確認し、
「あーー、それでエリック。お前はどうしたんだよ。なんか疲れてただろ」
演習を終えてからスイッチが切れたように項垂れていたエリックだが、今はステイルとハリソンの問答に顔も上がり生気も戻っていた。半分近く下がっていた瞼も大きく開いたままだ。
話の軌道を変えようとするアランに、エリックも身を起こした。アーサーに「だから言ったろ」と言ってみたかったが、ステイルが中断を望んだ以上ここで自分が前にも出られない。
アランの促しに最初はしどろもどろに返しながら、まだ中身の減っていないジョッキを掴んだ。どこから言おうかと自分の中で内容を考えようとし、…………まだ黙した。
逃げるようにジョッキに口をつけ、栓でもしたように黙りこくってしまう。
ぶく、と行儀が悪いとわかりながらも小さく水面に泡を吹き目が泳ぐ。さっきもアランがどうしたと最初に怒鳴った時点で自分だけでも上手く返答したいと思ったエリックだが、結局言葉が思いつかなかった。どこか一つ上げれば、それだけでアランに突っ込まれる気がしてならない。結果、厳選した先はあまりにも弱い。
「母と、…………末の弟が。最後の最後に、またやってくれまして……」
はぁぁぁぁぁぁぁぁ……、と。
それを言っただけでもエリックは長い溜息を吐き出してしまう。同時に顔にも火照りがじわじわと戻り頬は完全に染まった。
一口中途半端に飲んで止めた酒の手を、次にはごくごくと連続して飲み込んだ。エリックの言う〝末の弟〟に、アランとカラムも互いに目を合わして苦笑う。
具体的には知らないが、検討はついた。夕食の時間、近衛についていた自分達の前でプライド達が話題にしていた〝人形〟と〝例の物〟だ。
人形の方は、ギルクリスト家で貰ったと話せばティアラも目を輝かせて「見たいです!」と声を弾ませていた。
しかし〝例の物〟については、自分達近衛騎士にも聞かれることを気にするように王族同士言葉を伏せていた。食後に耳打ちでティアラには聞かせたが、あそこまで遠慮して恥らっていたエリックに対し先輩騎士二人に言いふらすのは流石のプライドも躊躇った。
本当ならば腕で抱えて自慢したいくらいだったが、エリックが恥らっているのに自分一人で盛り上がるわけにもいかない。せめて本人に許可を得るまでは言葉を伏せると、ステイルとも暗黙の了解で確認し合うまでもなかった。
プライドにも言葉を伏せられるような〝例の物〟と既にエリックの口から語られたことのある末の弟の話題に、アランとカラムはエリックの苦労がそれだけで伺えた。
アラン自身は挨拶で会った程度だが、礼儀も正しい印象の好青年だったのになぁと頭の隅で思う。しかし同時に兄弟ならではの強く言う口調やエリックとの戯れ方を思い出せば、きっと没収された私物の意趣返しも会ったのだろうと思う。
そして直接会ったことのないカラムも、以前にエリックが家族関連でアーサーやステイルにどういう反応をされていたかを覚えていた。
今回もプライド関連かとも見当づけてステイルとアーサーへ目を向ければ、やはり予想から大きくは外れない反応がそこにあった。
「いえ!あの‼︎でも最初に頂いたアレもすげぇ良いと思いますし、あとッキースさんのくれた……も!すっっげぇ俺は良いと!!」
「エリック副隊長、どうかお気になさらないで下さい。そして申し訳ありません、お気持ちはわかりますが姉君も喜んでおりましたので僕にも今回ばかりは……」
人形もネクタイも充分良い贈り物だと訴えるアーサーの発言にまずエリックの額がまたテーブルと一体化した。
母親の方は、まだ子ども相手だったと思えば飲み込める。しかし、キースがあろうことか贈ったものを〝良い〟と言われること自体が今は鈍器で殴られるような気持ちだった。
いっそ今はあれが最悪の贈り物だと口を揃えて貰える方が気が楽だった。あんなものをプライドの手に渡ったどころか、その過去をあらましに語られただけでも穴があったら入りたいくらいに羞恥が込み上げる。
更にはステイルからの気遣いも、今は傷を抉るだけだ。
最後にやんわりとプライドから没収するのは不可能だと断られれば、あれを今も彼女が捨てずに所持しているという事実にたまらず額と共に拳を強くテーブルに打ち付けた。ゴンッ!!と響く大音と共に振動が、最端に座するハリソンのジョッキの水面まで跳ねさせる。
ステイルもアーサーもネクタイの存在自体は言葉を伏せたが、しかしあれを没収することは既に不可能と結論は出ていた。
受け取ったプライドの嬉しそうな笑顔と発言を思い出せば、強めの口調でもエリックへの返還を進めれば彼女が悲し気な顔をすることが今から予想できた。それほどに、確実に彼女は気に入ってしまっている。
エリックにしてはなかなかの物へのぶつけようにアランも「どうしたどうした!」と宥めるように平たい背中をバシバシ叩く。
取り敢えずプライド関連だろうなと理解しながらも、本人が言いたくないのならば深く聞き出そうとも思わない。だが、身内がプライドにやらかした上に何か贈り物にも問題があったのだなと思えば、慰めるか愚痴を聞く理由には充分だった。
相手は庶民の娘と思っているエリックの家族とはいえ、彼はプライドからのハンカチ一枚すら「ボロボロになるまで使い込まれる」を理由に遠慮したのだから。
あまりの落ち込みようにカラムも席から顔を覗き込もうとテーブルに僅かに身をのり出す中、エリックは水面の揺れるジョッキを握り直す。
「キースがとんでもないものを……」
そう吐き零しただけで、酔いとは関係なく若干涙目になりかける。
あんな恥の塊を、自分のお古などをプライドに渡すなど死にたくなる。相手が本当にただの〝ジャンヌ〟だったとしても笑顔では許せず没収していたと思う。こんなことになるなら最初からキースとも贈り物を打ち合わせて用意すれば良かった。
ジャンヌ達三人が瞬間移動で消えてから、すぐに目を尖らせて再び怒鳴ったエリックだがキースも手帳を両腕で庇ったまま全力逃亡するだけだった。最新の手帳にとどまらずキースの溜めている過去の手帳を二、三冊くらい永久没収してやりたい衝動に駆られたが、そんなことをしてもネクタイも返ってこなければ反省を促す意味もない。二度とジャンヌ達は家に訪れないのだから。
─ プライド様達と我が家の接点がなくなったことだけが救いだな……。
そうエリックは自分を慰めるように頭の中で言い聞かす。
極秘視察も今回の一か月だけ、今朝は少なからず寂しさもあったが今は安堵しかない。もうジャンヌ達と自分の家族に接点など間違っても万に一つもなければ、不敬や贈り物に頭を抱えることも二度とない。
まさか、手紙経由の打診がプライド達の間で持ち上がっているとはまだ思いもしないエリックはそのまま顎をテーブルに乗せたままステイルに視線が向いた。
ステイル様、と呼びかけようとしてこのままの姿勢ではならないと言いかけた口を一度閉じ手を付き上体を持ち上げる。アランからの気合の手が止み、自分で一度背中を反るほど伸ばして正す。
自分を気遣うように眉を垂らして視線を向ける漆黒の眼差しへ「ステイル様」と今度こそ覇気のない声に出した。
「因みに、例の物は……最終的にどのような処理をされたかご存じでしょうか……?」
実家で見送ってからは、そのまま近衛騎士として交代を終えたエリックはその後のことはまだ知らない。
今のステイルの話しぶりからもきっと捨ててはくれていないのだろうなと思いながらも、やはり行方は気になった。
まだ頬がおたふく色になったままのエリックにステイルもぎこちなく笑んだ。人形もネクタイも、プライドの部屋に置いてきてしまったままだった自分は夕食の時確かにそれも尋ねた。少なくとも人形の方は、一応名義としてはバーナーズ三人宛てのものだ。
肩を竦め、「申し訳ありません」と謝罪から始めたステイルはそこでプライドから聞いた行方に答える。
「先ず人形についてはアラン隊長とカラム隊長もご存じのことですが、今は姉君が纏めて保管しています。夕食の後にティアラと見に行った際、机に並べたので恐らくはそのまま部屋に飾るかと」
ステイルの言葉に、やはりと思いながらアラン達はプライドとティアラが声を弾ませ続けていた小さな人形を思い出す。
城下でも土産品として売っているような単純なつくりの人形だが、よく特徴を捉えていた可愛らしいものだった。
ティアラが早速手に取って人形遊びもどきをしていたのを見て、プライドも微笑ましく顔が緩んでいた。更にはプライドが「同じ店を探して今度行ってみたくて」と言えば、ティアラもお揃いが欲しいと前のめりだった。
きっとそう遠くもなく、あのコレクションが増えるのだろうなとアランもカラムも考えながらも今は口に出さない。
ステイルの言葉に、エリックの顔色が全体まで血色が良くなりすぎる。
そうですか……と力なく言いながら肩が落ちた。まだ、人形ならば今は諦めもつく。まさかモデルになった本人に贈るなどとは思うが、それでも庶民の手作りよりは不敬にならない。
ステイルから「姉君が店を知りたがっていました」と言えば、いえいえそれがと首を振った。母親から店の名は聞いた。王都の比較こじんわりとした雑貨屋だ。しかし、残念ながらその雑貨屋に人形を卸していた製作者はもう新しい品は出さず店に並べられた数点が最初で最後だった。
そしてエリックも、できることならばもうこれ以上あの人形を、特に騎士の人形をわざわざ増やさないで頂きたいと切に思う。
「僕の分の人形は、折角なのでそのまま姉君のと一緒に保管して貰うことにしました。アーサー、お前はどうする?」
本来ならばそれぞれ人形を一つずつ配分することも考えたが、あまりにも気に入った様子のプライドにステイルも自分の分もどうぞ保管を譲った。
不要というわけではないが、ティアラが仲良く揃えていたというその人形を引き離す方が引っ掛かった。プライドやアーサーの分と一緒に並べて置いてくれれば、自分も彼女の部屋に訪れる度に目にできる。何より、一番人形を気に入った様子のプライドから没収することなどできるわけもない。
ステイルからの投げかけに、肩を上下させたアーサーはひっくり返った声で「いや俺も一緒に持ってて貰えンなら……!」とステイルと同じ意見を言葉にした。
自分もあの人形なら飾っても良いなとは思ったが、しかしせっかく一緒に貰ったならば一緒に飾ってやりたい。しかもプライドが持っていてくれるなら置き場としてそれ以上もなかった。自分はそれこそ雑貨屋に通えば良い。
アーサーが返して欲しければ自分もからもプライドにアーサーへ騎士の人形は譲ろうと説得しようと考えはしたステイルだが、やはりかと頷きで返した。アーサーならそう返すだろうことも予想していた。
そこまで確認した後、ステイルは眼鏡の黒縁を指で一度直してから再び口を開く。
「例の物の方は、……ネル先生のワンピースと同様の保管を決めたそうです」
─ それで宜しいのですか??!!
ステイルの言葉に、エリックはもう少しで叫び出しそうだった。
王族の衣装保管室。王族ともなれば着替えの回数だけでなく、公式のドレスであれば一度袖を通した服は二度と着ないことも殆どだ。その中で、〝特に気に入った衣服〟を、いつかまた仕立て直す用に、もしくは〝ただ大事に残し飾る為に〟の保管場所があることはエリックも知っている。
しかし、女性であればそこに飾られるのは式典等やお披露目の場で着用したドレス。プライドの場合は過去に侍女が仕立ててくれた運動着等も含まれているが、それでも高価なドレスが大部分を占めていることは変わらない。奪還戦後のパーティーで着用したドレスもそこに保管されている。
そんな豪奢で高級な女性物が陳列されている中で、よりにもよって自分の〝男性物〟であるネクタイが同様に飾られているなど考えただけでも身体が燃えるようだった。何も知らない者が見れば、それこそ意味深に捉えられかねない。
ぐるぐるとそんなことを考えながら頭の重さが漬物石を上回りかけた時、ステイルから「ですが、その方が人目にもつきませんからご都合は宜しいかと」とゆっくりとした口調で諭され、少しだけ重みが減った。
確かにアラン達や自分自身の目につくぐらいならば、ひっそりと保管してくれた方が良い。
はぁ……先ほどよりは短めの溜息の後、両目を片手で覆う。もうこのまま寝込んでしまいたいと思いながら〝人目に触れていない場所〟という事実だけを支えにまたジョッキを口に傾けた。
少しだけ気持ちを持ち直すエリックに、カラムが一度席を立ちその背後から肩に手を置いた。「本当にご苦労だった」と労えば、それに乗じるようにステイルからも話題を変える。
「本当にお疲れ様でした、エリック副隊長。一番の重責だったことも存じています。今回無事に正体を隠して無事通い続けられたのも、エリック副隊長とギルクリスト家の皆さんのお陰です」




