そして嵐が去る。
「?!だ、大丈夫アンジェリカちゃん!あの、ごめんなさい私ずっと裏いたからアンジェリカちゃん何があったのかちゃんと見てな」
「レラちゃあああぁぁぁん……!!」
バッ!と、私から両腕を完全に離したアンジェリカさんが飛び込むようにレラさんに抱きついた。
あまりの見切り発車だったのとレラさんと少し距離が空いていたせいで、今度は私へみたいに胸に飛び込みきれずしゃがんだレラさんの膝に飛び込むよう形でアンジェリカさんがうずくまる。うえーん、とやっぱり子どもみたいに泣くアンジェリカさんに私も結果的に突き飛ばされるような形で背中からのけぞる。
大丈夫ですか?!と受け身を取るまでもなくステイルとアーサーが二人揃って背後から肩や背中を支える形で受け止めてくれたけれど、それよりもまた増した一方向殺気が怖い。「大丈夫!!」と無意味に両手を振って無事を示しながら、天井を見回す。
姿は捉えられないけれど、とにかくアンジェリカさんに攻撃されたわけではないと訴える。誰だって付き合いの浅い人よりも落ち着く人に飛びつくのは当然だもの。
視線を向ければ、レラさんの膝から今はおへそくらいの位置に顔を埋めているアンジェリカさんはびっくりするほどに足が崩れていた。まだ腰が抜けたまま自由が効かないのかもしれない。まさかの突き飛ばされることよりもそっちの方にキャアと悲鳴が出る。アンジェリカさん、ただでさえ短いスカートがめくれて露出が恐ろしいことに。
慌てて自分の衣装の上着を脱いで覆おうとすれば、ボタンに指をかけた時点でステイルとアーサーに同時に待ったをかけられた。……そういえば今の私も上着を脱いだら露出がすごいと遅れて気付く。
アーサーも脱ぐような上着がない今、代わりにステイルが上着を脱いでそっとアンジェリカさんのスカート部分において隠してくれた。頭隠してなんとやら状態のアンジェリカさん本人は泣くばかりで全く気付いていない。
「もう超超こわくってぇえ!!死ぬかと思ったぁ!!落ちる瞬間ねぇ背中がぞわっって」
「う、うんうん!大変だったね!背中?ここ?!ここ今は平気?!」
「そこぉ〜!あとふぁっとして意味わかんない!!」
「そ、そうなんだそれは怖いね……」
「アレ絶対人間耐えれるやつじゃない〜!」
「えっそ、そっか。アンジェリカちゃん耐えれたのすごいね?!」
「でしょお?!私バレリーナなのにぃ!可愛いだけで充分なのになんで落ちたりするのぉ?!」
「うん、うん、アンジェリカちゃん可愛いよ!すごい可愛い世界一可愛いし私なんかと違ってサーカスの主力でお客さんもいっぱいついてるし……」
「もぉ〜レラちゃん大好きぃ!!世界いちぃ〜!」
……レラさん、すごい。
舞台から戻ってきてからずっと同じことを繰り返して泣いているアンジェリカさんを見事に受け止めている。よしよしとアンジェリカさんを抱きしめ頭を撫で、アンジェリカさんも主張を終わると今度はパタパタ足を跳ねさせた。ステイルの上着が無に帰するからもうちょっと自重して欲しい。
まるで母親に宥められる幼児のようだった。それでもまた「本当怖くってぇ」と数週目に入るアンジェリカさんに、レラさんもまるでリセットスイッチでも押したかのように殆ど同じ返答をしている。そのまま見守っていればまさかのレラさんだけでも四周同じ会話の往来が続いた。
そこでやっとアンジェリカさんも落ち着き出す。
「もー……二部はほんっと無理ぃ。カラムの顔見るだけで腰抜けちゃぅ……いまもぉ顔面狂気だしぃ」
なんか、物凄く褒めてるような物凄く貶しているような。多分実際はどちらでもないのだろう。
本番以外は怖いからとカラム隊長も頼まれたまま比較低空で済ませていたらしいし、そこから一気に本番だけあの高さで落ちればトラウマになるのも無理はない。パブロフの犬じゃないけれど、今はカラム隊長を見るだけで落下を思い出して駄目なのだろう。
「えっ、じゃ、じゃあアンジェリカちゃん二部は……?今から一緒に団長に相談いってみる?」
「やだぁ!!絶対やるぅ!でもやりたくなぁあい!!」
びえええええええ!とアンジェリカさんがまた大声で泣き出す。
レラさんからの問いに見事に矛盾した発言だけれど、とにかくやる気と恐怖心は伝わってきた。
派手に足をバッタンバッタンと交互に振るからステイルの上着が跳ね落ちた。レラさんが今度は気付いてくれて、慌てて手を伸ばしてアンジェリカさんのスカートを直前押さえてくれる。もうステイルもアーサーも私の方に身体ごと向いてアンジェリカさんを視界から消していた。
レラさんが宥めてくれる中、そこで突然バタバタと慌しい足音がテントに近付いてくる。
「アンジェリカ!!」
バッ!と、聞き覚えのある声とほぼ同時にアンジェリカさんも顔を上げ振り返った。
見れば入り口から団長がちょうど駆け込んできたところだった。走ってきてくれたのか肩で息をする団長に、アンジェリカさんの目が丸くなる。「団長〜!」と鼻を啜りながら目を擦るアンジェリカさんが、今気がついたかのようにバッタンバッタンしていた足をしまい、身体も上体を起こす。その間にも入り口で一度は止まった団長が再び一直線に走ってきた。あまりの勢いに私も一歩引いてしまう。レラさんも団長の勢いに押され逆風でも浴びるように背中を反らす。
そして瞬間。今度は団長が飛び込む勢いでアンジェリカさんを抱き締めた。
「よくやってくれたアンジェリカ!最高だ!!」
ぎゅむっと。
アンジェリカさんを両腕でぬいぐるみのように豪快に抱き締める団長は、ちょっと舞台に聞こえてしまうんじゃないかと心配になるくらいの大声だった。舞台から離れた隅で本当に良かった。
さっきまでアンジェリカさんを抱き締めていたレラさんが今は背後に両手をついて足を崩している。団長の抱き締めは避けたけれど、あまりにも眼前に人間二人が至近距離で体勢を立て直せられないようだった。
今はそんなレラさんにも気付いてないように上機嫌の団長は興奮した口調でアンジェリカさんを褒めちぎる。すごいぞ、みんな夢中だった、感動した、まさに姫、いや天使だと。
さっきまで大号泣だったアンジェリカさんが今は借りてきた猫のように大人しく、そして小さくなっている。
「今日は間違いなく我がケルメシアナサーカスの歴史に残る日になるぞ!!」
「う、うん……。に、二部もがんばるね……」
気のせいかさっきまで泣いて真っ赤になっていた顔が、泣き止んだのに更に赤く蒸気して見える。ぽつぽつ言うアンジェリカさん可愛い。
「いや!!それなんだがなアンジェリカ!二部はいつも通りのお前のバレエが見たいんだ」
「えっ……え??」
抱き締めていた手から、がしっ!と言い聞かせるように華奢な肩を掴む団長に、アンジェリカさんも背中が伸びる。けれと表情はぱちくりと目も丸い。
てっきり褒められたから二部もよろしくの励ましだと思ったのだろう。変わらず満面の笑みの団長は歯を輝かせて言葉を続ける。
「実は客席で見ていたんだがお前が突然パートナーを組んだことで妬む男客が多くてな!お前に憧れる男性客を見誤った私の失策だった!」
カラム隊長可哀想。
そう思いつつも、団長の顔は変わらず煌めく笑顔だ。
それだけアンジェリカさんが人気なのが嬉しいのもあるのだろう。きょとんとするままの彼女へ歌うように語り聞かせる。
「だがこういうのが大事だ!たった一度の回を見逃しただけで同じ奇跡は一生見られない……!これこそサーカスの醍醐味そのものだ!」
見逃させるのもまた次に繋がる集客方法だと。そう語る団長に一理あるとこっそり思う。
舞台とかコンサートとかもそうだもの。その一瞬を見逃したくないからこそ同じ内容でも可能ならば全ての回を観たいと思うのが客心理だと、前世の記憶で私もよく知っている。
「とにかく今回は最高だった!」と締め括る団長に、アンジェリカさんもやっと二度三度と頷いた。ほーーっと、息を吐く音と一緒に上がっていた肩が下がっていく。やっぱり安堵が大きいのだろう。
ふと気が付いて振り返ると、カラム隊長が入り口からそっと姿を出してこちらに歩み寄ってきた。
こちらもほっとした表情をしているのを見ると、もしかして団長を呼びに行ってくれたのはカラム隊長かしらと考える。アンジェリカさん、このままだと泣きながら二部もやると言いそうだったもの。
何より最年長かつリーダーの団長はやっぱり別格なのか、もう泣くどころか湯に浸かっているように落ち着いている。
「二部のカラムについてもすぐ考えるから安心してくれ!彼のダンスも素晴らしいしいっそ分けて踊るのも良いな!なにか見栄えのする重量物を大道具から探」
「あっ。でしたら私がカラムさんと」
ちょうど良いですし、と。団長へ挙手をする。
途端に一瞬、息が止まる音が聞こえた。ン、と一音が団長の「ジャンヌが??」という声の直前に耳に入った気がする。
一気に団長とアンジェリカさん含めて周囲の視線が私に集まるのを肌で感じる。そういえば表向き侍女かつ新入りだし、ダンス踊れるのはおかしいかしらと思いながらなんとか続ける。
「私も、……普通のダンスならそれなりに覚えがあります。トランポリンも修繕に時間がかかっちゃうでしょうし、私でしたら何回放り投げて貰っても大丈夫です」
トランポリンも急浮上急降下するし、大丈夫と断言しても問題はない筈だ。
ラルクの壊させたトランポリンも、張り直すことができるかも現時点ではわからない。他の演目はメインじゃないから最悪でも訓練用のトランポリンで代用できるかもしれないけれど、私の場合はメインだから見劣りしてしまう。
ダンスなら幸いカラム隊長とは踊ったことがあるし、初めてより合わせやすい方だ。
「……そういえばカラムも一度、ジャンヌに組んで欲しいと相談していたな……」
丸い目をして私を見返した団長が、顎を撫でながら思い出したように呟く。
私もダンスできるかもと思ってもらえたようだ。カラム隊長も「はい……まぁ」と前髪を直しながら少し背を屈めた。結果として当初のカラム隊長の提案通り私と組むことなったことに、思うことがあるのかもしれない。……まぁ、あの時はアンジェリカさんもやる気で、かつ団長の構想もあったし何より彼女が高いのも落下も駄目なんて知らなかったのだから仕方がない。
多分団長もアンジェリカさんが高いのすらダメと知らなかったのだろう。アンジェリカさんも隠していたもの。
「僕も賛成です!ジャンヌのダンスなら観客に披露するには充分ですし、カラムさんの腕前を拝見しましたが即興でも難しくはないと思います」
パン、と両手を叩いたステイルからも後押しが入る。
即興、という言葉にリード役を任される責任重大なカラム隊長だけでなく私まで反射的に背筋が伸びる。いやでもダンスなら確かに大丈夫!ダンスパーティーなんて基本のステップ以外即興みたいなものだもの!!
やんわりと私のダンスを〝ぎりぎり見せれるダンス〟として踊れるのも違和感がないようにフォローしてくれるステイルに感謝する。流石天才策士!
曲の選抜も演目順変更も構成も相談に乗りますと、流れるようにステイルが更にぐいぐいと背中を押してくれる。一度ステイルと演目構成した団長もここまで言われれば乗らざるを得ないだろう。
策士ステイルの実力を知っている以上、急ぐ今は特に協力して欲しいに決まっている。
にこやかな笑顔で、その流れの方向なら協力しますよと案に促すステイルに団長も数秒の思案後に快諾してくれた。
では客席で話しましょう、と今頃ラルクを見張ってくれているだろうアラン隊長の負担も考えてステイルが団長と一緒に移動することになる。
「ジャック離れるなよ」と私の護衛を念押ししてくれた直後、目を合わせて私にも確認してくれるステイルに頷いて返す。あっちにも騎士が大勢いるし、団長のお目付役としてもステイルなら大丈夫だろう。
「よし!二部もまた新たな感動を届けるぞ!じゃあなアンジェリカ!本当に君はケルメシアナサーカスの姫そのものだ!」
拳を力強く握った団長が、ゆっくりとアンジェリカさんから手を離す。バン!と彼女の肩を気合いでもいれるように叩くと、最後に頬へ口付けまでしてもう一度抱きしめた。
ぶちゅぅう!と音が本当に聞こえるくらいの猛烈な口付けにちょっと私の方がヒェッとびっくりする。
電気でも浴びたようにピシリと固まったアンジェリカさんに構わず、団長は何事もなかったように立ち上がるとそのままご機嫌にステイルと去っていった。「二部は当日券を倍額にするぞ!」「伝説の日にしよう!」と高らかに叫ぶ団長の背中に、ステイルがにこやかな笑顔で続いていった。カラム隊長も片道までの護衛に付き添っていく。
ぺこりと頭をこちらに下げてくれる顔がじんわりと顔が熱ってみえた。……よく考えると、身分隠してとはいえいきなり王女ぶん投げダンス決定はカラム隊長にも荷が重かったかしら。
いやでもカラム隊長も私が跳ぶのも落ちるのも平気だって知っているし。ここは気軽にお願いしたい。
「あっアンジェリカちゃん〜!しっかり!!」
団長とステイルそしてカラム隊長の背を見送ってから、聞こえてきた声に目を向ければ身体を起こしたレラさんがアンジェリカさんの肩を揺さぶっていた。
ぐらんぐらんっと首が折れそうなくらい大きく縦に振られるアンジェリカさんは完全に無抵抗だった。真っ赤な顔がニヘェと緩み切ったまま目の焦点がたぶん合ってない。団長に口付けされた頬を片手で押さえながら、これ以上ないくらい幸せそうな顔だとわかる。
この反応を見ると、さっきのほっぺにちゅーもセクハラではなくご褒美にはなったようだ。……私は遠慮したいけれども。あんながっつり吸われたくない。
「あの、……ジャンヌはあんま団長にも近づかない方が良いと思います……」
「そうね……」
アーサーの言わんとしてることは多分私が考えたことと一緒だろう。
レラさんが「いえこれは団長もアンジェリカちゃんは希望してるからなだけで……」と弱い声で訂正してくれたけれど、それでも警戒は必要だ。
不用意に触れちゃいけない相手がラスボス以外にもう一人増えたことを感じながら私達は第一部の終幕を待った。
…………終幕より先にカラム隊長からのお迎え御指名が来るまでは。