そしてひと呼吸置く。
「これっ!俺の分しかないから、読んだら帰った時に俺の部屋戻しといてくれよ」
無くすなよ⁈と、手帳の次に大事なそれを託されたエリックは両手で受け取り、月明りに紙面を照らした。
未だぜぇぜぇと息を乱し曲がった膝に両手をついて背中を丸める弟を置いて確認すれば、やはり今日刊行した号外誌だ。今までもキースから新聞を買ったことがあるエリックだが、分厚さもいつもの三倍近くはあると理解する。プライド達が話していた取材を受けた後の号外とはこれのことだろうと考えながら最初の題目から目を滑らせれば、そこには大々的に「独占取材」の字が掲げられていた。
他にも見どころを強調したい為か、文字が大きく調整された部分もみればこの調子で取材内容五人分がちゃんと入ったのかと心配になる。しかしよくよく見れば新聞の「号外」の横に数字の1が続けられていた。
真意を確認すべく飛ばし読みをすれば、渡された新聞には王族が新聞社へ城下視察のついでに足を運び見学を行ったという事実。そして残りは全て第一王女であるプライドの特集だけだった。
「もしかして、……号外があと四部あるのか?」
「ご名答」
ハァ、……と最後に大きく息を吐き切ったキースは楽し気な笑みで顔を上げ汗を拭った。
王族からの取材など今後会社の歴史上あるかもわからない奇跡を、たった一部の新聞で終わらせるわけもなかった。明日はティアラ王女、次はステイル王子、その次はセドリック王子、そしてレオン王子だと。明日からも四日続けて掲載するという新聞にエリックもゆっくりと大きく頷いた。
今日も刷った傍から噂を聞きつけた人数だけ飛ぶように売れて、自分達社員の分を確保するのも一苦労だったと話すキースにエリックも容易に想像できた。王族が見学訪問に訪れればそれだけでも民がひと目見ようと集まることも、そして王族が訪れた店が暫くは客が困らなくなるほどの宣伝効果を得ることも、エリックは近衛騎士をしている中で何度も見てきている。
しかも公布以外滅多に発言を知ることもできない王族の語りとなれば、民が興味を持つのは当然。第一回目がプライドであれば、これを騎士団が知れば売上はもっと大変なことになっただろうと思う。騎士団でも絶大な人気を持つプライドだ。
そう考えると本気でこの新聞の貴重性と安全を確保しなければならないと考えたエリックは、僅かに指に力が籠った。クシャ、と小さく撓った新聞の音にすかさずキースから「皺つけるなよ!」と怒られる。
「いや本当にすげぇ売れ行きでさ、何度刷っても刷っても売りに行く前に会社の前で噂聞きつけた連中ですぐ消えて……。なんか途中から今だけ新聞値上げしようかって経理が言い出して社長と喧嘩してた」
財源確保の機会だとか、定期購入者を増やす機会だとかと。当時の喧嘩を耳だけで聞いていたキースは次の新聞の記事制作でそれどころではなかった。今日の分を刷るまでの工程を最優先にされた時もキースと一部の社員は王族に記事を確認して貰うべく翌日翌々日と各王族の取材掲載内容を記事に起こすことで大忙しだった。
その後は明日からの新聞内容で王族から許可得た部分を記事用に起こす作業に追われ続けていた。やっと王族全員に掲載内容の確認と許可を得た後も、今度はそれを翌日からの新聞にできるように残り四人分の記事起こしが続いた為息をする時間も惜しかった。特にキースは案内役として細かく会社見学中の王族の様子をみていた為、その際の記事も全面的に任されていた。プライドの記事は刷りまくれば良いが、残りは明日までに記事の原本一冊分必要だ。
仕事自体はずっと楽しく文字通り時間を忘れたキースだったが、やっと区切りがついた今もまだ作業は山のように残っている。
この連日の号外に社運がかかっていると拳を握る社長副社長の発言は間違いなく事実だとキースもわかっている。ちゃっかりとプライドの新聞にも、四人の王族が定期購入を求めた旨もしつこいくらい書いている。王族目当てで初めて新聞を手に取った、もしくは存在を知った読者への宣伝にこれ以上の売り文句はない。
王族が価値を認めた読み物など、有名作家の書籍でも不可能な宣伝文句だ。
「あーーー、なんか兄貴と話してたら飲みたくなってきた……やっぱ今から飲みにいかねぇ?」
「寝・ろ!何の為の差し入れだと思ってるんだ」
新聞もあとでじっくり読むから、と。大きく欠伸を零す弟へエリックが待ったをかける。
だが兄へ興奮気味に話しまくり階段を全力昇降したキースはすっかり一度目が覚めてしまった。この後会社のソファーに倒れれば別だろうが、今のところは眠くない。新聞を読めば大体のことはわかると思って渡したが、やはり渡せば渡したで新聞の解説をしたくて口が疼くのを自覚した。
自分の手掛けた新聞を兄に読ませることはあっても手帳の中身のように解説することは滅多にないが、今日の新聞は手帳の内容に匹敵すると本気で思う。全てがプライドに関してのことなのだから。
でもさぁ……と、せっかくの話す機会に不満が溜まるキースは呼吸が整った後も肩が丸い。
どうせここまで寝不足ならあと数時間寝ても起きても一緒だと本末転倒なことを考える。それほどに今日一日で起きた出来事は怒涛の連続だった。睡眠も必要であれば食事も必要なのは頭でわかっているが、欲求だけで言えば手帳の追記と記事の製作と兄との飲みが強い。
「じゃあ俺の代わりに手帳買っておいてくれよ。新しいやつ十冊くらい」
「五冊だな。時間が合ったら買っても良いけど、……いつも自分で選んでるだろ?」
「兄貴の金で思いっきり高くて豪華な装丁の手帳頼む」
冗談めいて言ってみれば、次の瞬間腹を抱えてエリックが笑った。
なるほどな、と吹き出し混じりに言いながらまぁそれくらいはして良いかと甘く思う。取り敢えず突然のプライドとの邂逅から王族の来訪に心臓が危ぶまれたであろう弟が想像の三倍は精神的に元気だったことに安堵した。
自分が同じ立場だったら確実に感情が飲み込みきれずに項垂れるか、激流に後を引いている。体力的には大分疲労も溜まりさらに無理しようとしているのは心配だが、プライドや王族の訪問は素直に喜んでいるのならそれで良い。また今度会った時にゆっくり話を聞こうと考えながら、キースの背中を叩いた。
買ったら手帳も新聞と一緒に机に置いておくことを約束してから、次の号外四部も読ませてくれと頼む。
「ちゃんと八時間以上寝たら、飲みにもつれていってやる。だから今夜もなるべく休めよ」
「何週間後だよ……昨日までの追記だって二日はかかったのに」
号外を終えてもまだ手帳の追記で睡眠時間を削りたいキースは少しだけ不満げに口を結んで見せた。
号外を終えるのは四日後。それまでは記事制作だけでなく売り出すにも刷るにも忙しい。そしてこの号外が上手くいけば、きっと今後も部数が増えると同時に仕事が慌ただしくなると思う。間違いなくこれから暫くが会社にとっての大事な時期だ。
お互い仕事をしている為休みが合うことも少なければ、特に兄は騎士団演習場で寝泊まりしている為簡単には飲みにもいけない。
「暫くは手帳追記で気持ち落ち着けろ。飲みに行った時は最後まで付き合ってやるから」
「もうさっさと話したいよ……サーカス団特集差し替えてまで刷う価値あり過ぎた……本当色々話したいこと多過ぎるんだって」
「俺も早く聞きたいよ」
なかなか諦めのつかず、液状化しそうなほど姿勢が垂れるキースにエリックは噛み締めて笑った。キースの自慢も新聞社でどんなことがあったかも、そしてプライド達の様子も。折角なら彼からもっとじっくり聞きたいと思うのはエリックも同じだ。
珍しく「聞きたい」まで言ってくれる兄にキースが視線を上げれば、兄らしい笑みがそこにあった。
「楽しみにしてるから。だから早く本調子になって、また飲もう。潰れても家まで運んでやるから」
ポンポン、と優しく肩を正面から二回叩く。
いつもの言葉でそれにキースが頷いたら「じゃあ俺は演習場に戻るから」と軽く手を振った。新聞を片手に、悠然とした足取りで去っていく兄をキースも暫くは闇に消えるまで佇み見送った。
なんだかんだ時間だけで見れば話し込んでしまったと思えば、明日も演習があるだろう兄に悪いことをしたなと冷め切った頭で思う。
くるりと踵を回し、会社の中へと戻るキースは戸締り後に自分の机へと足を運びながらまた欠伸を零した。
新聞を兄に渡してしまった所為で、今日全てが現実だった実感もあまりない。
しかし作業机までくれば、プライド達への取材内容の記載メモとそして未完成の下原稿が広がっている。ペンのインクが零れないようにと蓋が閉じた小瓶をそれでも脇に避け、兄からの差し入れを持ち上げ座ってから自分の膝に置いた。
今日は社員が自分以外結構な人数残っている為、空いている席も少ない。
仕方なく仕事道具を汚さないように椅子と膝で食べることにしたキースは、こんがり焼けたローストチキンサンドに手をつけ紙の包みをはがした。売れ残りの肉は冷め切って香りも殆どしないが、一口齧り付けば旨味が口いっぱいに広がった。
むしゃりバクリと齧りながら、今日の新聞をもう一度読もうと視線を浮かせ、……ついさっき渡してしまったと思い出す。訂正確認の為に何度も目を通したが、せっかくご馳走を食べているのだから目も一番好きなものに満たしたかった。
肉を掴んでいない左手を伸ばすと、仕事用の手帳をめくった。
プライドの取材を担当した自分の手帳には原本となる内容がそのまま載っている。最初の文字は緊張であまりにも震えていたが、後半からは他人でも読めるほどまともなものだった。憧れの第一王女と机を挟んで椅子に向かい合ったなんて思い返しても全く信じられない。しかし
『民の為により良いものは速やかに取り入れ、広めていきたいと考えています。今回拝見した新聞も、民に国のことを知って貰うだけでなく民意を共有するという意味でもとても意義のあるものだと思っています』
『学校についても、是非国内にも他国にも広まって欲しいと考えています』
『勿論甘い物も大好きです』
『刺繍についてまでご存じなのですね。はい、新しく雇うことにした刺繍職人のものです。確かにまだ無名ですが、本当に才能のある人で』
『セドリック王弟の今後には心から期待しています』
『近衛騎士についてですか?』
こうして質問と応答の走り書きを見ると、やっぱり現実だったんだなと思う。
あくまでゴシップ的な内容ではなく、事実の確認や本人の感想といった当たり障りのない内容ばかりの質問になってしまったがプライド王女本人からの実録はそれだけで価値は計り知れない。
バクリ、と大口でまた頬張ったサンドをうっかり数回噛んだだけで飲み込んでしまったことに気付き、やっぱり目を通し過ぎるのも駄目だなと考え直す。
『皆、とても優秀な騎士達ばかりです。私がこうしていられるのも彼らのお陰です』
『いえ特殊能力は関係ありません』
『信頼の置ける騎士達です。守られている私だけでなく私の愛する弟妹達にとっても誇らしい存在です。そして願えるのであれば……』
『彼らの愛する家族友人恩人。大事な人達にもそう思って貰えれば嬉しいです』
「……なら兄貴もなれりゃあ良いのになぁ」
ン、と。今度はよく味わった後に飲み込み呟いた。
少なくとも自分の家はそうなってると思いながら、綺麗に包みだけになるまで食べ尽くす。
袋の中の差し入れは他にもあったが残りは朝食にしようと、手だけ拭くと大きく伸びをしてから場所を移す。
客用のソファーがいくつもある部屋には既に先客も多かったが、自分も空いているソファーに上半身を中心に倒し転がった。
瞼を閉じれば、その質問に答えた時に広がった笑みを思い出す。不思議とその時は特に紫色の瞳と目が合った気がする。
この国の愛される王女にあんな顔をさせることができる近衛騎士達は身内ともども幸せ者に違いないと考えながら、微睡みを待つ。大輪の花のように微笑んだ第一王女が語った近衛騎士という存在に、ほんの少しばかり羨みを覚えた。
……自室に帰還した兄が、その記事に一人高熱を上げることになるなど思いもせずに。




