Ⅱ549.兄は品定めされ、
「お、お久しぶりですジルベール宰相殿。まさかまたお呼びいただけれるとは思いませんでした」
光栄です、と。一応はそれらしい言葉を整え乗り切ったが、その間にも自分を置き、案内役だった上司達が恭しく退室していく光景には落ち着かない。採用された筈なのに、最後の面接官がこの国の宰相かとまで思ってしまう。城の人員といえば納得できる人選だが、アムレットが目指すような上層部でもその補佐でもない、ただの使用人だ。
ジルベールの指示通り次々と退室し、最後に扉を閉められれば自分とジルベールたったの二人になる。
こういう偉い人間の立場や通常がどのようなものかは知らないフィリップだが、今ここで自分が宰相の命を狙ったらどうなるんだとそんな心配まで覚えてしまう。こんな喧嘩もできなさそうな人間を自分みたいなぽっと出の庶民と二人にしていることに不安しかない。しかも宰相は見るからに丸腰だ。
王配の補佐というからには本人がものすごいゴツいくらい強いか、もしくは強い護衛を肌身離さずかと思ったのにそのどちらでもない。ただ、改めて目の前の人が宰相なんだなと城内に入った今、改めて思う。そうでなくとも、第一王子を客として自分の屋敷に招けるような立場だ。
「いえいえ。表向きは私が貴方を引き入れたということになっておりますので。こうして早々に一度くらいは顔合わせした方が都合も良いのですよ」
〝表向き〟という言葉にゴクリとフィリップは喉を鳴らす。
自分が本当は誰に勧誘を受けたかを知っているのは城でもごく一部の人間のみ。そしてその一部に目の前の宰相は含まれている。
切れ長な目を静かに細める宰相に、ただ良い人だと思っていた筈なのに今はまるで弱みを握られているような気持ちになる。「なるほど」と言葉こそ返せたが、そもそも本当にこの後ステイルが言っていたような展開が待っているのか。そして、そこまでこの人は快く思ってくれているのかとまで考えてしまう。
書類一枚もない、お互いを分け隔てるテーブルの空白もまた落ち着かない。従者としての生活が長かった所為で、今すぐ立ち上がって動きたい欲求が湧く。
「どうしましょうかねぇ」とのんびりとした口調のジルベール一人がただただ安穏と落ち着いていた。曲げた指関節を顎に置き、ふむと視線を浮かす。
「ステイル様には日頃色々とお世話になってはいるのですが、従者を一人贈らせて頂くには大した理由がありませんから。今までステイル様は専属侍女は付けていても専属の従者はこれといって必要とされてこなかったのですよ。まぁ歴代摂政でもそうであったようですし、寧ろステイル様が専属の従者を付けることの方が例外でしょうか」
隙間に枯れた相槌しか打てない。
従者として今まで目上の相手と円滑に関わってくることができ、特殊能力のお陰で第一印象も成功できた。そんなフィリップだが、自分が来客としての関わりとなるとどう言えば良いかもわからない。ソファーに背中も預けられず、両足でしっかり絨毯を掴みながら姿勢を意識的に正し続ける。
今まで専属従者を付けてこなかったという言葉に、ステイルが自分を誘ってくれた時の言葉を思い出す。確か自分自身が第一王女の従者的立場があるからとかだろうかと考えればそういえば目の前の人も王配の補佐だと思い出す。確かに今、自分と二人きりの会話だからとはいえ、彼の傍にも固定されるような従者はいない。
そういうものか、と少し腑に落ちながらも、今度はそんな重大な役職に本当に自分が付いて良いのかなと不安になる。
大丈夫か?大丈夫なのか??と自問自答しながらも、顔色だけが暗くなっていった。そんな自分だけの不安を、よりにもよって宰相であるジルベールにおいそれと気軽にできるわけもない。ジルベールに合わせていた視線が自分の膝へと沈んでしまう。
「………………………………」
悶々と考えていると、そこでふといつの間にか沈黙が続いていることに気付く。
さっきまで流暢に話していたジルベールからの言葉がない。あれ?と思いながら自分が目を伏せてしまっているからかと思い、慌てて視線を上げれば切れ長な目が真剣な眼差しでじっと自分を凝視していた。
しかも首を自分の方へぐっと伸ばし、まじまじと見つめられている。まるで値踏みをするように眉を寄せてくるジルベールに、フィリップも肩が上下した。
「い゛っ」と思わず声まで漏らし、無理やり口を閉じ声を押し止める。予想外に近すぎた宰相の顔が、年齢も読めないほどに整い若々しいなと一瞬過ったが、それ以上は考える間もない。顎を反らし、反射的に顔を離してしまう自分に、ジルベールはなんら気にする素振りもなくそのまま見つめ続けてくる。
「失礼」と一言断られたが、何故そんなに自分を見るのかわからない。謝罪よりも説明が欲しい。そしてジルベールは。
……最上層部が頷くほどの特殊能力、と。
ほうほう、と胸の中で何度も頷きながら彼を前に改めて考える。
少なくとも彼の働いていた屋敷の夫人は、フィリップに特殊能力があることすら知らなかった。そして、今回使用人として採用された際も概要欄に特殊能力者という記載を彼は敢えてしなかった。
ステイルがどうやって庶民で且つ前関係者である彼を手元に引き込むことを許されたのかを考えれば、方法などジルベールもある程度は思いつく。
最上層部が欲しがるほどの特殊能力であれば、彼らも無下にはできない。ただでさえステイルがもう王族としての意識を構えた立派な次期摂政であることは数々の功績で証明されている。プライドへの想いも忠誠も覚悟も間違いない。しかしそれだけで過去の関係者を理由もなくただの使用人から第一王子専属従者になり上げるなどあり得ない。少なくとも規則に厳格な現摂政ヴェストが許すわけがない。
だが、結果としていくら逆算しても短期間でステイルはその最上層部からの許可を勝ち取り、そして実行するにまで至った。
表向きは第一王子の過去関係者ということも伏せられた青年を、どう出世させるかは自分の手のひらでどうにでもなる。しかしもしステイルが渾身の演技で泣き落としをしようとも許されるわけのない立ち位置に彼を吊り上げた所以は、やはり特殊能力以外考えられなかった。
顔立ちの良さも、確かに考慮の部分はある。しかし、特殊能力がある自国では、容姿の良し悪しは大した優遇材料にはならない。
隣国の第一王子にも似た中世的に整った顔立ちは、やり方によっては腹違いの子と名乗り出ることができるほどに似ていると思う。他人の空似と呼べるほどよくあるような顔立ちのレオンではない。
まさかレオン王子にもう一人血の繋がっている弟の存在が明らかになりそれが、とまで一度はジルベールは考えた。しかし、今のところ自分が持つ情報の内にレオンやアネモネが関わった気配もない。
ならばやはりこの顔立ちよりも特殊能力かと。そう帰結すれば、気にならないわけがなかった。
しかも目の前の青年はステイルと全く同じ年齢性別で、そして過去の関係者ということから考えても恐らくは同じ街に住んでいたということになる。それを考えればなんとも感慨深い。
……この青年を、〝第一王子殿下〟と呼んでいた可能性もあるということか。
フフ、と。そこまで考えれば思わず笑みが零れてしまう。
今ではもう想像することも難しい。フィリップを王子として見れないということではない。自分にとっての第一王子がステイル以外ということが今では想像できない。
十年以上前のあの日、プライドの元に訪れたのが彼だったかもしれないと考えれば、全ての先が大きく変わるだろうと。彼の特殊能力が何かもわからない今では、その想像も難しい。
突然笑い出したジルベールにフィリップは大きく瞬きを返したが、緊張もほぐれた。
睨まれていたと思ったが、今はどこか楽しそうに笑んでいるジルベールは自分が前に会った時と同じ物腰の柔らかな男性だ。
大丈夫ですか?と尋ねれば、やはり柔らかな言葉だけが返された。ジルべールも、彼が拒むことが難しい場でその特殊能力を無理に聞き出そうとは思わない。己自身、他者には特殊能力を表も裏も隠している立場だ。
「失礼致しました。あまりにも整ったお顔でしたので。……さて、そろそろそれ〝らしい〟指導もさせて頂きましょうか」




