そして備える。
「あーまぁ平気平気。一部でもウケたし本番も同じ感じでやれば大丈夫だろ」
「あの、アランさん。自分は一応何度か通しでやっておきたいンすけど……」
アーサーも自信がないわけではないが、しかしやはり本番を前にまったく練習しないのは落ち着かない。
第一部でも成功はしたが、いつ自分が段取りを忘れてしまうかと考えれば気が気でなかった。
アーサーの懇願に、アランも「おっ、よっしゃ」と軽い声で快諾した。じゃあこの後やるかーと軽く伸びをしながらも、まずは昼食かなと考える。
その様子にプライドとステイルはむしろ練習時から段取りがいくつか抜けてしまったように見えるアランの方が通し確認が必要なのではないかと思ったが、そこは口を綴じて止めた。
結果としては何事もなく客を喜ばせ成功させた彼に文句を言えることはない。アランのような性格が一番サーカスのような舞台には強いのだろうとこっそり理解しつつ、今は昼食の方を考える。
まだ売上げを使うことはできないが、それでも昨晩調達した食材が残っている。その昼食がそろそろ配布される頃だとステイルが説明すれば、小休憩がてら全員で取りにいくことが決まった。アランが全員分取ってこようかとも提案したが、お互い情報共有をするにも全員で行動した方が都合も良かった。体力だけは余裕があるプライドとカラムの休息にもちょうど良い。
「そういえばラルクは?」
「あー挨拶の時にもいなかったですね。アレスさんがずっと見張っててくれてます」
俺が見に行った時もびったり張り付いていて。と、そうプライドに説明するアランは自分がカラムに頼まれて見張りに行った時を思い出す。
団長テントの前に佇むラルクに対峙するアレスが自分に気がついて振りかえり最初に言った発言は「カラム達は無事終わったか」だった。テントから漏れ聞こえる観客の歓声で察しはついていたようだったがそれでもカラム達を案じてくれていたアレスは、きっとラルクを誰より先に見張ってくれていたのだろうと考える。
その後もラルクからは離れず「お前は開演挨拶にも出るな」「舞台の時以外テントにも猛獣にも近づくな」とラルクの後を追い続けていた。ラルクも煩わしそうではあったが、ライオンをけしかけなかったのがそれなりに本当は仲が良いのか単純に猛獣が全て檻へ厳重にしまわれているから刃向かうすべが無いのかはアランにも判断はつかなかった。少なくともプライドの事故があってから、ディルギアを含む幹部達が猛獣小屋にラルクを近付けないように、そして見張りも立てるように指示を投げていたのは聞いている。
アランに終演後の話を聞きながら、そこで今度はアーサーが「あっ」と声を漏らす。
「そういえばトランポリンなんですけど、やっぱ今日中に直すのは不可能みたいです。買い直すか、修復なら期間もかかるそうで」
切られた時点の長さが悪かったみたいで、と。続けるアーサーにプライドも顔が苦くなる。
もうカラムとの演目が決まった今は自分にとっての痛手はないが、サーカスの経費を考えるとなんとも言えない。ああいう専門機材は高いんじゃないかと考えれば、今回ご厄介になったお詫びも兼ねて弁償すべきか考える。表向きはセドリックやレオン、ステイルが貴族として払えば問題ない。
ただでさえ大規模テントというだけで高価だと想像ができるのに、更には大きな都市でないと取り扱いも難しいと察するから余計である。ここも都市部ではあるが、ラジヤ帝国の属州の一角でしかない地の都市では望むも薄い。
紐がせめて柱に巻き付け固定している部分であれば長さが残った可能性もあるが、切られたのはピンと張られた部分だった為、どうあがいても長さが足りない。
「団長はトランポリンについてはどう……」
「おおおおっ君達!!ジャネット!アトラス!ペンドラゴン!カルロス!!さっきは最高のお披露目だった!!」
さっきは労いができなくてすまなかったな!!と元気良く両手を広げて現れる男性に、全員の足が二秒だけ鈍った。
どこからともなくハァ、というため息が複数漏れるのを互いに聞く。むしろ労いの言葉もそのまま無いで良かったと過りつつ、言葉には出さない。
見れば観客が集う正面入口から回り込む形でわざわざテント裏に回っていた団長が、上機嫌で自分達に迫っていた。
団長自体には害がないと頭ではわかっていても、全員が一歩下がりたい心境になる。実際、男性陣全員がプライドを二歩後方に下げた。アーサーがプライドの前に立ち、更にその前にアランとカラムも進み出る。
しかし当然のように気にしない団長は、大股で彼女達に歩み寄る。素晴らしかった、最高だ、芸術だ感動したと賞賛の言葉を思いつく限り重ねた。「すみませんこれから食事なくなる前に取りに行かないと」とアランからのやんわりとした断りも耳に届かない。
ラルクもアレスにより完全密着で見張られている為、終演後に団員を労いたいと鼻息荒く動き出す団長を誰が止められるわけがなかった。仮にも相手はここでは本来サーカス団の経営者である。今も堂々隠れることも忘れ歩いては、一番自分にとって手前にいるアランとカラムへ親しげに両手でそれぞれの肩を抱く。
「アトラス!!カルロス!!本当に君達も素晴らしかった!!空中ブランコは言うことなければ、カルロスはアンジェリカのことは本当にすまなかった。私もあの子に頼りすぎてしまったと痛感したよ!君のお陰でまた目が覚めた!!」
「あーその呼び名もうまるっと通すんですね」
「アンジェリカさんのことは私の配慮不足でした。団長には快く迅速に協力して頂けて心より感謝しております」
わはは、と空笑いで返すアランと殆ど同時にカラムは深々と礼をした。
お陰で無事にアンジェリカも二部まで無理を通すのは諦めてくれた。いくら客から評判とはいえそこで無理矢理やらせようとせずこちらの希望通りに説得へ応じてくれたことには感謝しかない。
アランもカラムもお互い全く聞き慣れる自信のない呼び名だったが、団長はもううちの子だと言わんばかりに笑顔を輝かせる。もちろん!いやいや君の方がとどちらにも好感強い感情を示しながらそこで今度は更に先にいるプライドとアーサーにも強く笑いかけた。
プライドの横に立つステイルとは客席でも語らったから良いが、二人にはまだ満足に褒めていない。
ジャネット!ペンドラゴン!と呼ばれ、それぞれ肩を揺らすプライドとアーサーに団長は強引にアランとカラムの間から手を伸ば、そうとして止められる。
本当は二人のこともまとめて抱き締めたいくらいだったが、騎士の屈強な腕力に勝てるわけもなく指先も届くことなく高らかな声だけが掛けられた。
「クリストファー団長、僕らはこれから昼食なので。お話しは第二部を終えた後にしませんか?ジャンヌとカラムさんもまだ行き詰まっていて早々に練習に戻らなくては二部に間に合いそうにないので」
早く昼食を取って練習に取り組んで欲しいのです、と。続けるステイルの言葉に、やっと団長も「おおそうだったか!」と目を零れるほど丸くした。
実際はもう一通り振り付け自体は完成できているにも関わらずのステイルの言い回しに、流石ステイル!とプライドは心で叫ぶ。第二部の成功を引き合いに出されば団長も優先せざるをえない。
さぁ急ぎたまえとすんなり食堂テントへと道を空けた団長だが、そのまま自分達に並びついてくる。「いや本当に素晴らしかった」「今後も主演を頼みたいくらいだ」と遠回しに勧誘を続ける団長に、そこでチラリチラリとステイルは目の動きだけで全員の顔色を確認した。最後に顔が引きつったまま隠せていないアーサーを肘で突き、一度視線で全員を示してから目を合わせて無言に訪ねれば蒼色の瞳がむぎゅっと絞られ苦い顔になる。
ダンスの猛練習を終えたプライドとカラムも、そしてこの程度の運動量疲れにすら入らないアランさえも表面は笑顔で平静を払っているが、全員から取り繕いの苦みを感じて仕方が無いと表情筋全てでステイルに応える。
そして、全くそれに気付く兆しもなく熱弁を続ける団長に、ステイルは気付かれないように息を吐いた。
「……団長、この後はどのような予定でしょうか。ジャンヌ達は皆練習に戻るつもりですか」
「!ああ勿論私も付き合うとも!!いや空中ブランコもダンスもまだ演出という意味では客を喜ばせる工夫のしようがあると思ってね!第一部を超えるほど更に演出に磨きをかけられるように」
「よろしければ僕の相談に付き合って頂けませんか?訓練所の隅で僕の演目へご助言を〝みっちり〟お願いします」
ステイル!ステイル様?!と。全員の心が一つになる。
にこやかに笑うステイルからは黒い気配も感じたが、今は誰よりも心強く感じてしまう。今この場で誰よりも団長の相手に手慣れているのがステイルだった。
子どもの頃から権力ある大人相手に心を許さず外面良く人心掌握を心掛けてきたステイルにとって、団長一人の相手など社交界で話す貴族と変わらない。陰謀がないだけ単純な方である。
ただでさえプライド相手ということでいつ我に返ってしまうかもわからないカラムと、なんでも真面目に応えてしまいそうなプライドに、これ以上余計な口出しをさせたくはない。プライドとカラムの成功の為にもここは自分が封じるのがちょうど良いと判断する。
訓練所であればアランとアーサーの護衛も付いたまま、団長の相手は自分一人で済む。一度集中させてしまえば、相談という形で他に意識を向かせないことなど容易でしかない。
脱出劇だから二度目に見る人には展開も読めてしまう。紐が突然切れるだけでは一部ほど驚かれないかもしれない。きっと二部にも一部の客は大勢来ている。第二部でも展開が読めている客のことも驚かせたいと言葉巧みに相談すれば、団長も前のめりに首を伸ばした。
団長が自分の隣へ並びだしたところで、ステイルは敢えて歩く速度を少し速めた。プライドの隣から自然な形でアランとカラムの前にまで進み出て彼女から引き離す。
水槽に吊すのを変えてみるのはどうだろう、まずは仕組みを教えてはくれないかと訪ねる団長の言葉を受け流しつつ言葉を返す。
演出といえば……と、今度はちらりとアランとアーサーの方へ振りかえろうとした団長に目ざとくステイルはにこやかな笑顔のまま更に声を張る。
「ところで、僕の経験から今回の公演成功を利用して新たな事業展開と飛躍的に興行収入を上げる経営方針も考えてみたのですが、時間が余ったら聞いて貰えますか」
「?!!!!フィリッピーニ!君は天才か?!!」
間違ってもアーサーとアランにまで余計な恥曝し行為を強要させてたまるか、と。心の底で地を削るように思いながら、「僕の相談に乗ってくれた後で」とそれ以上は仄めかすだけで止める。
既にアーサーから客席で団長に無茶振りを叫ばれたことは聞いている。演目後に真面目なアーサーがなんとか応えるべきか無視して良いのかと悩んでいたのを「悩む方が無駄だから無視しろ」と両断したのは自分だ。責任持ってここは全ての時間を潰させる。
どうせなにをやっても失敗も無理も生じない自分の演目は成功さえすれば良い。貴族としての正体も知られている自分に団長も無茶は通さないとわかった上で今回は自分が防波堤になると決めた。
客席でカラムとプライドの演目の調整相談をした時点で、団長がある程度は聞く耳を持つことも理解した。自分の欲も通すが、同時にサーカスの利になることを一番に考えてもいる。彼にとってサーカスにとっての利さえ掲げれば掌握も難しくない。
そして団長も疑いようがない。既にステイルの優秀さを演目構成を相談した時から知っているのだから。
─ ジルベールよりも厄介な男などいはしない。
にこやかな声と共に食堂テントへ進む腹黒策士の背中に、プライドとアーサーは胸の中で賞賛の拍手を送り、透明化のままその背に続くローランドもアランとカラムも全員が今は頭が下がった。