206.交渉王子は狼狽する。
もう、どうすれば良いかもわからなかった。
「…話は理解しました。」
謁見の間。
我がサーシス王国の現状を全て報告し終えた俺に、フリージア王国の女王は黙した後、静かに頷いた。
今朝、書状と共に使者から聞いた知らせ。ただ、一つだけはプライドの指示通りに偽った。
プライド。
…「まだ間に合う」と。そう語った彼女は衛兵に言付けを託し、女王との謁見の許可を得た後、此処まで俺の手を引いて来た。
謁見の間には、我が国のことで審議中だったのであろうアルバート王配、ジルベール宰相、ヴェスト摂政、そして次期摂政として勉学中のステイル第一王子が並んでいた。俺の手を引いてきたプライドは昨日のように女王の傍らに…ではなく、俺の隣に並び、女王の前で未だ覚悟の決まらない俺の背を叩いた。
今朝、突然のことだった。
我が国サーシスから書状と共に使者が駆け込んできたのは。てっきり、単身で勝手に国を飛び出した俺を連れ戻しにきただけかと思ったが、…違った。
今から十二日前、コペランディ王国の使者が再び我が国に足を踏み入れた。俺が国を飛び出して僅か二日後だ。チャイネンシス王国への侵攻を九日早める、その時に降伏か属州となるかを決めておけと、そう告げられたという。
そしてその直後。チャイネンシス王国の城からサーシス王国へ帰る為の馬車に乗ろうとした直前、我が兄…ランス・シルバ・ローウェル国王が突然の発狂。今まで兄貴が心乱したところなんて見たことがない。なのに、突然だ。
ハナズオ連合王国の危機に、俺が勝手な行動で心労を掛け、その上チャイネンシス王国の猶予が縮まり…国王に即位してまだ一年でこの事態だ。…余計な心労をかけた、俺の責だ。
二日経っても兄貴の状態は変わらず、チャイネンシス王国、国王のヨアン・リンネ・ドワイトは一方的に我が国との同盟を破棄した。…追い詰められた兄貴の姿を見て、俺達だけでも…サーシス王国だけでも戦火に巻き込まない為に。
更にはチャイネンシス王国はコペランディ王国に全面降伏する意思を固めたという。
…もう間に合わない。
残りはたった六日。
フリージアから我が国までは馬を走らせても十日。アネモネ王国まで八、九時間。そこから船を運良く借りられれば最短五日。…正直、今こうしている時間すら惜しい。
更に、俺が最初の同盟交渉で馬鹿な真似をした故に我が国の信用は落ち、今日を入れて残り二日…フリージアは審議の時間が必要となっている。
審議が出るまで待っていては、アネモネから船を借りられても確実に間に合わない。もし、今すぐフリージア王国が援軍を出してくれたとしても、そんな軍隊を運べる大船などアネモネ王国がすぐ出してくれるかどうかもわからん。例え借りられたとして、我が国に辿り着いた時には既に全てが終わっている可能性もある。
「状況は差し迫っているのですね。…ですが、先日もお伝えした通り未だ此方も状況を確認中です。ヴェストとステイルが大分絞ってくれていますが…。」
日を早めるのは難しいでしょう、と続ける女王の言葉に俺は耐え切れず拳を握る。やはり、一度失った信用は戻らない。…俺が、くだらぬ矜持を張ったばかりに。
「なので、申し訳ありませんが、明日までは待って頂く必要があります。」
…待つ?
女王の言葉に耳を疑う。
待つ?待ってどうするというのか。その時には最短でも戦には間に合わない。
それともチャイネンシス王国が属州となった後にコペランディ王国やラジヤ帝国を説得するとでもいうつもりか。だが、一度奪った領土を手放すなど並大抵の話ではない。それこそ今度はフリージアとラジヤとの戦争にもなり兼ねない。
俺の疑問は喉で引っかかり、戸惑いで声にすらならなかった。それなのに「それと」と何事もないように女王は話を続ける。
「先程の話では、…サーシス王国が国王は〝急病〟で、今は話す事もままならないと。」
女王の言葉が続く。
そう、俺は確かにそう言った。プライドの指示通り兄貴の乱心を隠し、女王に〝急病〟と偽った。兄貴のことが知られるのは時間の問題だ。
恐らくプライドが、俺が兄貴の乱心に取り乱した姿を見て気を回したのだろう。国の恥を隠したがる俺へのせめてもの情けだと、…そう理解しながらも甘んじた。勝手に国を飛び出した俺が、国の事情だけでなく兄貴の恥まで曝したくはなかった。
「ならば、サーシス王国に我々が訪問した時にも国王がそのままの場合は、私はランス国王に次ぐ第一王位継承者である貴方と同盟を結ぶことになるでしょう。」
「なっ…⁈」
女王の言葉に思わず俺は言葉に詰まる。俺が?兄貴の代わりに⁈あり得ない、俺が勝手に打診した同盟を、兄貴の許可なく進めるなど‼︎
「ただ、一つだけ問題があります。」
俺の戸惑いも気にせぬ女王の言葉に、周囲は何も疑問に持たず頷き、話が進んでいく。何故、誰も女王の言葉に指摘をしないのか。大体「一つだけ」とはどういう意味だ?時間は迫っている、数え切れないほどの難題ばかりだというのに。
「実は昨夜、ラジヤ帝国から書状が届きました。」
「ラジヤ帝国からッ…⁈」
突然出た憎敵の名に思わず身構える。何故、このタイミングでラジヤからっ…‼︎
俺だけでなくプライドも驚き、初めて彼女も女王の言葉を聞き返した。
「ええ。以前よりラジヤ帝国からも交流を深めたいと打診はありましたが…今回は〝何故か〟具体的に我が国を訪れる際に、我が城へ挨拶のため訪問したいとのことでした。更に、日時はちょうど今から六日後。」
女王の合図で、傍にいるヴェスト摂政が書状を取り出した。恐らくラジヤ帝国からのものだろう。
「九日も猶予の期間を切り上げたことといい、…まるでこちらの…いえ、ハナズオ連合王国の動きが筒抜けのようですね。」
「ッあり得ません‼︎我が国は閉ざされた国‼唯一我が国に足を踏み入れたコペランディ王国からの使者も全員門番が馬車の中まで確認し、衛兵が国外に出るまで監視しております‼︎」
何者かが国内に忍び込んでいるなどあり得ない。例え万が一あったとしても、俺や兄貴…王族の動きを全て把握しているなどあるものか。残る可能性は、我が国に裏切り者がいることぐらいか…だが、それもあり得ない!ある訳がない‼︎例えあの腐った元上層部であろうとも、閉ざされた我が国でそのようなこと出来る筈が…
「ですが、丁度当てはまるのです。セドリック第二王子殿下。」
俺の戸惑いをよそに、今度はジルベール宰相が進言する。薄水色の髪を垂らし、書類をもとに俺へと向き直る。どういう意味か、と尋ねればジルベール宰相は順序立てるように話し始めた。
「殿下が我が国へ向かう為に国を発ったのが二週間前。例えばの話ですが…もし、殿下が城を出られたのを何処かで確認した何者かが鳥を飛ばし、最速でコペランディ王国に報告、コペランディ王国がそこから再び馬で二日かかるハナズオ連合王国に期限を早めると通告したとすれば。…馬で二日程度の距離ならば、鳥に託すのも容易でしょうから。また、ラジヤの重鎮が侵略の為にコペランディ王国に滞在していることも容易に考えられます。ならば、コペランディ王国が知ると同時に殿下がフリージアへ向かったとラジヤ帝国の者が知ったならば、コペランディ王国から我が国までは馬で十三日前後。…これも、ぴったり当てはまります。」
勿論、全て仮定の話ですが、と続ける宰相の言葉に胃が酷く歪み、揺れる。だが、何故っ…どうやって俺の行き先までも…⁈
「…まぁ、それは追々考えるとしましょう。それよりも今は、その六日後です。」
ジルベール宰相の言葉に女王が首を縦に振る。六日後、つまり我が国に侵攻するその日にラジヤ帝国はフリージア王国を訪問する。
「ラジヤ帝国は世界各地に属州や植民地がありますが、その本国は遥か遠き地。和平を進める為にもこの機を逃す訳にはいきません。私はこの六日後にラジヤ帝国と和平交渉をと思いましたが…同日に侵攻ということでは、私は援軍を連れてハナズオ連合王国には赴くことができません。」
まるで、示し合わせたかのようですね。と呟く女王に言葉が詰まる。つまりは、二日後にフリージア王国が援軍を出せたとしてもそこに女王の姿は無いということだ。それでは同盟が結べない。ラジヤ帝国を自国で待ち、和平を結んだとしてもコペランディ王国に和平が知らされる頃には既にチャイネンシス王国が全面降伏し、…植民地となった後だ。
それならばいっそ女王も同盟の為に我が国へ援軍と向かい、共に指揮をとってくれればこれ以上心強いことはいない。ッだが、それ以前にやはり六日後に間に合うのかどうかが
「母上、それならば私に提案があります。」
プライドが、俺の隣から進言をする。凛としたその声が響き、振り向けば彼女は真っ直ぐと女王を見据えていた。
女王が発言を許すと、彼女は胸を張る。そして、迷いのない真っ直ぐな声が俺を揺らした。
「私が〝女王代理〟として、セドリック第二王子殿下と共にハナズオ連合王国へ援軍を率いていきます。」
何を、言っているのか。
「その間にどうぞ母上はラジヤ帝国と我が国で和平の交渉を。私と騎士団がサーシス王国、チャイネンシス王国と共に侵攻を防ぎます。」
騎士団には私がこれから指令と勅令を。と告げる彼女に正気を疑う。
何を、言っている?彼女は女王ですらない、第一王女だ。第一王位継承者とはいえ…いや、寧ろそれならば尚のこと俺と共に我が国に赴くなど危険でしかっ…‼︎
彼女の発言に、ヴェスト摂政やアルバート王配、ジルベール宰相、…そしてステイル第一王子ですら驚きを露わに目を見開いた。唯一、女王だけが落ち着いた眼差しで彼女を見つめ返している。
「それは、私の代わりに貴方が戦場に行くということですよ。危険も隣り合わせです。…当然、わかっているのでしょう?」
「ええ、母上。ですが次期女王としていつかは通る道です。…我が国もいつまでも平和な世が続くとは限りませんから。」
プライドの言葉に女王は「通らずに済むのならばそれが一番なのですが」と呟き、小さく溜息を吐いた。初めて、女王の人間らしい一面をこの目にした気がする。
「…貴方ならば、そう言うとは思いました。許しましょう。但し、ステイルを付けます。……この意味は、わかりますね?」
何か、含みを持たせるように女王はステイル第一王子とプライドを見比べる。それを受け、ステイル第一王子は「勿論です」と頷き、プライドも重々しく頷いた。
「ッ…お待ち下さい‼︎」
耐え切れず、とうとう力の限り声を張る。
何故、彼女達はこんなにも簡単に決める⁈今は時間が刻一刻と迫っているというのに‼︎
俺の声に、誰もが視線を向ける。一度に十以上の瞳と視線を浴び、思わず肩が揺れた。
「我が国の為、多くの決断をして下さったことには心より感謝致します。ですが、もう時間はないのです!どうか、私に帰国の御許しを」
「構いませんが、今から帰国に船や馬車を手配するよりも、我が国で明日まで待った方が遥かに早いですよ。…まだ十分に間に合いますから。」
俺の発言を上塗りする女王の言葉に、思考が白く埋め尽くされた。
…どういう、意味だ…?
言葉が止まり、理解できずに疑問をどう投げ掛けるべきか惑う俺に、女王は静かに微笑んだ。
「セドリック第二王子殿下。今はまだ我々は同盟交渉の半ば。…全てを明らかにすることはできません。ですが、同盟締結することが決まったその時は。」
女王が静かに立ち上がる。その姿は威厳に満ち溢れ、歳を感じさせない荘厳たる存在がそこにいた。
「同盟国の為ならば。…我々フリージア王国は協力を惜しみません。我が国の出来る限りを持って、ハナズオ連合王国を支えましょう。」
女王が笑う、不敵な笑みを俺に向ける。
当然のことのように誰もが静かにそれに頷き、女王に頭を下げた。
この時、俺はまだ知らなかった。
数年前までフリージア王国が何故、周辺諸国に警戒されていながらも、討伐や侵攻対象とはされてこなかったのか。
こんなに豊かで広大な土地と資源を持ち、当時殆ど同盟国もいなかった状態で、何故。
過去に一度の侵攻も許さず、この広大な国土をそのままに保ち続けていられたのか。
「どうぞお待ち下さい、セドリック第二王子殿下。明日、我が国フリージア王国は貴方の味方です。」
女王の言葉に気圧された俺は、ただ頷くことしかできなかった。
…そして俺は知ることになる。
世界で唯一〝特殊能力者〟という存在を持つ、大国フリージア王国の
その、真髄を。




