Ⅱ532.王弟は足を運び、
「いや、俺も行こう。ちょうど探したい本もある」
従者からの提案を断ったセドリックは、椅子からゆっくりと立ち上がった。
週明けとなり自室で書類作業が一区切りついたセドリックは昼食を終えてすぐ、準備させていた馬車で宮殿を出た。広大な城内でも比較歩ける距離にあるそこに、たまには徒歩も良いかとは考えたがやはり持ち運ぶものを考えると馬車が妥当だった。
王居内にある国一番の図書館。セドリックにとって今や慣れ親しんだ場所の一つでもある。フリージアに根を下ろす前から最も足を運んだともいえるその場所へ移動する馬車の中で、窓の外を眺めながら彼を頬杖を突いた。
「ディオス達の授業に出た書物、……フリージアの図書館にあれば良いのだが」
ぼそり、と誰へともなく呟いた言葉の後に口元が小さく笑んだ。
学校プラデストにとっては二連休最終日だった昨日、従者として訪れたファーナム兄弟との時間を鮮明に思い出す。先週は歓迎会で終えたファーナム兄弟だったが、今週から本格的に従者としての仕事に従事することになった。
学校のない週末休みのどちらか一日だけ従者として訪れる彼らは、早朝から気合も十分だった。
目が覚め、カーテンを開かれた時に緊張を露わにした二人が「おはようございます!」と挨拶してくれたのは良い目覚めになった。用意させていた従者服もよく似合っていたと思う。
まだ自分が起床する前から訪れた彼らは「宜しくお願いします!」と従者の先輩達へと声を合わせ、教えられる仕事も真剣にメモを取ったと後から使用人達に聞いた。
午後までは一通り従者から業務内容を教育され、セドリックも彼らに合わせて休息を取った。
初日から茶菓子を一緒には遠慮されたが「勉強を教えようか」「お前達が今どのようなことを学んでいるか教えてくれ」と提案すれば、目を輝かされた。以前からセドリックから勉学も教えようと言われていた二人は、前日に纏めたノートもしっかりと持参してきていたのだから。
クロイの法律科目については既にフリージアの法律を全て暗記しているセドリックには教えるのも容易だったが、ディオスの読解問題は自分もなかなか興味深いものだったと思う。特に登場人物の心境や思考を考える、といった内容は絶対的な記憶力からだけでは解決できないものが多くセドリック自身も楽しめた。知らない本の内容というのもまた面白い。
サーシス王国でも勉学に打ち込んでからは一日で何冊もの本を読んだセドリックだが、フリージアではまだそういった系統の本に目は通していない。
吸収した知識量も読書量も膨大だが、あくまで自分が必要とした知識関連だけに大きく偏っている。残念ながら今回ファーナム兄弟から聞いた題目はセドリックも知らない本だった。
図書館に向かう前から絶対的な記憶力の中でディオスが教えてくれた題目の本があったかと思い返すが、その系統関連の本棚には足を運んでもいない為すっぽり空白のままだ。
それでも無事にディオスにも助言を与えることができたセドリックだが、せっかくならばノートに書かれていた内容だけでなく原書も目を通してみたかった。
時間に区切りができた今、借りていた本を返却するついでにその辺の文献も借りようと考える。特定の本の借り入れだけならば返却と共に従者に任せても良かったが、文学関連となるとやはり自分の手で選びたい。
順調に進む馬車は、とうとう王居が誇る庭園へと入る。何度眺めてもやはり美しい景色だと、図書館に辿り着くまでの僅かな間に窓の外へと目を向けたセドリックは
「!……止めてくれ」
一方向へ目を見張った直後、僅かに上擦った声で御者へと命じた。
あとほんの少しで図書館へと辿り着くにも関わらずの命令に、御者も首を捻りながらも急ぎ手綱を引いた。もともと速度を出していなかった馬はすんなりと足を止め、呻くこともなかった。
馬車が完全に停止したことを確認し、御者の手で扉を開けられるのを待ってからセドリックは外に出る。すまない、と一声かけながら馬車を降りればふわりと周囲の花の香りが最初に鼻を霞めた。両足で佇み、窓から覗いた時からずっと離せなかった方向を今も見つめ続ける。
見渡す限り色とりどりの花々が咲き誇る庭園。自分が特に慣れ親しんだ花があるのはここからはまだ少し先だが、馬車の歩く中央路の周囲にも多くの花が咲き連ねていた。
何人もの庭師が手入れを怠らない王家の誇る庭園だ。しかし、セドリックが凝視し続ける先にいるのは庭師でも、そして使用人でもない。
揺らめく金色の髪を靡かせる第二王女だ。
「ティアラ」
届くには無理がある声で一人その名を呟き、ゆっくりと歩み寄る。
王宮の方向へ馬車が行きかうのは珍しくない為、ティアラはまだこちらには気が付いていない。
庭園の花壇で腰を低くしてしゃがむ彼女は、一人ではなかった。護衛の衛兵を背後に連れ、専属侍女がバスケットを抱えて控えている。
だが、歩み寄るセドリックは彼女の周りにそれしかいないことが疑問だった。首を捻り、彼女を驚かせないようにゆっくりとそして静かに歩み寄る。
セドリックとそして彼の従者や護衛の衛兵がずらずらと続いたことにより、ティアラより先に彼女の使用人達の方が顔を向けた。
そしてティアラも複数の人間が歩み寄ってくる気配に一瞬身を強張らせながら振り返り、次の瞬間には心臓ごと肩が跳ねた。大きな目を水晶のように丸くさせ、反射的に逃げてしまいそうな足をぐっと堪え口の中を噛む。どきどきと高鳴る心臓を両手で押さえつけながら、近づいてくる彼と目を合わせた。
「セドリック王弟っ……、お姉様に御用ですか?それとも図書館に……」
女王であるローザへの謁見予定は聞いていない。
王配であるアルバートの補佐として公務に携わっている彼女は、少なからず女王の予定程度は大まかに把握できる立場にいる。
国際郵便機関の郵便統括役として女王と打ち合わせや謁見をすることも珍しくはないセドリックだが、今日はそういった予定はなかったとティアラは記憶している。ならば仲の良い姉に会いに来たのか、それともいつもの図書館かしらと見当付けるのは簡単だった。
鋭いティアラからの指摘に一言肯定こそ返したセドリックだが、目を合わせながらも庭園の花々を背中に立つ彼女は美しいとうっかり見入る。
まさかこんなところで会えるとは思わなかったと、馬車の外を眺めていたことを幸運だったと思いながら瞬きも惜しむまま口を動かした。
「お前こそ、プライドやステイル王子は一緒ではないのか?」
「兄様は休息時間ではありませんし、今はお姉様をお誘いしては……少し、不都合なので」
いつもは姉兄と一緒に休息時間を得ているティアラが一人など珍しい。そう思ったセドリックの疑問に、ティアラは目を逸らしながら答えた。
馬車が近づいてきているのは花を摘んでいる時に気付いたが、まさかセドリックの馬車だったなんてと胸の内だけで思う。最初からわかっていたら心の準備もできたが、てっきり王宮への来客だと思って気にもしなかった。
限られた休息時間の間に作業を続けたいと思うティアラだが、同時に目の前のセドリックを相手に今は背中を向けたくない。
せっかく二人で話せる時間なのだからと下唇を小さく噛んだ。切り上げるのは簡単なのに、まだもうちょっと話したいとそう気持ちも伝わって欲しいのに気付かれるのが恥ずかしく目を逸らしてしまう。
不都合?と、セドリックはティアラの言葉に小さく眉を寄せる。
プライドと喧嘩でもしたのかと思ったが、仲が良い二人がそんなことをするとは考えにくい。ならば隠し事かと推測すれば、まさかまたティアラがプライドへ隠して何か背負っているのかと無意識に呼吸が早まった。
目まで逸らされれば、やはり悩みか問題がと過ってしまう。過剰に口の中を飲み込み、一度心を落ち着けてから未だに沈黙で返す彼女へ意を決する。
「どういうことか聞いても良いだろうか。プライドに知られたら困るようなことか。もし何か俺にできることであれば」
「!違いますっ‼︎そういうのではありません‼︎お姉様ではなく秘密にしたいのはアーサーにです!」
神妙な面持ちで声量を下げるセドリックに、ティアラも大慌てで否定する。
なんでこういうことには鋭いくせに!と見当違いの腹立ちを覚えながらも、心配してくれたことはくすぐったかった。また力になってくれるんだと、その言葉だけで自分でも驚くほど胸が温まって火照ってしまう。
心配をかけてしまったことは申し訳ないのに、それよりも遥かに嬉しさが勝ってしまう。今はもう昔のような悩みはない。そしてそれも目の前にいる青年のお陰なのだと思えば余計に。
思えば思うほど唇を結んだ後も頬がふんわり染まるティアラに、セドリックの顔は力が入る。
アーサー殿?と、セドリックもその名は知っている。プライドの近衛騎士であり聖騎士だ。プライドとティアラにとって親しい存在とも言える、とセドリックは正しくアーサーの情報を振り返る。
彼女の近衛騎士であるアーサーが今ちょうど彼女に付いているというのならば、ティアラがプライドを誘わず単独で訪れたことも納得はいく。
「アーサー殿に秘密というと……彼に何か?」
「っ……。アーサーが、明日お誕生日なんです。なので、毎年お誕生日をお祝いする為にこうしてお花を摘んでるんです。お誕生日まではどんなお花か楽しみにしていて貰いたいので……」
ここで言わない方が絶対にまた誤解をされてしまう。
そう確信するティアラは、会話が続く気恥ずかしさを抑えながら口を動かした。
アーサーが悪いわけでも、自分に疚しいこともないのだと示しながら気を紛わせるようにまた手の伸びる位置から花を摘んだ。




