Ⅲ145.侵攻侍女は報告を聞く。
「中断……?」
そう、私が耳を疑ったのはカラム隊長とアンジェリカさんと練習をしていた時。アーサーとアラン隊長が、空中ブランコから無事に帰ってきてくれた時だった。
アンジェリカさんが練習に入ってくれてからは良くも悪くもアンジェリカさんが「はい休憩~」と強制的に休憩時間を促してくれるから、一本通しては休憩という形で大分体力的は温存することもできた。
単純に休みたいに加えて、カラム隊長の放り投げが目に毒だったのもあるだろうけれど、それだけ私のダンスも及第点なのかなと思えばほっとした。アラン隊長とアーサーが戻ってきてからは一息いれるとお散歩に出て行った。
アーサー達の出番が終わるのもわりとあっという間だった。
アーサーの話だと、空中ブランコも今回は失敗するような工作は何もされてはいなかったらしい。ステイルと同じだ。
空中ブランコの機材も高台も何の細工も無く、演目中も滞りなく成功を収めることができた。やっぱり見張りをされていることが防止になったのか、……機材まで壊れたら赤字どころか経営が傾くのか。訓練所で練習中も、団員さん達が「看板壊したの誰だ!」「また酔っ払いか!!」「見つけて弁償させろ!!」「トランポリンの弁償だけでも後が引くのに!!」と団員さんが騒いでいるのが聞こえたもの。トランポリンについては後日弁償するつもりだけれども。
アンジェリカさんも新しいドレスを団長に買って欲しいと言っていた。
ラルクも、サーカス団自体を潰すわけにはいかないもの。
第二部では現時点でラルクによる妨害工作は皆無。団長からの無茶振りも聞こえず一部よりもやりやすかったと。これだけ聞くと順調そのものに思えるけれど、……問題はその前だった。
ラルクの出番前にテントに到着した二人だけれど、到着した時点から舞台裏は騒然としていたらしい。出番待ちの演者だけでなく、裏方の下働きの団員まで足を止めて困惑を露わにしていた。
第一部ではいくらか事故があっても迅速に対応していた彼らが、目を丸くしたまま言葉も出なかったらしい。準備と片付けで慌ただしい筈の舞台裏が騒然としていたと。
テントに入ってすぐ異様な空気に気がついたアラン隊長が「どうかしました?」と尋ねる中、団員さん達が終始注目していた先は舞台ではなく舞台裏に控えていたラルク本人にだった。
「その後、ラルクの演目自体には問題なかったんだな?猛獣達の動きにも」
「ねぇ。猛獣とか変な動きしねぇか見てたけど、全然だった」
ステイルの確認に迷い無く答えるアーサーはそれなのに首を捻る。未だに彼自身も飲み込みきれていないようだった。
ラルクは、演目自体は滞りなく成功させたらしい。第一部同様に猛獣達と同時に入場し、観客の反応も良ければ猛獣達が暴れ出す様子もなく、何か機材を壊したり第一部と変わった動きをしている様子もなかった。優秀な騎士二人が断言しているのだからきっと間違いないだろう。
それよりも問題なのは舞台の前とその後だ。舞台裏にいた団員さんの話を聞くと、第一部と違って余裕をもった時間にテントへ現れたラルクは衣装に身を包み舞台用の化粧もしっかり施した上で
泣いていたらしい。
「なので意識を奪うとかできる状況でもなく……団員達大勢が大注目していましたから中断せざるを得ませんでした」
すみません、と。アラン隊長が困ったように頭を掻いた。
誰にも見られていない第一部のような状況ならこっそりすれ違いざまに意識を奪うとかもできただろうけれど、注目の中じゃ周囲にバレずにやるのは流石に難しい。しかも泣いている相手には余計にやりにくいだろう。意識を奪うアラン隊長やアーサーの方が今度は団員に非難されてしまう。
けれど、任務を執行できなかったのはアラン隊長も自分で気にしているのか、「すげぇ目立ってたし」とカラム隊長の方へ目を向けながら言葉を続けた。カラム隊長もその言葉に、真剣に目を向けては詳細を求めるように頷きだけを返した。
テントへ早めに合流したラルクは、もう原因も推測できないほど無言のまま涙だけ出てしまった状態らしい。
一度あしらった化粧も落ちて、むしろラルク本人よりも気付いた団員の方が最初は大変だった。化粧を直す時間がないぞと化粧できる人が応急処置をしようと話が進んだ間もラルクは無抵抗だった。
普段泣き顔なんて見せないラルクがいきなり泣いていたから困惑する団員も多かったとか。ずっと見張っていたアレスが泣かせたのかと、当然ながら容疑も上がった。けれどアレスも「何もしてねぇ」「急に泣き出したからこっちだって困っているんだよ!」と怒るし、ラルクもラルクで「泣いていない」「なんでもない」の一点張り。
ラルクだけでなく見張っていたアレスまでわからないとなると、もう原因の追及しようがない。
アレス曰く、ラルクが急に泣き出して化粧直しも自分が提案しても嫌がるしとにかく本番近いから無理矢理引っ張ってきたと。むしろレラさんに化粧直しを提案されて無抵抗に受けている様子にも不満げだったらしい。……ずっと張り付いて妨害工作を邪魔していた相手だもの。むしろアレスに大人しく引っ張られてきたところを考えても、アレスに対してすら無抵抗だった部分の方が強いと思う。
「ラルクの泣き顔なんて初めて見たって古株の人も言ってました」
「レラさんにも化粧の手は抵抗しなかったんすけど、直そうにも涙が止まらないんで結局仮面して舞台に出されてました」
もともと顔を隠していなかったラルクが、仮面を付けないと演目不可能の状況。唯一の幸いは、自分の番が来た途端カチリと気持ちの切り替えができたことだろうか。
途中からはとにかく事情を聞くよりもアレスに泣かされた方仲裁をするよりも、涙を早く止めろと途中からは本人にタオルで目で押さえつけさせていた。
前の演目が終わり、進行役が「猛獣使いの登場です」と声高に叫んだところでラルクも涙が止まって仮面と共に舞台へ出たと。
第一部では殆ど注意を向けていなかったサーカス団員が演者も裏方も全員が舞台袖で固唾を飲んで大注目で見守り続けた。……サーカスを失敗させられないのが強いだろうけれど、もしかして心配してくれていたところもあるのかなと少し希望を抱いてしまう。操られる前のラルクを知っている団員も団長以外にきっといる筈だもの。
「でもその時はまだ、舞台から出てきたら頃合い見て……って思ったんですけど」
うーーーん、とアラン隊長が自分の首へ手刀を軽く当てて見せながら言う様子に続きを聞く前から自分の口が引き攣った。
さっきの中断の話を聞けば、わかる。つまりラルクの異常は演目前だけではなかったということだ。
難しそうに眉を寄せながら説明を続けてくれるアラン隊長の話だと、演目の終わりでまた切り替わったように泣き出したらしい。舞台の真ん中で演目を終えて、猛獣達を返して、観客へきちんと礼をして、そして踵を返して幕の向こうである舞台裏に戻ったところでまただ。
団員さん達も事情を聞こうと気にしていた分、舞台裏に戻った途端ラルクがまた何の前兆もなく泣きだしたことに今度はもっとざわついた。
中にはちゃんと舞台はやり通したことに「よくやった!」「耐えてたんだな!」と褒めたり元気づけてくれる団員もいたらしく、サーカス団の人の良さがうかがえる。……ただ、その時のラルクは更に様子がおかしかった。
舞台裏に戻って最初は目から水が出るくらいの感覚で本人の表情は変わらなかったのに、仮面を外してからすぐに顔を歪めて泣き崩れてしまった。
嗚咽まで溢して地面に膝を落として顔を覆い泣き出すラルクに、団員全員が混乱して大変だったと。当然アーサーやアラン隊長が意識を奪うような間もない。
アレスは団員に「良いから舞台に出ろ!」とラルクの入れ替わり順のまま幕の向こうに押し出され、残された団員とアーサー達でラルクをなんとかしなければならなくなった。
「アーサー、ラルクが演じていた可能性は?」
「ねぇ。……と、思う。最初ン時は目にゴミでも入ってやがんのかと思ったけど、舞台終わった後のは……なんつーか、本気でしんどそうだった」
ステイルの問いに答えるアーサーは、思い出したように顔を険しくさせた。それを受けてステイルも「そうか」と言いながら難しそうに眉が寄る。
アラン隊長もアーサーに同意するように苦そうな表情で数度コクコクと頷いた。
演技だったなら、私達の目を欺く為も考えたけれどアーサーとアラン隊長揃って否定するならそれはなさそうだ。でも、そうなると余計にラルクの異変の原因がわからなくなる。
今思い出せる分のゲームの設定を思い返しても該当部分がない。このタイミングで辛い過去を思い出したとしても、脈絡がない。微かな可能性をあげるとすれば、何かがきっかけでオリウィエルの特殊能力が解け
「一応試しにフィリップとの賭けについても外に連れ出してからコソッと確認してみたんですけど。鞭振られて「わかってる」「うるさい黙れ」って怒鳴られました」
いや悪いとは思ったんですけど。と苦笑気味に言うアラン隊長が腕を組み、首を傾ける。流石アラン隊長、そこまでちゃんと確認してくれた。
ラスボスの特殊能力が解けたなら泣く理由とかは色々納得もできる。けれど、それなら舞台を滞りなく成功できたことが逆におかしい。彼が本当にゲーム通りの状態に陥っているのなら余計にだ。
それに、アラン隊長から賭けについても確認されていればそれこそ正気に戻った彼なら賭け自体もう必要なんかなくなる。
ちょっと心配になって「お怪我は……?」と鞭を振られたというアラン隊長に確認すれば、そこでパッと明るい笑顔で手を振ってくれた。
「勿論止めましたから」と何でもないように言ってくれるアラン隊長は相変わらず心強い。アーサー曰く、ラルクが鞭を振るった時点でアラン隊長が腕ごと掴んでそのまま鞭も没収してくれたらしい。ラルクも最初は文句を言ったけど涙声で、その後はまた泣くばかりで長く抵抗する余裕もなさそうだったと。
泣いている相手にそんな言葉をわざとかけた自分も悪かったと、アラン隊長も鞭のことは気にしてはいないらしい。
「医務室行けって言われても嫌がるし「彼女に会いにいく」ってアレスさんの演目中に逃げようとしたんですけど、流石にミケランジェロさん達に引っ張られて医務室テントに連行されることになりました」
急に泣き出すなんて理由がなければ残すは体調不良だ。
騎士ほどでなくても屈強なサーカス団員に引きずられ、アラン隊長とアーサーも追いかけたけれどもう出番が近づいているんだぞと演者のミケランジェロさんに怒鳴られて追い返されたらしい。
賭けについての継続とまだオリウィエルの支配下であることを確認するので精一杯だったと、最後にアーサーと揃って謝るアラン隊長に私もステイルも首を横に振る。状況はわかったし、そんな出番も近い状況で大事な部分だけでもしっかり確認してくれただけでもありがたい。なにより、二人とも無事だったのは良かった。
空中ブランコを無事成功させた後に団員さん達に確認したところによると、ラルクはそのまま医務室で休ませられたままらしい。
一応力自慢の団員が一人見張ってもいると。アレスも自分の演目が終わったら着替えも惜しんで魔術師100パーセントのままラルクのいる医務室に直行したから、おそらくはまだ妨害工作の心配もないだろう。
「なら、これから私も医務室に……」
「いえ、ジャンヌはカラムさんとの本番を控えています。俺が様子を見に行ってきますので、二人は引き続き練習を。……いえ、そろそろ大テントに向かった方が良いかもしれません」
アンジェリカさんが戻ってきたら早めにテントへと。そう続けるステイルに、私も時計を見てから肯定する。
確かにそろそろ時間だし、医務室で万が一にも怪我をさせられたり、舞台そのものに遅刻したら取り返しの付かない結果になる。
演目が終わったステイルなら後の時間を気にすることもないだろう。よろしくお願いするわと、お言葉に甘えれば笑みで返してくれるステイルはすぐにアーサーへと視線を向けた。護衛として騎士一人ご指名ということだろう。
ステイルの眼差しに理解したアーサーも言葉もなく頷きで返し、そのまま二人で訓練所から出て
「あっ、ちょっと待って下さい」
……行こうと、したところでアラン隊長からの待ったが入る。
勢いよく手を上げ、ステイルと並ぶアーサーを呼び止めるアラン隊長は二人が振りかえると少し言いにくそうに頬を指先で掻いた。
「えーと」と半分口が笑ったような苦笑にも近い表情で、次にはアーサーへ目を向ける。
「アーサーじゃなくて、自分が。平気だと思うんですけど、多分自覚なさそうですし」
「??どういう意味でしょう」
「なんか俺やりました?」
ステイルもわからないように眼鏡の位置を指先で直せば、きちんと向き直ったアーサーもきょとんと大きく瞬きで返した。
二人からの問い返しに「いやー」と変わらず言いにくそうにするアラン隊長は今度は完全な苦笑だ。アラン隊長にしては珍しく言葉を選び兼ねているような様子に私も注目してしまう。アーサーとステイルが一緒に行動するのも珍しくはないのに。
カラム隊長にも目を向けてみれば、……こちらはわかったのか前髪を指先で押さえたまま唇を絞って小さく俯いていた。そして歯切れが悪いアラン隊長が、とうとう明確な言葉にする。
「ラルクに異常があったと知ったら、オリ〜……?がどう動くかわかりませんし……」
はっ。
次の瞬間、息を飲んだ私だけでなくステイルとアーサーも大きく肩を上下させた。ぐっ!?と唇を揃って結んだ二人が、一度お互いに顔を見合わせてからまたアラン隊長に向き直りうっすらと顔が火照っていく。……ちょっと待ってお二人とも。不穏。
私も人様のこと言えない気はするけれど、今だけは色々気になってくる。繊細な話だから女性である突っ込んで聞くのも憚れる。今すぐパジャマパーティーしたい。
つまりはラルクの異常がオリウィエルの想定外だった場合、彼女が今度こそ天の岩戸から医務室に訪れる可能性もあるということだ。
そして万が一不意を打たれたら大変になるからアラン隊長がついていくと。少なくともアラン隊長はオリウィエルに特殊能力の影響はないご自信があるということだから名乗り出てくれたのだろう。
いや、今の言い方だとアーサーも平気だろうというっぽいけれど。第一王子の恋愛事情なんてわからないし聞けるわけもないから、とりあえず確実に大丈夫な自分がご一緒しますという意味だ。やんわりとアーサーだけでなくステイルへの配慮も混ざっている。
赤らんだ顔のまま互いに目配せし合うステイルとアーサーが、無言で会話する。
アーサーの視線が落ちたと思えば、音もなく静かな足取りでステイルの隣からこちらに逆戻りしてきた。入れ替わるようにアラン隊長がステイルの隣に並ぶ。……アーサー、私の隣から少し距離を感じるけれども。
宜しくお願いします。と、訓練所を出る前に弱々しい声でアラン隊長に頭を下げるステイルは珍しく背中が小さく見えた。