そして望んだ。
「フィリッ……プ?」
もう一回、尋ねて呼んだ。
心臓がばくばく言って、片手で押さえつけながら木陰の男の子に尋ねる。向けられた顔は全然フィリップじゃない。
髪の色は月明りでもわかるくらい真っ白だし、鼻がとんがっていて目つきも悪くて金色だった。髪型や身体つきはフィリップと一緒だけど、それ以外は全然違う。
でもその男の子は、「ごめん」って目を服の袖でごしごし擦るとそのまま反対の手で僕を手招きした。まるで罠みたいな気がしてその場から動けない僕に「大丈夫」「俺だ」「お化けじゃない」「フィリップだ」って鼻を啜りながら言う男の子は、拭った顔を上げた時にはもうフィリップだった。
髪の色も目の色も顔つきも全部がフィリップになっていて、何か見間違えしちゃったのかなと首をその場で捻っちゃう。
「ステイル、だろ?ステイル・リーリヤ。ケイシーの向かいに住んでる、うちの近所の。ほら、今日またなっていったろ?」
ひっくひっくとしゃくりあげまじりの声でたどたどしく言われながら、フィリップ本人だとやっと安心する。
瞬間移動で下がった分、今度はゆっくり自分の足でフィリップに歩み寄る。肩が微弱に上下していて、服の袖で何度も顔を拭くフィリップに恐る恐るどうしたのって聞いてみる。首を前に伸ばして正面を確認してみるけど、怪我したようには見えない。フィリップも遊びに来て慣れている湖で迷子になったと思えない。
尋ねる僕に、フィリップは一度大きく深呼吸をしてから唇に人差し指を立てて見上げてきた。
目が月明りに反射してうるうる光ったまま「皆には内緒な」ってちょっとだけ口端を引き上げて無理やりみたいに笑った。いつものにこにこのフィリップの笑い顔じゃない。
「特に大人には絶対な。アムレットにはもっと!でもあいつらにも言うなよ!」
声の調子が段々戻りながら、結局誰にも言っちゃいけないと言う。
僕も母さんにも内緒で抜け出してきたし、お互い秘密にしようって約束した。手招きで呼ばれちゃったから、約束してフィリップに怪我がないとわかってからも帰りにくくなった僕はそのまま隣に座った。
どうしたの?って尋ねてもすぐには返事もなかった。それどころかただ尋ねただけなのにまた膝を抱えて蹲って顔を隠しちゃった。
肩の上下に揺れるのが大きくなって、さっきみたいに声はあげないけどまた泣き出しちゃったんだって隣に座っているからわかる。
誰かに何か言われた?とか、アムレットに何かあった?とか、色々思いつくだけ言ったけどフィリップは首を横に振る。どうすれば良いかわからなくて、絶対いつもより抜け出している時間が長くなっちゃっていると思うと早く帰りたくもなる。
「帰ろう?」って言ったら、やっと首振り以外の返事で「まだ駄目だ」って声に出された。
「今帰ったらアムレットに泣き顔見られる……あいつには泣き顔なんか死んでもみせたくねぇんだっ……。もうちょっと泣き終わったら、顔洗って帰るから…………」
そう言って、肩をポンと手のひらで押し出すように叩かれた。
先に帰ってて良いっていう意味だとわかったけど、…………すごく帰りたくなくなった。フィリップが泣いてる理由がやっと僕にもわかったから。
叩かれた分だけちょっと身体が傾いて、だけど膝を抱えた僕はそのまま動かない。フィリップが泣き止むまで置いて行っちゃいけない気がして、今度は泣いてた理由と別の言葉を考える。
膝の中でぐすぐす鼻を啜り続けるフィリップには、僕が邪魔かもしれないけれど。
「…………さっき、フィリップが一瞬だけ別人に見えてびっくりした。いつも街じゃにこにこしてるから」
「……。……俺は兄ちゃんだから、泣いたりできねぇし。もうアムレットには俺しか家族いねぇから、…………あいつの前では笑っててやりたい」
ぎゅっ、とフィリップの膝を抱く腕の力が強まった。
ぽつぽつと言ってくれる音が、膝の中からくぐもって聞こえた。ずっとお葬式からフィリップがにこにこ笑っているのは、わざとだったんだって今わかった。
あんなにいつも元気で笑ってたのに、僕と同い年なのに、僕よりずっと表情に気持ちが出る人なのにそれでも誰にもわかんないくらい無理してたんだ。
「あいつ、俺が笑うと絶対にこにこしてくれるんだ。でも俺が泣くと、……釣られて泣くから。絶対アムレットだけは護りたいし泣かせたくもねぇんだ。俺は、兄ちゃんだから。……」
最後は消え入りそうな声で呟いた言葉は、いつもの口癖と違って自分に言い聞かせてるみたいだった。
そういえば今は聞きなれたその口癖も、いつから聞くようになったかなと思えばやっぱり一年前くらいからだ。当時、お父さんとお母さんを亡くしてから何があっても必ずそう言って「大丈夫」「アムレットの為にもしっかりしねぇと」って言うから心配だって母さんも大人と話してた。
僕も母さんしかいないけど、フィリップは妹だけで。頼れる大人はいてもずっと守ってくれる大人がいないんだと今更わかった。……それが、どれだけ怖くて寂しいかも。
もしかして、一番フィリップが見られちゃ困るところを見ちゃったのかなと急に胸が苦しくなった。
下唇を噛んで、返事が出なくなる僕に今度はフィリップが「だから騒がれなくて良かった」って息を吐きながら言ってくれる。僕が大騒ぎして街の人を呼んだら誤魔化しきれなかったって、大人にも心配かけるしアムレットも起こしちゃうからって。
自分達を助けてくれる大人の人達にも心配とかこれ以上面倒をかけたくないんだって言いだしてから、ちょっとだけ笑い混じりの声を出してくれた。…………本当にフィリップが本音でいられるのはこの時間のここだけだったんだ。
「…………僕、絶対今夜のことは言わないよ」
ありがとな。そう、僕の小さくなった声へ風にかき消される前にフィリップは答えてくれた。
いつもみたいな響くような元気の良い声じゃなくて、柔らかい声だった。僕よりも背も高くて声も大きいフィリップは、ちょっとだけ年上みたいだ。街でアムレットを連れている時とか、こんな話し方であの子の頭を撫でてたなと思う。
「だから」って、続きをいう唇がちょっと震えた。駄目かな、と思ったけど知ったらもう放っておけない。だって、この子も僕と同じで家族はたった一人で、…………絶対守りたい気持ちも一緒だから。
「……また来ても良い?」
別に泣いてても気にしないし、僕じゃ聞くくらいしかできないけど。続けてそう言ったら、フィリップは二秒くらいぽかんと丸くなった目で顔を上げてからまた泣いた。
また遠吠えみたいに声を出して、今度は蹲らないで月を見上げるみたいに顔を上げて泣いた。また泣かせちゃったことにすごく悪いことをしたみたいで目が泳いで、どうすればわからなくてフィリップが泣き止むまでずっと誰か来ないかぐるぐる首を回し続けるだけだった。
「もうちょっと泣き終わったら」って言ったのに、絶対一時間くらいは泣いていた。僕のことなんて忘れてるんじゃないかと思うくらい、ずっとずっと一人で泣いてた。
母さんがしてくれるみたいに抱き締めたりしてあげた方が良いのかなと思ったけど、仲良しでもなかった僕がそんなことするのも変だなって思ったら両手に行き場も無くてできたのは背中をずっと摩ってあげることだけだった。
泣き止んだ後、目が真っ赤で湖に首ごと突っ込んで洗ったフィリップは、いつもの口調で「じゃあまたな!」ってまたなんでもないように笑って家に帰っていった。
……
「ステイル!今日お前も一緒に湖行かねぇか!フィリップもアムレット連れて来るし、全員で泳ぎ競争しようぜ!」
「ごめん。今日は母さんの手伝いあるから」
それからも、僕とフィリップとの距離はあんまり変わらない。
やっぱり僕は僕で母さんとの時間もあるし、フィリップだって逆に僕が皆と遊ぶ時に別の友達とアムレットとの遊びを優先していた。
もともと共通の友達はいたけど、よく遊ぶ友達はそれぞれ違ったから別に突然一緒に遊ぶことが増えたわけじゃない。急に仲良くなっても、僕もフィリップも湖のことは秘密だし。
「フィリップ!今度一緒に探検行こうぜ!複数じゃねぇと遠出しちゃ駄目だし……アムレットも連れてきて良いからさ、ちょっと城下の中心までだけだしアムレットも疲れたらみんなでおぶるから」
「ごめん!アムレット今朝から食欲なくてさ。……あっ!なぁステイル!!お前代わりに行ってくんねぇか?!」
ただ、ちょっとだけフィリップに話しかけられることが増えた。
いつものフィリップが仲良い友達で、代わりに僕に行って欲しいって。僕も他の人と仲良くするのは得意だし、予定がなかったら断らなかった。もちろん断ることもあったけど、ちょっとでもフィリップを助けられるなら良いかなと思った。
その頃には、月に二、三回くらいだったけど夜の散歩する時には絶対湖に行った。
いついってもフィリップは当たり前みたいにそこに蹲っていて、…………いつも泣いていたから。
日中は友達の前でずっと皆のお兄ちゃんみたいに明るくて笑顔のフィリップが、夜だけは泣き虫みたいに弱かった。僕が来たからって泣き止むわけでもないし、ちょっと話したらまた泣き出しちゃうことの方がよくあったけど。
いつもにこにこしてるのに、話し出すと「アムレットに新しい服を着せてやりたい」とか「俺兄ちゃんなのに誕生日祝いに何もできなかった」とか「今日ルーシュん家で、あいつのお母さんをずっと見てた」とか、…………「マイケルん家が羨ましくなって食いに行くのが辛い」とか。
吐き出した弱音は僕に向けてよりも独り言みたいだったけど、僕が隣に居る時じゃないと話さなかった。あんなに毎日笑って楽しそうなのにこんなに我慢しているんだって、会うたびに思った。
でも僕は、ただ聞いて、他に人が来ないか気にするだけだった。僕が来ると余計遠慮なく大声だった気がする。
「ステイルー!ネビルのやつがさ親父さんに塀を塗り替えろって言われたから手伝うんだけど、お前も手伝ってくんねぇか?ほら、瞬間移動使ったらペンキも楽だし」
「ごめん、今日僕母さんがおやつ焼いてくれる約束で……」
「あ!俺行く行く!!アムレット~!一緒にペンキ塗りしような!兄ちゃん一番がんばるぞ!!」
僕が代わった分フィリップが助けてくれることもあって、こういう友達も良いなと思った。
普通の友達みたいに一緒に遊んだりしないし、たまに話すくらいだけどお互いが助け合っている感覚がすごく心強くて嬉しかった。なんとなく仲の良い友達の一人かなと数えられるくらい。
フィリップは唯一の家族のアムレットを護りたくて、僕は母さんを護りたい。それも一緒で、そのために全部を優先したい気持ちも一緒で
「……ごめん。見間違いじゃなくて、俺の特殊能力。アムレットにしか見せたことねぇから、お前も秘密な」
特殊能力者っていうのも一緒だったのは、半年以上経ってから。
会うたびに毎回最初に別人に見えたフィリップが不思議で、全部夜で良く見えなかった所為だと思ったけど違った。一人で泣いているのを見られても別人の顔でなら、逃げれば自分が泣いてたってバレないからって教えてくれた。
今までは追いかけられたりお化けと思われて叫ばれたことも二、三度あったけど、至近距離まで来ても騒がないで怯えず棒立ちだったのは僕だけだったらしい。
僕だって怖かったしすごく怯えたと思うけど。表情にわざわざ出す余裕がなかったくらい。ちゃんと声も掛けたんだよって言ったら「声が小さい」って笑われた。
フィリップの特殊能力は他者に姿を変えて映す能力で、発現したのも両親が死んじゃってから暫くしてからだった。
アムレットを笑わせる時しか使わないし、こんな特殊能力じゃ街で余所者が悪さしたら俺が姿を変えたって疑われるかもしれないから嫌だって言っていた。
ずっと秘密にするの?って聞いたら「多分」って言うし、友達で僕だけ知ってるのは少し嬉しいと思った。
フィリップは、格好良いと思う。僕は母さんの手伝いをして心配をかけないようにすることで精いっぱいなのに、フィリップは間違いなくアムレットを護ってたから。
僕は我慢なんて思うことがないくらい母さんが優しくしてくれたけど、フィリップは想像がつかなかったくらいたくさん我慢して翌朝にはまた笑って誰とも仲良くできて……「羨ましい」「悔しくなった」「笑って誤魔化せたけどすごい辛かった」って言ってた子にも皆に親切で仲良しのままだから。
あんなに傷付いても、それでもやっぱり友達が好きなんだって、仲良くしてくれるのが嬉しいって泣きながら言うフィリップは僕よりずっと強くて大人で、優しい。
僕には弟妹はいないし多分この先もきっといないけど、それでもフィリップは羨ましいくらい良いお兄さんだったと思う。ちょっと憧れるくらい。
同い年の僕より背も高くて身体もしっかりしてて力持ちで友達もいっぱいいて。……女の子には僕の方が人気があったけど。
あんな風にどんな人にも優しくて泣きたい時も強くいられる人になれたらなと、太陽の下で何度も思った。それに、やっぱり何よりも
「突然失礼致します。ステイル・リーリヤの家はこちらで間違いありませんか」
絶対。アムレットと一緒に居て欲しいなと思った。
いつかアムレットも大きくなって二人で助け合いながら大人になれるまで、ちゃんと。
僕の尊敬する友達が、それだけ頑張っていることを知っていたから。




