そして確保する。
「アラン。オリウィエルについての心情は?」
「……ないない。アンジェリカさんと同じくらいないから。指一本触れてねぇし。多分、本当はジャンヌさんが良さそうなんだけどさあ」
オリウィエルへの心情をと、特殊能力にかけられていないかを確認されてもいつもなら笑い飛ばせたが、今はその音を立てることすら彼女の前では気が引けた。
なるべく本人には聞かれても意味がわからないようにと選び、無実を証明する。本当ならプライドが来てくれればとわかってはいたが、あくまで危険人物であるオリウィエルにこの段階で接近はどちらにせよさせられない。
人を呼ぶと言い出せば、何かしらオリウィエルから反応があるかと気付かれないように視界に留めていたが、彼女からは反応がなくひたすら泣きじゃくるばかりだった。もう何が起こっているかも分かっていないのだろうと、アランはもう意外にすら思わなかった。
慎重に入ってきてくれたカラムに、アランはほっと肩の力を抜きながら手を振った。
最初は顔を顰め警戒するカラムだったが、アランが本人に見えないように彼女を指で示せばすぐに目を見張った。当然アランが何かやったわけではないとはわかったが、この状況はカラムにも一見では理解できない状況だった。
カラムが立ち止まり彼女へと視線を止めている間に、アランの方からカラムへ早足で歩み寄る。彼女を監視すべきではあるが、今は自分達が話を聞かれない方が都合良い。
「アラン、どういうことだ。この状況は」
「ベッドで揉み合ってて、ラルクは俺が気絶させた。オリウィエルは喋るのは少なくともすぐは無理そうだ。……で、多分」
カラムへ声を潜めながら掻い摘まんで説明したアランは、彼女には見えないように手のサインをカラムに送った。
アランの手の動きに、カラムも思わず息を飲む。一瞬、やはりアランも彼女に特殊能力を掛けられて嘘を吐いているのではと考えた。しかしアランは「まぁわかるって」と軽くカラムの肩を叩くと、今度は自分は足を止めたまま顎でベッドを差した。
「悪いけどお前からも頼む。俺ラルク気絶させたし多分もう聞いてもらうの無理だ」
わかった。と、現状を最低限把握したカラムもそこで彼女に歩み寄る。
ベッドの端に崩れる彼女に、アランと同じく何か羽織るものはと考えたがやはり見つからない。アランは貸せるような衣装でなければ、自分も同じだ。
申し訳ないと思いながら一定距離で立ち止まったカラムは、そこで一度姿勢を低めるべく片足ついた。「お初にお目にかかります」と柔らかな声で呼びかけ、団員としての自分を名乗ってから最初に彼女へ名前を尋ねてみた。
しかし、反応はない。ひっぐひっぐとしゃくり上げた喉で泣き続ける彼女は、カラムに気付きすらしない。何度か質問や声色を変えて呼びかけたカラムだが、彼にすら彼女は顔を上げさせることも叶わなかった。
一度諦め立ち上がったカラムは、苦しげな表情のまま顔をアランへと向ける。彼女に触れられていない自分もまた、アランと同じ結論に至った。
カラムでも駄目だったことに、そっと音を消しながらもアランはカラムに歩み寄る。ラルクと一緒に逃げられるよりも面倒な事態に、自分も同じような表情をしてしまう。
至近距離で、あくまで彼女を怯えさせないようにと声を抑えながら取るべき行動を打ち合わせる。これ以上は自分達だけの判断では難しい。今回の任務はあくまでプライドの護衛だ。
カラムが入ってきたところで、怯えるどころか全く気付く余裕もない彼女にひとまずは直接プライド達の目で判断してもらうことに決める。その為にはまず、今この場の足の踏み場のない状況を片付ける必要がある。
場所を変えるにも、彼女に触れることができない為運ぶこともできない。だからといってベッドごと移動するわけにもいかなければ、この場を片付けるのが最善だった。
「……アラン、ひとまず私がやるからお前はそのまま頼む」
「いや俺より~……、エリック~!それとマート!悪いけどお前らもちょっと入ってきてくれ!大丈夫だから」
掃除が雑なアランにオリウィエルとラルクの監視を任せようと考えたカラムに、アランが待ったをかける。
いくらオリウィエルが自分達に気付いていなくても、目の前で見張るのがラルクを昏倒させその上泣かせた張本人なのはと自分からエリックに助けを求めた。
物腰の柔らかいエリックなら、少なくとも自分よりは今の彼女の監視にも相応しい。更には自分の粗雑さを自覚しているからこそ、もう一人片付け要員にカラムと近い性質のマートを指名した。
アランの指名に、カラムもすぐに彼が考えたのだろう結論は理解し「確かに」と頷いた。
アランからの呼びかけで更にテントへ入ってきたエリックとマートも、中の光景に足の踏み場の意味を理解した。
強盗でももう少し丁寧だと思いながら、アランとカラムの指示通りに監視と清掃に努める。簡単な足の踏み場と安全確保とはいえ、王族を入れるのに硝子の破片を散らばらすわけにはいかないと細かい片付けはマートとカラムに任せ、アランは棚などの大荷物を起こすことから始めた。
その間、ラルクとオリウィエルを一定距離から監視し続けたエリックも自分の上着を羽織らせてから何度か言葉を選び呼びかけたが、やはり彼女からは必要な反応は示されなかった。
……そして現在。
「ひっ……ぐぅッ……え゛っえ゛っ………………」
「……………………」
泣きじゃくる彼女を前に、プライドは口をぽっかり開けたまま呆然とする。
かれこれ数十分泣き泣きじゃくり続ける彼女は、未だに周囲の状況が変わっていることにも気付いていなかった。肩から羽織らされたエリックの上着もガタガタと身体の震えと共に半分ずれてはだけてしまったが、羽織らされたこと自体気付いていない。
完全に怯え萎縮した彼女を前に、カラムとアランから説明を受けたプライドは未だに頭がまとまらなかった。
ただ一つ、何故入ってくるところでレオンだけがマートに待ったを掛けられたかはうっすら理解する。フィリップの特殊能力により強面にされているレオンを、今の彼女の視界にはいれられない。今ですら話せる状況でない彼女が、顔を上げた時にどんなことでまた同じ状況に陥るかわからない。
本来の姿のレオンであれば問題なかったのだろうなと、頭の隅で逃避のように考えながらプライドはゆっくりと足を動かした。アラン達の説明中も全く変化の見られない彼女をもっと近くで見るべく前へと歩み出す。
プライドに道を開けたセドリックは、そこで半歩下がった。
プライドから聞いていた時はどんな悪女かと思ったというのに目の前の女性は自分の想像とは全くの正反対だった。
ラルクが気を失った今唯一彼女の味方であるアレスもアランに阻まれながら「おい!どうした!」「オリエ!」と呼びかけるが、それすらも届かない。
「ぁ……あの……。貴方、オリウィエル…………で、あってる?こんな状況でごめんなさい……」
細い声で、プライドから呼びかける。
あくまで一定距離を保つようにカラムとエリックが並ぶその間からの声掛けは、届いても良いはずなのに彼女からは反応が全くない。
もっと別の対面を想像していた分、プライドもどういう態度が正しいかわからなくなってきた。ゲームのラスボスと同じ容姿でありながら、泣きじゃくる彼女に毅然とした態度を取れない。羽織らされた上着以外下着同然の寝衣姿でうずくまる彼女と、アランの説明を聞くと余計にだ。
肩に触れたいが、彼女に触れるのが危険なのは自分がよく知っている。
女性である自分ならとも思うが、ゲーム設定だからと騎士達を説得することもできない。
呼びかけるプライドに、彼女はやはり反応を示さない。それを目にステイルも少し前のめる。ここまで来て、話せなかったで終わらせられるわけがない。
アーサーの見立てを聞いた以上、彼女の怯えが嘘では無いことはわかった。しかし目の前の彼女が何か隠している可能性も、オリウィエルの偽物である可能性もある。
プライドと共に、今は彼女の応答を試みる。
「私は、ジャンヌと申します。貴方に、会いたくて。話を聞きたくて、ここに来ました」
「僕はフィリップです。ご安心ください、危害は加えません。喉は、渇いておられませんか」
まずは泣く彼女を泣き止ませようと、柔らかな声色と言葉を重ねるが、それでも彼女は全く反応しない。
ひっぐひっぐと引きつけに近い音を溢しながら、自分の世界に閉じ籠もるように頭を抱えたままだ。それでも諦めずプライドとステイルが交互に呼びかけるが、彼女からの反応はない。
あまりの停滞に、これは一度彼女が落ち着くまでここで待ち続けるしかない。彼女の間に入ってくれるラルクをもう一度起こし事情を聞いてみましょうとステイルが
「あーーー??〝奴隷堕ち〟か?めんどくせぇ」
入口から聞こえた声に、プライド達は振り返る。
その時、初めてオリウィエルの肩を跳ねさせたことにステイルは振りかえる前に気がついた。
ヴァル、と振りかえったプライドが呼べば、入口からヴァルが顔を覗かせていた。セフェクが未だに引きずっている為、中には入れず胴回りに抱きつかれたまま高い身長から首だけで覗きこんでいた。
てっきりオリウィエルとの話し声程度は聞こえるとレオンと共に耳を立てていれば、聞こえてきたのはアランとカラムの説明だけだった。セフェクが調子を崩しだし自分は中に入れない上に待たされた上、ぐずぐず泣いている相手に手間取るプライド達への苛立ちに顔だけを覗かせていた。
覗いた目でちらりと見れば、セドリック達の隙間から覗かせたオリウィエルの怯えようにヴァルも昔の仕事を思い出す。プライド達の背中が邪魔で姿までは見えないが、あそこまで話にならない状況とアランが話した彼女の態度やテントの外から聞こえた癇癪を思い出せばヴァルの中では単純な連想だった。
そして間近に彼女を目にするプライド達もまた誰もが察せられる。
露わになった肌の至るところに消えない痣と傷。そして奴隷の焼印が刻まれた身体だ。
あまりにも言葉を選ばないヴァルの発言に、見返す騎士達の目が厳しくなる。
ヴァルの隣に並ぶレオンは首を傾ける。自分は入るなと言われたから今ものぞき込まず、アランの話に自分が断られた理由も察したが、それだけではヴァルと同じ結論には至らなかった。
「そうなのかい?」と瞬きで返せば、ヴァルからは「さぁな」と投げやりが返される。ヴァルもあくまでそう思えたから吐き捨てただけである。しかし、確認の仕方ならいくつかある。
周囲に自分達以外誰もいないことを確認したヴァルは、そこで足下の地面を立ち上げる。壁とまではいかず、柱程度の細さを自分の腹部程度の位置程度まで盛り上げたところで止めた。突然ヴァルが特殊能力を使い出したことに、入口際に立っていたマートも眉をひそめる。
プライドも、何故彼女が奴隷墜ちなどと言われるのかとゲーム設定にない言葉に思考を巡らせる中、ただ下着同然の彼女の姿をもう一度ちらりと確かめる。少なくとも今、ヴァルの失言にカラム達も何も否定をしていない。
ケメトも何をするのかわからずセフェクを抱き締めたままきょとんと首を捻る中、地面を固めたヴァルのやることは単純だった。
ダンッ、と自分で固めた地面を褐色の足で月の固まりを蹴り壊す。ある程度脆く調整されていた土塊は激しい音を立てて壊れた。同時に低い声を荒げ怒鳴る。
「お゛いッッ!!!」
「はッ!!い…………?……?!ぁ、……あ……」
まるで、スイッチでも入ったかのようだった。
荒げたヴァルの怒声に、蒼白した顔でオリウィエルが顔を上げ一度は立ち上がりかけた。すぐに状況に気付き我に返れば再び腰が落ち、ぺたりと足が崩れる。
瞼のなくなった目で声がした入り口を見つめれば、まるで悪夢か幻聴だったかのように声の主の姿は見えなかった。入り口側に買っていたマートすら消えている。
ヴァルが怒声を荒げた時点で、マートが実力行使でテントの外へ引っ張り出していた。
オリウィエルが黒幕であることはわかっているが、だからといって〝その〟可能性のある女性に今の行為は騎士として許せるものではない。奪還戦でアーサーが怪我が治った理由を知っているマートだが、やはりこの男はそういう人間なのだと認識を改める。
胸ぐらを掴み、くっついていたセフェクとケメトも意図せず一緒にヴァルをテントに押しやったマートだが、当の本人はケラケラと愉快に笑うだけだった。さっきまで落ち着き払っていた騎士が怒り敵意を向けてくることが、寧ろ愉快とばかりに敢えて不快に見える笑い顔で返してやる。
ヴァル自身、オリウィエルが我に返ったことに何も功績は感じていない。プライドに手を貸したつもりもない。今日までぐだぐだぐだぐだと遠回りさせられたうえ、セフェクが無駄に怯え出した原因に鬱憤を晴らしただけである。
今も自分が音を立て怒鳴ったことには全く怯えを見せずむしろ「なに⁈」と周囲を見回しだしたセフェクが、ほんの短時間でも面倒になったのは間違いなくオリウィエルの悲鳴のせいである。そんな相手に騎士のようにご丁寧かつ親切に対応して待ってやる気などない。さっさと話を聞き出し締め上げろと本気で思う。
睨み合うヴァルとマートを眺めながら、レオンは小さく溜息を吐く。自分も今のヴァルの言動はどうかと思うが、彼の前科を思い返せば今更である。結果として、奴隷を知らないセドリックにも、優しいプライドやステイルにも、そして騎士がわかってはいても絶対に間違ってもできない方法で彼女を我に返らせた。
〝奴隷〟特有の教育や習慣は簡単に抜けるものではないと、レオンも知っている。
傷が深ければ深いほど。
そう、奴隷制撤廃中のアネモネ王国王子は考えながら、そっと今の自分の顔を出さないように注意して中を覗いた。
怯え狼狽え混乱している彼女の言動に、暫くどころか数日はまともな交渉も難しいかもと頭の冷静な部分で思った。