Ⅲ198.騎士隊長達は把握する。
「アンジェリカですぅ!べっつに~アレスには言ってないけどぉ~?ていうか起きるのおっそーい!」
いつもの調子で喧嘩を売ってくるアレスに、アンジェリカもまた変わらない。
朝食の時間にも見当たらなかった存在に、自分の方が早起きだったことを暗に示す。公演期間後の休日でもわりと朝が早いことの方が多いアレスだが、今日は珍しく誰も姿を見ないままだった。
アンジェリカからの嫌味に、ガシガシと頭を掻きながらアレスもまた顔を険しくさせる。今日は起きなくて良いという安心感の影響もあったが、アレス自身目が覚めてから時間の経過には驚いたばかりだった。自分以外殆どの団員が起きて活動しているなど、今までそうそうあることではなかった。目が覚めて一瞬、昨日の一部始終が夢だったのかと疑ったくらいには混乱した。
サーカス団入団以降も過去の悪夢に苛まれることが多いのに、昨日は泥のように眠って夢すら見なかった。あまりに眠れた所為で達成感にも近い爽快感と、頭のすっきりした違和感に今も足下がふわふわとする。
いつもなら目が覚めても頭がぐらつくのに、今は真逆だ。目が覚めて外に出て、自分より早く団員達が起きていてしかも去った筈のアランとカラムがいれば、本格的に今が夢の中じゃないかと疑いが強まった。アンジェリカの嫌味を聞くと、少なくとも自分の都合の良い夢の中ではないと確認できる。
そしてどう言い訳しても自分がこの時間まで寝ていたことは揺るぎない事実だ。
口を噤むアレスへ、アンジェリカから再び「寝過ぎ~」と茶々が入れられる。うるせぇと舌打ちを溢しつつ、アレスは地面の感触を確かめながら歩み寄った。
「昨日は色々あって疲れてんだよ……仕方ねぇだろ」
「カラムとジャンヌちゃんに氷出し過ぎた所為じゃなーい?恋した途端見境なくなり過ぎ~うざー」
「うっせぇ!!あれは惚れるとかそういう次元じゃねぇんだよ!!!!!」
昨日の黒歴史を易々とほじくり返してくるアンジェリカにアレスも声を張る。
今度は怒鳴るだけでは足りずカッと顔まで赤くなった。拳を握り、近距離とは思えない勢いで怒鳴る。オリウィエルの特殊能力にかかっただけで本意ではなかったと誤解は解けたアレスだが、彼女の特殊能力が特殊能力の為にそんな風に思われるのは屈辱だった。
惚れてしまっていたことは事実だが、しかしそこで彼女の為になんでもやろうとしたのは惚れた弱みよりも強制力に近かった。自分がかかってみれば余計に、たった一人で彼女の洗脳を全てを受けていたラルクがどれほど抗えなかったかも理解できた。女に惚れたくらいで、の域ではない。もう自分はそれが正しいとしか考えられない頭にされたのだから。
ここで本音を声に出せるのならば、たとえ本心から惚れる女性が現れようとも絶対に自分は団長や団員に危害を加えないと断言したい。むしろそんなことをしないと一緒にいれないような相手であれば百年の恋でも冷める。
オリウィエルの特殊能力による恋は確かに酔っているような心地良さもあったが、今思い返せば気分が悪くなるだけだ。恋に溺れる、という言葉は団長からも聞いたことがあったが、そんなことの為に自分の大事なものを見誤るくらいならばもう本当の恋は一生したくないとすら思う。
「フィリップ達は惚れるとか恋とか魅了とか色々言いやがったが結局洗脳されてんだからどうしようもねぇんだよ!!お前だってラルクから秒で見切りつけられたんじゃねぇか!!団長から聞いて知ってんぞ!!」
「べっつにラルクはもともと恋愛としては眼中にないしぃ!!友達より恋人優先する系なんだ~って思っただけで~!!私だって絶対浮気許さない派だしぃ!?」
人差し指でアンジェリカを真っ直ぐ指差すアレスに、アンジェリカも迷わず手の甲でそれを弾いた。
テントの中とはいえ、大声で喚くアレスとアンジェリカに、段々とアランとカラムも聴取どころではなくなってくる。この場にラルクがいたら居たたまれなくなるのだろうとカラムは思いながら目の動きだけで本人がいないかを見回した。
昨日も少し親しげな様子は見えたラルクだが、まさかアンジェリカと仲が良かったのかと内心驚き眉が上がる。アンジェリカとラルクはあまりに性格が違い過ぎる。アレスに対してすらこれである。
オリウィエルに恋慕を抱いたラルクが誤解させないように他の女性関係を一切切ったのは理解できるが、今のアンジェリカの反応を見ると彼女もショックだったのかと察した。それほどにアレスの人差し指を弾く手には力がこめられていた。
アランはこのままだと長くなりそうな二人を見比べると、苦笑いのままさっきまで話を聞かせてくれた団員達へ顔を向けた。彼らの喧嘩はもう珍しくない為、団員達も声は出せずとも驚きはない。むしろ今日は特に元気だなという感想程度だ。
「そういやラルクさんはどこに?まだ寝てますかね」
「ちょっと前に猛獣小屋で見たぜ。復帰初日から猛獣の餌やり遅れたって大慌てで面白かった」
投げ掛けたアランに答える下働きの言葉に、アレスもぐるりと首を回す。
アレス以上に睡眠不足の日々を過ごしていたラルクだが、猛獣達の餌やりをしないといけないという使命感分は早く起床することもできた。団員達からすれば今まで餌やりも掃除も世話の殆どを自分達に丸投げしていたラルクが急に必死の形相で駆け回る姿はそれだけで新鮮だった。
そして、過去のラルクを知らない団員達に至っては目を皿にして眺めてしまうほどに今までの彼とは違う行動だった。それまではオリウィエルが風邪を引かない限り駆け回らない男だったのだから。
あまりの慌てぶりのラルクに、何かまたあったのかと追いかけた団員も多い。仲にはまたオリウィエルの元に急いでいるのだと考えた者もいる。
「直後、猛獣小屋に象以外いないの見てオリウィエルの小屋に怒鳴り込んでました。レラさん大変そうでしたよ」
「オリウィエルが泣き叫ぶと猛獣達が牙剥いて、それでラルクがまた怒り狂うから」
「無理ねぇよ、ラルクは入団してからずっと猛獣にそんな扱いされたことねぇんだ」
下働き達の言葉にディルギアは目が遠くなりながら相づちを打つ。
鞭を鳴らせば姿勢を伸ばしラルクに従うべく反射的に身体が動いた猛獣達だが、それでもオリウィエルを泣かせるラルクはその時点で〝敵〟として認定された。鞭の音で服従の構えで止まり、飛びかかるまではしなかったがラルクからすれば猛獣達に敵対の目を向けられるだけで心痛も凄まじかった。
今まで自分はアレスや団長にこんな目を向けていたのかと思い知らされると同時に、やはり猛獣達の心が自分から奪われたことに新たな怒りがオリウィエルへと沸騰した。
「さっさと僕の猛獣達を返せ!!」と怒鳴るラルクと、途端にわんわん泣き出すオリウィエル。そして二人の間に立って、彼女も自分を守る存在がいないと不安なのだと、か細い女である自分では安心させられないのだとオリウィエルに代わって平謝りするレラに、ラルクもそこで強くはでれなくなった。
オリウィエルのことは許していないが、レラにはむしろ今まで苦労をかけた分敵わない。洗脳される前からレラのことは気に掛けていたラルクには、彼女を無理矢理押しのけてまでオリウィエルに怒鳴れるわけがなかった。
ディルギアの言葉に「マジですか」と団員達が視線を上げる。
ラルクが猛獣使いとして立場を得て数年経過している為、入団当初のラルクを知る人間は少ない。まさか猛獣使いになる前からラルクに懐いていたなど、言っても信じないのだろうとディルギアは静かに思う。
アンジェリカとの戦争から、意識がラルクの話題に耳が傾いたアレスもそこで前のめりになっていた身体が真っ直ぐ伸びる。ラルクが朝から慌てていたのも、他の団員には意外な姿でもアレスにとっては彼らしいと思う。昨日まではサーカス団員の幹部として経験も豊富で落ち着き払い冷たい印象の方が多かったラルクだが、もともとは気の弱い青年だ。
ラルクの話題に視線をくれるアレスに、アランから「どうもアレスさん」と遅れた挨拶で手を振ればそこでアレスも大きく息を吐き出した。「お前ら……」と言いながらアンジェリカを視界から外したままアランとアラムに向き直る。
「アラン、カラム。昨日の今日で本当にすぐ来やがったな」
「お世話になります。けど今日は団員としてじゃなく聞きたいことがあって来たので」
「お忙しいとは存じておりますが、アレスさんからもご協力頂ければ幸いです」
昨日まさかの事実と共に脱退したアランとカラムが平然と戻ってきたことに面の皮が厚いとは思うアレスだが、しかし嫌とは思わない。
「いや忙しくはねぇよ」と協力の意思を伝えつつ、それよりも短期間でがっつり馴染んでいる二人に改めて呆れた。ほんの数日なのに、脱退しても人が集まるなどそれだけ慕われている証拠である。自分が入団した頃は一ヶ月経ってもここまで団員と仲良くはなれていなかった。ラルクのことや、サーカス団で役に立つことばかりを考えてそれ以外の余裕がなかったこともある。
そう考えていると、急に喧嘩と離脱されたアンジェリカに「無視しないでよぉ」と背中を肘でグシグシと突かれた。微妙に痛いが、今度は口で「無視じゃねぇよ」と言うだけで怒鳴るまではやめる。よくよく考えればその頃には自分を目の敵にすらしてきたアンジェリカが、ここまで自分に馴れ馴れしくなってくれたことは悪いことでもないと今は思う。
「オリウィエルはいかがですか。レラさんも無理をなさっていなければ良いのですが……」
「まーなんとかな。レラは暫く他の下働きは大幅免除で決まった。赤ん坊育てるより面倒なのは間違いねぇからなあのクソ女」
カラムから心配されれば、アレスも髪を掻き乱しながらオリウィエルのいる小屋の方向をみやった。
ここ暫くは団長テントに滞在していた彼女だが、今は個人テントで一人だ。本来ならば世話をするレラと同室でも良かったが、オリウィエルと同室ならばともかく猛獣と同室は流石のレラも現時点で断った。無理ですごめんなさい怖い食べられちゃうと泣きながら同室を嫌がったレラに、誰も無理強いできるわけもない。オリウィエルの隣のテントで寝ることでなんとか落ち着いた。
今も同室は免れたものの始終猛獣達に囲まれているオリウィエルの世話はそれだけでもレラには負担だった。泣き疲れ甘えられる役割は猛獣が担っても、服すら着ようとしない生活リズムすら存在しない女性にサーカス団の一日の流れから雑務を教えるのはそれだけでも相当な労力だ。
「聞きたいことあるならさっさと済ませろ。昼になったら街降りて暫く戻らねぇから」
「?何か用事でもあるんですか?」
質問に答えてくれるアレスに安堵しつつ、アランはそちらも気になった。今日はサーカス団全体が休みならば買い出しも別日にするんじゃないかと考える。もともと姿を徹底的に隠しているアレスは下働きと同じく買い出しも可能な一人だが、少なくと食料は昨日のうちに足りている。
他の団員達もそんな用事あったかと思い当たるものが見つからない。ディルギアから「何か団長に言われたか?」と尋ねれば、アレスは首を横に振った。まだ今朝は団長に会っていない。アレスが目覚めた時には既に団長はステイルを部屋に招いた後だった。しかし
「……オリエ用に野良動物捕まえてくる。けしかける為じゃねぇぞ?アイツそうしねぇと永遠に猛獣手放さねぇだろ」
馬車と檻も借りるぞと、そう回りの団員達に断るアレスに元団員のアランとカラムも大きく頷いた。
なるべく彼らサーカス団が円滑に回るようにと、ディルギアと平行して早速カラムはアレスにも調書を取った。