そして辿った。
「…………え?」
ぽかんと、思ったのと全然違う言葉に思わず一音で聞き返す。
肩の力が抜けて、耳を疑っていたらいつの間にかパチリと耳に音が引っ掛からなくなった。
今、こいつなんて言った?てっきり「来るな」とか……「バケモン」とか。そんなこと言われると思ったのに。
全然想像したのと違った言葉に、聞き違いかなと思うけど男は俺が正面を向いても全然逃げそうとしない。
口をあんぐり開けたまま見返せば、そいつは瞬きをしながら首を傾けた。
「あれ?」って言いながら月明りに照らされてた朱色の瞳を俺に真っすぐ向けた。ついさっき見たあいつと同じ、恐れも何もない透き通った眼差しで。
「消えた?もう光らねぇのか??点けてくれよ。その方がお互い顔見えるし」
「…………いや、俺まだ自分の意思じゃ……、……それより火傷は……」
点けろって言った??
言葉を返しながら、今言われた言葉に今度こそ正気を疑う。今まで消せって言われたことはあったけど、わざわざそういう風に特殊能力を出せって言われたことなんかなかった。人身売買の奴らだって俺が能力者って確認した後はむしろ抑えようとあんなことしたのに。
感情の整理も付かないままにたどたどしい言葉しか返せない俺に、そいつは「火傷⁇」ってまるで今思い出したみたいに押さえていた右手を見た。月明りの中だけじゃ怪我の具合もよく見えないしわからない。
そう思うと同時に、…………また特殊能力が完全に止んでいると気が付いた。ぐるりと首を回しても何も光ってない。
「……たー……ぶん大丈夫だ!どうせちょっとした怪我ぐらい慣れてるし気にすんな!!」
自分でも目を凝らしていたみたいに右手の指へ目を近づけた男は、まるで自己完結みたいに手をブンブン横に振る。最後には埃でも払うみたいに両手をパンパンと鳴らしたら、何事もなかったように地面に手をついて起き上がった。
本当にただ熱湯に指を突っ込んだくらいの反応に、開いてる筈の目を疑う。俺に攻撃されたことは変わらねぇのに、そのまま笑って近づいてくるから余計に。
心臓がさっきとは違うように気持ち悪く脈打って、本当にここが現実かまた疑う。だって、こんな普通に、俺の特殊能力を見ても笑って近づいてくる奴なんかいなかったのに。
それなのに目の前の奴は「すごい特殊能力だなー」とか当たり前みたいな口ぶりでニッカリ笑う。
立ち上がって、土を雑に払うと俺と視線を合わせたまま一歩も後ずさろうとしない。「そんなことより」と意味の分からない言葉を繋げて会話が続く。
「こんなところで何してたんだ?この辺じゃ見ない顔だし、もしかして迷子か?ボロボロだけどもしかして下級層の奴か?」
「あ……、…………その、俺は、遠くから来て、迷子じゃないけど…………行くところも、ないから……」
言われて今更自分の格好に気付く。
あいつらに捕まってから、いやそれどころかそのずっと前からまともな服なんか何年も着てこなかった。人のいる暮らしだって遠い昔で、特殊能力どころか格好すらズタボロで普通じゃない。下級層、と言われて最初はよくわかんなかったけどつまり貧困層のことかなと考える。
金もないし服も何もない。俺の格好はそういう恰好だ。もしかしたらそれ以上に酷いかもしれない。
続けて「多分そんなもんだ」って言えば、諦めみたいな笑いだけ自分の顔から零れた。
下級層っていうことは結構広い街とかなのかなと考えながら、意味もなく自分の衣服を指先で引っ張り伸ばしてボサボサに伸び散らかった頭を掻く。
朱色の目の男も、流石に変な奴だと思ったのか今度はすぐに返さなかった。低い視線からじっと俺を上から下まで見て「そっか」とだけ言うとさっきの反省もなくパンと肩を正面から叩いてくる。
「来いよ!うち近所だし取り合えず泊まってけ。あ、折角だし一回ここで水浴びていこうぜ」
お前汚ねぇし!と正面からちょっと酷いなと思ったけど、それ以上に誘われた言葉が衝撃すぎて反応できなかった。
また人身売買と同じ罠かなと思ったけど、考える間にも肩を引っ掴まれてぐるりと背中を向けさせられる。そのまま湖の方向にぐいぐい押しやられて一瞬油断させて殺されるんじゃないかと過る。
もしくは溺れさせて捕まえるとか。もう、あの時に嵌められたことばっかり頭にへばりついてそれ以外のことをすぐは考え付かない。
「えっ」しか最初は出なくて、せめてまた特殊能力が出ないように頭を回しながら平静になりたいけど迫ってくる水の固まりに頭がいっぱいになる。今までも川とか池は見たけどこんなでかい湖なんか初めてだし、しかも夜の真っ黒な水でしかも知らない奴に押されててとにかくまずい。
「ちょっと待ってくれ、俺、泳いだこともねぇしそれに……」
「水綺麗だし最初は足も着くから大丈夫だ。怖いなら俺も一緒に入ってやるから」
いや、そういう問題じゃ、って言い返すのにぐいぐい背中押されて、特殊能力をまた出さないようにすることばっかに必死に下手に抵抗もできない。
しかもずっと殆ど飲まず食わずで、さっきまで泣き腫らしたばっかの視界の俺が押し勝てるわけもない。目前まで迫って、とうとう爪先がひんやり冷えたと思って身体が縮こまった瞬間、……バッシャーン!!と背後の男に道連れにされる形で湖に顔面から落ちた。
もう、自分を抑えるので精一杯で悲鳴も出なかった。
真正面から落ちた湖は見えていたよりずっと浅くて、膝と両手を突くだけで顔を上げられた。
「ぶはっ!!」て息をするのに必死に顔を上げた俺を、突き落とした張本人は腕を掴んで「ちゃんと全部洗っとけよ」とか言いながら更に奥に引きずり込んでくる。
足がつくままに進むけど、もしかしてこいつは湖の主かなんかじゃねぇのかと思う。怖いし、逃げたいとも思ったけど、…………月明りに照らされた顔が懐かしい笑顔で俺に向けられてるのを見たら勝手に足がそのまま動いた。学習しない、って頭の隅で思いながらも今度こそはって心の隅で思う。
湖の水は冷たかったけど、心臓がひっくり返るほどじゃなくて胸まで浸かればもう冷たさにも身体がじんわり慣れた。「顔洗えよ」って言われるままに、そいつがやるのと同じように両手で水を掬って繰り返し顔を洗う。四、五回繰り返し洗ってから、そういえば顔も大分汚れてたんだと思い出す。多分こいつに泣き顔も見られてる。
足元どころか水の浸かった身体の部分は黒で塗りつぶされたみたいに見えないのに、不思議と怖くなかった。川の水とかは奴らに捕まる前も入ったことはあるけど、こんなにざぶんと夜中に浸かったのは初めてなのに。
「よっしじゃあ上がるか!ここ抜けたらすぐだからちょっと寒いけど我慢してくれよ」
「いや俺、…………やっぱやめとく。俺まだここに居るからお前だけ帰っ」
「えっ?行くとこないんだろ?」
ここまで来て怖気づく俺にそいつがわざとみたいに言葉をかぶせてくる。
自分で言ったことをそのまま返されて、水の中よりも息がしづらくなった。ここまでは押されたけど、湖の水で頭が冷えた所為かやっぱりこのままついていくのは怖い。
また、あの時みたいに捕まりたくない。それならまた人里離れたところで静かに暮らす方がマシだった。あんな人以下の扱いなんか二度と受けたくない。
来いよ、って湖から先に上がるままに腕を引っ張られ今度は踏ん張って水の中に肩までしゃがみながら抵抗する。
こんな俺みたいな奴放っとけばいいのに、絶対五分以上は粘られた。「風邪ひくぞ!!」って自分が突き落としたくせに言われて、思わず「お前のせいだろ!」ってガラついたままの声が出た。
なんか人らしい会話を一日でこんなにすることになるなんて想像もしなかった。
「良いから来いって!大丈夫うち俺と妹しかいねぇから‼︎」
「知り合いでもねぇだろ!俺みたいな奴いきなり家にとか信じられるわけねぇだろ!!頼むから離せ!~っじゃないと、また……!」
うまく話せない下手な言葉がもどかしい。特殊能力がまた湧きそうで、奥歯を噛み締めてそれ以上言えなくなる。
こいつが良い奴か悪い奴かわかんねぇけど、もしフィリップと同じくらい良い奴なら怪我させたくない。なのに、抵抗したいと思えば思うほどあと薄布一枚くらいの感覚で苛立ちみたいなのが胸の中に積もっていく。
必死に駄目だって、やめろって言ってるのに、もう怪我なんか誰にもさせたくねぇのに、もうバケモンなんか言われたくねぇのに、しつこい、なんで放っておいてくれねぇんだって食い縛ったままの顎え牙を剥く。
しつこいとそれだけ本当にコイツが俺を嵌めようとしている奴のように思えてきて、勝手に目まで鋭くなっていくのがわかる。駄目だ、出るな、湧くなって頭では思ってるのにああクソもう
「フィリップだ!」
頭が、白くなった。
両足まで力が抜けて、水中で身体が浮かびそうなほど緩くなれば目の前のやつにずるずると上半身まで引き上げられる。こいつ、心を読めるとか、いやそれよりも俺がさっきフィリップを呼んでたのを聞いてたとか。
茫然と口を開けたまま言葉も出ない俺に、目の前の別のフィリップは変わらず俺を湖から腕一本掴んで引っ張り出す。
打ち上げられた魚みたいな体勢で浅瀬に膝をついたまま自分で立てない。見上げた先で月明りに照らされた男は、俺が知るフィリップとは似ても似つかない顔だった。
でも俺に向ける眼差しだけは、同じくらい優しい。
そう思ったら、似てないのにまるでまた会えたくらい喉が引き攣った。本当にさっき会ったのは神様か何かだったのかもしれない。
「ほらもう名前知ってるから知り合い……ていうか友達だろ友達!友達の家来るのなんか当たり前なんだし遠慮すんなって!!」
お前名前は⁈とでかい声に上がったままの声量で尋ねられる。
パウエルだ、って当然のように口が動いたけどまだ頭は動かない。さっきまで湧き上がっていた苛つきとか不安とかが嘘みたいに消えていた。足に力が入って立ち上がればもう水は膝丈程度の深さだった。
俺が立ち上がっても変わらず手を離さない朱色のフィリップは、びしゃびしゃと水滴を零しながら森の先へと俺を引っ張る。もう足に力は入るし、木でもなんでも掴まって抵抗することも逃げ出すことだってできた筈なのにまるで自分の意思みたいに引かれる先へ進んでいく。
少し歩いたらすぐにたくさんの家が見えてきて、怖いくらい心臓が左右に揺さぶられた。全身ずぶぬれなのに内側が干上がって、今すぐ大声を上げて逃げたくなるくらいだったのに
『帰る場所なら、ある‼︎』
「…………フィリップ……」
「?なんだ⁇」
目の前と、違うフィリップの声が頭に響いた。
別のフィリップが俺を引っ張り歩きながら首だけを回して返事をくれたら、顔が違うってわかっていても泣きたくなった。口の中を飲み込んで、顎と……地面を蹴る足に力を込める。
別人で、偶然で、同じ名前が同じくらい良い奴なんて限らない。そんなこと俺でも知っている。
それでも、それが全部運命みたいに感じられた俺には、〝フィリップ〟という名前がそれだけで星月なんかよりもずっと眩しくて確かな道標に感じられた。
本日二話更新分、来週月曜日は更新お休みになります。
火曜日からまた宜しくお願い致します。




