Ⅱ476.騎士子息は察する。
「……どうして……」
頭を抱え、蹲る。
ノックを三回鳴らし呼びかけ、鍵を使って弟の待つ部屋に入ったノーマンは最初目を疑った。
演習を終えてすぐに城を降り、城下で買い物を済ませて宿に戻った彼の両手には買い物用の布袋が抱えられていた。しかし今はそれも床に置かれ、バランスを崩した中身が三個零れた。騎士の証とも呼べる団服まで裾が地面についてしまう。
おかえりぃ、と伸びのある声で兄を迎えるブラッドも手を振るだけで兄が蹲ることを気にしない。
少し前まではアーサーがまだ居たのだと語る弟の話も耳に届くが、ノーマンはそれどころではない。
アーサーが部屋に訪れていることも知っていれば、こんな遅い時間までまた長居していることの方がおかしいとわかっている。
ただでさえ今日はいつもより帰りが遅くなった。以前のように自分が帰るまでいるかもしれないと危惧こそしたが、別に会えなかったからといって落ち込みまではしない。どうせ自分は会うだけならば騎士団で毎日のように会っている。
むしろ実の弟とアーサーに挟まれて会話することの方が気まずかった。扉を開けた時もアーサーがいなかったことに少なからずほっとしてしまった部分もある。だが、同時に見せつけられた光景に状況を理解したノーマンはすぐには立ち直れなかった。
早く中に入りなよと、ブラッドが歩み寄り兄の腕を引っ張る。ふらふらと立ち上がり、数歩歩いたノーマンだがその間も片腕は頭を強く抱えたままだった。ブラッドが玄関を閉めてくれたところで、今度は力なく手近な椅子に座り込んだ。視線を上げれば嫌でも目に入る光景に、いっそ聞くのが恐い。
「あ、アーサーさんが兄ちゃんに珈琲ご馳走になりましただって。やっぱ僕の言った通り珈琲だったよ」
「……酒は。棚の、上の……」
「飲んでないよぉ。僕もちゃんと聞いたんだけど、最後まで珈琲だけで他はな〜んにも飲みも食べもしてないよ」
嘘だろ……⁈と、ノーマンはブラッドからの返答にまた頭を両手で抱えた。
今後アーサーがブラッドへ会う為に部屋へ訪れると聞いてから、自分なりに配慮はした。客人、しかも上司を迎えるのに最低限近い用意はしておかないとと食器も持て成しの飲食も揃えて弟にも遠慮なく振舞うように言い聞かせた。
今日アーサーが部屋に訪れたいと言われた時は、予想より早いと思ったと同時に早々に準備していて良かったと心から思った。最初の一回こそ急だったから仕方がないが、今後訪れると知った上で何の準備をもしていないなど許されない。
なのに、帰宅してみれば使用されたのは珈琲一式のみ。ブラッドから聞けば自分が演習の終わる時間ぐらいに帰っている。
日が暮れた時間にすら酒を飲まなかったアーサーに、あの人らしいとも思うが同時に自分が居た堪れなくなる。数時間も部屋に居て、珈琲一杯しか消費しない客人など滅多にいない。そして何よりも
「すごいよねぇ、これ全部アーサーさんがくれたんだよ。ポンッて」
箒にモップにバケツにブラシ、石鹸、洗濯槽に洗濯板。更には台所もない部屋に、フライパンや大鍋小鍋を始めとした調理器具まで積み上げられている。
扉を開けた瞬間から、嫌が応なく目に入ったそれにノーマンは頭が本気で痛くなった。折角アーサーを安心して迎えられるように整理整頓したのに物が増え、総額を考えればざっと計算しても新品のそれは自分が昨日買い出しした品より遥かに上回っている。
更にはテーブルの上には大振りの肉が真ん中に陣取っていた。帰りがけに夕食を買ってきたノーマンだが、目の前の肉だけでも一回では兄弟で食べきれない。
「これも夕食に食べて下さいだって。美味しそうだよね」
「よりにもよってそんな高い肉……」
自分の事情を知っているアーサーからの援助だろうと判断するノーマンだが、あまりにも程があると思う。
アーサーの金銭感覚など全く知らないが、それでもこんな上等な肉を大振りでポンと買われてしまいノーマンは途方に暮れる。
実際は懐事情が潤っているだけではなく、単に一番小ぶりの運びやすい肉を選んだのが大きいがそれをノーマンが知るわけもなかった。何より、人に贈るならある程度の品を選ぶというのはアーサーにとっては礼儀に等しい。
椅子にかけたまま頭を抱えるノーマンは、大きく息を吐き出した。今この場にアーサーが居たら、確実に全てを突き返して「困ります」と説教めいた失言を言ってしまっただろうと脳内で想像がついた。
兄の嘆きに「そうなんだ」と何ともなしに相槌を打つブラッドは深く考えない。アーサーが代金を払ったのは見たが、こんなに良い肉ならそれぐらいの額はするよなと驚きはしなかった。聖騎士で騎士隊長ならそれだけお金持ちなんだなと疑問にも思わない。
「掃除用具も買ってくれたから明日から僕掃除もするね。暇だし肉より嬉しかったなぁ」
そう言いながら、ベッドに一度腰を下ろしたブラッドは足先でバケツを突いた。
借り部屋であることも考えれば、別に大して掃除する必要はないが家の中で日常的にやっていたことをできるだけでも気持ちは落ち着く。
アーサーが帰るのが早ければ今日にでも掃除したのになと思いながらも、明日の朝が今から楽しみになった。
「あ、の人は……‼︎なんで‼︎部下一人にこんな買うなんていくら隊長でも過剰にも程が」
「良いじゃん買ってくれたんだしさ。ほらこれとか家で使ってたのとそっくり」
ひょいっと爪先で今度はブラシの柄を床から引っ掛け、跳ねあげる。
数センチだけ宙に上がった先をそのまま足の甲に乗せれば、そのまま器用に立たせて見せた。おっとと、と小さく零しながらも前後左右にゆらゆら揺れるブラシはブラッドの足の上でバランスを取られる。
曲芸のようなそれも、ブラッドが暇な時にはよくやっていた一人遊びだ。家で使っていたのと同じブラシは新品ではあったが、家の時と同じ要領で扱えた。
少し浮かれているようにも見えるブラッドに、眼鏡の丸縁を中指で押さえつけながらノーマンは確かにと呟いた。自分が新兵になった頃に城下で新調したブラシだ。
村には無いが、城下では一般的に流通しきっている。更にはよくよく見れば、他の生活用品もどれも実家で使い慣れてい物と近しいものばかりだった。
「偶然だな……まぁ安価なら確かに」
「偶然じゃないよ、ちゃんと僕が選んだんだから」
はっ……⁈
予想外のブラッドの発言に、声が漏れたノーマンは絶句したまま口が開いて止まる。
驚きのあまり極限まで上がった両眉と共に丸縁の眼鏡がずれた。一瞬ブラッドの言っている意味もわからず、次には冗談かと思った。しかし言葉の通りであれば、妙に馴染み感のあるばかりの新品生活用品にも納得がいく。家で誰よりも家事を担っていたのは弟なのだから。
お前が選んだのか、と。三十秒近く経過してから顎を動かし言われた言葉を返してしまうノーマンに、楽しげにブラッドは微笑んだ。
「アーサーさんと一緒に買い物したんだぁ。兄ちゃんも一緒だったら良かったね」
「お前アーサー隊長になに買わッ……ッじゃなくて外‼︎外に出たのか⁈」
思わずいつもより言葉が崩れてしまいながら声を荒げるノーマンに、むにむにと口角が緩まっていく。
兄がこんな風に自分へ怒鳴るのも久々な気がする。まさか買おうと提案したのも自分とは言えないなと呑気に思いながらも、足の甲から再びブラシの柄を跳ねさせた。ぱしりと宙で掴み、最初と同じように壁へ立て掛ける。
うん。と、動作と共についでのような口調で短く肯定するノーマンはそこでベッドに座ったまま両膝にだらりと腕を垂らした。
「楽しかったぁ」と感想を呟きながらにこにこと機嫌の良さをそのままに兄へと笑いかける。
「村でも外ぐらい出てたしぃ、別に驚くことでもないでしょ?」
「いや……‼︎それはそうなんだが!その、……あんなにっ……」
嫌がっていたじゃないか。
その言葉をノーマンは喉の遥か奥で飲み込んだ。
ブラッド本人の言う通り、今までもずっと家に引き篭もり続けていたわけではない。買い物にも行けば、大物を狩った分け前を貰いに村の中心地にも行き、水を汲みに水場へ出ることもまた日常だった。
だが、それ以外は全く出ない。自分の特殊能力で被害を出したくないブラッドは、必要最低限以外は外に出たがらない。村人が外に出ない早朝や深夜にでもと家族が誘っても「僕は良いや」と軽い返答で受け流していた。
外に出るのは用事に出る時だけで充分と。長く住んでいた村でもそうだった弟は、当然初めて訪れた城下では一度も出たいとも言わなかった。
外に興味はあっても出たがらない。ノーマンが出るなと言うまでもなく、彼自身の意志が頑なだった。だから今もこうして人が周囲にできる限りいない、ブラッドの特殊能力を周囲が影響を受けない部屋を選んだのだから。そうでなければもっと安宿でも良かった。
なのに今日、突然ブラッドが外に出たと言えば驚かないという方が難しい。
そしてブラッド自身、兄がそれだけ驚いている理由もわかっている。
眉をほんの少しだけ垂らし、しかし崩さないまま笑顔で返す。敢えてはっきり自分が引き篭もっていた事実を黙してくれる兄の優しさには素直に口が両端緩む。
ブラッドの反応からして外の買い物は何事もなかったのだろうと遅れて胸を撫で下ろしながらも、明らかに平然とする弟にノーマンは声が僅かに上擦った。
「どうして。それでも、そんな急に」
「アーサーさんが守ってくれるって言ったから」
にこりと笑んだままの言葉に、ノーマンは一度口が開いたまま固まった。
呆気を取られるように固まる兄に、今までずっと突っぱねて兄とは出なかった散歩にアーサーとは出たことを少なからず悪いとは思う。
本心では兄のことを弱いとも頼れないとも思っていない、むしろ逆だ。ただ、頼れて信頼できる兄以上に、あの時のアーサーは。
「……ねぇ兄ちゃん。騎士ってすごいね」
兄ちゃんが目指す前から知ってたけど。
そう柔らかく静かな声で投げかけ、続ける。
ブラッドの言葉に、唖然としていた口が俄かに閉じられた。
他でも無いアーサーが守ってくれると、上官であり自分よりはるかに強い騎士隊長且つ聖騎士がそう言った時の威力は果てしないとノーマンも理解はする。今まで実家で自分とブラッドがアーサーをどう話していたかも思い出せば、聖騎士との外出というだけでもブラッドが踏み出すきっかけとして納得できる部分はあるとずれた眼鏡を再び直した。
ただ、ブラッドとアーサーの間に何があったのかとそれだけが考えても考えても納得まで行きつかない。
「兄ちゃんは騎士の自分、好き?」
ぽつん、と池に小石を放るような感覚で投げられる。
その問いにブラッドは下唇を小さく噛み、結んだ。ブラッドが騎士を好きだということも、騎士として殉職した父を嫌ってはいないことも知っている。
子どもの頃に自分とブラッドの道が大きく分かれた時期のこともよく覚えている。
「……そうだな」
好きだった。と、自分が騎士になれたことを喜んでくれた弟だが、やはり己は騎士として未だ理想には届いていないと思いながら言葉を返す。弟の理想にも、そして自分のにも。
「今度は兄ちゃんも三人で出掛けられると良いね」
今日は近所しか歩けなかったから。
そう続けるブラッドに、やはりアーサーとの詳しいやりとりを言う気はないんだなとノーマンは理解する。弟は話そうとすればこのままいくらでも口が回るのに、簡単に締めくくってしまった。
濁す弟の言葉に、一言返したブラッドはそこで再び首を垂らした。ゆっくりと深呼吸を音にすれば、兄が何を言おうとしているかを察したブラッドは口を閉じて小首を傾げ見返した。
十秒、二十秒の沈黙が続く。呼吸を整えているようにも、何か言いあぐねているようにも見える兄は膝の上で指を組み、小さく遊ぶ。
どうしたのか、もう一度尋ねようか考えたところで薄く息を吸いあげる音が静かな部屋に通った。
「……今日、〝目処〟が立った」
沈黙分、はっきりと告げられた言葉に目を皿のように見開き口を結ぶ。
ブラッドはすぐには返答しなかった。思ったよりもずっと早かったそれに、「流石は兄ちゃん」といつものように言いたかったが自分でも意外なくらいはしゃげない。
兄の言わんとしていることはわかったつもりでも、手放しで喜べない。兄と同じくらいの沈黙を置いてから「そっかぁ」と力なく微笑み、肩を自然に落とした。
良かったね、とまるで他人事のように言う彼にノーマンは正面へと向き椅子に座り直す。指を組み、前のめりに背中を丸め、真剣な眼差しで自分と同じ水色の瞳を合わせた。
「ブラッド。一緒にやり直そう」
力の入り釣り上がった細い眉と険しい顔で、言い切った直後に弟両手をそれぞれ重ね、握った。
真剣な表情で自分へ言葉を告げる兄の声は力強い。そして続きを待つ自分に、微弱に手を振るわせているのが肌に伝わった。それほどの覚悟が兄にはあると理解する。
目を水晶のように丸くしたブラッドは無言で自分も写し返した。眉を垂らしたまま目は笑むが、ずっと笑んでいた口角はゆっくり落ちた。
その言葉の意味を、なんとなく理解してしまったから。




