Ⅱ529.専属侍女は思い返し、
「マリーはもともと服飾の仕事も興味があったのよね」
ええ、と。
先ほどまで休息を得たティアラ様とお茶の時間を楽しまれていたプライド様からのお言葉に、私は手を止めて言葉を返した。
やはりそのことをまだ覚えていて下さったのだと頭の隅で思う。話したのはそれこそ何年も前のことだというのに。やはり子どもの頃から記憶力が良い御方だ。
昨日の女王付き近衛騎士の顔合わせから一区切りつき、今日はプライド様も持て余しておられる。
お茶の替えも淹れ終わり、侍女としての給仕も一区切り終えた私はロッテより一足早く別の業務に手を入れさせて貰っていた。
プライド様がお茶を楽しまれるテーブルから離れた隅で椅子を置き、膝の上には真紅の布と糸。今では私と同じ専属侍女のロッテも仕事を覚えてくれているお陰で、こうして私が先に手空きにして貰えることも増えた。
以前は三人でのお茶会も多かったが、最近ではティアラ様もステイル様がご不在の時は特にこうして私かロッテもしくは両方が、侍女の業務とは別のことへ没頭させて頂ける時間も増えた。
専属侍女に任命されてからも時間は充分頂けていたが、最近は特に増えた。いつもお部屋にいらっしゃっていたステイル様やティアラ様がお忙しくなったこともある。
今も王女としての勉学には抜かりなく、毎日届く手紙の拝読も習慣化されているプライド様だがそれ以外はお暇も持て余すことが多い。
ジルベール宰相や上層部との話し合いや決議に加わるこはあるが、それ以外の公務は全くだ。先日までは極秘視察関係でお忙しくされていたが、第一王女そして次期女王としての公務については謹慎期間の所為で最低限の行動しか許されていない。
それでも、少し前の悪夢を思い返せばこうしてこの御方が平穏な日々を過ごされているのを目にできるだけで幸福だが。
本来ならば今も公務やその補佐に追われている筈のプライド様は、ティアラ様が公務へ戻られた後もこうして部屋でお茶を嗜まれる。そして、のんびりとした会話相手に選ばれるのは近衛騎士や私達専属侍女だ。……私達にとって、憩いの時でもある。
「その裁縫も、家で教わったの?」
「?いえ。刺繍程度の嗜みは教養の内として許されましたが。家の関係で専門業の方と関わることが多かったのでその方に教わりました。私にとって数少ない趣味です」
むしろ、家の者には気付かれないように細心の注意を払っていた。
教養としてある程度は許されていたが専門技術まで身につけてしまえば、怒られることは目に見えていた。当時は良き女性となる為に自分だけの時間など少なかったほど、期待が大きかった。
何故突然そのようなことを?と断りをいれつつ疑問のままに尋ねれば、プライド様は照れたように頬を指先で掻かれた。いえその、と小さく口籠もり、そして視線を左右に一往復泳がされてから口を開く。
「……ネルと知り合うようになってから、本当にすごい技術なんだなと思って。マリーもロッテもすごいわ。そんなに素敵な団服を作れちゃうのだもの」
勿体無いお言葉です。そう言葉を返しながら自然と顔が綻んだ。
私からすれば、たかだか一貴族の子女である私よりも遥に多く、王女としての教養を子どもの頃から身につけられていたプライド様の方が優れている。
きっと実際は裁縫程度、プライド様も本気で取り組んでみればすぐに要領を得られると思う。あれほど王女としての全てに秀でた御方だ。始めてみれば私をすぐに追い抜くだろう。
ロッテも最初は私の趣味の一環もありの業務を共に手伝ってくれたが、今では随分上達した。
プライド様の運動着も元々はティアラ様の提案だったが、今では専属侍女として正式に業務の時間に入れて頂けているのもありがたかった。侍女の仕事も肌に合っていると思うが、やはりこうして服を作る事は別の楽しさがある。
子女としての教養を学ぶところまでは家での暮らしも悪くなかったが、両親から嫁ぐか花嫁修行の一貫で王城の侍女かと言われれば迷いはなかった。
服飾の道に進みたくてもそれを許される立場ではなかったし、嫁いで貴族の妻として家にいるだけの暮らしは今も昔も性に合わない。
「マリーは今も服飾の道に行きたいと思ったりする?ネルみたいに」
「……いえ、こうしてプライド様の為に意匠を凝らせて頂けるだけで充分です。専属侍女としてお仕えさせて頂いている今が一番のやり甲斐であることは変わりません」
感謝しております。と、身体の正面から向け深々と感謝を示す。
こうして第一王女の専属侍女にして頂いたお陰で、嫁がないかと家から誘いを受けることもなくなった。今では将来は女王付きの女官長だと家族も喜んでくれている。本当にそうなれるかはさておき、お陰で今は穏やかで充実した生活を送れている。
私の礼に合わせ、その場で同じように頭を下げるロッテを確認し「それに」と腰を伸ばしてから言葉を紡ぐ。
私はやはりこのまま侍女を辞めるわけにはいかない。この仕事に誇りもやり甲斐を感じているのも事実だが。
「妙齢のロッテは、いつどこへ嫁ぐかもわかりませんから」
そう言った直後、わかりやすくロッテの肩が上下した。
ぽっぽぽっと頬を染め、丸い目を私に向ける彼女は唇が躍っていた。更には扉際では近衛兵が無言のまま顔どころか目も合わせず聞こえなかった振りをしている。顔色からも聞こえているのは明らかだが、彼らしいといえば彼らしい。
しかしプライド様はやはりの反応で、きょとんとした顔のままロッテと私の顔を見比べるばかりだ。この御方のそういうところは子どもの頃から変わっていない。それどころかそのままロッテへと「結婚するの?」と尋ねれば、とうとうジャックが小さく噎せ出した。
ロッテが細い首が折れそうな勢いでプライド様へ首を横に振り「違います!」と珍しく声を荒げる。
「わっ、私はたとえ結婚してもプライド様のお傍にいます……!経験の浅かった私をこうしてお傍に置いて下さった御恩は忘れません!」
そう自分の胸を手のひらで指し示し前のめりになるロッテは真剣そのものだ。
彼女がこういう意思が一貫しているからこそ、きっと未だに恋人も言い出しにくいのだろう。当時、侍女としての経験も浅く、行く当てもなかった彼女にとって第一王女の専属侍女は滅多に恵まれない幸運だった。私のように家がある身分と異なり、彼女には本当に帰る家がないのだから。今は専属侍女として寧ろ侍女の中でも城内の使用人敷地で良い部屋に暮らしている。そして、侍女を辞めれば当然その住処も追われることになる。
しかし結婚相手によってはそのまま城内に留まることも可能だ。
たとえば、同じ城内の使用人としてそれなりの立場があれば。……家族ごと使用人用の一区画の部屋に移り住むことも許される。
「ありがとう、ロッテ。すごく嬉しいわ。だけど」
両拳を握り力説するロッテに、プライド様はふふふっと口元を隠して笑う。
まだ中身の残ったカップを反対の手で一度テーブルに置くと、ゆっくりロッテの方にプライド様からも身体を向けられた。
膝に両手を重ね、柔らかな表情で僅かに首を傾けられる。ロッテがお仕えし始めた頃には幼い少女だった姫が、今ではどこへ見せても恥ずかしくない立派な淑女だ。
「もし、本当に良い人が現れたらマリーもロッテも遠慮しないでいいのよ。家庭に専念して、また落ち着いたら帰ってきてくれるでも良いの。私は何年でも待つし、……ちゃんとこの城に居るのだから」
「!は……はいっ!」
ゆったりとした口調は、年上のロッテへ言い聞かせるようにも聞こえた。
しかし最後には柔らかな声と共に、心から幸せそうに微笑まれるプライド様はきっとそれが本心なのだろう。
少し前までは「マリーやロッテには良い人はいないの?」と尋ね「私のことは遠慮しないでね」と笑うだけだったが、こうしてご自身が城で待つとまで言葉にしてくださるのは最近からだろうか。
お蔭で「ご心配ありません」と意気込んでいたロッテも今は反応が違う。
猫だったら耳を立てていただろうと思うほど背筋を伸ばし、桃色の頬で初めて肯定を返した。すぐ気づいたように「お気遣いありがとうございます……」と頭を深々下げたが、うっかり恋人がいると肯定するような返答をしてしまった本人も、そして返されたプライド様も恐らくそこまで気付いていない。その証拠に、にこにこと笑顔のまま「マリーもロッテも凄く素敵な女性だもの」と褒めてくださるだけだ。
扉際では先ほどまで固く口も閉じ視線も逸らしていたジャックが身体の横で下ろした手をグッ!と拳を握っている。わずかに肘まで力が及びわずかに屈折するのを見ると、これは時間の問題かもしれないと邪推してしまう。きっとこの場にティアラ様が居られたら全力で後押しをして下さったことだろう。
プライド様と異なりティアラ様はなかなかそういうことには幼い頃から鋭いと思う。
ティアラ様の専属侍女であるチェルシーさんから以前、話を聞いたことがある。ティアラ様には身体が弱かった幼少時にベッドの上で飽きさせないよう、王子様や恋愛関連の本をいくつも読み聞かせていたと。
それに比べプライド様の幼少はー……と、そこまで思考して思わず唇を結んでしまう。
少なくとも私がお仕えした頃には絵本などという可愛らしいものではなく、勉学に関わる本ばかりに目を通しておられた。予知能力を開花される前からそれは同じで、寝る前の御本もお父上である王配殿下や陛下以外から聞きたがらなかった。
ティアラ様が妹君として現れてからは、ご一緒に可愛らしい本を読むことも増えてはいたがやはり勉学に関する本が多い。
やはり情操教育に絵本は必要なのかと考えれば、早々にロッテへ助言しておくべきか考えてしまう。
今はともかく「お心遣い痛み入ります」とプライド様へ感謝を示す。




