そして、落とす。
「っ…………」
ステイル達は、先生に捕まっている間に何かあったんじゃないかと心配してくれたけれど、そっちは大したことじゃない。
むしろ〝先生で良かった〟とさえ思った。……それくらい、わかるまでが怖かった。ティペットに遭遇してから、ずっと、ずっとまたあの場所に戻っていたらと考えるだけで息が詰まる。
足先が痺れるように冷えてきて、裸足の指先を擦り合わせる。
毛布に丸まって、外から見たらもぞもぞ芋虫のような状態だろう。少し冷たさはマシになったけれど、身体の芯が反して冷えだした。喉からそのまま骨まで冷たく、乾いていく。
水を飲もうかと思ったけれど、水差しにまで歩くのもできない。包まったまま、抜け出すのも嫌で動けなくなる。今はここから出られない。……ああ、まずい。
奥歯を食い縛ったら、力が足りなくて顎が震えた。歯が鳴りそうになって、音が溢れないように毛布にすっぽり顔まで引っ込ませる。声まで出てしまうかもしれない。こうなるから、絶対なるから、だから母上との同室も駄目だった。
堪えられる気がしなかった。
同室になったら、ベッドが離れても絶対母上にバレてしまう。今だってもう声を出さないので精一杯なのに、このまま寝付くまで母上に隠し通せる自信がない。
眠れても、もし魘されでもしたらそれだけでも母上に心配かけてしまう。ああもう二回、じゃなくて三回も寝た所為で余計に全く眠れない。明日はまた朝から忙しいのに
『いいえ、買い物です』
「~~ッッ……………っでてこないで……!!」
一人の部屋にして貰えて良かった。
とうとう過ってしまった彼女の声と横顔に、嫌でももう一つの影も浮かんできて。どうにもならない自分の身体と記憶に言い聞かす。今度は奥歯じゃなく口の中を噛んだ。痛い分、紛らわせれればそれで良い。
痛いからじゃなく、口に出したらすっきりするどころか余計にぶり返してきて、震えて食い縛ろうとしたら歯が鳴った。自分に一番よく響くカタカタという音に、本当に怯えているみたいで、顔中の神経が強張るのがわかった。
悲しいわけでもないのに目尻が濡れてきて、本当にまずいとわかる。こういうのは一回ぶり返すと止まらないのに。
こうなるから、別室にさせてもらった。
昨日は母上と一緒だった部屋に一人きりなのが余計に胸が苦しい。でも、ここで母上にバレないで済んだことに安堵する。もし、こんな姿見られたら絶対に母上は明日の外出を許してくれなくなった。こんなに怖いのに何故外に出るのと言われても仕方ないくらい、時々頭が白くなるくらい、…………あの男に繋がるティペットが怖い。
深く考えちゃ、駄目。考えるとまた魘される。また悪い夢を見る。また眠れなくなる。そんなの、あの男が生きていると知ってからもう学んだ後なのに。
考えちゃいけないと思えば思うほど嫌でも脳が勝手に想起する。本当に、止めて欲しい。目を閉じると暗くて怖くて、目を開けるといつティペットとアダムが姿を現すかと考えてしまって駄目で、視界一つだけでもどうすれば良いかわからなくなる。
自分でも、わかってる。
父上に、そしてティアラに止めてもらうまで。本当に目の前のことを考えるのでいっぱいになっていた。自覚した直後が一番まずかった。
それだけ必死にティペットを、先生をと考えながら、何を一番考えないようにしたかったか思い出してしまったから。
ティペットに近付いたら、あの男にも遭遇する可能性が高くなると少し考えればわかった筈なのに、それすらも考えられなかったことに自分でも戸惑った。もう、他の新しい情報で頭を埋め尽くして考えたくて動きたくて仕方が無かった。とにかくあの男以外のことならなんでも良かった。
「お願い、寝て、寝て、寝て」
今度は声に出ないように口の中だけで唱え、繰り返す。
自分に言ったって、考えてしまうのも自分なのに止まらない。両手で耳を塞いだら、脈音と一緒に自分の心臓の音も近く聞こえてきた。ドク、ドクという音に、一瞬自分以外の音が入ったらどうしようと考えてしまう。耳を塞いでも自分の中の音は止められない。静かすぎるのも、逆に怖い。
両耳から手を放し、包まったまま自分で自分を抱き締める。
肩に触れる自分の指先がやっぱり震えていた、力を込めても駄目だった。いっそ大声で叫びだしてしまいたくなったけれど、そんなことしたら騎士達に聞かれてしまう。今だって、きっと廊下で温度感知の騎士がこっちを確認してくれている。
覗きのようなことにならないようにと、ぼんやり部屋の人数がわかる程度の輪郭で視認する特殊能力の騎士が配備されているけれど、震えまで気付かれずとも体温とか見慣れているならまだ眠れていないのはバレているかもしれない。
じっと眠れるまで毛布で待って、考えないように数字を数えてはまた別のことを考えてしまって、また数え直す。途中から、静か過ぎるよりも部屋の外の音が少し聞こえるくらいが落ち着くと気付く。
むしろ静か過ぎる部屋で、急な物音とかの方が怖い。時々聞こえてくれる方が、部屋の中の音ではなくて廊下の音だと思えるから。
騎士達が優秀であまり音も立ててくれなければ、話し声も聞こえないのが正直苦しい。もっとわいわい話して欲しいと、今だけは思う。いっそ、窓の外の方が聞こえる音が多い。風に窓が叩かれて、上階でもやっぱり通り過ぎる人の声とか馬車の音はうっすらと聞こえる。夜が更けるほど、なかなか通る人もいないから静かになってしまうけれど、ドクドクと自分の心臓の音よりはずっと好き。……やっぱり眠れない。
駄目、そんな我に返るとまた込み上げる。定期的に、眠れてないと気付く度に来る。ぞわりと寒気が襲ってくる。ああもうやだ、また来る。また震えから戻ってくる。
本当に、本当に考えたくもないのに思い出したくもないのにお願いだから。そう思った矢先に今度はコンコンと窓の音がノックのように鳴りだした。ヒッ!と、思わず最初に悲鳴が溢れてしまう。
タイミングが最悪だった。うっかり大きな声になってしまったのか、廊下からも厳戒態勢の騎士が「プライド様!」と控えめなノックと共に呼びかけてきた。
自分の口を手で押さえたまま指の隙間から慌てて「大丈夫です!」と大きな声を出してしまう。ああもう起きてるのが完全にバレてしまった。結構な深夜だった所為で、一回の悲鳴も許さないとばかりに廊下が薄くもざわつき始める。
慌てて私も飛び込まれたら困ると起き上がって髪を手櫛で整える。せっかく体温で温まっていた筈の毛布がベッドから半分落ちる。バクバクと耳を澄ませなくても心臓が倍の音でうるさくなった中で廊下も物音が聞こえ騒がしくまたコンコンッって音がして、正直に肩が上下する。顔ごと窓に振り返れば
「……ヴァル?」
え。って、一音が溢れるより先に、わかってしまう。見覚えのある、カーテン越しの影に考えるより確信が先立った。嘘。
気付いたらベッドから飛びだして窓に走っていた。どうりで廊下が騒がしい筈だ。まるで耳栓を取ったかのように急に周囲の音がよく聞こえだす。とっくにざわざわどころじゃない「敵か?!」「本人か確認しろ!」となかなかの騒ぎで、もう今回はとっくにバレている。厳戒態勢の宿でなにやってるのあの人見つかるに決まってるでしょう!!
母上達を起こしてしまう前にと、慌てながら同時に変に胸が弾む。パタパタと足音を消すのも忘れたまま駆け寄りカーテンを掴むまで影を凝視し続けた。大丈夫、この影は間違いようがない。「大丈夫です!」と気付けばまた口が廊下からの呼びかけに応え叫んでた。
両手でカーテンを掴み、大きく開く。視界に当然のように立っていたのは、やっぱり思った通りのヴァル本人だった。
私が近付いてきてるのは影で向こうもわかったのか意外そうな顔はしなかったけれど、勢い良く開かれたのは驚いたのか少し眉が上がった。こっちはその百倍驚いたし大変なことになりかけているのだけれども!!!!!
「なにを」と言いかけて、まだ窓が閉まったままなのに気付く。息を引き、薄い月明かりとランプの光だけを頼りに厳重に閉じられた窓の鍵を開く。ランプ消さないでおいて本当に良かった。
鍵を暗い視界とほぼ手探りで開けている間にも、二回は「私が呼びました!」と不審者ではないことを騎士に伝えた。しかもガチャンと鍵を開け窓を大きく外に開けば、外もなかなかの騒ぎになってる!!撃ち落とされなかったのが奇跡だ。配達人だと誰か気付いて止めてくれたのか。
外の空気に自然と肺を膨らませた。窓にぶつかりかけたヴァルに苦情を言われる前に私から声を出す。
「なにやっているの?!もう日時超えてますよ?!」
「アァ?みりゃあわかんだろ。起きてる奴に言われたくもねぇ」
むぐぐっ!!と、人の部屋に窓から突撃訪問しておきながらまったく悪びれない人に、開き直られて思わず口を結ぶ。
とにかく入って下さい!と、仕方なく腕を掴み部屋に引っ張り込む。本当に撃ち落とされたらどうするつもりだったのか。王族が滞在していると隠す必要もない宿で、周辺を騎士が囲っているのを彼も知ってる筈なのに。裏稼業の狙撃と我が騎士団の狙撃は命中率が違う。
特殊能力で壁伝いに移動してきたのだろうヴァルをとにかくまずは部屋に引き込んでから、窓を閉める。これで取り敢えず外からの安全は確保されたと思いたい。途端にまた廊下から「ご無事ですか?!」とさっきより強い声で呼びかけられて、私も合わせるように声が大きくなってしまう。カーテンも閉めようとしてくれないヴァルを窓辺に置いたまま、今度は扉へ振り返る。一瞬でも躊躇えば、次の瞬間には間違いなく騎士がなだれ込んでくる。
「大丈夫です!私の配達人です!私が呼びました!しょっ少々話がありまして!!」
「へぇ??」
警備の騎士の方々本当にごめんなさい!!!!
そう心で絶叫する間、ヴァルがニヤニヤ笑ってこっちを見るのが視界に入る。大嘘つきの私を心配してくれた温度感知の騎士が「どうか一度本人確認を」とノックをするから、大人しく扉の鍵を開けてヴァルを見せた。ただでさえあんなことがあった日で、私も今は声がちょっと上擦っていたから納得百ではないのも当然だ。
「扉越しに監視は続行いたします」「鍵は開けて頂いても宜しいでしょうか」「騎士団長からも命じられておりますので」と、温度感知で監視かつ何かやったらヴァル相手でも突入逮捕の宣告をされ、騎士に申し訳なくて眉が下がった。
一度扉を閉め、口をぎゅっと絞った間も廊下が少しざわついているのがわかる。そりゃあそうだ。これで騒がない方がおかしい。
……そしてこっちは必死にフォローしたのに、とうの無断訪問者は暢気に欠伸を溢している。本当にこの人は!!!!
スーーーーハーーーーと深呼吸を三回繰り返し、それから改めて彼に向き直る。もう色々言いたいけれど、取り敢えず最初は皮肉と苦言を言わせてもらう。
「……よく無事に来れましたね。外にも、騎士が大勢いた筈ですが」
「地上にはな。お利口の騎士共は無作法な窓越しの移動は想定しなかったとよ」
しっかり見つかってたでしょうがと、声を荒げそうなのを飲み込む。
確かに、今日は彼もこの宿に泊まっている。そしてヴェスト叔父様が客間に訪れた時にも扉が開く前に窓から逃亡した人だ。
騎士が反応が遅れたのも全くの嘘ではない。今はただでさえ侵入者への厳戒態勢が高められているし、外から壁伝いにならばまだしも客室の窓から王女の宿泊する窓まで移動するなんて想定外だったのもあるだろう。
しかも彼の特殊能力なら迅速かつ音も立てずに移動できる。窓からの明かりも殆ど消えているだろう暗闇の壁際で、彼特殊能力で見つかりそうになっても壁の一部に身を隠すこともできる。
温度感知の特殊能力者も今は王族の部屋の周辺を中心に控えているし、もし彼らの目に引っかかって人がいることはわかっても、ヴァルが壁の向こうか、外か、壁の〝中〟かまでは判断つかない。トカゲやカメレオン以外でこんな芸当ができるのはヴァルくらいのものだろう。
それでも見つかって容赦なく射殺されなかったのは、騎士が「配達人」と気づいてくれるほど優秀で冷静な判断に長けてたからというのも忘れないで欲しいのだけれど。
考えれば考えるほどに頭が痛くなって片手で押さえてしまう。
「それで、……何か御用があるなら聞きます。あまり長くはいられませんよ。温度感知の騎士だっているのだから」
「なんだぁ?温度感知の目さえなけりゃあ長居しても良かったのか?主」
溜息交じりに言えば、また揚げ足を取るようにからかってくる。
ニヤニヤ笑いながらも、彼も彼でなにげに声は抑えられているから突入されて困るのはわかっている筈なのに。
少なくとも温度感知の騎士に誤解はされないように、彼に向き合うよりも横並びに隣に立つようにだけ心掛けながら、いつものようにすぐ返事が出ない。そんなわけないでしょうと言おうとした喉が、頭が躊躇った。
自分でも驚いて目が丸くなったのがわかる。沈黙で返してしまう私にヴァルも「主?」と自分からすぐ聞き返してきた。ヴァルの隣に並びながら、目を合わせられない。また、何か襲ってくる感覚にまずいとわかり必死に表情を押さえながら意識的に口を動かした。
「そんなわけないでしょう」と今度こそ言えたけど、……少し声が枯れ混じりになった。ヴァルの顔も見ないで、騎士がいつ飛び込んでくるかわからない扉に視点を置きながら、髪を耳にかける。ああまた指が震えてる。意味もなく笑おうとする口が、急に歪になる。焦点が合わなくなるなと思って少し下に落とせば、滲んだ。「主」とまた呼ばれた気がしたけれど、今度は声が出ない。出したらまずいと、喉の奥の熱が言っている。なのに
ああ今私はいて欲しいんだと。
「……っ…………いてくださいッ……っ……」
ぽたりと、滲んだ先が掠れた本音と一緒に落ちてしまった瞬間。
唐突に肩から触れ、引き寄せられた。
2話更新分、次の更新は水曜日になります。




