Ⅲ92.侵攻侍女は見惚れ、
「あー-、まぁなんとかなるんじゃねぇ?」
そう気楽な調子で言うアラン隊長は首をゴキリと鳴らしながらも笑ってくれた。
訓練所で再会できたアラン隊長は見事に、このサーカス団にも馴染んでいた。正直佇まいだけで判断すれば普通に「幹部です」と言われても信じてしまいそうなくらいに堂々としている。
アレスに団員さんへの事情説明は任せ、空中ブランコ練習中のアラン隊長へ駆け寄れば私達が高台に乗る前に下りてきてくれた。
正確には降りるというより〝落下〟だ。
宙ぶらりんのまま吊るされたブランコに片手を引っかけただけだったアラン隊長は、私達に「ああそこで良いから」と言うと同時にパッと手を放して降下した。
騎士のアラン隊長だし大丈夫とはわかっていても、降下と同時に三回転を加えて綺麗な姿勢で着地した時はうっかり拍手を送りたくなった。本番のテントよりは低い高さではあるけれど、普通の人だったら軽い怪我では済まない高さだ。
それに、確か本番の大テントは空中ブランコの下は単なる緩衝材ではなくハンモック的なものだった気がする。高さも比較低いのもあるだろうけれど、もしかしてここの訓練所は飛び降りる練習までは視野に入ってないのかもしれない。………間近に表れた瞬間、うっかり上半身何も着ていないアラン隊長にも、どっきりしたけれど。
いつもは騎士の団服着ているアラン隊長が、変装服でもなく長ズボンだけの上半身裸だった。
私が一歩退がる代わりに一瞬顔を背けたところで「あ、すみません」と高台梺に掛けていたシャツを着てくれた。この年で男性の裸とはいえたかだか上半身で動揺する自分の方が恥ずかしい。いや全く見れないというわけじゃないのだけれど、逆に直視するのも王女として憚られた。
前世では同年代男子が半裸で夏を過ごしても全く気にしなかったけれど、今世ではこれでも淑女だ。
しかも、全く意外ではないけれどやはり流石アラン隊長。パッと視界に入っただけでも鍛え抜かれた肉体は、騎士の勲章である古傷を含めてもうっかり見惚れるほどだった。
男性の、騎士の身体をじろじろ見る王女なんてそれこそドン引き間違いない。ここは凝視する前に顔ごと強制的に逸らすのが正解だった。
今朝に明日の開演を告げられてからすぐ訓練所へ放り込まれたというアラン隊長は、今の今までずっとここで訓練を言いつけられていたらしい。団長の護衛をカラム隊長に任せられたお陰で、安心して訓練……という体裁で空中ブランコで手探りに遊んでいたと。
アレスが合流する前にお互いに情報共有をすれば、ついさっき決まった明日ぶっつけ本番無茶ぶり事件もアラン隊長は大して焦る様子もなく快諾してくれた。正直私の方が色々どきどきしているからそう言ってくれるのが凄まじくありがたい。
「でも明日に出されるんならもっと簡単なやつのが良いかもなー。できねぇことはねぇんだけど、技とか口で説明されてもしっくりこなくてよ。明日じゃアンガスさん呼ぶのもなー」
「今先ほどの着地も充分見どころの一つだと思いますが」
うーんと大きく首を捻るアラン隊長にかけるステイルの落ち着いた感想に、私も二度頷く。
アラン隊長にとっては普通の着地なのだろうけれど、結構な高さから回転付きで着地するだけでも結構な技だ。……ラスボスチートの私が思うのもおかしな話だけれども。
でもまぁ、アラン隊長の不満もわかる。空中ブランコは私もどういうものかだけは知っている。それに他の人の訓練風景を見ても高い位置から落下と着地だけならアクロバットな演目には大体付き物だ。
前世のサーカスでも花形の一つだった空中ブランコ。元々、今は貧困街に控えてくれているアンガスさんの担当演目だった。けれどアンガスさんが団長捜索の為に抜け出して、その後釜として結果的に新入りのアラン隊長がすっぽり収まったらしい。
ただ、もともと空中ブランコはアンガスさん一人だけでやっていたらしく、教える人もいなくて演目内容を知っている団員の人達が口頭でどういうことをすればいいのか説明するだけという状況だ。……こちらもかなり、無茶ぶりだなぁと思う。
アラン隊長本人も今まで空中ブランコどころかサーカスも具体的にどんなものか目にしたことはなかったらしく、余計掴めないと。
本来ならば、指示する人がいない以上空いている演目に所属させるよりも何も知らない新人には指導者のいる演目の補助から経験と技術をつけさせる。ただ、……アラン隊長の身体能力が凄まじすぎて指導者側のお顔を立てるとか食べちゃうと。昨日速攻で問題になってどこの演目でも有能新人は厄介払いされて、指導者もいないアンガスさんの演目にそのまま割り当てられたと。流石はブラック企業サーカス。
まぁ、アラン隊長の驚異的な身体能力に花形演目の行方を託したくなったということであれば気持ちもわかる。ハナズオの防衛戦でも、足の速さだけでなく身のこなしから剣抜きの肉弾戦も特化していた騎士だ。アーサーも彼が近衛騎士になる前から素手での戦闘の実力は嬉々として話していた。騎士団でも先行や切り込み隊でもある一番隊の騎士隊長だ。
「明日だけ他のやらせて貰うのもありかもなー。重量上げとか空中のとか組体とか、器械系とかわりとやってみたらどれもできたしさ。本業のサーカス団員と一緒に組んだ方が客にもウケるだろ?」
あとこれもこれも、と。指折り思いだすように演目を上げるアラン隊長に、本当に昨日だけで色々な演目網羅したんだなぁと思う。
最初から運動神経と筋肉にものを言わす演目ばかりが並べられているのを聞くと、アレス達もなんでもかんでもではなく一応アラン隊長に向いたものを選んではくれたのだなと思う。……そしてサクッと持ち芸演目を取られてしまいそうだから入門拒否したと。それじゃ後継者が育たないと言いたいけれど、彼らの場合は芸の存続よりも自分達のサーカス団での価値確立が大事だから仕方がないかもしれない。お株を奪われる、というよりも道場破りに遭った感覚に近いのだろう。
そう思うと、寧ろアラン隊長がお願いしたところで一緒に明日のぶっつけ本番に付き合ってくれる人が現れるかも心配だけれど。いや、団長やアレスが味方についた今ならなんとかなるかもしれない。
「今のとこどういうのやってたんすか?」
「一人だし全然簡単なとこまでだけだって。アーサーもすぐできるぜ」
やってみるから。と、そう言うとアラン隊長は早速手近な方の高台の梯子に足を掛け出した。どうやら早速見せてくれるらしい。
アラン隊長から反対岸の高台へ上るように指示されたアーサーも、駆け足でもう片方の高台に上っていく。「そっちのブランコ振ってくれるだけで良いから!」と言うアラン隊長は、頂上に立ったところで…………早速〝ブランコ〟無しで飛び込んだ。
えっ、と。思わず私だけでなくステイルからも音が零れた。普通、空中ブランコなのだからブランコを手に飛び出すのが普通だ。
さっきまで誰もぶら下がっていなかったブランコは天井から垂直に垂れているから高台のどちらにも属していない。…………いや、多分高台側に引っ張り上げる為の装置とかあると思うのだけれども。
アラン隊長はそれをするのも面倒と言わんばかりに、数メートル先に垂れている空中ブランコにそのまま殆ど助走無しの脚力だけで飛び移った。
ガッシャンと、大丈夫とわかっていても心臓に悪い音が響き、一瞬だけど背後の騒々しさも止まった。事故音に聞こえなくもない音だったから無理もない。
アラン隊長は両手でつかんだブランコで、飛び移った勢いのまま大きく半円の弧を描く。最高到達点で軽々と足を前に蹴飛ばすように伸ばす姿はもう余裕がある。プロそのものだ。
空中の折り返し地点になったところで今度はまるでだたの鉄棒でもしているかのように逆上がり方式でぐるりと一回転してみせてくれた。
気持ちのままに早々に拍手をしてしまうと、アラン隊長まで聞こえてしまったらしくまた片手持ちになってこっちにヒラヒラと手を振ってくれた。ニカッといつもの屈託のない笑顔でファンサービスまで抜かりない。
再び両手持ちになって折り返し方向に目を向けると、宙ぶらりん状態から何の詰まりもなく両足を手の間にくぐらせブランコに引っ掛ける。
両手を離せば、あっという間に私が知る逆さづり状態の空中ブランコだ。もうこの時点で充分格好良い。おおーと声にできない代わりに正直な気持ちのまま拍手をまた繰り返した。
そこでアーサーが反対岸に上りきれば、アラン隊長が「くれ!」と合図をアーサーに上げた。反対岸のブランコはそのまま高台の上に引っ掛けられていたから、アーサーもすぐに手に取ってアラン隊長に合わせて放った。流石近衛騎士同士。
折り返しに到達するタイミングで投げられたブランコへ、アラン隊長は難なく両手を伸ばし乗り移った。更には私が再び拍手を強めようとする一瞬の間に、余力で左右に揺れたままの空中ブランコへ再びアラン隊長が飛び移り戻る。今度は両手でブランコにぶら下がった状態から、くるりと空中で一回転した上での飛び移りだ。…………これ、充分演目になると思う。
単純に飛び移るだけでなく、空中で一回転込みなんてタイミングを外したら落下必死の職人芸ではないだろうか。
最後は再びくるりと最高到達点へ合わせての逆上がりで決めたと思えば、回転の勢いのまま手を離す。そのまま今度は身体のひねりをいれた二回転で綺麗に緩衝材の下へ着地した。
「な?わりと単純なのばっかだろ?」
「?!いいえ物凄く格好良かったです!!!」
まだ高台の上にいるアーサーへ大きく手を振りながら投げかけるアラン隊長に、興奮のあまりうっかり私が答えてしまう。いやだって本当に格好良かった!!
気付けば両拳を握って前のめりに声を張ってしまう私に、アラン隊長もびっくりしたようにオレンジ色の目を丸くした。
私もうっかり会話に入っちゃったと思ったけれど、アラン隊長は気を悪くする様子もなくむしろ嬉しそうに笑って返してくれた。へへへっ、と歯を見せながら頭を掻く様子は困り笑いではなく純粋に受け取ってくれたのだとわかって、私まで余計になんだか嬉しくなってしまう。
高台上からアーサーも「格好良かったです!!」と応戦してくれれば、アラン隊長も満面の笑みのままアーサーへも振り返り「ありがとなー!」とまた手を振った。




