Ⅲ193.騎士は困惑する。
─ あーーークソ。格好わりぃ……
「なんだ結局冷やかしか?たく、仕方ねぇなあ」
奴隷商の荷車を確認して五件目、エリックを先頭に確認したプライド達だが結果は変わらなかった。
すみません、と奴隷商に謝罪をするエリックに続き、ぺこりと頭を下げるアーサーだがネイトの発明によりその動作も奴隷商の目には認識されない。
レオンが一件目から難航している中、五件全てエリックに負担をかけていることをアーサー自身申し訳なく思う。プライドも小さな声で「すみません……」と調査協力してくれた相手に謝りつつ、奴隷商相手に目立ちたくない為首をすぼませてしまう。
そして奴隷商にはその二人よりも、偉そうにふんぞり返る背の高い男の方が自然と目についた。褐色の肌には見えないが、それでも態度の悪さは明らかに目に引っかかる。ぐらりぐらりとけだるそうに身体を揺らしながら進むヴァルに後ろから圧をかけられながら、アーサーもエリックの背後に続きまた荷車の外に出る。
プライドの手を取りながら。
「……リオの方はまだ相談中みたいね。大丈夫かしら」
「はい……それで、ジャンヌご気分は?」
「いちいち同じような会話ばっかして飽きねぇのかテメェらは」
交渉中のレオンへ目を向けながら首を小さく傾けるプライドに、アーサーも口の中を噛んでから手を取ったまま彼女の顔色を覗き込む。そのやり取りもさっきから荷車を確認する度のものだと思えばヴァルもうんざりと息を吐いた。
ここまでの四件で、プライドもアーサーも同じようなやり取りの繰り返しだ。レオンが難航していることを心配するプライドと、奴隷の扱いを何度も目にしては顔色を悪くするプライドを心配するアーサーは、お互い荷車から出る度に同じような言葉を繰り返していた。
ただでさえ荷車の中を確認してはまた出るの繰り返しでヴァルにとってはつまらない作業なのに、その上二人が同じ会話を聞けば無駄に嫌気が差す。ガシガシと頭を掻いた後、面倒になり「見てくるぞ」とプライドに一言断りを入れてその場を離脱した。
プライドが遠目にレオンがどうかしたのか憶測と心配ばかりを繰り返すくらいならば、もう自分の足でレオンから状況をせっついた方が早いと考える。
市場の左右で分担していたこともあり、今ではエリックとレオンも通りの幅以上に距離が開いている。荷車の外に控えていたハリソンも、プライドが出てきたことでくるりと一度視線をレオンにも向けた。まだ視力で確認できる距離だが、このままレオン一人が難航すればその内互いの動きを把握するのも難しい距離に開くのは誰の目にも明らかだった。
「どうしましょうか……。自分も一度リオ様の側を手伝う方が良いかもしれませんね」
「そうですね……。今、ヴァルが聞きに言ってくれましたから少し待っていて頂いても良いですか?」
レオンがその場で難航するのなら任せていたレオン側の他の店を先に聞き込みに行くかと考えるエリックにプライドも静かに頷いた。てっきり同時進行で交互に自分が確認にいく形かと思ったが、一方的にエリックの方だけが前に前に進んでしまった。
これ以上間が空く前にと、一時待機を命じられるエリックも一言で応じた。また目立たないように店と店の隅に固まり、ヴァルが戻ってくるのを待つことにする。
エリックが一緒に護衛に立ってくれることで、アーサーも気付かれないように深く呼吸した。お陰で自分もほんの少しは気を抜けると思う。
一度はレオン達が気になるように視線をプライドから逃がし、……同時に手の温もりを認識しては直視できないまま顔が熱くなる。ただ手を握っているだけなのに、炎でも掴んでいるようだった。
手の平が汗ばんでしまうんじゃないかと一瞬過っては必死に考えないようにする。もうハリソンもヴァルも、そしてエリックも誰も目にはついても指摘しないが、全員に見られていると思うと余計に恥ずかしい。
─ ッつーか普通に放してくれりゃァ良いのに!!
そう心で叫ぶが自分からは決してできない。
一件目の後にプライドの噂を立てる商人達から引き離してから今に至るまで、まだアーサーはプライドの手を取り続けたまま後に引けなくなっていた。
上下に手を重ね、互いに曲げた指を引っかけ合う程度の握りだ。すぐにどちらかが放そうとすればぽとりと離れられる。しかし、アーサーが手放そうとしない限りプライドに放す気はない。そしてアーサーも自分から手を取ったまま、どうしても放しがたかった。
いつもならば、商人達から距離を取らせた時点で手放したアーサーだが、今回はその前の状況が違いすぎた。
もともとは、商人の下世話な会話だ。
サーカスの話題をしているだけであれば、アーサーも自分の話題こそ聞きづらさはあったがそれでも昨日のサーカスが観客には問題なく写ったと確認したい方が強かった。更にはプライドの話題になれば、てっきり彼女の演目が良かったという話題になると思って気を抜いていた分にあの話題は不意打ちだった。
自分一人だったとしても聞いていられないのに、気付いていないとはいえプライドの前でそんな会話をされることは耐えられない。まるで彼女を侮辱されたような気さえする。恥ずかしさよりも腹立たしさが上回った瞬間だった。
プライドが商人の方へ顔を向けるよりも先に、続きを語られるよりも早くその場を離れたかった所為でうっかり合図もなく彼女の手を取って連れ出した。
今思えば「行きましょう」の一言くらいすべきだったと顧みるが、当時はあれが目立たないように最速で移動する精一杯だった。騎士団でもプライドの噂や話題は絶えないが、あくまで王族としての敬意を持った上での話だ。あんな俗な会話はない。
商人達は正体を知らないからとはいえ、あんな聞くに堪えないプライドの話題はアーサーにとって苦痛だ。何より、そういう話題でプライドに傷付いて欲しくない。
自分が連れ出してからきょとんとした様子のプライドから考えても、多分気付かずにいてくれたのだろうということだけが救いだった。自分だけでなくヴァルまで後押ししてくれたのもプライドの気が逸れた理由だろうとも思う。
しかし王族に嘘を吐けないヴァルの言い分を考えれば、本当に自分の駄々に付き合ってくれたという事実が余計恥ずかしい。いつもはプライドにとって身近な人間で一番そういう下世話な話題を振ってくるヴァルにまで手助けされてしまったのだから。
─……アイツ、まだ俺もガキ扱いなんだよな……
『次、は自分も胸お貸ししますンで……!!』
ふと過った思考は、今まで大して気にしなかったヴァルからの扱いだ。
元々因縁のあるヴァルに今更どう思われても気にしないアーサーだが、今は少しだけ胸に引っかかる。あの時も、自分が必死になっているのを見てガキだと思われたのだろうかと珍しく被害妄想まで膨らんだ。
プライドが最初の荷車を確認して気分を悪くした時、エリックはすぐに気付いて声を掛けたのに自分は気付けなかった。その前にレオンに言われたことがぐるぐる回った上でプライドの身の回りへ警戒を張っていたら、一番大事なプライド本人の体調への配慮が欠けていた。
今度こそはきちんとプライドの傍にと思って腕を貸すと意気込んだが、……その後に有耶無耶のままプライドが腕を組んだのは自分ではなくヴァルだった。
せっかくプライドと腕を組む覚悟を決めた分、今回だけは少し動揺した。そして動揺した自分に余計落ち込んだ。どんだけ必死になってンだ俺、という羞恥が頭に何度も巡った。
レオンに指摘を受けてから、どうにも上手く立ち回れず切り替えられない自分が恥ずかしくて情けない。宿の夜に自分が聖騎士の立場を盾にしてプライドから離れないと言い張った分の意趣返しは、アーサーの精神状態を波立たせるには充分だった。
─ つーかあの夜から、…………なんか。
いつもなら傍に立っていればそれだけで充分に何が起きても対応できた筈なのに、今は上手くやろうと肩に力が入るほど逆に転んでいるように感じられる。武器が手にしっくりこないような違和感だ。
レオンと別行動になった今、今度こそきちんと腕を組むぐらいやるぞと思ったのに、ヴァルから明らかに当てつけをされた上での完全敗北だった。
そんな後でプライドの手を取って商人達から離れれば、もう手放し難くなってしまう。
まさかレオンと全く違う、こんな形でプライドの手を取ることになるとは自分が一番思わなかった。結局、腕を組むまでは至らず中途半端な手を取るままに固まってしまっている。
今は人混みも軽いから良いが、これではレオンの時のような大勢の中を歩く時には逆に動きにくくなる。しかも手を繋ぐとも違う為、一緒に移動する中でも自然とは言いがたい。しかし、またここで手を離したらプライドがヴァルと腕を組むような気がする。そうなれば、またヴァルに馬鹿にしたようなニヤニヤ笑いを向けられることも、そしてレオンに残念そうに笑まれるのも想像できてしまった。
プライドが他の相手と腕を組むのが嫌だから手放さないなど、それこそ独占欲丸出しの子どもだとアーサー自身が一番思う。
しかしもう長時間手を取り合っているままなのに、ここで手を離すどころか「腕を組んでもいいですか」と言うのはアーサーには敷居が高すぎる。頭では護衛のつもりなのに、まるで欲を出しているように思われるのがここから逃げ出したくなるほどに恥ずかしい。そして何故こんな時に護衛中にも関わらずそんなことをチクチク気にしているのかも自分がわからない。
「……!戻ってくるようですね……」
そう考えている間に、エリックの声で我に返り息を飲む。
結局またプライドの手を取った平行線のまま過ぎてしまったと思いつつ、視線をエリックが向ける方向へと追いかける。商人と膠着状態レオンの元からヴァルが戻ってきた。
急ぐ様子もなく、向かった時と同じぐらりぐらりと歩くヴァルはプライド達の視線に気付いても特に足を速めようとはしない。通りを真横に突っ切れば、そこですれ違う男に肩をぶつけられた。チッ!と不快のままに舌打ちを溢し睨み付けるが、何もなかったようにそのまま去って行く男の背中に、それだけ自分が今は雑踏に紛れているのだと思えば苛立ちも削げた。本来の姿で過ごしていればあり得ない対応は、未だにヴァルには新鮮な感覚が強い。
ぶつかった肩を軽く手で叩きながらプライド達の元まで辿り着けば、自分が言い出すよりも先にプライドから「リオはどうでしたか」と尋ねられ、また舌を打つ。
「〝高級品〟の奴隷がいるが、言い値で買うって約束しねぇ限り見せもしねぇってよ。めんどくせぇから買って違ったら捨てるのはどうだ」
「……それはリオではなく貴方の意見ですね?」
ハァ、と。あまりにもざっくりしたヴァルの現状報告と意見にプライドも肩が落ちる。
一言で認めるヴァルへ詳細説明をプライドが求めれば、アーサーもやっと任務の意識が戻ってきた。手の平に重ねられる温もりよりも現状についてとプライドの身の回りの警戒に騎士として頭を働かせる。
レオンが最初に訪問した奴隷商が荷車に奴隷がいることは認めたが、簡単には見せられない高級品。今後高く売る予定も目処がついている為、簡単には見せられない。もし自分の良い値で絶対買うのならばこの場で取引はするが、そうではないのならば見せるわけにもいかない。買うと約束しないなら冷やかしはごめんだと。
そう突っぱねる商人に、レオンが根気強くどういう奴隷なのか本当に高級品なのかと探りをいれているところだが、商人は「本当に高級品なら買うのか?」とあくまで見せずの取引成立に頑なだった。
レオンが上手く聞き出した部分が正しければ高級奴隷は顔立ちが良くてしかも若い、そしてなかなか手に入らない人種だと。そう聞けば、プライドも確かに聞き捨てならない。情報だけ聞けば、攻略対象者の可能性は高いとも思う。
「まぁあんだけ張るんなら、上級程度はあるだろうな」
「上級って……特殊能力者以外にもあり得るわよね?」
そりゃあな、と。推測を挙げたヴァルもプライドに確認されれば軽く肯定した。フリージアの血があれば中級、特殊能力を持っていれば上級は固い。しかし、上級の奴隷が全員特殊能力者なわけではない。過去にそういう商売をしていたヴァルはその条件はよく覚えている。
性別、年齢、容姿、能力技能、手に入らない人種、出生によっては目の色や髪の色、奇抜な身体的特徴を持っていても良い。唯一というような規定があるわけではないが、高く売れる可能性があれば特殊能力などなくても上級に数えられる。
褐色の指を折りながらヴァルが当時の相場条件を口にすれば、アーサーと共に話しを聞いていたエリックの眼差しが少しずつ鋭くなった。全員がわかっていたことだが、目の前の彼が前科者であることをありありと思い出させられる。
アーサーも眉間の皺を深め、常時変わらないハリソンからの冷たい眼差しも重なる中で、いっそその不快な視線が心地良いとヴァルも敢えてニヤつきながら、舌が調子良く踊る。
「あとは芸があっても良い。頭でも腕節でも技術でも経験でも、そういうのひっくるめて手に入りにくい奴ほど高くふっかけられる」
テメェらも高く売れるだろうぜと、ここが奴隷商のたまり場でなければ言っていた。しかしここで軽はずみにでも言えば、本当に人狩りに標的にされかねないと思えばヴァルも流石に舌をしまった。
ヴァルの説明を聞けば聞くほど、やはり一概に特殊能力者ともフリージアの人間とも断定できない。しかし顔が整っていて若いというだけでも、攻略対象者の可能性は高い。
やはりどうしてもレオンと交渉中の商人に荷車を確認させて欲しいと思えば、プライドも額を押さえてしまう。正攻法を諦めれば、仕える手札は確かに多い。ステイルにも、ローランドにも、力尽くであればこの場の全員に可能だ。
「どうせ金はあんだろ。買えば良いじゃねぇか」
「そういう問題ではありません。大体、それで噂が広がって奴隷商全員が同じ方法を使ったらどうするのです」
レオンに言ったのと同じ言葉を投げるヴァルに、プライドも少し厳しい声で返す。
奴隷商人同士は商売敵だけでなく交流もある。ここで、荷車の中の奴隷を全員買う金持ちがいると知られれば今回だけに止まらない。ただただプライド達が散財し、奴隷商の懐が暖まるだけだ。そして、そうでなくても奴隷反対国の代表である自分達が安易に奴隷商人に金を落とすことなど許されない。
正体を隠していようともできることとできないことがある。あくまで金を落とすとすれば、それは違法に奴隷に堕とされた被害者を救うことに限る。そして、自分達の目的は自国の民を救うことだ。
はっきりと否定するプライドに、ヴァルも少し眉を上げてから頭を掻いた。
奴隷業界が儲かろうと潰れようと今の自分にはどうでも良いが、確かに同じ手法を使われるのは面倒だと考える。しかし、こんなところで躓いていれば霧がない。レオンがたまたま面倒な業者を引いただけで、この後の他の奴隷市場にもそういった駆け引きを使う商人はいる。商品に自信があればあるほど、高く売りたたきたいのはどんな商人も同じだ。
今までレオンとの聞き込みではフリージア人の奴隷はと尋ね情報を集めるだけで止めていたが、予知したプライドの目の確認が必要になると途端に面倒になってきた。自分のような混ざり者であれば商人すらも商品がフリージアの人間だと気付いていない可能性もある。
なら夜に忍び込めば良いとも一度考えたが、ああいう業者は市場が閉まると同時にどこかに消える。また明日もここに来ているという確証もない。
「取り敢えずリオに今は任せましょう。エリックさん、申し訳ありませんがリオの分もお願いします」
「わかりました。では自分からその旨もリオ様に伝えておきますね」
ここはレオンの手腕に任せることにし引き続き調査を托すプライドからの依頼に、エリックも駆け足でレオンの元へと急いだ。今も先が進んでいないことを気にしているだろうと思えば、自分が請け負う旨を伝えるだけでもレオンに交渉へ集中させることができる。
予定よりも大分無駄足を踏んでしまっている現状に、聞き込みにもう少し人員を明日は増やすべきだとプライドに提言すべきか少し悩む。
本音を言えば、アーサーとプライドが動けない分、ヴァルも聞き込みをしてくれれば今日だけでも円滑に進むが、彼に手を貸せと言うのはどうしても気が進まない。プライドと共に行動を取ることには文句もないが、エリック自身はまだヴァルに対して個人的には快くは思えていない。彼の功績もプライドへの想いもわかるが、過去の遺恨はまた別物だ。今は自分達だけでできることをやるしかない。
「もしくはハリソン、さんが……。…………無理か……」
思わず溢してしまったもう一人の聞き込み援軍にも、エリックは口の中だけで止め殆ど音にはしなかった。
今レオンが交渉している商人の相手をハリソンが相手していた場合を考えれば、諦めがついた。本来ならばこの市場を終えたら二手の案もあったことを思い出すが、この調子では難しいだろうと検討付ける。
予知の目があるプライドは仕方が無いとして、目立てないアーサーと交渉に不向きのハリソンとヴァル。
聞き込みには不適正な面々が揃っていたことに、エリックは一人苦笑いを溢した。
明日ラス為12巻発売致します!
よろしくお願いします。