの景色から目を離さなかった。
「俺はサーシス王国の第二王子だ。…我が身可愛さで、国王である兄貴を死なせては元も子もない。」
はっきりと言い放つセドリックに、ジルベール宰相やステイルが少し惑った様子を見せた。
剣を握ったこともない王子を戦場に向かわせるのを躊躇っているのだろう。もともと、ランス国王からも留守番を言い渡されていたセドリックだ。本人の意思とはいえ、戦場に出してしまいもしもの事があれば大問題にも発展する。しかも、城下へ移動したらもう助けは難しくなる。通信兵も一方的にこちらへ連絡することはできるけど、こちらからは座標不明の彼らに連絡は送れない。そしてステイルもセドリック個人の所に瞬間移動はまだできないのだから。
セドリックの今までの姿を知っているステイル達にとって、正直みすみす同盟国の王子を死にに行かせるようなものなのかもしれない。仕方ない、ここは私から…と口を開きかけた時だった。
「ならば、こういうのはいかがでしょう?」
突然、その場にそぐわない明るい声が部屋中に響いた。
声の主に誰もが目を向け、見開いた。発言者として全員の予想を上回る人物がそこにいた。
「お姉様の代理としてこの私が、セドリック王子と共にチャイネンシス王国へ赴きますっ!」
ティアラ・ロイヤル・アイビー。
か弱く心優しいお姫様。
この世界で最も守られるべき人物が、笑顔でその声を張る。彼女の鈴の音のように軽やかな声に
王女としての威厳を、混じらせて。