そして恐怖する。
「アレスの特殊能力を解けない限りは、責任を取らせることも上手くはいかないでしょう。いくら貴方が命じようとも、特殊能力がかかっている限り彼の言動全てが不自然に聞こえます。相手は彼の家族同然の団員です。既にこちらが怪しまれている以上、貴方の立場を危ぶませるだけです」
貴方の為だ貴方の責任だ貴方を助けたい貴方にとってそれが一番良いのだと。それらしい理由を並べ立てながら、言葉の裏でオリウィエルに思考で訴えかける。
話を聞いている筈のオリウィエルは表情が次第に動かなくなった。ぽかりと力なく口を開いたまま、ジルベールの話を受け入れながら絶望する。
気付けば自分自身がこの場の〝停滞〟を選択肢から失っていることに気付く。逃げるしかない、また逃げるしかもうないのだと。絶望が足首から膝まで箱の水位が上がっていくような生々しさだった。
「あ」「私」と彼女が一音や単語だけを漏らし出したが、ジルベールは聞こえないふりをする。彼女が自分から意見を話し出したことを幸いと思いつつ、今はにこやかな笑みで彼女を追い詰める。
「国外の後は我々も流石にお連れすることはできませんが、やはりミスミですかねぇ。フリージア王国は国政は良いですが、人身売買の標的になりやすいのでお勧めはしません。ミスミ王国ならばここほど治安は悪くありませんし、都心は潤っているので生活するのも難しくはないでしょう。大丈夫です、今の貴方には幸いにも心強くも若い男性が二名もついているのですから」
とんとんと話が勝手に進んでいく恐怖に、オリウィエルは再び口が動かなくなった。
勝手に、ここを離れることが前提でさらにその先に話が進む恐怖に手足の感覚がなくなる。自分はそうなりたくないから今日まで必死だったのに、どうしてそれが今覆されているのが状況の変化についていけない。
慰めるようなジルベールの声色に無意識に希望を抱こうと脳が働くが、しかし告げられる言葉が逆の感情を呼び寄せるとは思いもしない。
心強い男性、というのが誰のことからオリウィエルもわかっている。自分の絶対的味方の筈の男性二人、確かに彼ら二人いればなんとかなるかもと思考が及ぼうとすればまた笑顔で潰される。
「確かにラルクは顔立ちからして人の目を引きやすいですし、貴方とアレス、特殊能力者二人なのも〝ご不安が大きい〟でしょう?正体がバレればどうなるかは私だって存じております」
そうだ、と。少しでも前向きになんとかなるかもと思ったことが、ジルベールの言葉で逆に不安に変わる。
彼女の手足の痣と、そしてステイルからの情報共有で彼女が奴隷であった可能性はジルベールもわかっている。奴隷に戻りたい人間などいるわけがない。敢えて自分が口にしなくとも、彼女自身が勝手に帰結することは間違い無い。自分が避けたいことほど悪い可能性へ最初に浮かぶのは当然である。
暫く止まっていた震えが微弱にぶり返した彼女を冷静に見つめながら、ジルベールの中で仮設が一つ一つ積み上がっていく。
彼女は少なくとも特殊能力者としてか、もしくは特殊能力者の奴隷の顛末を知るほど本格的に奴隷として身を置いていたのだと推察する。フリージア王国の民であるジルベールには特殊能力者と人身売買の関連は常識だが、異国に身を置いている人間の中には特殊能力者自体が希有や机上の空論の扱いの為にその存在が奴隷としてどういう扱いを受けるかまでは知らない者の方が遙かに多い。
奴隷市場の中枢、もしくは身を置いた期間が長いと考えれば、彼女が何故これほどまでにテントの中に引き籠もり続けていたのかも想像がついた。
しかし、だからといって手を緩めるジルベールでもない。
「ですが大丈夫です。貴方の特殊能力のお陰で彼らは天の果て地の果てであろうとも貴方から離れず味方です。…………決して、離れはしない」
優しい声に反し、僅かだが最後の声を低めたジルベールの言葉にオリウィエルは悪寒が走った。
彼ら二人が離れないことを幸いと思うべきなのに、そうとは聞こえない。まるで自分が二人に呪われつきまとわれているかのように感じる。
自分が離れて欲しいと望んでも彼らは〝離れてくれない〟のだと知っている。もし特殊能力者としてアレスが周囲に疑われて、自分が別行動を望んでもアレスは絶対についてくると思う。更に、今も自分の足下で気を失い眠るラルクの顔をを見れば、今はその整った顔がただただやっかいでもあった。
顔の整った男は目を引く、そして注目される。人身売買にとっても標的になりやすい。顔の整った男に、一人は自分と同じ特殊能力者。そんな中でゆく当てもなく生きていく方法など彼女はわからない。
気付けば喉がカラカラと干上がり、水分の一つも口の中に感じられなくなっていった。
「ああ、ただ一つお気を付け下さい?貴方のように可憐な女性を巡り殺し合い……いえ、仲違いなど私も今まで百は見てきた不幸ですから」
もう希望がない。オリウィエルの中でだけ、彼女は枯れた井戸に取り残される。
本来であれば攻撃性のある特殊能力を持つアレスも、容姿が整った男性を二人味方につけることも身を守る為にも生活や金銭を稼ぐためにも都合が良い。彼女の為に金を稼ぎ、女を騙し、今と大差ない自分だけ不自由のない生活をすることも難しくはない。
仲違いなど自分が仲裁すれば良いだけの話。しかもあくまで可能性の話である。少し冷静になればどこまでも良い方向に考え直すことはできる。しかし絶望の中で掲げられる悪い可能性ほど難なく受け入れられる。
やっと他者の話に耳を向けられるようになり、意思の疎通から、会話も可能になり、思考を回すことができるようになった彼女が今度は自分の思考だけで溺れ出す。
ぶくぶくと気泡を漏らすように、静かに静かに沈んでいく。
「愛とは恐ろしいものです。欲しいものを手に入れる為ならばその身を血に染められる人間を私はよく存じております。それだけは、今の内にいくらか心構えをなさっておいてください」
深みのある声で告げた後、最後だけはニコッと今までで一番明るい軽い笑みでジルベールは締めくくった。
そこで今まで流暢だった唇を閉じ、三秒だけ沈黙を作る。にこやかな笑顔を崩さず彼女と目を合わせ、つんとする沈黙で刺し続けた。
ジルベールを見つめ返る目の焦点もおぼろげな彼女は、もう声がでない。
口は力なく小さく隙間をつくり開いていたが、力なくベッドに座り込んだまま丸い背中で動かない。糸を切れた人形のような彼女に、まるで気付いていないようにジルベールは微笑みを固め続けた。今までの自分が仕掛けた言葉の鎌と、そして彼女の全身の反応全てでいくらか推論は立てられた。
おそらく彼女は、と。その希望と奥底に隠す真実を見据えながら、ゆっくりと膝を立てる。
彼女に合わせ曲げていた膝を立て伸ばし、優雅な動作で立ち上がる。
「……さて。それでは合意も頂けましたし、私はこれから貴方の国外逃亡の段取りを組み始めると致しましょう」
「!!ぁ……のっ……」
満足な尋問もなくこの場を去ろうとする相手を、自ら引き留めようとするオリウィエルにジルベールは心の中だけで笑む。
どうなさいましたか?と、不思議そうな笑みを作り彼女へ身体を向けた。あくまで立ち上がったまま、彼女を見下ろしもう視線の高さは合わせない。このまま、あとコンマ秒でも躊躇えば自分は去ってしまうのだと思い知らせる。
悪意はなくただ自分の為だけに都合良く動いてくれる人間が、また一人自分の傍から去って行く恐怖にせき立てさせる。
ジルベールから視線を受け、彼女は一度は俯きかけた。しかしすぐにまた上げ、喉を鳴らす。「あの」と言ったが、最初は声に出ず、息の掠れた音しかでなかった。
もう一度、必死に息を吸い上げ縋る思いで言葉を絞り出す。
「と、……特殊能力について、……詳しい…………ですか」
── 嗚呼、やはり。
「ええ、勿論?これでも情報通でして。年齢や動作、制限や条件は特殊能力者について様々であることも……私自身、そういった方の相談に乗ったこともありますから」
もう、想像はついている。
より具体的に彼女の眼前へと希望を垂らしながら、そしらぬ顔で笑みをかける。「ですから貴方のことも放っておけないのです」とそれらしい言葉を繋げて言葉の脈絡も誤魔化す。どうせ今の彼女はそこまで頭に届いていない。
今の今まで、これほど彼女にアレスとラルクを手元に置くことの不利益を思い込ませも、愛着がない方だろうアレスを切り捨てる手段も提示した。
その上で自分を引き留めた彼女の最初の問いかけは、国外には出ないという断りでも、アレスに罪を被せる算段でもない。
この時点でほぼその推論は確信だった。
特殊能力に自分が少し理解があると軽く言った部分に食いついた彼女は、それがそのまま引き金の照準を合わせられることに繋がるとは思いもしていない。そこまで考えが及ぶほどの余裕などとっくにジルベールに奪われた。
今まで自分が必死に隠そうと、言えないと、それを口にすればもう逃げ場がないと思っていた箱を開けてしまう。自分の精神をそれほどに追い詰めた男を、自分の唯一の命綱と信じて疑わずそして晒す。
「……と、くしゅ能力は、どうやって解くか……わかりますか……?」
── 彼女は解きたくても解けないのだ。
その事実に、ジルベールは顔色に出さず口の中を飲み込んだ。予想通りだと思いながら、同時に最も面倒だとも思う。
ベッドのシーツを震える指で掴みながら絞り出した彼女の言葉に、様子を見守っていたプライド達も言葉をなくす。薄々勘づき始めていた者も、それを彼女自身が認めたことには衝撃が走った。予想するのと、事実を打ち明けられるのは天地の違いがある。
震えの次は涙目になり始める彼女に、ジルベールは天使のような優しい表情で微笑みかける。「よくぞ打ち明けてくださりました」と、その場から腰を曲げて見下ろすままに視線を近付ける。
彼女の期待を微塵も裏切らない、暖かい声で受け入れる。
「勿論、力になれますとも。本人からの協力を得られれば可能不可能を把握することも難しくはありません。大丈夫、私がついております」
「ぁ……わた、私、触れ、触れると急に優しくなって、なんか急にこれ特殊能力?てわかっ……」
「ええ、ええ。ゆっくりで大丈夫ですよ怖かったですね。説明のつかない力というものは、己でも理解するのが難しいに決まっております」
「わざ…………わざとじゃないんです……あれ、あれすなんか、ラルクじゃないと思わなくて……」
「それはそれは驚きましたね。一つずつ、お話しを伺いましょう。そうすればきっと〝貴方の望み通りの解決法〟も見つかるはずです」
今まで閉ざしていた口が嘘のように、せき止められていた彼女の言葉が流れ出す。
応答すら怪しかった彼女が縋るままに自ら打ち明けだしたことに、プライドは心の中で悲鳴が止まらない。その手腕に感心を通り越して恐怖を覚える。今までも何度も何度も感じてきた、ジルベールの手腕をまた思い知らされる。
いつの間にか彼女は、目の前のラルクではなくジルベールへと依存先を変えていた。
特殊能力の制御どころか解き方すらわからない。だからこそいくらアレスやラルクを戻せと言われても頷けない。
できないと、知られれば途端に自分の立場が危うくなる。
解くために殺されるかもしれない、解けないなら生きていても価値がないと捨てられるかもしれない。特殊能力で操り解くことのできない人間など厄介で、一つの組織に置いて貰えるわけがない。
だからこそ自身が特殊能力者であること自体を隠し、ただただ黙秘を貫き、自分がラルクに犯した過ちを誰にも打ち明けられず隠蔽に努め続けた。
そんな彼女の秘密を、初対面のジルベールはたった数十分で自ら明かさせた。
にこやかな笑みで彼女の自白を詳細に聞くジルベールに、プライドの頭には〝天才謀略家〟という言葉が繰り返される。
ジルベールの休息時間が終わる頃には、オリウィエルはもう促されるまま語り終えた後だった。自身が自覚している特殊能力の詳細と、ことの発端。
その、全てを。
本日2話更新分、次の更新は木曜日になります。
◉新作「純粋培養すぎる聖女の逆行」略して「ぴゅあ堕ち」がただいま毎日連載中です。
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