Ⅲ192.侵攻侍女は聞き耳をたて、
「なんだ買わねぇのか。また今度頼むよ」
奴隷商に愛想笑いを返されながら、私達は一度また離れた。
エリック副隊長に任せ、一息吐く。荷車の中の奴隷も確認させてくれたけれど、露店に出されている奴隷よりいくらか値段が高いだけで攻略対象者でもなければフリージアらしき人もいなかった。まだ一つ目だしそんな都合良くいくわけもない。…………の、だけれど、やっぱりきつい。
体力じゃない、精神的にきつい。異臭も酷かったけれどその比じゃない。額を手で押さえながら、ハァと溜息まで吐いてしまう。今視線を上げるだけでも並ぶ奴隷が見えるけれど、暗い場所に押し込められている彼らをそのまま見過ごすというのがそれだけで鉛を飲んだような気分になる。
この国の法律に沿って商売をしているだけのつもりなのだろう商人に、私個人は愛想笑いも返せなかった。頭ではわかっているのに、まるで犯罪を見過ごしているような、自国の民じゃないからといって見捨てているような気分になる。すごく乱暴な話、彼らも全員お金で解決できるなら全員助けたい。……セドリックも、こんな気持ちになったのだろうか。
「まだ一件目じゃねぇか。残りいくつあると思ってやがる」
「だ、大丈夫ですか。その、……」
私へ呆れ混じりにごもっともなことを言うヴァルに続き、店の端に避けた私へアーサーがそっと腰を落として覗き込んできてくれた。
大丈夫、と言葉こそ返すけれど正直上手く足に力が入っていないという自覚がある。ちゃんと立ってはいるけれど、ヴァルに寄りかかっているような状態だ。最初こそふざけて私を腕置きにしてきたヴァルだけど、奴隷の荷車内を確認する間は私が引張り込んだ形のまま逆に彼にしがみつく形になってしまった。
容姿こそフィリップの特殊能力で別人に見えていても、身体が大きいヴァルとセットで動いた方が商人にもゴーグル効果で気にされないし、何よりこの人単体に置いておくといつハリソン副隊長の逆鱗に触れるかわからなくて怖かったのもある。けど荷車から離れた今も、ヴァルの腕にしがみついたまま寄りかかるように軸が傾いてしまう。
気がついてすぐさすがに悪いと思って自分で一回は立ったけれど、ヴァル本人はどっちにしろ全く意に介していないから少し今だけはしがみついたまま甘えさせてもらった。まぁこの人はケメトとセフェクにしがみ付かれたり寄りかかられり引っ張られるのも慣れているのだろう。
パッ見は私よりもはるかに怠そうなヴァルだけどこうやって私が寄りかかっても微動だにしないのを見ると、セフェクとケメトにもちゃんと腕貸してあげているんだなと今更ながらに見直してしまう。
エリック副隊長が次の荷車持ちの店に交渉へ行く中、次はレオンかしらと思うけれどレオンの方は少し難航している様子だった。
会話は聞こえないけれど、店の男の手振りから判断して多分荷車の中は見せれないと突っぱねているのだろう。人の目に見せないようにわざわざ荷車に入れているのだから当然そういう対応もいる。
「……いっそローランドに協力して貰った方が良かったかしら……」
「忍び込むってことっすか?」
「本格的に盗人の真似事じゃねぇか」
うっかり透明の特殊能力者頼り発言をしてしまえば、直球がアーサーとヴァルそれぞれからかけられる。
透き通った眼差しのアーサーと、歯に衣着せないヴァルの発言に二連撃で口の中を飲み込む。確かにそこまでいくとアウトではある。荷車に鍵がかけてある場合もあるし、鍵を拝借して中に侵入すればもう有罪だ。王族として、合法の商人にそこまでやるのはちょっと憚れる。
訂正します……と苦さを感じながらすぐにアーサー達へ首を振る。いくら目的の為とはいえ犯罪は駄目だ。レオンだってそれをわかっているから辛抱強く交渉してくれている。
もしかしたら次もエリック副隊長に呼ばれる方が早いかしらと考えながら、少し先に行ったエリック副隊長へも視線を投げる。今のところまだ呼ばれる気配はない。いきなり店の人に「品定めしたいからそこの荷車見せて」と言ったところで通してくれるわけもない。……つい最近、店一つ潰されているから余計に警戒強くなっている可能性もある。
「なんだお前昨日のサーカス観に行っていねぇのか!立ち見すら!?」
ぎくり。
突然飛び込んできた声に肩が上下する。
一瞬私達が話しかけられたんじゃないかと思うくらいはっきりと耳に届いた大声に身を固くした。けれど、すぐに違うと理解する。目だけで確認すれば、何でも無い商人同士の雑談だ。エリック副隊長に呼ばれた位置からちょっと隅に寄っただけでの私達に気にせず、隣り合って店を構えている商人が互いの距離など気にしない声で会話を進めていた。ちょうど私達が間に立っている状態だろうか。
さっきまで奴隷のことと攻略対象者のこととでいっぱいで商人同士の会話にすら気付かなかった。
この話し方だと片方の商人は昨日のサーカスの客だろうか。ご来訪ありがとうございますと心の中だけで感謝しつつ、自然と彼らの会話に耳を立ててしまう。アーサーをみれば彼も同じように気になったらしく、唇を一文字で結んだまま大きく目が開いていた。
お隣さん商人同士「いやいやそんな暇ねぇよ」「もったいねぇ!!」と会話は、普通の市場でも聞ける会話と大差ない。
「だってよぉ、ケルメシアナサーカスっつったら潰れたんじゃねぇかって噂まであったじゃねぇか。ここひと月は滞在したまま開演予告もねぇで」
「バッカだなぁお前!潰れたなんざとんでもねぇ!それどころかやべぇ演者も芸も増えてて大盛り上がりだぞ」
やべぇ縁者と芸、という言葉に私まで早くも緊張してしまう。口が緊張しすぎて笑ってしまいそうになるのを堪えれば、アーサーと同じようにお揃いで唇を結んでしまう。
しがみつく手が強張るように力が入ってしまう中、ハリソン副隊長だけは相変わらず平常心だ。今も商人ではなく、レオンとエリック副隊長の方向を交互に確認してくれている。
さっきまで会話していた私達だけど、今はもう喋ってもいけない気がする。いや、サーカスでは私もアーサーも声は出してないから問題ないとは思うけれど。
「特に面白かったのが空中ブランコだな。いやすげぇのよ、ここ数年は一人だったのがとうとう二人の空中ブランコに戻ってて、やっぱあれは二人以上でやるもんだな」
ごめんなさい今日でまたお一人に戻ります!!
そう心で叫べば、アーサーも同じようなことを思ったのだろう顔にぎゅっと力を込めていた。今日から本命空中ブランコ乗りアンガスさんへの風当たりが悪くなりませんようにと祈るしかない。アレスとか誰か身体能力が高い人がアンガスさんと組んでくれれば良いのにと人任せに思ってしまう。アレスとかどうかしらと思うけど、あの人はただでさえ正体隠しているのに難しいだろう。空中ブランコはアラン隊長もアーサーも素顔隠すのも化粧と仮面くらいだったもの。
商人が「そこで軽々飛んで受け止めて」と、自分の目で見たのだろう空中ブランコのアクロバットさを語れば、アーサーが片手で顔を掴むようにして隠してしまった。ちゃんと目の隙間を空けているけれど、護衛中でなければ両手で覆いたかったくらいだろう。まるで自分のことのように褒めちぎってくれる商人の言葉が気恥ずかしいのがよくわかる。
ここにアラン隊長がいたら、きっと頭を掻いて笑うくらいだったのだろうなぁと思う。
「それに今回は事故を装った演出もあってよ。俺は二部しか見てねぇんだが、一部の方でも猛獣が他の演者に乱入したとか」
「おいそれ、本当に事故じゃねぇのか?時間もねぇで荒稼ぎしようとしてやらかしただけだろ」
それも自慢げに「そうじゃねぇんだよ」と胸を張る商人へ、なんかもう居たたまれず胸を押さえてしまう。図星だし事故だ。この上ない人為的事故ですと口の中だけで答える。きっと彼らはその事故被害者の一人がここで立ち聞きしてるなんて想像もしないだろう。本当にネイトの発明優秀で良かった!
次々とその後も演目の演出を自分が見聞きしたものから、噂で聞いたものまで語って聞かせる商人の話に、舞台裏はそんなもんじゃなかったと思ってしまう。ステイルはギリギリまで箱の中で脱出できなかったのではなく実際は仕方なく脱出せずに濡れざるを得なかったし、ラルクの猛獣乱入は本気で私の演目妨害の為だ。
いつもの団員さん達の演目だけは心安らかに聞けたけれど、私の良く知った人の名前が出る度に心臓が飛び出しそうになる。
「アンジェリカに男がデキたって噂も回ってたが、二部じゃあその男ちゃっかり別の女と踊っててよぉ。ありゃあ間違い無く女タラシだな」
違う!!!!!