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Ⅲ166.侵攻侍女は望む。


「えーと、ラルクさんのテントこっちだっけ、アレか?」


そこだ、と。ラルクを抱えたままふわふわと歩くアラン隊長にカラム隊長とアレスがそれぞれ一点のテントを指差した。もうアラン隊長が横ぎろうとしていたテントだ。

団員テントの中でも、比較猛獣小屋に近い位置にある個人テント。私達新入りの宿泊テントとは離れた位置にあるテントが、ラルクのテントだった。

オリウィエルのいる団長テントで過ごすことが多いラルクだけれど、もともと幹部でしかも演目持ちの彼はしっかりと個人テントも持っている。アラン隊長が「ああこっちか」と勧めようとした足を急停止してくるりと向きを変えた。

入口が閉じられた個人テントを開けようとして、まるで荷物も持ち直すくらいの手軽さでラルクを両腕から片腕のお姫様抱っこ状態にと切り替える。……直後、カラム隊長に「私が開けるのを待て」と怒られたけれども。


団長テントから出て、団員テントの区域へ移動するまでもすれ違う団員さん達にもの凄く驚かれてしまった。

一応新入り団員の面々だけでの移動だから部外者的な悪目立ちはしないで済んだけれど、もともと片付け参加もせずにサボり同然の新入り軍団だ。幹部であるラルクやアレス関係のお陰で黙認されただけで、先陣を切ってくれるアラン隊長は堂々とラルクを運んでいたから目立つのは当然だった。

「どうしたラルクは!」「またか!!」「やっぱり体調でも悪かったのか?!」「先生のとこ行くのか?!」と二部での泣き出した騒ぎも重なって、一目で急病扱いだった。

誤解ではあるけれどここはその方が都合が良いということで、連日睡眠不足だったらしくこれからテントに寝かせにいくところという理由で通し続けた。ラルクのことも気に掛けてくれる声はあったけれど、……やっぱりアレスへの声の方が多かった印象だ。

彼への場合はさっきの氷騒ぎについてと片付け手伝え売上げ計算急げという要件だった。ラルクの方が古株ではあっても、やっぱり今はアレスの方が人望は厚い。ほんの一年程度でもその間にラルクの株は急降下して、アレスは逆に順調に仲間として受け入れられたのだから。


「失礼しまーす」

アラン隊長がふたたびラルクを両腕で抱え直して中へと入る。

カラム隊長が開いてくれたままの入口に、アラン隊長に続いて私達もお邪魔した。初日にアレスからサーカス団のテント区域は色々紹介してもらったけれど、ラルクの個人テントに入るのは初めてだ。

ラルクの部屋は、思ったよりもしっかりしていた。てっきりああいう性格だし殆どオリウィエルの元にいるのならベッドとかの家具だけ置かれたこざっぱりの部屋を想像していたけれど、きちんと部屋らしく整頓されている。

床にはカーペットが敷かれ、机の上には筆記用具や紙だけでなく本も数冊積み上げられていた。単純な蝋燭ランプでなく、おしゃれな形の照明ランプも置かれている。開けたままの衣装棚にはサーカス団内でみる普段着系統だけでなく、お出かけ用だろうきちんとした服も吊り下げられていた。

棚や机の上にちょこちょこと動物の置物や人形も並んでいるのがちょっとかわいらしい。今日もサーカスの前に無許可な露店がずらりと並んでいたからああいう店で買ったのかしらと思う。狼、虎、象、ライオンと全て飾られている動物はその四種ばかりだ。小さな人形だけでなくクッションくらいの大きなのぬいぐるみみたいなのまであるのがちょっと意外だ。荷箱の中にそのまま詰め込まれたまま顔だけ出しているから、流石に抱いて寝ているわけではなさそうだけれど。

他にも壁にはサーカス団のタペストリーや、今日のものではない古いサーカス団の宣伝チラシまで壁にかけてある。本当にちゃんとした部屋らしい部屋だ。


「どうせ起きるのはすぐだろ?」

「ああ、丁重に寝かせろ」

確認を取りながらラルクをベッドに寝かせようとするアラン隊長に、カラム隊長が入口から早足で歩み寄ると寝かせる前に毛布をめくり上げる。

毛布の上にそのまま寝かせようとしたのだろうアラン隊長も、完全に剥がすのを待ってからラルクを寝かせそして毛布を上に被せた。それからカラム隊長は再び踵を返し、内側から入口を閉じてくれた。


ステイルがラルクの椅子を引っ張り出すと、私へ「どうぞ」と譲ってくれる。お言葉に甘えて腰掛ければ、ちょうどベッドで眠るラルクの顔が見えた。

単純に意識を奪われているだけの彼だけれど、それでも仰向けからこてんと首の位置がこちらに向いたのを見れば疲れ切っているように見えた。直前の怒り狂っていた姿を思い出せば無理もない。

部屋にはベッドと私が使う椅子以外に腰掛けるものはなく、他の皆は佇むか床に座るしかない。私以外王族であるステイルも含めて皆佇む中、アレスは衣装棚に寄りかかったまま座り込んだ。ドン、という振動音と直後にずるずると背中か衣装棚に擦れる音に私だけでなく全員が注視する。

ここに来るまですれ違ったサーカス団員さん達に対しても今までと変わらず振る舞っていたアレスだけれど、今張り詰めていたものが緩んだのかもしれない。平気なふりをしていても、実際はさっきまでオリウィエルに洗脳されていたのだから。

するとステイルが私の隣から一歩分アレスへ踏みだしだ。彼の心情を考えてか、ステイルが無表情に近い面持ちで眼鏡の黒縁の位置を軽く直した。


「体調はいかがですか。色々とまだ気持ちの整理がついてはいないでしょうが」

「あーー身体はなんでも……。いやそれより……、なんつーか、本当に悪い。特にジャンヌ、カラム」

ステイルからの投げかけに座り込んだまま頭を両手で抱えるアレスは、膝を曲げたまま蹲るように丸まった。

突然謝られたことに名指しされれば何についての謝罪かも理解する。演目中の氷柱事件だ。

私もカラム隊長もそれには「いえ」「私のことはお気になさらず」と断ったけれど、アレスからは薄く低い声が漏らされるだけだ。表情も見えないくらい自分の膝に埋まってしまうアレスは、グシャリと髪を指で掻き毟るように引っ張った。

彼の身体には不調がないことを安心しながらも、やはり消沈している様子の彼に胸を押さえる。一度取り押さえられた時も謝ってくれたアレスだけど、今は私達の顔も見れないようだった。

そういえばここまでの移動中も彼は団員さん達には普通でも私やカラム隊長の方は一度も向かなかった気がする。そう考えている間にも小さい声で「アンジェにもっと殴られとくんだった」とぼやくような声が聞こえた。まさかそこまで気にしてくれるとは思わなかった。

今の彼はもっと自分のことだけでも気にすることは多いのに。


「ラルクさんよりか落ち着いてますね。てっきりオリウィエルに殴りかかるくらいするかと思いました」

「比べんなよ。俺は今日やられたばっかだ。カラムとジャンヌに以外は大したことやってねぇし……あーーーーーーでも駄目だ。団長と馬鹿な話しちまった。なんで俺が団長にあんなこと言えんだよクソ過ぎだろ……」

アラン隊長に言い返せばそのまま今思い出してしまったように再び茶髪をぐしゃぐしゃと掻き乱す。「しかも演目中に……」と呟いたと思えば、今度は曲げた膝のままドスドスと地団太のように床を交互に踏み鳴らし始めた。

一瞬ラルクが起きるんじゃないかと思ったけれど、幸いまだ眠っている。ステイルが「ラルクさんが起きますよ」と言ったら一回止まったけれど、今度はそのまま両膝を抱えて固まってしまう。ぎゅうううと指先が白くなるほど強く力を込めているのがわかる。

やっぱりラルクを起こすのはもう少し置いた方が良さそうだ。


「ほんとに間がわりぃ……。ラルクが、なんであん時に…………。…………」

ギリリッ……と歯を食いしばる音がくぐもって聞こえてきた。

彼が今どの時を思い返しているのかは想像ができた。何故あの時に自分が彼女の支配下になってしまっていたのかは、きっと後悔しても足りないだろう。それこそ私達への妨害や団長との話の比じゃない。彼にとって大事な瞬間を、これで二度も逃してしまったのだから。

さっきまで平然と振る舞っていたのが嘘のように小さくなったアレスは口数が増える分、声も重ねるほど弱々しくなっていた。抱え込んだままの足の指先まで力がこもって曲がっている。

彼にもっと操られている時のことを聞きたいとも思ったけれど、今は尋ねるよりも彼の中の整理を待つ。


「もう何度も何度もめちゃくちゃになっちまったほんとあの性悪女……。…………一年近くあったのに……気付いてやれなかったのかよ……」

一年。その言葉に胸が酷く痛んで顔に力が入る。この場の誰も、その吐露には掛ける言葉が見つからないだろう。

ゲームでは一年どころではなかったけれど、それでも決して短い期間じゃない。一日も経っていないアレス自身がどれだけの長さなのか一番実感しているのだろう。彼の中ではきっとオリウィエルへの怒りよりも、……一年間も操られたままだったラルクの苦しみの方が身に刺さっている。その痛みに、あの時受け止めてあげられなかった自分への怒りも強いのかもしれない。

消え入るような声で「団長まで……」と微かに言ったような気がした。あの団長すらも、ラルクの変化はわかっても操られていることはわからなかった。でも、……仕方ないことだ。氷の特殊能力を知っていても、まさか人を操るような特殊能力まで知っていたかは別の話だ。実際、団長は知らなかったし想像もしていなかった。

フリージアの民ではあるアレスも、そしてここのサーカス団の人達にとってもきっとフリージア王国自体が遠い存在なのだから。我が国独自の存在である特殊能力について詳細を知れるわけがない。

誰からの言葉もアレス本人求めないように膝を抱えたままただただ俯くばかりだ。耳の横を引っ掻き爪を立て時折鼻を啜る音が繰り返し聞こえた。


……頭では、浮かぶ言葉もある。

「貴方は悪くない」「気付けなかったのは当然」「貴方もラルクと一緒で操られていたのだから」「団長も団員もわかってくれる」……ただ、それはいくらどれほど事実でも部外者である私達が言ったところで意味はなさない。

彼にとってあの瞬間を逃したことも、一年近く気付けなかったことも自分自身の感情が許せるものじゃないことを私は知っている。ゲームの過去で、オリウィエルにその事実を聞かされたアレスは絶望にも近かった。自分が気付けず、……そのまま彼の手を汚させてしまったことも全て自分の責任だと背負い込んでいた。

彼にとって、ラルクは〝理由〟そのものだったから。

だからこそ、彼はオリウィエルの部下になってでもサーカスもラルクも守りたがった。団長を失っても……失ってしまったからこそ、主人公という希望の光を得るまでサーカス団に止まり続けた。

団員を止め、時には守れず失って、それでもラスボスとラルクの事実を知った上で黙し続け耐え続けた。ラスボスの洗脳下にいるラルクをいつか取り戻すその為に。だって彼にとってラルクは〝理由〟で、それ以上に──



「忘れないであげてください」



気が付けば口が動いていた。

独り言のような小ささだったけれど、ずっとアレスの声を拾っていたテントの中では充分に広がってしまった。蹲っていたアレスからの指先がぴくりと動くのがわかった。

彼にはうっすらと届いたか届かなかったくらいだろう。それでも小さく反応してくれた彼に、椅子から立ち上がり歩み寄る。これは誰に聞かせる為でもない、彼だけに言いたかった言葉だから。

足音を消し、静かに接近する。その間ずっと蹲っていた彼は顔も上げないままだ。だからこそせめて空いている耳でだけでも受け取って欲しい。

小さくなる彼に合わせ私からも膝を折り、床につく。きっと彼も大声で言われたくない話を、……私自身もあまり大きな声で話したくない話をなるべく距離を縮め抑えた声で語りかける。


「特殊能力を受けた貴方自身もわかる筈です。だからこそどうか、…………貴方の知る彼を忘れないであげてください」

ラルクが起きる前に、それだけは托したい。

他でもない彼にこそ願いたかった。ラルクが一年も操られていたことにこれだけ心を痛めてくれた彼だから。

操られた後の、死にたくなるような息苦しさも手首を裂きたくなるような絶望も、それだけは私も知っている。

アレスに、今どんな言葉を私達が言っても本当の意味で伝わらないのと同じように、これからもう一度目覚めるラルクの奥底にまで言葉を届けられるのも彼だけだろう。

「目を覚まして己が行いを悔いるラルクでも、操られていた彼でもなくその〝前〟の彼をどうか貴方が忘れないであげてください」

「…………知らねぇのか。俺が入団したのはオリエより後だ。アイツに会った時にはもう何もかもが遅かった」



「もっと前です」



ピクンッと、直後に彼の肩が上下した。おもむろに埋まっていた彼の顔が上げられる。瞼の失った目が大きく開かれたまま固まっていた。……きっと、私の言葉を疑っている。

嘘でもでまかせでもないと伝えるべく、私からも瞬きせずに黄の瞳を見返した。適当に言っているわけじゃない。

ぽつぽつと溢すように言葉を返した彼が、今はにわかに開いた口のままだ。間を置いて瞳が微弱に揺れ出す彼にとって、自身の過去以上に知られるのが怖いのかもしれない。いっそ私の言葉どころか私の過去自体を疑っているかもしれない。


首を横に振り、彼の思考へ違うと訴える。決して過去の関係者じゃないと示すべく「私の特殊能力です」とだけ告げた。予知でなくとも、特殊能力としての言い訳ならもう既にある。

眉の間を狭め、開いた口から噛み締め結ぶ彼からはさっきまでとは違う警戒の色も窺えた。頭を打ち付けるほど後ろに反らし、まるで毛を逆立てるように肩が上がったまま戻らない。


「慰めではなく過去の彼と話してあげてください。もう一度、いえ……これから、どうかずっと」

そう、無責任だと理解しながら望む。彼なら絶対にそうしてくれる人だと知っているから。

自分が自分らしくいられた時を知ってくれる人が、それを自分だと信じてくれる人がいるのは間違いなく救いだ。

ゲームでもラルクを救う為にサーカスに残り続け、そしてラルクを救う為に一度はサーカス団から抜けラスボスに立ち向かう決意をした彼ならきっとできる。


喉仏を上下させ、呼吸が浅くなっているのが至近距離だからわかった。私から目を一瞬も逸らさない彼に、何度でも托す。

私達はずっと彼らとはいられない。ラルクがどれだけ辛いか知っていても、できることなんてごく僅かだ。私達は彼らにとってのティアラやアムレットではない。

抱える膝に力を込めすぎて指先白から暗く変色しかけている彼に手をそっと重ねる。「貴方だから届くと思うからお願いしているのです」と、ここに今彼がいてくれることを感謝しながら理由を重ねる。



「この世界で生きていくと決めたのでしょう?」



『あそこは別世界だった』

『こっからは別世界の話だ』

ゲームで独り耐え忍び続けていた彼と、そして現実の彼が私達に告げた言葉を思い出す。

彼の言うとおり、このサーカス団は私達が生きてきた世界とは違う。観客に夢を見せる為に、団長の望みを叶える為に、そして望んだ自分として生きていく為に彼らは必死にこの世界を守っている。

ここが家でもなく国でもなくそういう世界だからこそ、団員の彼らは過去と決別して生きていける。アレスやラルクのように。

彼らを人として生かしてくれた世界だ。


「彼を取り戻せずとも、彼を引き留めることができるのは貴方です」

彼にしかできないことはまだある。

苛まれるのも視界を潰したくなるのももっともっと時間が欲しいのもわかる。けど彼は私と違う。今立ち止まらないで、一緒に嘆くのではなく彼を止めて欲しい。彼だから救える人がいる瞬間を、もう二度と見逃さないで欲しい。

重ねた手に私の指が強張り、反して彼の指の力は強ばりが解けた。気付けば自然と彼の緩んだ手を握り結びながら、今は放さない。見開く彼の瞳に映る自分の顔が酷く息苦しそうに見えた。

ラルクが目覚めるまで、時間は無い。二度も後悔する彼に三度目なんて許したくない。もう、互いの言葉を妨げるものなんてないのだから。ゲームのように自ら命を絶つことを選んでしまう前にラルクを止められるのは




()()()()()()()友人である彼しかいない。




僅かだけれど私の手を握り返してくれた彼に、私もそれ以上は語らない。

互いに何も言わず沈黙で耳が塞がり続けてから、……何かに魘されるようにベッドから呻き声が小さく漏れた始めたのは、間もなくのことだった。


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あの拷問塔の上で正気を取り戻した時のプライドを、思い返しながら読んでいます。ラルクをアレスが止められますように!
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