Ⅲ157.侵攻侍女は任せ、
「いやはや、まさか私までお呼ばれ頂く事になるとは想像も致しませんでした」
ジルベールが瞬間移動で訪れたのは、ステイルの提案から僅か三十分後のことだった。
プライドとアーサーの同意を受けてから、ステイルの行動は迅速だった。その場の繋ぎ役をセドリックに任せ、人目のない場所で瞬間移動した彼は直接ジルベールの元へと向かった。
最初こそ王配であるアルバートの元に補佐として立っていた為に、場所を部屋の物陰にしすぐにジルベールの自室へと瞬間移動し直したが、それからは手間もかからなかった。ジルベールの部屋にはステイルの専属従者であるフィリップ本人が窓拭きを行っているところだったのも、都合が良かった。
突然のステイルの表出に一瞬驚き過ぎて窓から落ちかけたフィリップだが、ステイルに口を塞がれながらも掴み引っ張り込まれなんとか部屋の中に留まれた。
あとはステイルの言付けをそのままフィリップが部屋を出て伝えに行けば、ジルベールの行動も早い。アルバートに休息時間の許可を取り、速やかに自室へ戻った。「姉君がお前の助力を求めている」「今すぐ来てくれ」とステイルから言われれば、断らないわけがない。
フィリップと、そして自身の屋敷の協力を得てすぐにステイルの瞬間移動によりプライド達のいる団長テントの前まで訪れた。
「お忙しい中突然ごめんなさい、ジ……ええと……?」
「ベン、とでもお呼び下さい。よくある名です」
いつもの宰相としての立派な出で立ちではなく、庶民の衣服に袖を通したジルベールはプライドの目にはあくまで着替えただけの本人である。その分、堂々と現れるジルベールにプライドも戸惑いが大きく最初は目が泳いだ。
年齢操作をしていれば以前正体を隠していた時のように「ジル」と呼べたが、今回は本人そのものの為に躊躇った。まだアーサー以外の騎士達はジルベールの年齢操作した姿のことは知らないのだから。
プライドの戸惑いも汲んだようににこやかに笑うジルベールは自分の胸を手で示しながら深々と名乗る。
今、テントの前でジルベールを迎えたのは姿を隠している騎士を覗けば、セフェクとケメトにしがみつかれたヴァルとレオン。そして騎士のマートとアーサーそしてプライドだ。まだステイルから説明される前から、彼らの目の開き方や反応で誰にどう自分が写っているのかを検討づける。
セフェクとケメトは身をヴァルの方へと寄せながらも、自分の声を聞けばぱちりぱちりと瞬きをする。騎士のマートからは未だいつでも身構えられるように警戒が完全には解けていない。いくらステイルが連れてきたとはいえ〝見知らぬ男〟相手に警戒を解かない彼は流石騎士だとジルベールは細い目で感心をする。
どうも、とにこやかに礼をするところで、ステイルから「アーサー、マートに説明を」と指示が飛ばされた。
それを受けアーサーは一瞬駆け出しそうな足を止め、先輩である騎士に悪いとは思いながらもその場にとどまりマートが来てくれるのを待った。自分はプライドの傍を可能な限り離れたくない。駆け足で来たマートが耳を傾けてくれれば、耳打ちで説明する。
アーサーの言葉に大きく目を見開いたマートも、そこで疑問を持つよりも先に姿勢を正しジルベールへ礼をした。ステイルの専属従者による特殊能力を施されたジルベールは、マートの目には似ても似つかない容姿だった。
マートの礼に軽く手を上げて応えたジルベールは、そこで改めてプライドへと向きなおす。
「むしろお陰でこうして件の特殊能力を体験できて光栄です。それで、私めがお話しするお相手は中でしょうか?」
「ええ、あっあの、じっベン。彼女には一応触れないように……いえ、貴方は大丈夫だと思うのだけれど念の為に」
「ええ、ご心配なく。目的も詳細もフィリップ殿から身支度中に伺いました。もちろん留意致しますし、もしジャンヌの言うとおりでしたら私には全く恐るるに及びません」
だろうな、と。ステイルは言葉にはせず眼鏡の黒縁を抑えながらジルベールを見据える。
フィリップの特殊能力については、屋敷でも断った通り「どうせもうお前は無理やりフィリップから特殊能力を受けていたからな??」と嫌味を繰り返してやりたかったが、場所が場所なだけに今は我慢した。もともとフィリップの特殊能力を知っているジルベールにならば、必要あればこういう時もくるだろうとは思っていたステイルだが、その時がくる前にフィリップが誘導されたことは未だに根に持っている。
そんな鋭い眼光をステイルから受けるだけで、彼の言いたいだろう言葉も無音のまま頭に聞こえてくるジルベールも眉を垂らして笑ってしまう。あの時のことは自分なりに反省しているが、結局こうしてステイルから正式にフィリップの特殊能力を受けさせて貰えたことは純粋に嬉しくもあった。
屋敷で庶民向けの衣服に着替えながらステイルから事情説明も全て受けたジルベールだが、オリウィエルの特殊能力の弱点が本物であれば自分にはあまりにも無害であると確信する。初恋などそれこそ遠く昔の話だ。
自分を心配して引き留めてくれるプライドに感謝しながら、ジルベールはゆっくりとした足取りでテントをのぞき込む。
騎士により足の踏み場は確保されたとはいえ乱雑としたテントの中と、その向こうで未だに座り込んだまま動かない女性。アレス、という青年も唯一自分が見覚えのない男を見ればすぐに理解した。
「どうする。必要なら護衛以外は俺たちも下がるか?」
「いえ、構いません。ただ……アレス、彼だけは一度テントの外に下がって頂きましょうか」
ラルクという青年は気を失ったままであればどちらでも、と。ステイルからの確認て切れ長な目に焦点を合わせるジルベールは落ち着いた声で返した。
自分の目ではセドリック達の背が邪魔でラルクがどこにいるかはわからないが、ステイルから配置は聞いている。
アレスだけ、という言葉にそこでマートが手を上げる。自らアレスをテントの外へと回収役を請け負った。それ以外は誰がいても問題ないと判断するジルベールは優雅な動作でマートに任せ、自身はとうとうテントの中へと踏み出した。
最初の一歩は無言のまま気配も消した。三歩目からは騎士に気付かれる前にと自らゆっくりと声を張る。騎士達もセドリックもフィリップに特殊能力を受けている者同士である以上、自分の正体をわかるように振る舞う必要もないと頭で冷静に状況と情報を今も精査する。
「……失礼致します。私、ベンと申しましてフィリップ達に話を聞き急ぎお邪魔致しました」
最初の一声から、通るように言葉を息継ぎなく続ける。
突然のジルベールの登場に彼の名を溢しそうになった者にも告げるように、何より早々に仮の姿を名乗る。セドリックも「ジッ……」までですぐに口を結んだ。
ステイルがプライドと共に一度テントの外へ出たことと、そしてこの国に来ていなかった筈のジルベールがお忍びの衣服で現れたことから全てを察する。
変わらず防衛戦として壁になるエリックとカラムを置き、セドリックはジルベールへと譲るべく真正面から横に移動した。合わせてアランがセドリックを守りやすい位置に移ろうとアレスを引っ張れば、そこで抵抗される。
「ッおい!こいつなんなんだ!!フィリップ!!なにまた部外者をっ……」
「貴方がアレスですか。ああ、あまり大きな声を上げては女性が怯えてしまいますよ。少し、外の空気を吸われた方が良いかもしれません」
アランに取り押さえられたまま暴れようとするアレスに、ジルベールはあくまでなだらかな声で流した。
まるでアレスが大声を出したことが原因かのように、自分の背後につくマートへ視線を投げればそこでアランから引き受けるべく歩み寄る。
マートとジルベールからの意志を汲み取り一度はアレスを引き渡そうとしたアランだが、そこで一秒だけ動きを止める。ジルベールがここに来た理由と、自分がオリウィエルに怯えられていることを考えればむしろ自分が外に出た方が効率的だと考える。
「俺行くからお前ここで」と一言でマートの肩を叩くと、そのままアレスを掴んだ片手でずるずるとテントの外へと引きずり出した。まさかのアレス回収のつもりが交代を任され手が止まってしまうマートだが、テントの外の面々を思えば確かにその方が良いだろうと考える。
プライドとステイル、アーサーはジルベールについてテントの中へ入ってきたが、外にはレオンとヴァル達がいる。少なくとも自分よりは近衛騎士のアランの方が配達人とも顔見知りだろうと判断し、剣に手を添えながらセドリックを守りやすい配置についた。
離せ!!おい!アラン!!と怒鳴るアレスも、途中からはアランに口を塞がれたまま引きずられ、声がくぐもったまま遠のいた。
気を失ったラルクに続き、アレスまで引き離され不安を露わに顔を青くするオリウィエルだが、そこで引き留めるまではできない。か細い声でアレスの名前を呼ぶだけで、今はそれよりも目の前に新たに現れた〝妙に顔の綺麗な男〟だけが気になった。
「突然申し訳ありません。貴方がオリウィエル殿ですね?こんなに怯えて、きっと怖い目に遭われたのですね」
柔らかな絹のような声に、それだけでオリウィエルは一気に意識がジルベールへと集中する。
更には自分を被害者そのものとして扱う口調にも一縷の希望を見いだした。フィリップに呼ばれたということはと、その関連性も考えようとしたが今はそれよりも自分をこの場で庇ってくれる存在が意識がいく。……さっきまで、セドリックからも被害者ではないかという似たような気遣いの言葉を受けていたにも関わらず。まるでそれが無かったかのように、今は目の奥にほんの小さくだが光が灯る。
さっきまで自分が聞きとれた細やかな情報だけでもジルベールに共有すべきかとセドリックは「ベン殿」と声を掛けたが、ジルベールは片手でにこやかな笑みでそれを止めた。
セドリックからの情報共有にはありがたいと思いながら、今は一挙一動己の言動全てを敢えて彼女に寄せる。本来であれば宰相である自分がセドリックの発言を途中で遮るなど許されないが、彼ならば意図と謝罪さえあとで告げれば許してくれるだろうと信じる。
まるで彼女の目には、セドリックよりも更に上の立場の人間が来たように思わせる。
白い顔の彼女の目が自分へと真っ直ぐ向けられていることを確認しつつ、ジルベールはそっと騎士二人の間を抜けるようにし敢えて手を伸ばす。当然、危険を按じカラムとエリック二人が同時に手で阻んだが、それもまた計算内に「失礼」とすぐに引っ込めた。
「もう大丈夫です。貴方のようなか弱い女性に非などあるわけがありませんから」
にこやかに笑い、決めつけたように自分の非を否定してくれる男にオリウィエルも息を飲んだ。
さっきまで警戒していた彼らと違い、初めて自分に触れようとしてきた男にそれだけ自分を相手が警戒していないのだと感じ出す。にこやかな笑顔にはうっとりとした色合いも見れば、初めての勝ち筋のようだった。
当然口だけで騙そうとする男である可能性も捨てきれない。しかし、騎士の壁の向こうから小さく手を差し伸べてくる男を相手に、いつの間にか自分が怯えを忘れていることにも気付かない。不思議と、自分でもわからない目の前の男に安心感があった。その原因に自覚などできるわけもない。
自分の目線に合わせ膝を折るのも、抑えなだらかに話しかける声色も、怯えさせないように細心の注意を払った表情も、全てジルベールだけでなくセドリックも、ステイルも、エリックやアランも最低限はやったことだ。
それなのに、今パッと現れたばかりのジルベールにだけは早々に安心感を抱き出す。
理由がわからないからこそ、余計に運命的なものまで感じられる。優しい声と、柔らかな表情をした
ラルクに特徴が重なる顔の整った男性に。
『ステイル様、その〝ラルク〟という青年の身体的特徴を伺えますでしょうか』
身長や体格、髪型までは変えられない。しかし、別人としてラジヤの一角に足を踏み入れるべく姿を変える時、フィリップから希望を問われたジルベールの第一声をステイルは腕を組みながら思い出す。
何故そこでラルクを、どうせジルベールでは身長や体つきからしてラルクに成り済ますのは不可能。何より、フィリップ本人が会ったこともない相手に、口頭の説明だけそっくりになどできるわけがない。
実際、できあがったジルベールの今の仮の姿は、特殊能力を一度解かれた状態で確認したステイルの目にもラルクとは全くの別人だった。髪の色や瞳の色を合わせ、ラルクに寄せた上で更に〝美形〟にそして〝柔和な〟顔立ちに変形されたものをラルクと言いようがない。
実際、連れ出されたアレスも一言もラルクに似ているとすら指摘はしなかった。
しかしオリウィエルにはそれで充分だった。
長い間自分を守ってくれた男が無力化され、そこに現れた別の男がラルクとどこか見かけが似ていれば良い。更に柔和で顔が整っていれば余計に警戒心は削ぎやすい。
まるでラルクの代わりに救いの手が舞い降りたように極限状態の彼女は錯覚し、そして無意識に依存する。
ジルベールに今回の依頼をした際、詳細の情報は告げたがそれだけですぐに彼女用に最初から計算をし尽くしていたジルベールに、ステイルは眉間に皺を寄せながら舌を巻く。姿から全てが計算だった。
ジルベールも、そしてラルクももともと顔が整った男だとは思っていたが、そこでフィリップにさらに美形にと求めたのもそういう理由だったかと理解する。
プライドに頼られたと聞いた時から機嫌が良かったジルベールが妙に楽しんでいるように思ったが、実際はただきちんとオリウィエルを落とすための理由があった。よくよく考えれば、オリウィエルには王族全員が偽りの姿でしか会っていない。
「フィリップから聞きました。貴方は何も存じず、ただ面会を拒んだだけで信用しておられたラルクに責められ、それどころか逆上して襲われていたのでしょう?」
さぞかしお辛かったでしょう、と。心から彼女の気持ちに胸を痛めるよう表情をジルベールは萎ませる。
ゆるやかに首を横に振り、あくまで彼女を同情する向きを変えはしない。
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