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Ⅲ139.騎士隊長は調整する。


「やはり諦めましょうアンジェリカさん」


今からでも演目変更を願い出るべきです、と。本番前であるにも関わらずカラムがそれを切り出したのは、まだ太陽が高い時だった。


当初は団長からの頼みでも断固拒否し、その後も幾度も理由をつけて逃げるアンジェリカをなんとか制しやっとまともな練習を始めて間もなく、それはあっけなく判明した。

初めて放り投げてすぐ受け止めた彼女が次の振り付けを行うどころか立つこともできず、下ろせばその場に座り込んでしまった。腕の中にいる時点からガクガクと肌に伝わるほど震え、真っ青な顔で言葉も暫く出なかった彼女が落ち着くのを待ってから話を聞けば、高いところが苦手だった。

本人曰く「ちょっとだけ」だが、あの顔色の悪さと反応からもちょっどどころか極度であろうとカラムもすぐに理解した。

自分だって最初から慣らす前に女性を高く放り投げたりはしない。ほんの二メートルにも満たない高さ、サーカス団員であれば見慣れないこともないだろう高さで試した上での反応だ。

これで本番は何倍もの高さへ放り投げ飛ばすように見せなければならない。しかも、たんに高い場所だけでなく落ちるときの浮遊感がそれにも増して怖かったと、話せる状態になってから吐き出すように続ける彼女に演目は不可能だとカラムも判断した。


しかし、本人は頑なにやると言う。しかも団長にも誰にも言わないで欲しいとまで言う。

アンジェリカが素直に高所も落下の浮遊感も怖いと伝えれば、今すぐに新たな演目提案で立て直せるかもしれないのに本人が頑なにそれを拒んだ。

彼女が言えないならばと自ら団長に直談判に言っても、高所と浮遊感が苦手なことは言えない上に最終的にはアンジェリカ本人に邪魔されてしまった。今もこうして練習はしてくれるが、一回やれば座り込んでしまう彼女の恐怖心は相当である。

苦手も恐怖心もある程度は時間を掛けて努力すれば克服できると考えるカラムだが、同時にそれが口で言うほど容易ではないことも人によって抗いようがないものが存在することも理解している。

たった一日でその恐怖心を克服させることも、本来バレリーナである彼女が自分の跳躍力以下の高さを必ず克服しなければならないとも思わない。自分と組むことがなければ知られることも彼女自身が知ることもなかったかもしれない恐怖心である。

不真面目なだけだと思っていた彼女が、今はこの休憩一つ一つも恐怖心と戦う為に必要な整理時間だと思えばカラムも拘束時間は作っても無理に練習を詰めさせる気になれない。しかし、一刻の猶予も持たない状況でもある。

最善は今すぐ彼女との演目を解消し、代理を立てるかもしくは自分がアランや他の演目者の補助に組み込んでもらうことだ。なのにそれをアンジェリカ本人と、事実を知らない団長達が良しとしない。

団長に自分が何をできるか話した時、うっかりダンスにもある程度は心得があることを言わなければ良かったとカラムは心の底から後悔した。


「やぁだ~……本番はちゃんと踊りきるからぁ……もっかい休んだら次は空中技外して通そっ……」

「練習でも暫く立てないというのに、本番の高さで踊りきれるとは思えません」

「じゃあ立て直すまでカラム抱っこしてて!その間に呼吸整えるから!!ちょっと休めば、ほら立てるし」

そう言いながら立ち上がるアンジェリカは、既に三分近く経過した後にも関わらず足は震えていた。

強がってはいるが、火を見るよりも明らかなアンジェリカにカラムもため息を何度めかも忘れるほど吐いてしまう。意欲を見せてくれることはありがたいが、どう見てもこれで本番の高さをやり遂げるのは無理がある。


彼女の実力はカラムも認めていないわけではない。空中へあげる場面を抜けば、彼女は殆ど一回で通せてしまえた程にダンスの技術は高かった。

しかも団長から最初に請け負った後には「じゃあ速攻で覚えてね」と言いながら、カラムが考える間もなくダンスの互いの振り付けから構成まで考えてくれたのも彼女だ。空中技を前に彼女が逃げるようになるまでは、むしろ自分の方が彼女に合わせてもらい付き合ってもらった方だということも自覚している。

まだ無理はなさらないでください、と。その言葉を掛ければアンジェリカもすぐにフラつくように再びもとの位置へ座り込んだ。膝を抱え、悔しそうに唇を絞る彼女にカラムも強くは責められない。


「……団長もアレスさんも、素直に事情を説明すればわかってくださると思います」

「いやぁ!団長にがっかりされたくない~!せっかく頼ってくれたのに!怖いけど頑張って格好良くやり抜いてあげた私が良いのぉ!」

「どちらにせよこのままでは演目後には成功しても気付かれます」

幕の裏側で今のように座り込んでしまったら他にどう言い訳をするつもりですか、と。カラムからこくこくと説き伏せるべく訪ねるが、アンジェリカも譲らない。ぐすりぐすりと膝を抱き鼻を鳴らし始めながら「終わった後なら良いの!!」と怒鳴る彼女に、つまりは最後まで隠し通したいというよりもその後に〝無理してやってくれた〟ことも褒められたいのだなと静かにカラムは理解した。

そして今それを団長に言わず恩に着せないのも、彼女自身気付かれたら団長に止められることをわかっているのだということも。

そう考えれば余計に、彼女に恨まれてでもここはこっそり団長に事情を明かして彼女を説得しステイルに謝罪と共に頼み込み演目の再構成を頼むかと冷静に考え出した時だった。


「好きな人の為なら見栄だって張るし無理だってするもん!アレスやカラムみたいに特別扱いして貰えるもの私はバレエしかないんだからぁ!!」

「…………………………」


八つ当たり半分にアンジェリカが放った言葉に。……カラムも、言い返すことができなくなった。

一度に告げられた宣言に、考えさせられる部分が多すぎた。単純な口喧嘩や正論による口論であればまずアンジェリカに負けないが、感情論で押しやられる。まず目の前で膝を抱えて座り込む彼女の年齢が初めて気になった。露出や大人っぽい化粧をしていることが多いが、涙で化粧が落ちたその下は皺の一つどころかむしろ若く、プラデストの生徒くらいの年齢にみえる。


自分やアレス、という言葉に特殊能力のことを指していることはすぐに察したカラムだが、そこは別段引っかからない。

カラム自身今まで己の特殊能力を羨まれた経験も特別視されたことも珍しくない。ただ、彼女がどれだけそれを羨ましいと思い必死になっているのかはわかった。……まさかの、この上なく個人的な強い感情で。

今も、怒鳴りだしてから涙目で自分を睨み上げてくる女性に、ここで正論や不必要な野暮を訪ねることの方が大人げない。ぐぐっと眉間に力を込めながら前髪を押さえつけ、口の中を噛む前に一度飲み込んだ。

あくまで全てが彼女の私情だが、もとを正せば巻き込んでしまったのは自分の方だ。ダンスの演目に組み入れてもらい、振り付けも考えてもらい、そして彼女なりに必死に成功させようと努力はしてくれている。そこまでさせておいて、彼女の大事な心情までを踏み躙ることはできない。納得はできずとも、今の自分は理解できてしまう。


「わ、……かりました。でしたら、せめて振り付けを一部変えましょう。空中技を最終にだけ詰めて終える方向にすれば、最悪立てなくなっても私が補助します」

単純なダンスであれば私もいくつかリードできます、と。そう続けるカラムは、時間がないと理解しながらも続行を覚悟した。

涙に濡れながら座り込む彼女が満足に踊れるように整うまではひたすらダンスの構想相談を続け、全体を通して空中技後の彼女を抱きかかえ続けても違和感をもたれないよう、その前に密着した技も繰り返し組み込む。最悪の場合彼女を抱き抱えて退場することになっても怪我や不調を疑われないように、男女の仲睦まじさを最初からテーマにする。

そう続けるカラムからの提案に、アンジェリカは一言も文句なく頷き考えた。舞台の上でならばカラムとどういう演技をしてもなんとも思わない。そんな意地は大昔に演者として捨てている。

伯爵家子息とバレリーナ、ダンスの技術自体は高い二人は振り付けの再編成も完成からお披露目まで無事たどり着くことができた。


予想通り立てなくなったアンジェリカも舞台上ではおくびにも怯えを見せず笑顔を保ってくれた。舞台裏に彼女を残し、一直線に団長のいる客席に向かったカラムはすれ違ったレラにもアンジェリカを頼んだ。

そして何より、無理をする理由である団長に彼女の功績と努力を告げた上で説得をと頭を下げて頼めばすぐに応じて貰えた。

アンジェリカも納得し、第二部では空中技も自分との組も解消され、心置きなくアンジェリカは二部で本来の形式に戻ることができた。



……そして。



「それではカラム隊、……カラムさん。アンジェリカさんとの振り付けを基盤に、投げるのを多めに組み込む方向でよろしいでしょうか?」

「ッいえ!!……あちらの振り付けは忘れて頂く方向で、お願い致します……!」

申し訳ありません、と。訓練所で深々と頭を下げるカラムに、プライドも口が半分笑ってしまいながらも頷いた。

てっきりその方がカラムには変更点が少ない分負担が少なくて良いと思って空気を読んだつもりだったが、思い切り却下されてしまうとやはりパクリは駄目なのかしらと考える。手は抜きたくない、真面目なカラムらしい判断だと思いつつこれから考え直すのも不安はある。


第一部が終幕に近づいてラストスパートの今、訓練所に姿を見せているのはカラムとプライドだけだった。

第二部まで時間がない今、練習時間が欲しいを訴えたカラムとプライドは終幕の挨拶も免除を許された。姿を見せない護衛騎士二名もいるとはいえ、アーサーとアランも終幕挨拶後にすぐ合流する予定だが、そのわずかな時間さえ悠長にできないほどにダンスペアは追い詰められている。たったこの数時間で振り付けから合わせまで完璧に仕上げなければならないのだから。

しかも今回は普段のダンスと違い、社交界ではあるまじき空中技を組み込む必要がある。


「本当に巻き込んでしまい申し訳ありません……。私のアンジェリカさんへの補助が足りていればジャンヌさんを巻き込むこともなかったのですが……まさか本当に二部で急遽組ませて頂く事になるとは」

「いえ!私から言い出したことですので気になさらないでください。私も演目を失ったところでむしろ助けられました……」

訓練所へ訪れる前から謝罪を重ねるカラムにプライドも大きく首を横に振る。

ステイルと団長の打合せにより早々にプライドと組むことが決まったカラムは、すぐに舞台裏に駆け戻り彼女を訓練所に招いた。第一王子からの任命と許可を得たことがせめてもの救いだった。

時間がない上に、自分のせいで第一王女であるプライドを巻き込んでしまう事態にそれからずっとカラムは胃の中がぐらぐらと揺らされている。


もともとカラムに誘われた時点で自分の代打の可能性は示唆されていたプライドからすれば心の準備も比較できた自然な流れだが、カラムにとっては巻き込んでしまった感覚が強い。昨日の時点ならばまだしもこんな数時間前に準備もなく組むことにさせてしまうなど申し訳なさしかない。

しかし、アンジェリカと行ったダンスを殆どそのままプライドと実践するのは耐えられない。あれはあくまで空中技が苦手な彼女をフォローする為に特化した編成であり、通常のものではない。過度に男女の密着や愛着を主張するあの振り付けをそのままプライドに強いるなど、騎士として婚約者候補として以前に男として許容できない。そして自分が今度は舞台上で平静を保てる自信もない。

あの時は最善を尽くしたつもりだったが、まさかここでプライドに降りかかることになるとは流石のカラムも予想しなかった。

ありがとうございます、とプライドに感謝を深々告げたところでカラムも息を整える。アンジェリカとの振り付けをそのままはできない。そして時間がないのも事実。


「……アンジェリカさんが、考えて下さっていた初期の構想があるのでそちらの方を使わせて頂きたいと思います」

「!そうなんですね。投げる技もいくつか?」

「はい。そちらの方が空中技も偏らず組み込まれています。むしろ、少し数を増やしても問題はないほどかと」

音楽は第一部でも行った曲で続行。最初にアンジェリカが躍り、そしてバトンを渡すようにプライドとのダンスにと流れもステイルが早々に打合せ団長に許可を得た。プライドのトランポリンが削れる分、ダンスの時間も三人分長く延ばす方向で調整することが決まった。衣装もアンジェリカが責任持ってプライドの分の衣装選びを請け負った今、二人が考え練習するのはアンジェリカにバトンを渡されてからである。

CDどころかレコードもない現状では、曲を実際に流して考えることもできない。社交ダンスであれば曲に合わせて即興もできる二人だが、空中へ投げるタイミングは流石に決めないといけない。

本来特殊能力を買われてダンスを選ばれたカラムも、もっと空中技を多く見せることを期待されていることは自覚している。アンジェリカというサーカス団の花を置いてプライドとダンスをするのならば余計に見せ所は必要とされる。実際に舞台に立てば、アンジェリカの人気の高さも実感を得て理解した。


「まずは、アンジェリカさんの決められた段取りでやってみましょう。ステップや振り付けはバレエではなく普段通り……お互い慣れている方で宜しいかと」

「わかりました。その分どんどん投げてくださって結構ですから!」

ぐっと、やる気を示すべくプライドが両拳を握ってみせればそこでカラムもやっと笑みが溢れた。

肩の力が抜け、顔の強張りも抜けていく。相手がプライドだというのに、今は時間を詰めるのに滞りなくいきそうな感覚に安堵してしまう。

相手は同じ社交ダンスを得意にした上級者、そして畏れ多くも自分は何度かダンスを交わしたことのある相手だ。真面目かつ呼吸を知れた相手はそれだけでやりやすい。

それでは、と。二人揃い頭の中に残る舞台で聴いた曲を思い出しながら手を組み交わし合う。細かい振り付けは決めず、一、二、三とカウントするカラムの声を頼りに合わせた。

実際に空中へ放っても滞りないまま練習が進むことに、麻痺していた心地良さを覚える。アンジェリカが些か幼い部分があったことも置いても、目の前にいるのが大人なの淑女だと触れ合う肌で思う。


「あの、カラムさん。ここ一回アンジェリカさんの時みたいに……」

「〜〜っ、……はい。確かに、全くないのも不自然でした……」

〝忘れて欲しいと願った筈なのだが〟という言葉を飲み込む。自分の羞らいは置いても構成と完成度に今は集中すべきだと胸に言い聞かす。

打ち合わせさえ終えれば、二人が練習に没頭するのは終幕後のアーサー達が駆けつけるよりも早かった。


没頭し過ぎたことに気付くのは、さらに遥か後である。


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― 新着の感想 ―
サーカスにきて少なめだったカラム隊長との絡みがやっときた♪ むしろ婚約者候補として遠慮なく!堂々と!過度に男女の密着や愛着を主張してください♡
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