そして託されたい。
「…………。ティペット・セトスは、主人の命令でフリージア王国に甚大な被害を与えた。だから今は追われている」
先生は「セトス?」とそこにだけ小さく唱えたけれど、その続きを聞く事の方が重要と言わんばかりに耳を立てて一音も聞き漏らさない。
ティペット・セトスそう彼女が名乗ったのは、アダムの側室としての立場で立っていた時だけだ。ゲームではノアも彼女のことを『ティペット」としか語らなかったけれど、他の家名があるのだろう。……彼女の本当の名前なんてアダムが知っているわけがない。奴隷として、商品として買われた人間の家名を知る人間なんてきっといない。
「ジャンヌにあんな愚行を犯さなければティペットの捜索の協力をお前に頼んでいたが、……残念だと言っておこう」
「ッあれは!……っ。ややこしい真似をした貴方達が悪い。ティペットを追っている商人と聞けば誰だって」
「どこがややこしい。ジャンヌをあんな目に遭わせて良かった正当な理由を〝ティペット〟の名前は使わず言ってみろ」
ギギギッ……と直後に軋ませる音が先生の方から聞こえた。
見ればステイルを見上げるまま下顎が微弱に震えている。もしかして先生は私達を奴隷商人とでも思ったのだろうか。ティペットが人身売買に捕まったことまで知っているなら、そこからティペットを追いかける〝商人〟に何を連想するかは、……確かに無理もない。用心棒と呼べる腕利きの男性まで揃っていた。
気になって先生が目を離さない先のステイルの顔を覗こうと、身体を傾けてみる。
肩を支えられたまま構わず傾いたらうっかりぐいぐいそのままカラム隊長に身体全部もたれかかるような形になってしまった。これには困ったのかカラム隊長からも無言で息を詰まらせる音だけ零された。
私も慌てて見上げ、ごめんなさいの意思を込めてぺこりと頭を下げる。大きく仰け反るようにして私を支える為の手ももはや添える程度になったカラム隊長から、首を横に振って許しはもらえた。結構辛い体勢維持を余儀なくされて血色が濃くなっているカラム隊長に今度こそぶつからないように姿勢を浮かせてまた身体を傾ける。
ステイルの表情は、きっと今もさっきまでと変わっていない。先生へ向けて文字通り射抜くような眼差しだった。黒槍そのものだ。さっきみたいな黒い覇気はなく、がっつり怒ってるしその証拠に容赦もない。
「……もし、私が今ならば全面的に貴方達に協力しても良いと」
「牢獄で頭を冷やせ。今のお前ではまたどんな逆恨みで他者を襲うかもわからない」
今が冬で良かったな、と。皮肉も混じえる判決に迷いはない。
眼鏡の位置を指先で直すステイルに、先生が今は額を湿らせているのが半歩下がったままの距離からでもわかった。視線をステイルから外したと思えば、瞳が左右に大きく彷徨った。
何か今から言い訳を探しているようにも、気が動転しているようにも見えるけれど真意はわからない。ただ、ティペットのことを考えていることだけはわかる。
彼女の具体的な状況を知った今、のんびりしていられるわけがない。むしろ今の今まですぐに市場ではなく私からの情報収集に努めた方がおかしい。
「か……彼女が今魔の手から逃げ出しているとしたらどうです?ならば知り合いの私が率先して捜索すれば彼女が出てくる可能性も」
「話にならない」
ガシャンと刃が落とされる音が私の頭の中でだけ響いた。
先生からすれは一縷の希望と自分が一時的にでも彼女捜索に出る為の可能性なのだろう、それはわかる。ただ、先ず彼女がアダムの手から逃げるのは今じゃない。もしゲームの展開が早まっているとしても、彼女が何かしらの使者としてここに訪れているらしい発言をしていたと既に私はステイル達に話した後だ。何より、既に我が騎士団が大勢市場中を捜索している筈だ。
温度感知の特殊能力者とも連携した中で騎士に見つけられなければ、先生一人いても見つけられるとは私にも思えない。彼のティペットへの想いの強さは本物だけど、同時にゲームスタートまでは彼女を見つけることが叶わなかった人でもある。……だけど。
「フィリップ様」
そう、ステイルへ呼びかけながらそっと彼の背へと手を伸ばす。アーサーの隙間から触れる前に声をかけたから、声以上に驚かせずには済んだ。
ぴくりと身体を揺らすステイルはすぐにこちらに振り返ってくれた。アーサーも道を開け私の傍へとぴったり付いてくれる中、私はステイルと目を合わせ首を一度だけ横に振る。もう充分、必要な分は誤解も後悔もさせることができた。
ステイルは一瞬だけぐっと眉の間を痙攣でもするように狭めたけれど、それでもゆっくりとした動作で私に道を開けてくれた。
手足の拘束のまま暴れる様子のない先生へ前に出る。手が届く距離までいきそうになれば、素早くアーサーとアラン隊長に手を伸ばし同時に阻まれた。
剣を構えるハリソン副隊長まで、先生はまだ何もしていないのに彼へ突きつける剣の角度を鋭くした。一触即発の張り詰めに私の方が心臓が縮こまる。
呼びかける前から、先生と目は合った。険しい表情で睨む彼が今は怖くない。最初の捕まった時の傍若無人が嘘のように今の彼からは余裕のなさが滲み出ている。
見下ろす角度が落ち着かず、距離を詰められないならせめてと両膝を折りしゃがむ。
「先生、聞いてください。約束は守ります。もしティペットを確保したら必ず貴方に会えるようにします」
「……」
先生から、返事はない。ステイルへのように言い返しも話の逸らしもない。ただ、私と話したくないというよりも様子見をしているような印象だった。結ばれた唇がきつく、内側を噛むほど歯に巻き込まれている。
返事のない彼に、一方的に呼びかける。仕方がない、だって私達みんなまだ先生に信頼してもらえるような関係ではないのだから。その上で脅して情報を聞き出させてこれから衛兵に突き出すというのに、心を開けなんて無理な話だ。
だから今はただ聞いてもらえれば良い。
「その為にも、……サーカス団にいてください。ティペットを見つけても貴方の居場所がわからなければ会わせようがありませんから」
この人にされたことを一から百まで許したわけでもない。
だけど約束は約束だ。何より彼女に狂おしいほど会いたいという気持ちは否定したくない。
もし、もしも私が介入したせいでこのまま彼がティペットに会えないまま終わってしまったらそれこそ最悪だ。……そしてきっと、彼の悲劇はまだ終わっていない。いまも、この先も
ティペットに会えるまで生涯永遠に。
「……ティペットの心も取り戻せた時、貴方がいてくれないと彼女は本当に一人になってしまうかもしれませんから」
息を引く音が複数、聞こえた。……うん、言いたいことはわかる。今、かなりの安請け合いをしてしまっている。彼女を前に縮こまって何も出来ない私に何を言っているんだと思うだろう。だけど、今は彼女を捕える為の明確な理由がもう一つできた。
彼女が、……彼女を使役するアダムが私をこのまま放っておいてくれると考える方が難しい。なら、私が一番彼女に接触できる可能性もある筈だ。
ゲームの設定通り、そして先生も言った通りであればもう彼女に帰る家があるかは怪しい。彼女は村の人達と良い別れ方をしたとは言い難いし、親もいない。ノアルートに入った時でさえ、村に帰らずそのままノアと新生サーカスにいた。今思えば、ゲームだけなら普通に村で幸せにでもおかしくない二人だったのに。
なら、彼女がアダムでも、それとも奴隷の調教洗脳でも、正気に戻った時に今の彼女は記憶の有無関係なく一人だ。もし本人の意思なら残酷な裁きだってあるけれど、それでも一度は彼に会わせるべきだと……ううん、会わせたい。……そう、思う。
「……手を」
ぽそりと独り言のような声は私にしか拾えない小ささだった。
手を拘束された先生は、まだ床に手を垂らしたままだ。さっきよりどこか鋭さのなくなった眼差しで言われ、少しずつ手を伸ばしてみる。やっぱり一度アーサー達に手や肩を掴まれ、阻まれ止められたけど今回は許してもらう。
「ちょっとだけ」と彼らに呼びかけ、距離はそのまま手だけをぐっと伸ばす。ぎりぎり届かない距離だけど、前のめりになって先生もハリソン副隊長の無言の許しを得て身体を起こし手を伸ばせば指先ちょっぴりは届いた。握手の代わりのように手首が拘束された状態で自由な部分で私の指先を摘む。
指だけをみると女性とも間違えそうな細くて白い指だ。
「…………貴方にしたことだけは、……謝ります」
すみませんでした。と、言葉こそ丁寧だけどまた早口の低い声だ。大人に謝れと言われて仕方なくのような口調はノアに近いけれど、それでも今までの謝罪では一番心がこもっているように感じた。
本当に、摘むだけ。三本の指で挟まれているような柔らかさに私を引っ張るほどの力も拘束力もない。非力な私でもちょっとひっぱるだけで簡単に抜け出せる程度の力だ。ぴんと冷たくて、湿った指先は彼女のことでまだ身体の全部が忙しく循環しているからだろうか。
この誠意も、ただ私達が本当に約束を守るようにする為の保険や予防なのかもしれない。……それでも、構わない。希望を少しでも託してくれるなら。
私の指先を見つめる先生の目は遠いけどその分人肌の温かみがある。
「……ティペットは透明なら触れれば何でも……ただ透過は、当時は自分一人しかできませんでした。今も、限界程度はあると思います」
ぼそ、ぼそ、ぼそと。本当に耳を立ててなかったら独り言として聞き流してしまったほど、平らな声で……最大の有力情報に心臓が跳ねた。
先生が言い終わるまで声どころか表情にも反応を出せなかった。私だけじゃない、皆んなの呼吸の、音まで止まったと思うほどの静けさに耳を塞がれた。
三秒以上遅れて「え」の音が出れば、ほんの少し早くステイル達からも「それは!」「え?!」「は?!」と目が覚めるような声があげられた。聞き返すようなその声の張りに、先生一人は微動だにせず「衛兵呼んでくださーい!」と伸びやかな声を上げた。
先生の笑みでにっこり笑って、「お礼とお詫びです」と一体どれのお礼とお詫びかもわからない一言で締め括る。もう二度は言わないと言わんばかりに口を結ぶ彼は、その後誰が何を言っても結んだ口を開こうとはしなかった。
二時間後、衛兵により連行されても。
最後まで。




