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Ⅲ189.担われし者は会え、


「君か。……ここに何の用だ」


─ ………どこだ?


「いや、……僕はただ離れたかっただけだ。合わせる顔もない」

……寂しい。

何故だろう、どうしてこんなにも胸が空っぽなのか。一体僕は今どこにいて、誰と話しているのか。

ぼうっとする頭で小川を眺め、芝生に座ってる。僕を追ってきてくれたのだろう彼女にも目も合わせられず、川の向こうに意味もなく焦点を合わせる。……ああそうだ、川になんて興味ない。


─ ただ、流れる先が見たかった。


いっそ、水にでも溶けてしまえれば楽なのにと思って眺めてた。行く先がある川が羨ましい。

この靴も化粧も、必要も意味もないのに今もこのままだ。人に晒せる中身がないから剥がせない汚らしいハリボテだ。素顔で彼らと顔を合わせることもできない。


そんなことない、と彼女が言う。僕のことなんて何も知らない筈なのに図々しく近付いてくる彼女を視界にもまだ入れられない。……入れるのが怖い。

女性はもともと好きじゃなかった。苦手というほどでもないけど得意じゃない。継母を思い出したから。けれど今は、恐怖もある。あの頃とはまた違う、ただただひたすらに二度と入ってこないでくれとひび割れた傷が痛む。もう一度潤して貰えれば痛みもなくなるのがわかるから、余計にもう近付いて欲しくない。


『ッやめろ!!どこまで僕を弄べば気が済むんだ!!』

『ずぅっと』


「……っ…………僕は、僕が許せないっ……」

真新しい過去の亡霊が蘇れば、最初は自分の声だった。打ち消すように自分の喉でも事実を吐露し、足りずに下唇を噛む。

あの女王に操られてからの記憶は全てある。満たされている間はこれ異常なく幸福で、正気に戻った瞬間には絶望と殺意が満ちた。操られている間はあの女を神のように崇め、愛していた。今思えばただただ怖じ気が走る感覚だ。

視線もくれない僕に、彼女はとうとう僕の肩に影がかかる位置まで歩み寄る。隣に並ばれるだけで、無意識に肩が片方強ばり指先が震えだした。あの女王の所為で、もう今は女性全てが駄目になったのだと思い知る。

頭ではわかっている、今隣に並んでくれている彼女がどれだけ無害で心の優しい人なのか。けれど、女性の匂いがするだけで恐怖に縛られる。爪の先まで一本の糸で貫かれたように繋がり張り詰める。

頼むからそのまま触れないでくれと、思っても声が出ない。彼女を傷付けてはいけない、これ以上僕の所為で傷付けたくはない。


『ずぅっとずっとずっと……ずっとずっとずっとずうぅっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと私だけのラルクでいて』


「っ穢らわしくて生きる価値もない……!!あの時死んでおけば良かったっ……」

そんなことない、操られていたのだから。そう躊躇無く言ってくれる彼女の声も、胸に針を刺す。こんな僕に優しい言葉をくれる彼女にすら、目も合わせれない。全く違う声なのに、女性特有の声だけで女王に重なってしまう。

歯を食い縛ったまま、気付けばもう川の先にも焦点が合っていなかった。視界がぼやけ、川ではない小石まじりの芝生を睨んでいる。わかってる、一番あの女の影が残っているのは僕だ。あの女の匂いが今も身体に染みついて落ちない。

気持ち悪い気持ち悪いと、干上がった喉を何度も飲み込み自分で自分を抱き締める。「ラルク」と呼ばれたと思えば、その声だけで膝が笑う。ガクンと間接を失ったかのようにその場に崩れて座り込む。大丈夫かと心配してくれる彼女に、堪らなくなり「触るな!!」と声を荒げた。

荒れ出した息を必死に整えて、小刻みから深く酸素を拾う。こんなに死にたくて溶けたくて仕方が無いのに身体は生にしがみ付く。本当に醜い、奴隷の頃よりも今の僕は汚れている。

子どもみたいに泣いて、震えて、それでも僕の傍から彼女は離れない。膝を抱えて隣にいてくれる彼女に、……やっと口が開けたのは風が吹いてきてからだった。


「昔……一度、戯れに正気に戻されたことがある……。……あの時死んでいれば、良かったんだっ……」

それ以上は、言えなかった。

本当に昔、一度だけ。一度だけ、女王に正気に戻された。今思えばきっと自分の特殊能力を試していた。正気に戻った時には、僕は女王に操られていた団員二人に押さえつけられてまともに抵抗もできなかった。

我に返った瞬間、最初に泣き叫んだ。頭が処理しきる前に感情が爆発したのを覚えてる。団長を殺めた事実に、頭がおかしくなりそうだった。今まで当然のように覚えていたライオンの爪に裂かれ千切られた団長の姿が、ナイフのように鋭く心臓を串刺した。押さえつけられていなかったらきっと頭を抱えて転がっていた。

僕を濡れた目で睨むアレスと、その後の女王への懇願が生々しくまるで今目の前で行われているようで視界がチカチカと黒と赤に点滅した。意味も考えないでただ脳に溢れるままの言葉を叫んで吠えて、身体を自由に動かせない不快感ともどかしさに途中からは喉が痛むほどにガラついた。


嘆く僕に、女の笑い声が一つ浴びせられた。「三人かぁ」「気をつけなきゃね」と満足そうに言われながら、僕は睨むこともできなかった。ただただ震えて暴れて自分の手で犯したことを嘆くだけで限界だった。

またあの女に触れられるとわかった瞬間叫べば、永遠を語られ身体の芯まで震え上がった。声も出ず再び女王に触れられれば……、……最後に恐怖を感じたはずの言葉に甘たるい溜息を吐いた自分をよく覚えている。今思い出しても吐き気がする。

団長を、殺した。折角戻ってきて、くれたのに。僕が追い出したのに、また笑って戻ってきてくれた。一生返せない恩のある人を、金さえ押し込めば生きていけるだろとあのトランクに押し込んで、それだけで借りを返したと思い込んで鼠のように僕が放り出した。

それでも帰ってきてくれたのに。あの人が、あの人があの日帰ってきてくれた理由だって


「……この手で、……死なせた。数えきれない。猛獣達に命じたこの手は血塗れだ」

良い人もいた。そう吐露しながら、震える手を開く。

何が穢らわしいかって、命を奪う行為を自分の手ではなく全て猛獣達にやらせたことだ。拷問と呼べる行為だって犯しながら、命を奪うその瞬間だけは必ず猛獣達に押しつけた。僕に命じたあの女王と一緒だ。

団長に、客を喜ばせる為に仕込まれた猛獣使いの技術を人殺しに使い続けた。もう鞭も暫く触っていない。

視界の隅に、彼女の白い指先が入った。震える僕の手に伸ばそうとして、躊躇ってくれている。触れて欲しくないのに、気持ち悪くて穢らわしいのに、……僕と同じくらい震えるその指先を見た瞬間不思議と今度は声を上げようとは思わなかった。長年自分を失ってしまった反動で、正気に戻った今は逆に凍えるほど寒い時がある。一人でいたいのに一人で居る実感が一番怖い。

彼女が囁く。躊躇い一センチ引っ込めた指先をそのままに、前に進むしかないのだと僕に語る。とても綺麗すぎる言葉は、淀みを落とすようで……同時に今の僕に与えるには綺麗過ぎると思う。それでも、「だって」とそよ風のような優しさで紡がれる声をいつの間にか僕は追っていた。



「貴方を失っても世界は何一つ変わらないから」



だから、生きるしかないと思う。

そう静かに告げた彼女の言葉に初めて顔が上がった。気付けば落としていた視線を彼女に向けていた。息を引き、憂いを帯びた彼女の横顔に心臓がひときわ大きく波打った。自分でも目が大きく開かれているのがわかる。水底のような冷たい言葉に照らされた。

僕の視線にちらりと気付いた様子の彼女は「ごめんなさいっ……!」と手を完全に引っ込め口を覆った。違うの、そういうつもりじゃと何故が僕に謝る彼女は、……今僕が小さく救われたことにきっと気付いていない。肩を狭め小さくなりながら自分から目を逸らし、慌てすぎて少し泣きそうな顔になっていた。彼女なりの理由を聞きながら、それよりも慌てふためく子どものような顔から目が離せない。川の水面に太陽が反射して、彼女を見る視界が光っているのか彼女が光っているのかもわからな




『好き?好き??もっと、もっともっと言って』




「──────ッッ!!」

吐き気が、込み上げる。

まずいと瞬間で理解し、口を覆った僕は呆けていた頭が一気にぐしゃぐしゃに荒れ打つ。隣にいる彼女に名前を呼ばれた気がするけれどもう考えられない。今にも喉からせり上がってくるものを数秒でも堪えようと、息ごと止めて立ち上がる。駄目だ、駄目だ駄目だ駄目だ!

寸前までの包まれたような感覚が嘘のように背筋がぞくぞくと指先で撫でられるような感覚に、じっとしていられず走り出す。この場で済ませば楽になるのに、彼女に見られたくないと思った理由も考えられない。ただただ逃げるように走り、たまたまその先が川だった。彼女の声が届かないくらい先まで走り、……耐えきれなくなった瞬間に全部吐き出した。


げほっごほと我慢していた分何度も何度も波打つように吐き気が繰り返され、生理的に涙が出ても暫く止まらなかった。動物のように四つ這いのまま、最後は浅瀬に入り直接顔を突っ込んだ。汚い僕がもっと汚くなって、ガボガボと顔ごと口の中を洗いながら考えた。自分でも今、どうして急に吐き気に襲われたのかわからない。

ただ、一瞬またあの女王の声が聞こえた気がした。

小さく救ってくれた彼女が眩しいと思えた瞬間にと、そう思った瞬間……理解する。濡れた手のひらを眺めながら、嗚呼もう僕は本当に駄目なんだと思い知る。

これは拒否反応だ。もう二度と芽生えるわけがないと思っていた感情が、いともたやすくぬくもりを求めてる。偽りだったあの感情が、また蛆虫のようにこの身から湧き出した。


「頼む……。もう、誰も優しくしないでくれっ…………」

二度と誰かを好きになりたくない。

今度こそたった一人になれた河原で、ずぶぬれになりながら水面に落とす。

濡れているのが水なのか涙なのかもわからない。顔を水面から上げたのにこの胸も肺も苦しくて苦しくて仕方が無い。寒くもないのに身体が震えて、顔を両手で覆い蹲る。膝を埋める川の流れの感覚だけが時間の流れを教えてくれる。

昔はこうして泣いてたら、迎えにきてくれる人がいたのに今はもういない。僕が自分の意志で葬ったから。


「っ…………団長っ……僕は、……僕はどうすれば………………」

水を汚すことしかできない僕は、この川にすら還れない。

団長を、たった二度しか父親と呼ぶことができなかった僕は今はもう何物になる資格も持っていない。


いっそあの悪魔に囚われた、白の思考で死んでしまえれば幸せだったのに。




…………







……







「!!おおっラルク!アレス!!良かった二人とも元気そうだな!」


視界が、一瞬だけ真っ白になった。

テントとテントを繋ぐだけの距離で、死ぬほど心配して心臓が逆さになりそうなくらいだったのに、辿り着いた僕らに団長は相変わらずの笑顔を向けてきた。アレスと数年ぶりに……いや、初めてちゃんと話すことができてから一秒一秒がめまぐるしい。


今覚えば、まさにアレスが特殊能力にかけられた瞬間。……あの時からまるで心臓でも抉られたように胸が罪悪感で痛んだ。

何故僕は猛獣達にあんなことをさせてしまったのか、団長に与えられた全てを捨てて彼女を自分の為に選んでしまったと。涙が止まらず考えれば考えるほど自分の醜さを、急に直視した。それでも彼女の為ならと思いながら、結局は自分の為に他を犠牲にした自分がどうしようもなく醜く、涙が溢れた。

オリウィエルの特殊能力が解かれ、……自室テントで目覚めた時も息が苦しくて堪らなかったけれど今とは別だ。あの時は悪夢に苛まれたような感覚だったけれど、今は本当に心臓が握られているように急き立てられた。大して長くもない慣れた距離を走っただけでバクついて死にそうだった。オリウィエルじゃない、……団長のことが心配で。

いつもの団長を見ただけで、もう視界が滲む。無事で良かったと思うのと同時に、団長のことを死ぬほど心配できた自分にそれだけで泣きたくなった。息が乱れて最初は言葉が詰まる。


「団、長っ………何、故ここ、に……!」


アレスも殆ど同時に怒鳴って、それでも笑う団長に両手を広げられただけで飛び込みたくなった。

今までのオリウィエルの特殊能力の反動か、無事でいてくれただけのことが死者に会えたくらいの衝撃だった。こんなことで泣くには早いと奥歯を噛んで飲み込んだけど、あと少しで零れた。

洗脳下になってから僕が団長や団員に犯したことは許されない。その気持ちは、アレスとの誤解が解けた後も変わらない。特に団長には本当に酷いことばかりをしてしまった。

こんなに自分が醜い人間だったなんて知らなかった。それでも



『私達は手の届く者の居場所だけでも維持しなければならない。そしてそこは常に眩いままでなければ意味がない』



それでも、不変で、笑ってくれて。眩しい世界で相変わらず団長は迎えてくれた。

両腕を広げたまま歩み出す団長に、僕らもまた走っていた。


もう一話続きます。

明日更新後、次の更新は翌週月曜日です。

よろしくお願いします。

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