怯え、
「フィリップから聞きました。貴方は何も存じず、ただ面会を拒んだだけで信用しておられたラルクに責められそれどころか逆上して襲われていたのでしょう?」
ジルベールから告げられた言葉を聞きながら、オリウィエルは小刻みに頷きまで返しだした。
今彼が言った言葉をそのまま事実にするとその場で決める。自分は何も知らない、そして見られたのもラルクに襲われていた場面だけだ。聞かれた内容もただ誰にも会いたくないと喚き散らかしただけだと考える。
第三者以下の男に告げられた憶測をそのまま採用し自分のものにすべく飲み込んだ。
そうでしょうそうでしょう、と。彼女の頷きに呼応するようにジルベールも言葉を返す。彼女の動きを真似て自分も共に頷いた。
彼女が思考を自分のアリバイにと回しだしたところでこのまま感傷に浸る余裕を奪う。自分の利になる情報の為に頭を動かす間は泣き喚くことも混乱に陥る暇もない。あくまで彼女が理解できる内容でかみ砕いた言葉を選び、新芽に与えるように優しく、この上なく優しく注ぐ。そのまま水で溢れれば都合も良い。
「まったく。女性の都合も考えず勝手に他人と賭けを行い、負けたから責任を取れなど酷い男です。そのような賭け、貴方が代償を払う必要などありません」
「そ、そう。わた、私なにも知らないのにラルクが勝手に……わた、私会いたくないってずっと言ったですのに……」
「それはそれは。本当に怖い想いをされましたね。今は大丈夫ですか?彼らも下がらせましょうか?貴方のお望みとあらば、私と二人だけで他の者共は舞台テントにでも移らせましょう」
とうとう自分から話し出したオリウィエルと、まさかの彼女の二人きりを提案し出すジルベールにプライドはぞっと鳥肌が立った。ジルベールをラスボス相手に一人にすることではない、もう彼女と〝二人きり〟になる権利を自然と得ているジルベールにだ。
その証拠に、彼女もまたジルベールの提案に拒絶を全く見せずむしろ嬉しそうに目を光らせた。まるで〝無条件に〟全員を追い払えると勘違いしているようだとプライドは理解する。
実際は違う。ジルベールに事情を話さないといけないという条件付きだ。ステイルが自分達が去ることを条件に出した時はこんな反応見せていなかった。
ジルベールからの希望の綱に縋るように、オリウィエルが頷こうと首を縦に動かし始めたその瞬間。
「──嗚呼。ですがそれは〝危険〟でしたねぇ?いつ、サーカス団員達がここに群をなして訪れるかもわかりませんから」
「…………え……」
敢えて、自分の提案を自分で掻き消した。
目の前の希望を潰され、更には恐ろしい情報を更に一つ知らされたオリウィエルは一音しか出なかった。まるで当然のことのように語るジルベールの言葉に、プライド達全員が表情に出さないようにと顔を引き締めた。
しかし、どちらにせよもうオリウィエルはジルベールしか目に入っていない。
おや?まだご存じありませんでしたか?と心から意外そうに表情筋を伸ばすジルベールは、彼女が危険の言葉に過剰反応する前にさらなる偽りを重ね圧迫する。証拠などない。しかし証拠など必要無い事実と彼女に思わせる。
「アレスですよ。彼の異変で、サーカス団まで気付いてしまいまして。フィリップから聞きませんでしたか?……大丈夫です。今はこうして腕の立つ者達がいるので誰も貴方に手出しできません」
言葉は柔らかく、そしてまるで自分達が今唯一の味方だと言うように押しつける。
突然の事態に流石におかしいと思う彼女だが、アレスが原因と言われればすぐに背筋を凍らせた。自分がやった、そして突然もなにも自分がアレスを味方にしたのがついさっきなのだから当然だと身に覚えがあるからこそ悪い方向に信じ込む。自分が間違った、その綻びのせいで追い詰められている。ラルクの賭けなど関係なく、アレスの異変でとうとうバレたのだと思えば酸素の取り込み方がわからなくなった。
その上で、いま自分が無事であるのは彼らが密集しているからこそなのだと気付く。実際はサーカス団も彼女の特殊能力など勘づいてもいないというのに、狭い世界に閉じ込められた彼女の中でだけ被害妄想が膨らんでいく。
じわじわと彼女の中だけで逃げ場もない包囲網が作り上げられていく様子に、プライドは自分のことのように身を狭め交差する手で腕を擦った。
さっきまでパニックを起こして泣き自分は違う知らないと子どものようにその場しのぎの言い逃れをしていた女性が、それすらできない状況にジルベールの言葉一つで追い込まれている。なにより一番恐ろしいのは今彼女の中で、ジルベールと自分達が
〝唯一の味方〟だと思い込ませている状況だ。
「大丈夫ですよ。何度でも申します通り、彼らがいる限りたとえ何人たりとも貴方を傷付けるものなどおりません。先ほど貴方をラルクから助けたアラン殿もそうだったでしょう?」
第四作目のラスボスが、ジルベールの言葉一つで軽々と作り替えられているさまにプライドは気付けば喉が鳴った。
困難の流れに乗じるように、宥めるふりをした追い込みがジルベールによりかけられる。
既に呼吸が浅くなり始めていたオリウィエルも、優しいその声に促されるように自然と息を整えた。都合の言い分だけを切り取ったジルベールからの確認も、判断力が鈍った脳には確たる事実として判断された。
確かに自分はあの時、ラルクと揉み合いになっていたところを〝助け〟られたのだと思い返す。今の今まで自分を問い詰めてはきても一度も殴るところか暴力の一つもせず、上着もいつの間にか羽織らされている状況に今自分は守られているという感覚がさらに増して肉付けされていく。
残酷な状況と都合の良い嘘に染まる。
そこで今まで俯くかジルベールを見つめるかしかできなかった彼女が、初めてゆっくりとだがテントを落ち着いた様子で見回した。
はっ、はっ、とまだ呼吸音は薄く漏れるが、最初の時と比べれば判断能力も持った状態での周囲確認に、彼女の中でいくらか余裕ができてきたことをジルベールは薄い笑みのまま読み取った。「ご安心ください」と重ねて彼女の落ち着きを促しながら、頃合いの良さに再び彼女を追い詰める。
「もともと特殊能力者の存在を知っていたサーカス団ですから。アレスの存在の〝所為〟で、貴方が特殊能力者だという可能性も気取られてしまったようですね」
実際は団長以外サーカス団の誰もまだその事実に行き着いていない。
それでも眉を下げて困ったように語るジルベールの言葉はプライドの耳にさえ事実を語っているかのような口ぶりに聞こえた。しっかりと意志を持たなければ、まさか自分が知らない間に団員達も気付きだしていたのかしらとステイルに確認をとりたくなる。
今まで別行動だったことを疑いたくなるほどに、ジルベールはまるでこの場の誰よりも情勢を把握しているかのようだった。
うっすらとアレスに責任を押しつけながら事実をねじ曲げるジルベールに、ステイルは何故アレスを敢えてテントから出させたのかを理解した。
てっきり彼女が特殊能力を使用したことを前提で話すからこそ話しやすくする為程度にしか考えなかった。
「まぁ、アレスはまだ自身の状況もわかっていませんし、実際に責任を彼に全て取らせるのも難しくはないでしょう。何せ、演目中の襲撃も結局は彼の独断でしょうから」
「え…………」
貴方の指示なわけはありませんし、と。言葉を続けようとしたジルベールだが、オリウィエルの小さな呟きを聞き逃さなかった。
今までの怯えや動揺だけでなく、彼女の表情からは戸惑いも見えれば思考の中だけで驚く。てっきりそれも彼女が遠回しにアレスを動かしたのだと思ったが、今の彼女の反応だとアレスの襲撃すらまだ知らなかった可能性もあると考える。
僅かに目を丸くした彼女は、先ほどよりも落ち着いている分小さな疑問も表情に出やすくなっていた。ほんの些細な変化であろうとも、ジルベールは全て落とさず収拾する。全てが今の彼女の精神状況の移り変わりの読み取りに繋がっていく。
変わらずにこやかな笑みは崩さないまま、ジルベールは更に一手確認程度に踏み込みを試みる。
「ですから正直に申しますと今なら彼に責任を取らせることも難しくはありません。いま特殊能力を解かれても、彼は間違いなく操られていたことへの憤りよりも自身の意志で団員を害そうとした責任感が前に出ますから。彼はそういう男です。何より、間違い無く実行犯である彼が責任を取るのは当然です」
そんなわけがない。
ジルベールは思考の中で理解しながらも、まるでアレスの全てを理解しているかのように語って聞かせる。
長期間手足に使っていたラルクと違い、アレスが配下に下ったのは今日。彼女自身がアレスの行動を理解しているわけがない。たとえ実際は操られていたことに憤り彼女に眼光を燃やすことがあろうとも、ジルベールの口で語られたことが今の彼女にとって事実に聞こえればそれで良い。
今のうちにアレスの特殊能力を解けば、責任も全て彼が自ら被ってくれる。そう彼女の思考で気付かせる。
視線を静かに斜め下へとたゆたわせる彼女に、ジルベールもそこで一度引く。息継ぎ一回分だけの間を置き、彼女に迷う時間を与えない。
「まぁ、難しいでしょう。特殊能力については私も色々と噂は聞いております。特殊能力者によっては能力に制限もあり、制御や解くことができない場合も珍しくないそうですから」
敢えて彼女の答えを待たず、勝手に結論づけてみせる。その間、ジルベールは瞬きもせず彼女の顔色と呼吸から目を離さなかった。
自分は無理強いなどしない、その意志のまま彼女にとって都合の良い状況を提供するかの口ぶりで突き落とす。
「できないのならば仕方がありません。私達が安全に貴方を〝国外へと逃がす〟とお約束しましょう?」
「?こ………国、……外……??」
一瞬の安堵の息も吐く間もない。
すぐにジルベールの言葉を反復できた彼女は、顔が蒼白から更に色をあせていく。仕方が無いと言ってくれたからなんとかしてくれると思ったのに、何故それが国外という言葉に繋がるのか理解ができない。この場の状況全てをなんとかしてくれるのではなかったのかと、その方法すら思いつかないまま漠然とした期待をそのまま折られた。
明らかに喜びとは反対の表情に固まるオリウィエルに、ジルベールは逆に笑みを強めた。「ええ勿論」と、まるでそれを彼女が望んでいることかのように善意の色で己が顔を染める。自分には悪意がない、あくまで彼女のことを思っての言葉だと語ってみせる。
理解できないままの彼女が「何故」を言う前に自分がなだらかな声でたたみかける。




