Ⅲ162.侵攻侍女は驚く。
「連れてきた」
そう、ラルクが猛獣達を連れてレオン達と戻ってくるのに時間はかからなかった。
ラルク達が姿を現すよりも先に、周囲から団員さん達からであろう騒ぎ声で戻ってきたことにも察しがついた。
無理もない。昨日の今日どころか今日の第一部で猛獣大暴れをやった人が三匹を連れ歩いたら警戒するのは当然だ。更にはその前にもライオンを団長にけしかけているのを大勢の団員が目撃している。団員からすれば「今度は何するつもりだ?!」だろう。
しかも見知らぬ部外者をずらずらと連れ歩いていたから余計に訝しまれた可能性もある。監視として一緒についていってくれたアラン隊長が「いやー目立っちゃって」と笑っているから、恐らくアラン隊長が上手くごまかしてくれたのだろう。正直ラルクも知性タイプとはいいち言い訳が器用なタイプとは思えない。
ラルク達を待っている間、アレスに寄り添われてひたすら怯えている様子のオリウィエルだったけれどそれでも身体を震わせて毛布を頭から被る以外はなにもなかった。
やっぱり洗脳したばっかりのアレスよりもラルクの方が安心感が強いのか、ラルクの帰還の声を聞いた途端パッと顔を上げていた。
ラルクが連れてきたのは雄であることは把握済みのライオン、狼、虎の三匹。サーカスの猛獣芸でも大活躍した三匹だ。更には鞭を握るラルクの先導の元、大人しく付いてきてくれた猛獣の
背中にセフェクとケメトも乗っていた。
「へっ……え?!ちょっと、二人とも?!」
思わず変な声が出てしまう。
協力関係になったとはいえまだオリウィエルの支配下にいるラルクの、一番の攻撃手である猛獣にまるで遊園地の遊具のように乗っているセフェクとケメトに、私だけじゃなくステイル達も目に入った瞬間声をあげた。……特にステイルとカラム隊長の声が殆ど同時だった。
お前は何を考えている!!とヴァルに向けて怒鳴るステイルと、アラン!!!と事情をわかった上で危ないことを黙認したことにカラム隊長が声を張る。
これが完全に洗脳の解けた後のラルクの元ならほっこりする図だけれど、今はもう子どもが人質に取られているようにすら見えてしまう。アーサーも「下ろしますか?!」と慌てたせいか大きな声になりながら尋ねてくれる中、とうの本人達はなかなか暢気だった。
続いて入ってきたヴァルは面倒そうに片眉を上げているし、アラン隊長も半笑いのような顔で頭を掻いている。そしてセフェクとケメトは上機嫌だ。
ライオンにしがみつくようにして乗っているセフェクと、狼に跨がっているケメトはどちらも恐怖の欠片もない満面の笑みだった。私に向けて手まで振ってくれる余裕ぶりだ。
特にライオンのたてがみをワサワサしているセフェクはちょっと羨ましい。いや本当に危ないのだけれども!!!!
いや頭ではわかる。ラルクはもう協力的なのは変わらないし、ヴァルもアラン隊長もレオンも二人が安全だという確信がなければ乗せるわけがない。
それでもいきなり現れたラルクが猛獣の背中に二人を乗せて現れるのはいろいろと衝撃だった。
私達の大騒ぎが勘に障ったのか、ぐっと険しい顔で私達を睨むラルクが「うるさい」とこちらへ苦情を上げる。それ以上何も要求をしてくる様子もないラルクに代わり、アラン隊長が「いやー大丈夫大丈夫」と前に出て虎の隣に並んだ。
「本当に大人しいから。ケメトとセフェクがサーカスで猛獣気に入ったとかで、ラルクさんが特別に乗せてくれるってさ」
「ごめんフィリップ殿、カラム。僕も「良いんじゃないかな」と言ったから同罪だ」
笑いながら説明する出口傍のアラン隊長に続いて、さっきまで入口から姿を見せなかったレオンがひょこりと顔を出した。どこか見覚えのある仮面を顔につけていて一瞬びっくりする。私達も使ったサーカス団の演者用の仮面だ。途中で借りてきたのだろうか。
あまりにも気になって「その仮面は……?」とレオンに尋ねたら、猛獣小屋にいく途中でラルクが団員から借りてくれたらしい。
「彼女が怯える顔を晒すな」と本当の顔だったらなかなか失礼発言だけれど、結果としてこれでレオンもテントの中に入れるから親切でもあるだろうか。「似合うかい?」と滑らかな笑みで尋ねてくれるレオンは、私達には本来の中性的な綺麗な顔しか見えないから頷く以外ない。
仮面をかけていてもわかる綺麗な顔だから、本当の姿なら隠す必要なんて皆無なのだけれども。
ちらりとオリウィエルに振りかえれば、彼女もレオンの顔が隠れているお陰で今は特に反応する様子はない。これはこれで怪しい人扱いかなと思ったけれど、引き籠もりとはいえサーカス団所属だし仮面の姿は一時期は見慣れたものなのかもしれない。
あくまでレオンは顔が強面にされているだけで、体格はそのままのすらりとした細身の長身だしこれなら大丈夫だろう。……かぶり物だったら完全にギャグだから仮面で良かったとこっそり思う。
私は頷くと嬉しそうに笑んで、レオンは入口からそのまま傍まで合流してくれた。
小さくオリウィエルに手を振って彼女の反応を見ながら「顔が怖いって大変だね」と呟いた。……たぶん、ヴァルのことをいってるのかしら。
一応アラン隊長達のお墨つきで一応は安心できた私達だけど、見るとアレスだけはオリウィエルの傍で訝しむようにラルクを睨んでいる。まさか彼女の洗脳下で仲違い?と思うと、意外な言葉が放たれた。
「どういう風の吹き回しだ?お前今までそいつら客に触らせたことなかっただろ」
「当然だ。猛獣達が嫌がる。……そこの少年に免じて、特別にだ。僕以外で猛獣達が懐くのは初めてだった」
心が綺麗なんだろうな、と。……ゲームのどこかに聞いたことがあるようにしか思えない台詞を言うラルクの眼差しは、真っ直ぐにケメトへと向いていた。
まさかのケメト。女の子のセフェクですらない。まぁケメトが動物に懐かれるのはなんかわかるけれども。
今も満面の笑顔で狼の頭を撫でては尻尾を振られている。「ありがとうございます!」とそのままラルクに手を振ると、ラルクからも肩の位置で手を振り替えされた。……ラルクが。あのラルクが。
思わず目を疑ってしまう。自分でも瞼がなくなっていくのがわかる。
まさか動物好き枠でケメトがラルク攻略だろうかと頭の中が混乱しかける。動物セラピーの次は子どもセラピーということだろうか。それとも愛想のない人は皆ケメトが可愛いのだろうかと、無意識に目線がヴァルに向いてしまった。
レオンと違い本当はテントに入りたくない様子だけれど、二人のことを気にはしているのか、不機嫌な顔で入口側の内側に入ってきて腕を組んでいた。鋭い眼光が射貫くようにセフェクとケメトに向いていて、本当の姿が見えたら間違いなくオリウィエルは怯える案件はこちらだ。
「ヴァルなんてテントに入った瞬間、あの三匹に唸られてたよ」
こそっと小声で耳打ちして教えてくれるレオンに、私も口が笑ってしまう。ちょっとその図想像できる。
動物にはどっちの姿で見えているのかわからないけれど、何か通じるものがあったのだろう。
レオンの話だと、猛獣小屋に入ったところで唸り声を上げられて、最初はセフェクもヴァルにくっついて怯えていたらしい。ただし、あくまで威嚇されるのはヴァルだけでレオンやセフェク達には無反応。
ラルクが鞭で鎮めてくれたこともあるけれど、ヴァルもわざわざ唸り声の震源地には近づきたくなかったらしくテントの外で待てば後はセフェクとケメトにとっては特別観覧気分で楽しめたらしい。そして、ケメトは見事にラルクの次に動物にモテモテだったと。
今は落ち着き払っているラルクも、自分以外の人間に猛獣達が尻尾を振って檻の隙間からベロリと舐めて愛情を示すのに目を皿にして驚いていた。ケメトが猛獣の頭を撫でて「ほらセフェクも!すごく良い子ですよ!」と促せば、まさかのセフェクにも三匹とも撫でられてくれた。それまではセフェクに一瞥もしなかった猛獣が。
「もしかしてケメトもそういう特殊能力者だったりしてね?」
「!確かに。ケメト殿の年齢ならばそろそろ開花してもおかしくないかと」
フフッと冗談まじりに続けるレオンと、真剣にケメトへ目を輝かすセドリックに、私だけでなく一緒に聞いていたアーサーも苦笑いしてしまう。ステイルも眼鏡の黒縁を押さえて唇を結んだ。
まさか既にチート級の特殊能力者ですなんて言えない。これで二種類の特殊能力なんていったら希少どころか国宝級だ。
結果、猛獣達が懐くケメトにラルクも親近感を持ってくれ「もっと触りたいか」と自分から提案してくれたらしい。
そのままラルク監督の上で猛獣達を一匹ずつ檻から出し、ケメトが仲良く戯れたら今度は背中に特別に乗せる許可を与えてくれたと。しかもケメトが「セフェクも良いですか!?」とお願いしたらセフェクを乗せても負担がないライオンならばとラルクが猛獣に命令して乗せてくれた。……なんかもう、ラルクよりもケメトを猛獣使いと呼びたくなる。もしくは白雪姫か。
ヴァルもテントから二人が猛獣に乗って出てきた時は驚いていたけれど、最終的にはそのまま黙認してくれたらしい。
「多分セフェクが元気になったからじゃないかな」というレオンの予想に、私もそう思う。テントを出る時は大分消沈といっても良いくらい口数もなかったセフェクが、今はもうにこにこでテントまで入ってきたもの。オリウィエルが落ち着いたのもあるけれど、動物セラピー恐るべし。…………というか。
「……やはり、洗脳が薄れていますね」
ええ、とステイルの確認に私も一声返す。間違い無い。
彼が特殊能力が薄まってから直接関わる機会がなかった私だけれど、むしろ泣いていない状態の方が変化が顕著に思える。
絶対それまでのラルクだったらいくらケメトが動物に好かれていてもこんな子ども大サービスなんかしてくれなかったもの。アレスの言い分と反応から考えても、今までのラルクにしては珍しい行動だ。
ラルクとは接点自体なかったレオンは「そうなんだ」とむしろ今納得するように呟いたけれど、もうこれまでの彼を知っている私達にとっては全然違う。なんというか、人間味があるという感覚だろうか。
挑発した時以外は明らかに機械的なイメージだった彼だけれど、今はケメトに対しては優しさも感じられる。今なら猛獣達に懐かれているのもちょっと納得できる。
「あー、そういやラルクさんって愛想とかもなかったらしいですよ。動物とばっか仲が良かったそうですし、まぁ同じ動物好きに親切なのはわかりますけど」
声を抑えながら短く手を振って教えてくれるアラン隊長からの情報に、そういえばステイルから情報共有で聞いたと思い出す。アラン隊長がサーカス団に先に潜入してくれていた間の情報だ。……確かにゲームでもそんな感じだった気がする。
つまり、もともと人相手には気難しいラルクが、オリウィエルの特殊能力を最大出力で受けた結果があの殺戮をいとわない彼ということだろうか。
いや、単純に彼女の特殊能力を受けるとそうなるのかもしれない。ただ、ラルクの場合は性格が性格だったからその変化も洗脳を疑うほどではなかったと。でも、確かアラン隊長が聞いた時に相手の団員さんも「変わった」とは言っていたと聞いたような。…………恋するとやっぱり変わる程度の扱いだったらしいけれど。
その域にしか、ラルクは判断されなかった。いっそ、これが最初から操られたのがアレスならもっと団員さん達もおかしいと疑問に思ってくれたのかもしれない。
今のアレスは、オリウィエルが最大優先順位になってしまった以外は大きく変わったようには見えないけど、きっと二人操った時点で本人の人格が前に出やすくなるのだろう。
彼女を熱烈に愛して、その上で行動の是非を自分で判断するくらいの思考には及ぶといったところだろうか。
「それで、まずはどの猛獣からにする?オリウィエル、君が決めてくれ」
大丈夫どの子も良い子だ、と。ラルクが鞭を握ったままオリウィエルに尋ねる。
手で示す先には良い子にラルクの傍でお座りしている虎と、鞭の命令通りセフェクを乗せているライオンとケメトを乗せている狼だ。
すぐには決めかねるように身体を狭めながらおろおろと三匹を見比べる彼女に、アレスが「ラルクも俺もついてる」と励ます。なんだかものすごくオリウィエルが乙女ゲームの主人公に見えて仕方が無い。
私達としては動物の順番はどれでも良いのだけれど、心の準備も込みで悩む時間が必要な彼女を待つ。
するとたっぷり三分近く悩んだ彼女は「じゃ……じゃあ」と言って最初にケメトが乗っている狼を指差した。
たぶん、ケメトを乗せてご機嫌に尻尾を振り続けているから一番安全に見えたのだろう。三匹の中では一番小柄でシュッとしていて、大きな犬にみえなくもない。
オリウィエルが指差したのを見て、ケメトもラルクに言われる前からすぐ狼から降りた。
「ありがとうございました」と狼の頭を撫でてからセフェクの傍に駆け寄る。ラルクもきちんとケメトが離れたのを確認してから、鞭をパシンと鳴らして狼を呼び寄せた。さっきまで尻尾を振っていた狼が、ピシリとした姿勢でラルクの傍に移動しそのまま率いられる形で彼女に歩み寄っていった。
彼女に近づきだした途端、……グルルルッと本当に小さくだけど唸り声まで聞こえた。まさか、ゲームの悪役に吠えるシステムとかだったらどうしよう。私も触りたいのに。
もう一度ラルクが鞭をパシンと鳴らしたら止まる。それでも彼女が怯えるには充分だった。
ヒッ、と伸ばし掛けた手をすぐに引っ込めてしまう彼女にアレスとラルクが大丈夫大丈夫と宥める。アレスが彼女の手に自分の手を重ね、そしてラルクが万が一にも噛まれないようにと横向きに座らせた狼を正面から抱き締めるようにして押さえた。
二人に皮肉にも支えられ、彼女は顔を反対方向に背けながらも今度こそビクビクと手を伸ばす。狼の顔ごと抱え押さえるラルクの促すまま、一番刺激しない背中へとそっと手を置いた。
音もなく静かに毛並みへ沈めるように手を置き、そのままするりと撫でようと手を尻尾の方向で動かし掛けたその時。……変化は起きた。
「ぁ……で、できまし……た……」
びくりと肩ごと腕を震えさせるオリウィエルの消え入りそうな声を、固唾をのんだ私達全員が聞いた。
彼女の中には特殊能力を使ったしっかりとした実感がある。
狼を注視すれば、さっきまでラルクの命令だけでお座りをしていたところに尻尾がくるりと左右に振られだした。最初はゆっくり弧を描くようにだったのに、そこからはまるでボール遊びをする前みたいに激しく振られる。わかりやすい変化に、ラルクも目を丸くした。
ただそれでもラルクの命令には従ったままあくまで「待て」の状態なのは、優先順位が一番ではない証拠だろうか。
それでも明らかに態度の変わった狼に、アレスが「おいラルク、解いて見ろ」と声を掛ける。オリウィエルはまだ自分でやっても怖いのか、アレスの方に自分からくっつき出した。
ラルクが狼を抱き抱えていた手を離し、その場で軽く床に鞭をパシンと鳴らせば、次の瞬間自由を許された狼がくるりと方向転換をしてオリウィエルに顔を近付ける。もう唸り声の気配もない。
さっきまでの威嚇が嘘のように、オリウィエルへ顔をぐりぐりと近付け出した。アレスが慌てて「やめろ!」と彼女を腕で庇って一緒に後退したけれど、どう見ても尻尾も振っているし襲ってるようにはみえない。
むしろ嬉々としてただ顔を彼女に押しつけようとするだけだ。
「頭を撫でて欲しいらしい」
「ラルク!!こいつ俺だけ足蹴にしてくるぞ!!?」
「当然だお前のことは好きじゃない」
やめろ!!と、アレスの怒声が響く。
いきなり狼に迫られて怯えるオリウィエルには頭を撫でて欲しいと甘えるけれど、その彼女を抱き締めるようにして守って阻むアレスの腕は踏み台にする。あまりにも好き嫌いの差がわかりやすい。それでも噛み付かないのは彼女の支配下同士だからだろうか。
ゲシゲシと踏み台のようにアレスは腕も踏まれるけれど、何もしなければひたすらオリウィエルに撫でてアピールをするだけだ。
「足凍らすぞ!!」
「牙を剥かれたわけでもないだろう」
苦情のアレスにラルクがニ度目の断りをいれる。
とうとう狼の猛アピールに負けるようにアレスの方がオリウィエルから離れてベッドを転がるように降りた。アレスが離れて一瞬真っ青な顔をしたオリウィエルだけど、直度に狼にぐりぐりと頭を押しつけられば返すような形で手のひらで受けた。
狼が怖いなら助けた方が良いかしらと思ったけれど、そのまま頭を撫でられるだけで嬉しそうに尻尾を激しくブンブンさせる狼にもう本人もポカンと口を開けるだけだった。
そのままとうとうさっきまで彼女の左右をキープしていた二人のお株を奪うかのように、狼が彼女の手元で伏せ出した。目の前で狼が幸せそうに目を細める様子に、彼女も今度は自分から背中を撫でれば尻尾が正直に喜びを主張した。あまりにもわかりやすい。
狼の変化も、ラルクとアレスの変化も。